事件、そして始まり
あの子に振り向いてほしい、願うはただそれだけだった。
そのために、勉強や運動、なんだって出来るようにずっと努力してきたんだ。
皆、最初こそはこの変化に驚いていたけど、慣れ始めてきてからは男女共に好かれる存在に成り上がった。
だけど、肝心な彼女との距離は全く変わっていなくて。無理なんじゃないかって、諦めそうになって。
そんな時だった、彼女と出会ったのは――――。
*
「お前ってさ、やっぱり彼女いるわけ?」
「……は?」
それは午前中の授業が終わり、昼食を口に運んで腹を満たしていた時のこと。
目の前で一緒にご飯を食べていた友達が、いきなり俺――小鳥遊透にそんなことを聞いてきた。
浅く息を吐いて、今の質問に引き寄せられたクラスメイト達を盗み見る。目を爛々とさせてんじゃねーよ、なんて呟くのも忘れずに。
――――自慢ではないが、告白は嫌になる程されている。というか、ほぼ毎日されていると言っても過言ではない。
だからこそ、彼女いるのか、なんて問いかけてきたのだろう。気持ちはわからなくもないが、今しなくても良かったのではないか。
はあ、とわざとらしく溜息を吐く。端に置いていた飲み物を取るために手を伸ばしながら、質問の答えを告げた。
「期待されているところ悪いが、彼女が出来たことなんて一度もない」
「え、嘘だろ!? お前なら選び放題じゃん、何で作らねーんだ!?」
「告白回数が多いことを否定する気はない。でも、好きでもない相手の告白に了承するのとは話が別だろう」
「まあ、そうだけどさ……勿体無いのなー」
そう言って、友達は机に項垂れた。話を聞いていたクラスメイトは、それぞれ違う反応を見せながら散っていく。
それを眺めてから飲み物に視線を向けると、あと少しで飲み干してしまうくらいの量しか無くなっていた。
時間を見ると、授業開始まで五分を切っていた。急いで行けば間に合うかな、なんて考えながら席を立つ。
顔を上げて首を傾げた友達にその事を告げると、遅れたら誤魔化しといてやるよ、なんて意地悪な笑みを浮かべながら扉を指差した。
「悪いな、行ってくる」
「俺の分もよろしくー」
ひらひらと手を振っている友達に薄く微笑み、弁当箱を鞄に仕舞ってから自販機に向かって走り出した。
飲み物を買い、急いで教室に戻ろうと自販機の前から退く。そんな俺を、三人の男子生徒が睨みつけていた。
はて、知らぬ間に何かしてしまっただろうか。そんな事を考えながら踵を返した、その直後だった。
突然背中を何かで強打され、平衡感覚を保てずにその場で倒れ込む。慌てて後ろを見ると、拳を作って仁王立ちしている一人の男が叫んだ。
「お前がいるから、俺達は彼女に振られたんだ! お前さえいなければ、彼女と付き合えたかもしれないのに……くそっ!」
ギリッと歯軋りをしながら、再度俺を殴ろうと腕を振りかぶる。甘いんだよなあ、なんて呑気に考えつつ体勢を整えた。
拳が当たる前に勢いよく跳躍して、男の背後まで回り込む。そして間髪入れずに蹴りを腹に打ち込んだ。
状況の理解が追いついていない残りの二人を放置して、近くの空き教室に駆け込む。そのまま壁にずるずると寄りかかった。
一息吐いて、先程買ったばかりの飲み物を口に入れようとするも、突然の出来事のせいで手から離してしまったことを思い出す。
「あーあ、やっちゃったな……どうしようか」
仕方ない、取りに戻るか。頭を掻きながら立ち上がった瞬間、ガラッと教室の扉が開かれた。
そこに立っていたのは、恐らく三人が言っていたであろう彼女――学園一の美少女と噂されている、神崎実乃里だった。
何故こんなところに。訳が分からなくて首を傾げると、目の前に何かを差し出してきた。
「はい、どうぞ。持って行き忘れてたよ?」
そう言われてよく見ると、彼女の手に包まれていたのは俺が買った飲み物で。見てたのか、と問いかけた言葉を呑み込む。
こんな風に人を気遣えるから人気なんだろうな。そう勝手に解釈し、礼を述べながら飲み物を受け取る。
体内に流し込み、喉を潤わせる。ふと視線をずらすと、用が済んだはずなのに何故かその場に立ち尽くす神崎がいた。
どうしたと問いかけると、気まずそうに手を弄び始める。そして深呼吸をすると、閉じていた口をゆっくりと開いた。
「あ、あのさ……拾ってあげたお礼、貰ってもいい……かな?」
「あー、なるほどな……言っておくが、高価なものは買ってやれないからな」
「ちがっ……お金は全くもって関係なくて……!」
何か買う以外にどんなお礼の方法があるのだ。眉を顰めて目で訴えると、神崎は顔を真っ赤にしながら手を伸ばしてきた。
「……勝手に、貰うからね」
その呟きが聞こえた直後、勢いよく腕を引っ張られる。その事に驚いていると、頬に柔らかい何かが触れた。
横目でその方向を見ると、そこには至近距離にいる神崎が映り込んできて。キスされた、そう理解したのと神崎が走り去ったのは同時だった。
教室に一人、立ち尽くす。先程の光景が、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「……嘘だろ」
何も、考えられなくなる。恐る恐る頬に触れると、微かに火照っているのに気づいて息を呑んだ。
――――ああもう、仮病を使ってズル休みしてしまおう。
保健室に向かうために、教室から出て歩き始める。頬が赤く火照っているのは、きっと気のせいだ。




