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蘆原を越えて  作者: Sam
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四章 本当の初陣

 山ノ内隊は雪道を駆けに駆け抜け、黒川の南方、門田(もんでん)(現、会津若松市南部)まで隊を戻した。

 昨日の黒川から蘆ノ牧間が三刻(六時間)の行軍であったが、三百五十騎と少数かつ、除雪も終えた道であったから、虎の刻前(正午一時、蘆ノ牧出発から三時間半経過)には着到していた。

 

「全隊止まれ。ここで小休止を取る」

 この調子であれば目標とする黒川城まで四半刻(三十分)ほどの道程である。

 ただ、蘆名盛氏が不在の黒川城が謀叛勢とどのくらいの戦闘になっているかが分からない。このまま疲労困憊で進み、知らぬ間に戦闘域に入るのは得策ではないため、俊政が休止の号令を発した。

 休止場所は雪原だが、夏の時期には青々と広がる門田の田圃(たんぼ)であり、兵を休めるのには余裕の広さである。

 

 さて、山ノ内隊の後列である第四陣は五百名の規模で、指揮するのは慶徳善五郎盛勝けいとくぜんごろうもりかつという老将であった。

 山ノ内隊の一町ほど後ろをついて来ていたが、休憩を取る山ノ内隊を前にしつつも、進軍の歩速を緩める様子が無い。

「慶徳殿は休まれぬのか――」

「休むのは定石だが、敵は北方(きたかた)勢であるからな。そういう訳にも参らん」

 俊政と慶徳善五郎が馬上、ほんの少しのすれ違い様のやり取りを聞いた俊勝がはたと気付く。

『慶徳殿のご領地は反乱軍が蜂起した北方であったな――』

 北方の慶徳城には家族も居るだろう。そして領主として、有事に対応する役目もある。慶徳善五郎は決してもう若くは無い体を押して、兵達を鼓舞しながらからくも駆け抜けて行った。


「呼吸くらいは整った。我らも参るぞ」

 僅かな時間であったが、山ノ内隊は掛け声とともに皆しっかりと立ち上がる。慶徳隊の鬼気迫る雰囲気は隊の士気を自然と引き締めた様だ。侍、足軽問わず、皆帰る場所も家族もあるのだから。

 

 挙兵に及んだ蘆名山城守(やましろのかみ)とその預かり親であった富田監物(とみたけんもつ)主膳(しゅぜん)親子は北方の塚原と言う場所に館を構えている。黒川までは平時の徒歩でも半日の近距離であるし、よしんばこの雪道であっても平地の行軍であれば、先攻有利は敵方に軍配が上がる。

 

 とは言え、蘆名盛氏の率いていた長沼征討軍も黒川の総兵力を投入した訳では無く、伝令を寄越した宿老の平田氏は留守居役の一人であったし、何より黒川城内には宿老の松本氏の館もある。

 更には黒川の東側に位置する猪苗代湖周辺の蘆名方勢力も一報程度は伝わっている事だろう。

 相手の兵力こそ未だ未知数だが、平田、松本ら宿老勢に山ノ内隊と慶徳隊が加わり防戦になれば、数日を持ち堪えるのは造作も無い事だ。……そして、そのはずであった。

 

 山ノ内隊は警戒しながらも進軍を続け、やがて黒川(湯川(ゆがわ)とも。黒川城の南側を流れる川で、東山温泉から鉄分を含んだ流れを持つため、川底が黒かった事が名の由来)にかかる大橋に辿り着いた。この橋を渡れば大町の通りに繋がり、大手門までは目と鼻の先だ。

 

「城の周りは戦場になっていないのか」

「……それどころか静かすぎる。兄者、妙な気配を感じますな」

 俊政と俊範は畏怖(いぶ)がしがって顔を見合わせた。

 黒川大橋を渡り、黒川城の様子に目と耳をそば立てながら大手門前まで辿り着いたのだが、(とき)の声一つも、駆け回る武者の草摺(くさず)りの音も、土塁の向こうに見えて然るべき旗指物、長柄槍の穂先に至るまで街道からは見聞き出来ない。

 既に敵の手に落ちたのかとすら思ったが、そうであれば門上の見張り台には富田の家紋が掲げられているか、争った形跡が何処かに残っているはず。

 しかし、門の上には出立時に見た蘆名家の紋、丸に横三本線の旗が掲げられたままであり、大手門はただ閉ざされ、門上の見張り台に人の気配も無かった。

 

 俊政は門に寄り、状況を問うための呼び掛けをしようとしたが、俊範が『山ノ内隊は新参者。かつ、松本氏が城代(城を預かる代役)』であることを鑑みてそれを止めた。

 恐らく敵の目的は黒川城の占拠であるのは間違い無い。城を奪り、蘆名山城守が血の正統性を訴え賛同者を募る。そうしてある程度の兵数を揃えたらば、田島へ向かった蘆名盛氏本隊を追い、決戦を挑み、勝利を得る……といった算段であるのは明白だ。

 

 しかし、何故か城は落ちておらず奪取の為の戦の跡すらも無い――。

 考えた所で納得のいく回答は導き出せない。俊範は大手門を睨みつけるのを止め、俊政に馬首を寄せる。

「兄者、このまま大町を北上し、慶徳殿との合流を目指そう。念の為、ここには乱波(らっぱ)を潜ませる」

「しかし、合流した所で城内が既に裏切っておったならどうする。乱波の情報伝達が遅れれば、北方軍と城からの追手で我らは挟み討ちぞ」

 「叔父上――」

 俊政、俊範の会話に耳をそば立てていた俊勝が割って入る。

 近親者であるものの、山ノ内隊の大将へ、まして戦の気配に昂っている二人への進言に緊張の面持ちは隠しきれていない。

 察した俊政は『遠慮は要らぬ、申せ』と俊勝に返し、発言を促す。

 

「なれば注進致します。平田周防守(ひらたすおうのかみ)(平田家当主の舜範(きよのり)の事)殿の所領は北方の鏡ヶ城。富田勢の塚原館と黒川の間に位置しているため、既に戦端を開いているのやもしれませぬ。我らが後方から援軍に駆け付けるのが早ければ敵方を早期に討ち破れ、乱の鎮圧も叶うものかと」

「ふむ――、守勢を選ばず、攻勢に出ろと言う訳か」

 知将の俊範も俊勝の進言に同上したのか、俊政に対して一度頷くのみであった。

 

 急な謀反に際し、現在の黒川方の兵力は分散してしまっている。旗色が明白な部隊で集結し、敵方に打撃を与える策を俊勝は献じた訳だ。

 山育ちの山ノ内隊は健脚の者が多く、まだ機動力は衰えていない。顎に手をやってほんの一寸考えたのち、俊政は顔を上げ発する。

「これより北方を目指す。騎乗の者は内匠頭(たくみのかみ)と共に斥候(せっこう)(偵察)として先行せよ。徒歩者(かちもの)は我に続け」

 応、と言う一声の下、内匠頭俊基とその周りの巌谷(がんこく)衆馬周り数騎が一斉に駆け出して行く。俊勝も続けとばかりに馬の手綱を引き寄せ、腹を蹴ろうとした。

 ……が。

 

「待て。お前は馬を降りよ」

「はぁ――、何故」

「お前の馬は乱波の伝令に使う。沙耶――」

 沙耶。俊勝が耳を疑った。

「は。ここに」

 なんと俊範の側に控えていた小柄の足軽が陣笠を取り、左右に首を振ると長い黒髪が翻った。

 驚きの余り、俊勝は履いていた(あぶみ)(乗馬時に足を置く馬具)から足を踏み外し、落馬仕掛けて(くら)に両手でしがみつく。

「鶴千代様、御馬をお借り致します」

「また、お前か……」

 前線参加の機会と胸の高鳴りをあっさりと打ち砕いたのはどうやら初めから参陣していた氷女(ひめ)、金山沙耶であった。

 落馬仕掛けた格好のまま俊勝は歯噛みをしつつ馬を譲るほか無かった。


「いい加減、むくれるなよ山三(さんざ)

「やかましい、儂に話しかけるな」

 怒りのまま、徒歩衆の最前列を俊勝が行く。

 大助に取っては面白いやり取りこの上無かったが、流石に同情の気が湧いて出て(なだ)める声をかけたものの、それが届かぬ程に俊勝は憤っていた。

 

『儂が策を献じたのに。今更徒歩などと……』

 そして、その怨みを込めた視線をやや前を行く馬上の父に向ける。

『父上は儂の初陣を何だと思うておるのか……、我が子の活躍は要らぬと、そう申されるのか……』

 無論、俊範に二心がある訳など無い。ただ、戦の流れを見て、必要な指示を指揮官として下したのみ。俊勝はそれを理解しつつも、自己中心的な夢見る感情が抑えられないでいた。

 

「若様、お気持ちはお察ししますが、戦場での勘気(かんき)は思わぬ所で足を(すく)われますぞ」

 そう声を掛けて来たのは檜原山ノ内家の家老、鈴木大蔵(おう)であった。齢五十に到達しているが未だ健勝。背は低くずんぐりとした体型で豊かな白髭が貫禄を上乗せしている。横田崩れ、巌谷城攻めにも参陣経験のある猛者であり、俊勝の傅役(もりやく)(主君の男子を養育する役目。家中の信任厚く、人格にも優れた者に任される)でもあった。

「……分かっておる」

 流石に育ての親である鈴木大蔵に(たしな)められ、俊勝は僅かながらその溜飲を下げた。

 待ちに待った初陣を怒りに任せて戦うのは詮無いこと。そう言い聞かせ、怒りは脚力に変えて、俊勝は北方へ向けて先陣を駆けていった。


 黒川と北方の中間点、湯川(ゆがわ)村に差し掛かったあたりで、前方から蹄の音が聞こえ、山ノ内隊は足を止める。

 先行させていた斥候役が一騎戻って来たのだ。雰囲気から察するに戦場を見てきたのだろう。口を真一文字に結び、馬に鞭を入れながら向かって来る。

 

「申し上げる。この先、勝常寺(しょうじょうじ)付近で平田殿が富田勢と交戦中にござる」

「やはりか。――皆ここで戦支度するぞ。火縄、弓弦(ゆづる)、長槍は抜かりなく。不要の荷はここに差し置け」

 俊政が大音声で指示するなり、兵達は急ぎ用意に取り掛かる。ある者は火縄銃の火縄に種火を移すと、縄を振り回して火を縄の先端に巡らせていく。

 また、ある者は仲間が掲げた掌に上弭(うわはず)(和弓の一番上の部分)を持たせ、自身は下弭(したはず)(弓の最下部)を右膝に乗せて、体重を掛けながら左手で弓の握りを下へ押し込めて弓弦を張る。

 慌しく戦支度に取り掛かる山ノ内隊。その折り、まるでそれを更に急かすかの様に遠くから発砲音が確かに聞こえる――。

 

「いよいよじゃ」

「あぁ、(ようや)くじゃ」

 大助と俊勝は長槍の柄のしなりを確認しながら震えた声を掛け合う。

 そう、声も、槍を持つ手も、立つ足も泡立ち震えていた。戦の緊張感と初めて感じる高揚感は武者震いとなり、少年達の心体をひとまとめにしていた。

 『命を賭けて事を成す』その言葉は重い。

 しかしながらそれ故、これまでに無い程の生きている心地が溢れて止められない。

 

「先鋒は鉄砲弓隊と盾、後方は槍隊で進むぞ」

 兵数の半分で隊をおおまかに分け、遠距離攻撃の隊と盾隊、近距離攻撃の隊で編成される山ノ内隊。兵方書の初めに書いてあるような基本的な軍編成と言えるが、敵の捕捉がし易い平地での戦いであれば最適解でもある。

 

「全軍――。前へ――」

 ざっざっと雪を踏み締め、山ノ内隊が進み出す。再び響き渡る火縄の音。風向きが変わると争い合う怒声と、刀槍の弾け合う音も混じって流れて来る。そして、それら戦場の音が風に乗らずとも聞こえて来るまで、さほどの時はかからなかった。

『近い』

 そう俊勝が思うのと同時に俊政が刀を抜き、軍配代わりに前へ突き出す。

「弓鉄砲隊は右翼、長槍隊は左翼へ展開。急げ――」

 後方槍隊の先頭は俊勝であるから、指示の通り駆け足で後方から駆け出し、俊政、俊範達の馬の左手に移動する。

 途端に眼前は開け、そこには雪原の戦場が広がった。

 向かって左手に建つ勝常寺を背にする形で北側、四から五町程先の小高い場所に平田氏の丸に三ツ矢筈家紋の旗と陣があり、右手の北東奥、こちらも五町程先に下り藤に(かのう)字の旗を翻して富田勢が隊列を取り対峙している。

 鳥瞰(ちょうかん)して見ると、富田勢の黒川進軍経路へ平田勢が南方から割り込み、通せんぼする形で陣を敷き対峙している様だった。

 

「ありゃ二千はおるの……」

大助は左掌で額を覆い、富田勢を遠視すると眉間に皺を寄せる。

 対する平田勢は五百に届くか……と言う兵数に見える。かつ、装備も腹当てに陣笠、鉢金など簡易的なものが多く、急発生した謀反へ無理矢理対応した急拵(きゅうごしら)えの軍という印象が拭えなかった。

 そんな両勢の中間地点、つまり山ノ内隊の眼前ニ町(約218メートル)先では両軍の槍襖(やりぶすま)隊(長槍を持った兵が横に並び、槍を上から下に一斉に叩きつけて戦う)による戦いが繰り広げられている。

「あのお味方――、慶徳殿……」

 手前の槍襖隊の旗は平田、富田と家紋が違う。山ノ内隊より先に戦場に到着していたが、その分代償は大きかったと見え、疲労の色濃く、押されてじりじりと隊列が下がっている。

 槍襖の強さは居並んだ兵が構えた槍を大きく振り上げ、そして手数多く叩きつける事にある。が、慶徳隊の持ち上がる槍の穂先はばらばらで纏りが無く、劣勢は明らかであった。

 

「槍襖隊、前方富田勢へ横槍を入れよ」

 (たす)けのため切羽詰まった俊政の号令が降るが、その声の後直ぐに俊範も続けて叫ぶ。

「槍隊目付(めつけ)(指揮官)に鈴木大蔵を命ずる」

「おうっ」

 鈴木大蔵のこれまた太い足をした老馬が槍隊の中央に進み出る。

「爺が目付とは心強い」

「はっはっ。若様の一番槍を見届けられるとは執着なり」

 山ノ内隊の槍が一斉に持ち上がる。

「三之丞行って来い。槍襖を堅く組めば早々簡単にやられはせん」

 俊範が早口に、しかししっかりと通る声で下知した。

「は、父上。我が初陣、ご(ろう)じ入れまする」

「そして大助は下がれ。お主は後方支援の約束じゃろう」

「叔父上、それは後生じゃ――」

「ならぬ。本名の後継はお主ぞ」

 こんな時に出発前の約束を思い出すとは、冷静な父であるものよと感心すら覚える。

 父の励ましを受け本来の落ち着きが戻って来ている。――やれる。

「殿、目付に万事お任せを――。慶徳隊の被害が甚大な様子に」

「ちぃ――。なれば、大助は三之丞の右手に付け。まとまっていれば大蔵も目付し易い。良いか、くれぐれも突出はするなよ。お主が死ねば儂は腹切って弟(大助の父、本名右近介氏重の事。氏重は俊範から見て四番目の弟)に詫びねばならん」

 は。と勢い余った大助の金切り声が上がって、大助は俊勝の左手から右手に並び直す。

 

 山ノ内槍隊の突撃体制が整った。俊範の目配せを受け、俊政の刀が敵勢に向けて勢いよく振り下ろされる。

「槍隊、突撃――」

 俊勝ら槍隊は一斉に鬨の声を上げ、二間半(四.六メートル)の槍を頭上高々と振り被り雪原を疾走する。

 隊列は横五十人、縦四列となり、北東と南西に広がる戦場の真っ只中に突如として現れた形となる。

 慶徳隊を追い回すのに躍起になっていた富田槍隊は一町までその接近に気付かず、かつ、右手からの押し寄せに恐怖し一気に狼狽(ろうばい)の色が広がり、槍を投げ捨てて逃走する者まで出始めた。

 長柄槍の弱点は左手からの攻撃である。全兵右手で槍を構えているから、左の敵に槍先を向ける場合は一度槍を頭上に掲げ、体を左正面に向けて構え直さねばならない。

 この様にしないと左隣の味方に槍の柄がぶつかり同士討ちに成りかねないから、槍隊への有効な攻撃は左手からの横槍が定石とされていた。

 

 「今ぞ、横槍入れい――」

 槍隊の中央で馬を駆る鈴木大蔵からの掛け声が響き渡る。

 長柄槍の穂先が一瞬、宙で止まりまとまった後、一斉に敵勢頭上に振り下ろされた。富田勢の足軽も陣笠は被っているが、ニ間半もの槍がしなり、鞭の様に頭上に叩きつけられてはそんな簡易な頭部装備ではひとたまりも無い。

 ある者は傘と頭部を真っ二つに叩き割られ悲鳴もなく絶命。ある者は肩口から腕を失って血飛沫を上げて転倒した。

『これが戦か――』

 俊勝の手にもはっきりと命を奪った瞬間の衝撃が生々しく伝わっていた。何とも言えない悔恨(かいこん)にも似た感情が湧き上がる。

 

「それ、二槍目、叩け」

 が、お構いなしに無常に鈴木大蔵の掛け声が再度響く。戦であれば迷っている暇は無い。迷いは自身の身の破滅を招く事も、生の感触は如実に俊勝へ伝えて来たのだから。

「あああ――」

 狂った様に声を上げ、大助も俊勝も遮二無二槍を叩きつけた。感触は全く慣れることはなく、四度目以降から槍を振るう回数を数えるのを止め、眼をかっと見開いて人間の体が破壊される光景を受け入れた。


 やがて恐れをなし逃げ出した最後の一兵の背中を見送り、鈴木大蔵は周囲を見渡した後、攻撃中止の指示を呼ばわった。

 必死の余り途中の記憶すら曖昧だが、山ノ内槍隊の突撃は終わった。

 ……そう。勝ったと言うより終わったと言う気持ちが俊勝の胸中に広がる。

「皆ようやった勝鬨上げい。」

 鈴木大蔵のえいかえいかの声に続き、おうの大音声が戦場に響き渡った。

 

 突然の援軍と、猛烈な戦い振りに面食らったのか、富田勢からの増援部隊は出て来る様子が無い。

 長柄槍のお陰で山ノ内隊の被害は皆無だった。この槍は金売り吉次商隊から教わった織田家の槍(織田の長柄槍は三間半でより長い)を元に木の枝が多い山中でも使えるよう短めの改良を加え採用したものだったが、古来からの槍(三尺から六尺。九十から百八十センチほど)が主武装の富田勢には効果覿面(てきめん)であったようだ。

 

「……やったの」

 普段多弁な大助が肩で息を吐きながら呟く。鬨の声を返す気力は無く、鮮血に染まった赤い雪の広がりに視線を落としている。

「呆けている暇は無いですぞ。慶徳隊の負傷者を連れ周防殿の陣へ引き上げましょうぞ」

 馬上から周囲を警戒しながら鈴木大蔵がせっかちに促す。戦場の中央の敵兵は引いたが、俊範率いる遠距離部隊が援護射撃を富田陣に行っていた事も打って出て来ない理由である。

 棒立ちしているような隙はいつまでも見せておけない。事実、巌谷城攻めに参加していた小慣れた足軽兵達は長柄槍を右肩に担ぎ、負傷者には左肩を貸して西側の平田陣へ向けて急ぎ歩き出している。

 

「……それにしても敵の動き、妙ですな。やけに消極的ですわい」

 馬首を平田陣へ向けながら鈴木大蔵が首を傾げる。確かに富田勢からの発砲音は今も散発的に響くばかり。数で優る富田勢の攻撃が五百名程度の槍隊による小競り合いのみであったのも疑問だ。

「三之丞、大義であった」

 馬で駆けつけながら俊範が労いの声を掛けてきた。表情はいつもと同様、冷静なままであったが、俊勝には何処か穏やかな気配を感じ取る事が出来ていた。

「ただ必死で槍を振うばかりでした……」

 足だけは前に進めつつ、まだ震えの残る左手を俊勝は見つめる。

「それが初陣と言うものよ。次はもっと上手くやれる」

「そんなものなのでしょうか――」

「そんなものよ」

 馬の腹を蹴り、俊範は平田陣へ向かって走り去って行く。

 その父の背中を見送りながら、『次は――』と俊勝は静かに反芻(はんすう)していた。


 慶徳隊を(たす)け、無傷で富田勢を討ち払った山ノ内隊は平田勢から盛大な労いと名誉の言葉を浴びせられながら陣内に呼び入れられた。

 多くの味方の賛美の雰囲気に空虚感を抱えていた俊勝、大助の心が暖かく満たされていく。

 中でも一番喜ばしい事は、この後の軍議に平田周防守から直々に山ノ内一門の参加が許された事であった。

 陣幕の外は兵達が相変わらず富田勢の方に睨みを効かせつつ、思い思いに休憩を取っていたが、鈴木大蔵が引き続き山ノ内隊の目付を引き受けてくれた事で、陣幕の中へは俊政、俊範と一緒に俊勝、大助までもが安堵して入る事が出来た。

 

「山ノ内殿、援軍誠に大義であった」

 幕内に入るなり、奥の床几(しょうぎ)に座っていた平田周防守がわざわざ立ち上がり、笑顔で謝辞を述べて来る。宿老と聞いていたから、緊張していた俊勝だったが、人の良さそうな、歳も父と同じ頃の男に親近感が湧く。

「周防殿も謀反へのご対応、大義でございました」

 俊政がうやうやしく頭を下げ、平田周防に労いの返礼をする。なんの、とだけ笑って返すと、平田周防はすっと真顔になった。

「さて――。互いの持ち得る情報を整理致そうか」

 呼び掛けに俊政、俊範が「は」と会釈をし、平田周防の眼前に広げられた黒川領地図に視線を落とす。

「まず、修理様本隊は未だ田島にあられます。こちらは本隊と、恐らくは河原田治部殿との挟撃策を持って早期決着を目指すものと」

「ふむ。本来の作戦通りじゃ」

 俊勝が心の内で『やはり――』と得心する。

 叔父の河原田治部は田島長沼攻めに元々加わる算段であったのだ。とすれば、長沼氏の降伏も時期は早まるかもしれない。

 

 籠城戦は定石だと五から十倍の兵力が無いと困難であると伝わっている。長沼氏の兵力は詳しくは分からないが、支城に分散していた事を鑑みると千程度であろうか。

 蘆名本隊は慶徳隊と山ノ内隊が抜けたため三千近くに減ってはいるが、山ノ内総勢より僅かに小なりと言われる河原田勢は二千が総動員数。合わせれば籠城戦に必要な五倍の兵力は確保出来ている。

 それに今回の戦は長沼氏単独で引き起こしているため、籠城の本義である『他支城や他勢力からの援軍』は期待出来ないはず。

 籠城が長引けば兵糧や飲用水確保問題に加え、排泄物処理の問題や、言葉合戦による城内の士気低下を防ぐにも苦心するのは明白な事である。

 

「とすれば、東殿(蘆名盛氏の兄、蘆名山城守氏方の渾名)と富田勢を討ち果たせれば良い訳だが――。黒川城の様子は如何であった」

「援軍準備の様子も無く静まり返っておったわ」

 突如老齢な怒り声が陣幕内に響く。皆一様に顔を上げ振り返ると、そこには慶徳善五郎盛勝の姿があった。兜を脱ぎ、刀を杖代わりにして歩いているが、幸い怪我をしている訳では無く、加齢と疲労によるものであると見えた。

「善五郎翁、それは実にござるか――」

「実にござる。山ノ内隊も不穏な城中を見て来ております」

「……なんと、本城の留守居役は松本図書(まつもとずしょ)(松本氏の仮名は図書輔であった)、あやつ一体何を考えておる――」

 平田周防の顔色がにわかに曇る。

 ここに来て肝心の早期援軍が望めない事が分かったのだ。……更には旗色の解らぬ城中が独立心の強い松本氏である事が余計に不信を覚えさせる。

 

「周防殿の兵力はいかほどに」

「急な謀反であった故、今も募兵は続けておるが、今日中に揃う数は全部で六百程……。あと二、三日あれば千は集められるが」

 「善五郎殿の軍と我ら山ノ内勢を集めても今の兵数は千三百ほどか……」

 蘆名山城と富田勢は二千、援軍が無ければ劣勢である。が、黒川城からの援軍は望み無し。要の蘆名盛氏率いる長沼征討軍も今頃漸く蘆ノ牧と田島の中間地点に到達した頃であろう。

 鴫城攻めの時間を含めず、進軍のみの日数で計算してもここ湯川村まで五日はかかるから期待の余地は無い。

 

「周防殿にお聞きしたいが、敵は昨日の布陣以来、幾度攻撃を仕掛けてきておりますか」

 俊範がふと顔を上げ問う。

「昨夜は我らの馬廻り衆三百が敵の機先を制し、奴らを足留したのみで、以降はかような睨み合いとなっている。攻撃は先程山ノ内隊が横槍を入れた一度きりのみよ」

 「それは異な事……何故兵数が上回る内に討って出て来ないのか」

 先にも触れた通り、敵の目標は黒川城の奪取であるはず、蘆名本隊が戻る前に平田勢を叩けば今日には黒川城を落とす事も可能であったはずである。

「既に滞陣は一日が経過しようとしている。これは何かを待っているか……、或いは周防殿を足留めしなくてはならない理由があるとしか考えられぬ……」

 俊範の呟きに平田周防も善五郎も首を傾げて唸りを上げる。

 状況から察するに兵数の優劣では無く、こうして帯陣し続ける事が敵方にとって有利な策となっているとしか考えられない。

 

 俊勝も地図を見つめつつ、黙して考えを巡らせる。

 敵方拠点の塚原館、平田周防守拠点の鏡ヶ城、そして黒川城まで直線で繋がる道筋。

 何度も視線で反芻を繰り返した後、俊勝の脳裏に沸いた仮説が確信を得て、場をわきまえぬ驚きの音声に変わった。

「周防守様。昨夜夜半、反乱軍の第一報を入れた見張り役に話を聞けますでしょうか」

「昨夜の見張り……、確かこの陣営に居るはずだが」

「その者を直ぐにお呼びください――」

 俊勝のあまりに切迫詰まった物言いに気圧されつつも平田周防は頷き、提案のまま従者に人寄せを指示した。俊勝の行動に実父の俊範だけでなく、俊政も言葉を飲み見守っている。


 やがて昨夜の見張り役が招集されて来た。身なりはいかにも足軽士卒といった様子で、場違いの呼び出しに固まった表情をしている。

「其処元が昨夜の見張り役ですね。謀反の報せをした際の状況を教えて頂けますか――」

 俊勝の丁寧な呼び掛けにやや緊張が解れつつも見張り役の男は身体を震わせた後、声を上擦らせながら口を開く。

「へ、へい。おらはお城の門の上の見張り台に立っておりました。すると戌の刻(十九時)頃に北西の方から松明(たいまつ)が幾つも幾つも並んで見えまして。だもんで、大慌てで大将(足軽大将)に大事ありかもしれねぇと報告した次第で御座います」

「そんなに畏まらずで良いですよ」

 俊勝は男の過度な緊張を感じ取り、気遣いの言葉を投げる。あくまで知りたいのは男が見たその暗闇の状況である。

「反乱軍が塚原館を発ち、鏡ヶ城に至るまではどの位かかりますか――」

「そうですね。恐らく一刻もあれば充分かと思いやす」

「一刻……、つまり反乱軍の出発時刻は酉の刻(十七時)。やはり丸一日もここに滞陣している訳か……」

 俊勝は男に礼を告げ下がらせた。

「ご進言、宜しいでしょうか」

「思う所あれば忌憚なく申せ」

 俊範が我が子の閃きを信じ、そう告げる。所詮は我が子。勘が働いた際の才能は一聞の価値はありと俊範は信じた。

「山城守様、既に黒川城に御座候わずや……」


 俊勝の一言に陣幕内は湧き立った。

 今回の謀反の首謀者である蘆名山城守氏方が、富田陣の中に居らず、既に黒川城に居ると言うのだ。

「東殿が黒川に……、根拠はあるのか――」

 俊政が俊勝の発言に驚愕の声を上げる。宿老、平田周防の兵の発言を元に推理しているのを慮って、声色は密められ心配な様子も帯びている。

「此度の謀反、最たる目的は黒川城の奪取に尽きまする。それは蘆名山城守が黒川城に入城する事こそが目的とも……」

「勿体振らずに早う申せ」

 孫と祖父ほどに歳の離れた善五郎が痺れを切らして発する。気の短い質の様だ。俊勝は善五郎のせっつきを気にせず言葉を選びながら次の言葉を紡ぐ。

 

「有り体に申さば、山城守のみが黒川城に至れば良い様に事前に謀れていたと考えます。そして、黒川城への道は陸路のみに非ず」

 人差し指を富田勢拠点の塚原館を指し示し、その館のやや西方に引かれた黒く曲がった線へ指を移していく。

「塚原館の直ぐ西方にある濁川(にごりがわ)。これは南へ暫く行くと大川(阿賀川)に行き当たります。大川を南東に向かって遡れば鏡ヶ城の目を避けつつ湯川村の南入口まで至る事も可能。そして昨夜は暗い三日月。蘆ノ牧に逗留した際も闇が深くございました。つまり――」

「山城守は夜半の闇に紛れ、少数のみで水路、そして陸路で黒川城を目指した。富田勢はそれを隠す為、敢えて松明を使って鏡ヶ城から周防殿を誘き出し引き付けた。……丸一日経過した今頃は城内の叛乱者を味方に付けていてもおかしくない……か」

 俊範の言葉に俊勝は深く頷く。

 

「城に居る図書(ずしょ)が集められる兵数は三千にもなるぞ。更に修理殿の留守兵まで加われば五千や六千にも上ろう……。まさか、長沼勢が大殿本隊を引き付け、山城守の軍と挟み撃ちにする手筈か――」

 平田周防の顔がみるみる青ざめていく。

「更に申さば、富田勢ももう間も無く我らに総攻撃をしてくるはず……。山城守の軍勢が城を出たならば、これ以上の足留めは無用。領内を平らげ、悠々と黒川城に入城する腹積もりのはず」

「まずい――。募兵を急げ、明日の早朝までが刻限と心得よ。ありたけの早馬を飛ばし、一兵でも多く招集するのだ――」

 平田周防が金切り声を上げて従者に下命する。

 冬の空はもう茜色が去り、夜の(とばり)が降り始めている。

 攻撃は同士討ちが懸念され、ましてや少数を相手にする富田勢からすればわざわざ夜討ちに出る必要は無いだろう。平田周防は明日の決戦に少しでも備えられるよう苦肉の募兵を推すしか無かった。


 長沼氏の叛乱が灯した僅かな火種は、黒川全体を巻き込む大きな炎に姿を変えて、初陣の俊勝を巻き込まんとしていた。

 蘆名山城守の用意周到な謀りと、怨嗟(えんさ)の念を思うと、夕闇に迫り底冷えを感じる脚元のみならず、言い知れぬ冷たい恐怖が身体を包んでいる様に思えて俊勝はその身の震えを抑える事が出来ずにいた。

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