三章 初陣
黒川城を発ち、三刻(六時間)が過ぎた。未の刻か申の刻(午後一五時)になろうかという頃だが、冬の陽は既に傾き始めており、山影側の色合いは早くもその濃さを増して来ている。
俊政、俊範兄弟の山ノ内隊は長沼征討軍の先鋒を任され、意気揚々と進んで行く……はずだったのだが……。
「……たく、長沼勢よりも雪と激戦するのが先とはの」
大助が目の前の雪壁に振りかぶった鍬を悪態と共に乱暴に振り下ろす。
「先鋒を任されたは軍道確保の作業要員と、新参者の我らを見張り易いからじゃろうの」
俊勝も鋤(スコップのように使う農具)で大助が突き崩した雪を地面から掻き捨てながら唇を尖らせる。
先鋒隊を任じられた時は蘆名盛氏から発せられる威容に当てられ、高揚感の中にあったからこの上無い名誉と身体が打ち震えたものだが、任命理由の意図を邪推した今では雪に八つ当たりをせずにいられないでいた。
「まぁまぁ。我らの黒川までの軍道確保の手際を認めての事じゃから、これも励めば武功になるじゃろうて」
俊基は相変わらずの笑顔で身体から白い湯気を発しながら呑気とも取れる前向きな言葉で二人を諌める。
『そうなれば良いが』
と口には出さなかったが、自分達より二つ歳が上なだけで時折り大人びた物言いをする俊基にも釈然とはいかない。結局大助と俊勝は応えず、手にした農具に力を込め直した。
山ノ内氏の分家とは言え、領主の跡取りである三人がこのような仕事をするのは極めて異例な事態ではあったが、雪掻きに当たっていた農兵達の疲労を感じた俊基が始めに馬を降り陣頭に立ったのを見て、『これも撫民の策か』と感じた俊勝と大助も加わっていた。以降、隊の活気も蘇り、作業は黙々とだが確実に進んでいる。
既に山間部に分け入っているせいもあり、雪だけでなく倒木や木の枝がまれに雪中から発掘される事も相まり、行軍は悪戯に時間を浪費する一方であった。
――と、馬上の武士が一騎後方からこちらに走り寄って来るのが見えた。背に母衣(背中に竹骨を丸く組み、布を被せたもの。矢避けに効果がある)を背負っているため、それは伝令だと認識出来る。
「修理様本隊より伝令。この先、蘆ノ牧にて本日は逗留する。今少しお励みなされよとの事」
「おうっ」
山ノ内隊から力強い掛け声が上がる。伝令はその反応にただ頷き、また後方に向けて走り去っていった。
「蘆ノ牧か――、温泉に浸かれるかの」
大助が少しだけ嬉しそうに俊勝に話しかける。先程まで白い溜め息を時折交えていたのだが、本来の甲高い声を取り戻した様だ。
蘆ノ牧は蘆名氏の軍馬を育てる為の牧場がある黒川南側の地域で、鹿目氏と言う地頭(ここでは村を治める代官の意味)が四宿老の一、佐瀬氏の配下として統治している地である。
八百年も前に法相宗の僧、行基によって発見されたと伝わる温泉が有名であり、泉質は滑らかで、傷の治癒や疲労回復に効能がある名湯として名を馳せているから、辛い冬季行軍には持って来いの宿営地と言えよう。
俄然、山ノ内隊の動きもやる気に溢れる。伝令とすれ違ってから半刻(一時間)もすると一行は蘆ノ牧に至る事が出来た。
本来の牧場は雪原に変わっていたが、馬が走り回ったのだろう。積雪は踏み固められ除雪の必要は無さそうだ。山ノ内隊は牧場の隅に気を遣って陣取り、後続の隊の到着を待つ。
少なくとも蘆名旗本を見送らなければ陣幕を張る準備にも取り掛かる事は出来ない。
何隊かを労いの言葉をかけつつ見送っていると、やがて蘆名旗本の隊がやって来た。先陣の足軽雑兵達も、その後の荷駄隊ですらもきりりと凛々しい表情をしており、蘆名盛氏の威容が隅々まで行き届いているのは想像に難くなかった。
ざくざくと地面の雪を踏み締める行軍の音を暫く聞いていると、馬の嘶きが続いて近づいて来るのが分かった。馬上の人――、蘆名盛氏とその側近の着到である。
最初に山ノ内隊に一礼をし、しかし馬からは降りずに眼前を過ぎたのは七宮下総憲勝。蘆名盛氏の側近で智将と名高い人物であった。
馬上からの挨拶は武家のしきたりでは無礼とされており、目下のものにしかそのような行動は出来ない。七宮はその一瞬の振る舞いで自身が朝廷からも認められた会津守護、盛氏の直臣として、新参の山ノ内氏に格の違いを敢えて見せつけて来たのだった。
――なんのためか。蘆名家中の折り目のためである。
新参者が昨日今日の働きで簡単に認められはしない。蘆名家中の序列と秩序を守り、身の程を知った上で励め……と態度で知らしめたのだ。
『なんとも慇懃な事よ……』
俊勝の幼い内心は怒りが沸と浮かびかけ、そんな皮肉の言葉も浮かんだが、七宮の態度は必要性に応じられてのもの。そんな気も感じてしまって有耶無耶のままその背中を見送ってしまった。
次の馬上の人は……そんな事を思いつつ視線を上げる。
「やぁ、山ノ内殿。先陣苦労でござった」
今度も馬上から声が降ってくる。若い。こちらは嫌味など微塵も感じられぬ無邪気な声。
盛氏とは対照的な赤に白糸を使った鎧を纏い、兜は従者が馬脇で手で持っているのが見てとれたが、あつらえてある前立て(兜の飾り)は盛氏よりは小振りであるものの、金の大鍬を飾った立派な物だ。
俊勝や大助と同年頃で並びの良い白い歯がよくよく目立つ。鎧の胸には白字で丸に三つ引き(三本の横線、蘆名氏は三浦半島の三浦氏が出自のため、三の字を模した家紋を持つ)が引かれている。
俊勝はそれが誰であるかを悟り、さっと頭を下げた。馬上の少年は『どう』と号令を出し愛馬の歩みを停め、
「摂津殿、豊前殿、そちらはご子息でございますか」
と俊勝の隣に下馬して居並ぶ父、叔父に問うてくる。
「は、これは我が愚息の内匠頭(俊基の仮名)」
「こちらは同じく、三之丞と申します」
「馬上から失礼。蘆名平四郎と申します」
少年は先月家督を譲られたばかりの蘆名盛氏の子息。蘆名盛興その人であった。
まだ盛氏の様な威厳は皆無だが、育ちの良さが滲む端正な顔立ち、利発な発声は将来有望な若武者の印象がある。盛興は盛氏が伊達稙宗の娘を娶り十年目で授かった唯一の男子。数え十五歳という若さで家督を相続した辺り、盛氏の多大な期待と、蘆名家当主としてじっくり時間をかけて一人前にするという気概が感じられる。
「内匠頭殿、三之丞殿、その方らも初陣か」
「いや、拙者は二度目で、三之丞が初陣となります」
俊基がにこやかに応える。俊基も盛興も温和な雰囲気を持つが、爽やかさでは盛興に軍配が上がりそうだ。
「三之丞殿、儂も初陣じゃ。共に励もうぞ」
「は、有難きお言葉」
俊勝は一礼の後、盛興を見上げ、そして、この若殿は同胞や同盟者としてではなく、同年代の友として自分を見ているのを感じ取った。背負う物や立場は違えど、未知の初陣に期待を弾ませる瞳の光が俊勝にそれを有言に訴えていると読めたからだ。
盛興は満足そうに二度頷くと、馬の腹を蹴りまたゆっくりと進み出して過ぎて行く。
以降は蘆名盛氏の威容に顔も上げられないまま旗本衆を見送って、山ノ内隊はやっと今夜の宿営地作りに取り掛かった。
既に山際は茜色に染まり、夜の寒さがひしひしと近づいているのを感じる。俊勝は盛興との邂逅の高揚そのままに農兵達と交わり、陣設営に取り掛かった。
夕刻――。山ノ内隊は寝床となる陣所設営を終えて、夕餉の支度に取り掛かっていた。
荷駄隊が運んで来た物資から大鍋が各隊に配られ、皆一様に辺りの雪を溶かしてお湯を沸かし、身に付けている芋がら縄を解いて切り、そのまま沸き立つ湯の中にぶち込んでいく。
芋がら縄は芋茎と呼ばれる里芋の茎を味噌汁にしてから煮しめ、乾燥させたものを編み込んで作った縄であり、保存食でもある。
普段は形状そのまま荷縄として用い、飯時には湯に戻す事で芋茎の味噌汁を簡単に作る事が出来た。味噌は身体を温める効果があるから、寒中の今日の夕餉としては理に適っている。
「今日は蘆名の荷駄隊から貰った納豆に米(玄米を指す)、麦も加えて味噌雑炊じゃな」
大助が嬉しそうに藁に包まれた納豆を開いて鍋に投入していく。
本来、三日分の食糧までは各自が自前で用意し、それが無くなってから兵糧の支給になるのが一般的であったが、今回は特別な図らいである。蘆名盛氏も人の親、余程愛息の初陣が嬉しいのだろう。
敵地からはまだ遠く、焚き火の煙で位置を悟られる心配もないため、俊勝を始め、兵達は食べられる時に食べるという戦場の習いに乗っ取り、腹一杯食べておくつもりだ。
陣幕の外でも足軽達は思い思いに幕舎(棒と麻布で作る簡素なテント)を立て、同様の雑炊を作っている。黒川からほど近い蘆ノ牧であるから、補給の心配は無く、食物の他の薪、炭に加え筵と言った防寒具までもを地頭の鹿目氏が確保してくれているのが有難かった。
雑炊を椀にニ杯かきこみ、さあもう一杯と匙に手を伸ばした所で蘆名の伝令が陣幕を訪れ、湯殿の順番である旨を伝えて来た。
「これはありがたい。行くぞ山三、大助」
俊基が満面の笑みを浮かべて、懐から手拭いを引き抜くといそいそと幕の外に出ていく。俊勝や大助を待つ気は無いようだ。
風呂の順番は蘆名家の当主に側近達、その後に各隊の当主、そして当主の身内等で、最後に雑兵となる。蘆ノ牧の温泉は兵の療養用に整えられた施設であるから、五十人は一度に入れる露天風呂が数カ所備わっている大規模な療養施設だった。
「誠に必要な所に銭を使うてくれとるわ」
俊基に遅れじと慌てて椀の飯を掻き込み、大助も笑いながら駆け出した。順番はやむなしであるとしても、広い露天風呂をのびのび使えるのは心から有難い事である。
会津は他にも東山など各所に有名な温泉が湧き出ており、蘆名家は戦争による傷や怪我の回復策として湯治療法を推進していた。
被っていた筵を脱ぎ捨て、俊勝達は鎧直垂の身で湯殿までの雪道を駆けて行く。細い三日月の僅かな光に照らされた雪はほんのり青く輝き、幻想的な風情で導いてくれる。
一町(約百メートル)ほど先にそれらしい篝火に照らされた庵を見つけ、益々胸が高まる三人。
申し合わせもしないまま、いつしか吾先にと競い合い、俊基、大助、俊勝の順で庵に飛び込んだ。
「湯気が暖かいのぅ――。さ、さ、入るぞ」
脱衣所で一瞬の内に衣類を脱ぎ捨て、岩造りの露天風呂に荒々しく身体を沈める。
冷えた爪先、指先がじんじんと疼いたが、熱めの温泉に三人は感嘆の溜息を細い月に向けて一斉に吐き出した。
――至福……。
除雪で疲れた腕肩背中、足の先端に至るまで緩やかに解れ、極楽の心地。
そんな矢先、大助がうんと唸った。
「……誰かおるの」
大助がゆらゆらと月明かりを映して揺れる湯面の向こうを目を細めて見つめる。
「当たり前じゃ。各隊一門衆の湯番じゃぞ」
俊勝もそう言いながら湯気の向こうに視線をこらす。
他の隊の身内、領主の親族が湯に浸かっているのは違いないが、問題は誰か、と言う事である。
と、人影はざばりと立ち上がり、湯の中を掻き分けつつ三人の方向に近づいて来る。まだ人の形程度にしか判別出来ていないが、痩せ型ではあるものの、体躯として筋骨逞しく、出来上がった大人の男であるのは判る。
湯の中で片膝を立て、警戒をする三名を尻目に、影の男はざぶざぶ音を立てながら、脱衣所の篝火の明るさの範囲まで歩み出て、三尺(90.9センチ)程手前でまたざぶんと湯に浸かり直した。
男の顔が光に照らされた…が、見覚えはとんと無い。
俊勝達は顔を見合わせて、怪訝な表情だけお互いに確認すると、男の顔に視線を戻した。
「若いの。どちらの家中じゃ」
「我らは山ノ内党でございます――」
俊基が返答すると、男は鋭い眼をかっと見開き、嬉しそうに、……いや何か思い付いたように相好を崩した(笑った)。
「あの巌谷攻めのか」
影かと思っていたが、男の額と右目の端から頬にかけては刀槍傷が残っている。不遜な眼差しと言い、幾度も戦場を駆けた剛の者であるのは間違い無いだろう。
「は、私は山ノ内摂津の一子、内匠頭と申します」
「私は同じく山ノ内豊前の子、三之丞……」
「あの山ノ内兄弟の子らか――」
俊勝が言い終わる前に男はまた嬉しそうに、驚いたように身体ごと前に押し出して来た。歳の頃は四十代半ば位に見える。
「おい、源兵衛。お主も来い」
男は背後に向けて大声をかけると、すらりとまた人影が湯気の中で立ち昇った。
こちらも勝るとも劣らぬ筋骨隆々、背丈は六尺(約百八十センチ)はあろうかと言う長身。僅かな灯りに照らされた顔は先の男よりも一回りは若く感じる。
「申し遅れた。儂は佐瀬大和。此奴は同じく佐瀬源兵衛。ややこしいが、源兵衛は儂の年下の叔父に当たる」
「佐瀬源兵衛に――」
佐瀬大和に促され、源兵衛と名乗った男は機敏な動きでさっと頭を下げた。こちらは俊勝の父、俊範よりはやや若め。そして見た目の違いでは大和守とは異なり、首、胸、脇腹の三箇所に刀槍傷を持っていた。
「……ありゃなんじゃあ……」
大助がそのご立派な戦傷にあんぐりと口を開ける。
「佐瀬の源兵衛殿……。かの関八州武者修行帰りの源兵衛殿か――。大殿自らその武名を耳にし、黒川に呼び戻したと言う――」
俊基が背後の岩に後ろ手で抱き付くように驚き飛び上がって呼ばわる。
意外にも佐瀬源兵衛と呼ばれた男は頭を恥ずかしそうに掻き、苦笑いにも見える懐こい笑みで目を細めている。
佐瀬大和守種常と、佐瀬源兵衛氏胤は俊勝達も会うのは初だが、蘆名四宿老の武門筆頭である佐瀬家の名では良く聞き知っている。
四宿老の中でも佐瀬氏と平田氏は蘆名氏が会津へ入部する前から仕える譜代直臣の家柄であり、佐瀬氏の祖は桓武平氏、千葉(上総)氏の流れを組み、宗家当主は上総氏の通り時である「常」の字を用いた。
佐瀬大和守種常は黒川の大町の西隣通りに兵の駐屯所を持ち、侍二百名、歩卒千名を常駐させて有事にはいの一番に駆け付ける武者奉行の役割を蘆名家中では担っている。
一方の源兵衛は若い頃、関八州(今の関東圏)で武者修行に明け暮れていた時期があり、江戸城の造主である太田道灌資清(扇ケ谷上杉の家宰)を曾祖父に持つ、太田美濃守資正(生涯を掛けて大国の後北条氏と戦う。軍用犬を用いる等、先見の明も併せ持つ智将)と交流があったり、戦の敵陣中へ堂々忍び込み敵将を人質に取ったり、風呂屋でこれまた敵将を騙して捕縛したりと、豪快な逸話に事欠かない剛の者であった。
かたや宿老、かたや名の通った武辺者との思わぬ邂逅に若い俊勝達は目を白黒させて大和守と源兵衛とを交互に見遣った。
「山ノ内ご兄弟の子息と言う事であれば、先の巌谷城攻めには加わっていたのか――」
佐瀬両名は大分湯に浸かっていた様子で佐瀬大和は言いながら手頃な岩に座り、膝から下のみを湯に浸けながら視線を俊勝達に順番に落として問うて来る。
「私は初陣として参戦致しました。他の者はまだ元服前のため、あの戦は知りませぬ」
「そうか、その方は居たのだな、巌谷に」
源兵衛の視線が応えた俊基に定まる。
「四宿老の松本氏の城と知っていて攻めた――と」
俊勝の膝が再び湯の中で警戒のため静かに持ち上げられた。佐瀬氏は宿老として、当然松本氏と交流があるはずだ。あの巌谷の戦いは蘆名盛氏の采配で方はついているものの、それは松本氏に取っては屈辱の結果。
四宿老全てが山ノ内家の一件で皆敵に回っていたとしたら――。
俊勝の背筋を冷たいものが走る。ここは湯殿。徒手空拳だけでこの二人の豪の者から逃れる術はあるものか……。
「父摂津も、叔父の豊前殿も、松本様の城とは存じていたでしょう」
「何故攻めた――」
俊基の回答に今度は源兵衛からの問い掛けが続く。初めの豪胆な語気ではもう無い。まるで真剣を抜き、隙を探るかのような鋭い視線を突き刺して来る。
「攻めの動機は其処元には分かりません。ただ――」
俊基はふいに湯から立ち上がると、佐瀬大和の正面にあった平たい岩に腰を下ろした。珍しく笑顔は見えない。が、酷く落ち着いている様には感じられた。
「私はただ、試すのみでした。あの城攻めの是か非を」
「で、是と証明した訳か」
源兵衛に俊基ははっきりと頷いた。
……と、佐瀬大和と源兵衛はふふと喉を鳴らし、顔を合わせるとそこから高らかに笑い出した。
「ただ自分の力を試したのみであったか――、初陣で見上げた落ち着きよ。のぅ、源兵衛」
「誠じゃ。武士とは武功に勤しむ者。其方は武辺者の素質が見えるわ」
心配で俊勝が俊基の顔を見やったが、そこにはいつもの柔らかい笑みが戻っていた。
「そこの……、三之丞殿と申したか、片膝は直して良いぞ。ただ武士としての山ノ内家に興味があって語らいたかっただけ故な」
佐瀬大和は俊勝に向けてそれだけ言って、俊基にまた視線を戻す。俊勝は何故か気恥ずかしくなって、言われたまま片膝を素直に戻した。自身でも分かっていなかったが、相当力を入れていた様で脹脛が湯の中で痙攣している。
「昨今の家中にも見習って欲しいものよ。……あぁ、あの重鎮気取りの松本何某に儂は特に思う所は無い。山ノ内殿の腹の内もなんとなく判るしの」
「私にも最近判る気がしております」
「そうか――、童貞を捨てた其処元には判るか」
はっはっとまた豪快に佐瀬大和と源兵衛は笑い上げると、互いに励もうとだけ短く言って湯から上がり、脱衣所に向けて歩み出した。
俊勝には何を言っているかが判らなかったが、何となく初陣を果たした者だけが知り得る境地の様なものがあるのだろうと察する。武士として生を受けた以上、そのいつかが自分にも来るものなのだろうか……。
佐瀬大和と源兵衛の大きな背中が小さくなるまで見送り、俊勝と大助はそののぼせた身体を根雪の上に横たえた。
見上げる細い三日月の様に元服したばかりの――、いや、元服しただけの自身には薄い経験しかまだ無い。
『今はまだ――。明日にはきっと』
そんな遠吠えを胸中で吐きつつ、俊勝は心地よい冷気に目を瞑った。
翌早朝、蘆名盛氏率いる長沼征討軍は出発の号令を待っていた。
空は今日も快晴で、積もった雪の照り返しで激しく目が眩むため、足軽達は一様に陣傘(足軽が頭に被る円錐状の傘、この頃は薄い鉄や漆塗りの革、貼り重ねた和紙などで作った)を目深にし俯いている。
「皆々方、今日も雪壁と一戦交えようかの」
大助が皮肉ってそんな言葉を吐くが、昨夜は温かな多量の夕餉にありつけた事もあり、かつ名湯で疲労を和らげた兵達の顔はそれを笑える位に明るい。士気が落ちていない事に俊勝も安心の笑みをこぼした。
間も無く出発……かと思っていた矢先、田島へ通じる道の方から一人の甲冑武者が歩いて来るのに気付いた。兜は着けておらず、鉢巻のみ。満身創痍な様で、真っ直ぐ歩けていない。
「敵……ではないようだが、何故敵領側から」
俊勝の独り言に大助も訝しんだ顔を俊勝に向け、首を傾げた。甲冑武者は蘆名勢に向けて歩みを止めない。一町程向こうに見えた時、その姿に俊勝が驚きの声を発し、父、豊前守俊範の栗毛色の愛馬に自身の馬を寄せた。
「父上、あの武者は檜原に来ていた伝令では」
「……のようじゃの」
俊範にも見覚えがあった様だ。確かに腹当てに描かれた紋は片喰紋、蘆名一門の針生家の家紋で間違い無かった。
針生氏は蘆名盛氏の父である盛舜の兄、蘆名家十四代当主、盛滋(盛氏の叔父)の系譜である。盛滋は若くして隠居(享年四十歳説と、六十一歳説があり隠居時の正確な年齢や理由は不明)し、嫡男がいなかったため弟の盛舜が家督を継いだのだが、盛滋隠居中に男子、盛幸が産まれてしまう。
家督権は盛舜に移譲されていたため、盛幸は所領である耶麻郡針生を姓とし別家を興した事から針生氏が始まった歴史がある。
針生氏は蘆名の一門衆として、家中の信頼も厚く、内政や外交、戦時は出兵から伝令役までも含め、萬の役目を担っていた。そんな信任厚い針生家の伝令役が、檜原領から真っ直ぐ黒川に帰らず、遠回りの西南路で田島から現れたのは意図があるのに間違いは無い。
「そうか――」
「父上、何か読めたので」
俊範は思慮深い面があり、戦略や謀略術に明るい。俊勝はその父の閃きを感じ、視線を俊範に寄せた。
「此度の戦い、威圧戦では無いぞ。河原田治部の叔父御と鴫城を挟撃する算段よ」
河原田氏――、現当主の名は河原田治部少輔盛次。会津四家の一家で山ノ内本家、舜通の娘(俊政、俊範の姪。俊勝の従兄弟)を娶っており今では親戚となっている。
鎌倉幕府存命の頃から只見川中流域、大沼郡西部の金山谷から上流域の伊北を山ノ内氏、伊南川流域から伊南は河原田氏。と、北と南で領地は隣合っていたが、この時代に珍しく両家の関係は良好であった。
前述した天文十二(一五四三)年の『横田崩れ』の際、蘆名盛氏によって山ノ内氏だけでなく、河原田氏も攻撃を受けたが、河原田氏も蘆名に勝利し、以降は臣従していた。
河原田氏の領地は長沼氏の田島領から見ると西南に位置しており、山ノ内領からも河原田領に通じる峠は存在している。針生氏の伝令は正にこの道を通じ河原田氏に援軍を頼むことで、鴫城を北と西から挟撃する作戦を取ったと俊範は看破したのだ。
『河原田治部殿ならば心強い』
俊勝も心中で合点が行き、その策に安堵……いや多大な期待をしていた。
横田崩れで蘆名盛氏を撃退した将である。戦い方も策を謀じるより正攻法。会った事こそないが、清廉潔白と聞いている彼の人柄は山ノ内家中でも『今重忠鎌倉時代の武将である畠山重忠が今の時代に現れた様だという意味のあだ名。重忠は坂東武士の鑑と言われた)』と字名され良い話しか聞こえて来ない。
そんな義叔父の参戦に俊勝の心は湧き立った。初陣の役者は揃ったと言うもの。会津四家の長沼氏を相手に威圧戦ではなく、攻城戦を有利な状態で臨めるのだ。未経験故、想像も手伝い武者震いが止まらない。
「これは勝ち戦ですな、父上」
「……そう思えてしまう其方はまだまだじゃな」
「は――」
そのやり取りの間に、先鋒の位置に並びかけた山ノ内隊へ伝令が走り込んで来た。
「山ノ内隊は最後列五陣へ。先鋒は佐瀬隊とする――」
山ノ内隊は先日の先鋒から最後尾の五陣に容赦無く下げられた。俊勝はむくれたまま、そして、自身の幼さにつくづく自己嫌悪しながら俊範の隣に馬の轡を並べている。
包囲戦を考え、必要な布陣を整える。それが出来るものはこの軍勢を率いられる者――、会津守護として号令を出した蘆名盛氏のみ。
なんの気紛れで新参の山ノ内隊をそのまま使うと言うのか……。否、そんな事があろうはずが無い。
現に先鋒は蘆名四宿老であり、猛将の佐瀬大和と源兵衛に任されている。この勝率の高い戦さに勝てば蘆名家の戦上手の名声は益々上がり、山ノ内、河原田を従えた事で『横田崩れ』の汚名返上も蘆名盛氏は叶う寸法だ。
「……っ」
「五月蝿いぞ、この痴れ者が」
時折り、自己嫌悪の感情に我慢が出来ず、自身の兜を手持ちの槍の柄で叩く俊勝。呆れた俊範が冷たく突き放す。徒者(騎乗していない武士)として参加している大助も、俊勝と同じ期待をしていたが、今では俊範にそれを悟られないよう澄ました顔を取り繕うのに精一杯であった。
蘆名勢は途中の長沼方の付け城(本拠、鴫城を守るための支えの城)を無視し、そのまま田島領に向けて進軍を開始。付け城を放置するのは本来は本城との挟み撃ちの危険性があるため定石では無かったが、西からの河原田勢の加勢が決まっている蘆名勢は数の有利も利用し、最速の行軍を優先した。
現に付け城である九々布城に数百程度の兵を配置していた長沼氏であったが、四千の軍勢にちまちまと噛み付くわけにもいかず、城兵は歯噛みをして隊列を眺めるのみであった。
先鋒の佐瀬隊は勝ち戦で士気は鰻上り、戦経験の無い俊勝の見立てであっても、ここに挟撃する義叔父の隊が加われば勝ちは確定。後は殲滅戦に移行して、憎き長沼氏の戦力を徹底的に削るか、有利な講和条件を引き出して、長沼氏を二度と刃向かえない状況にするかの二択に見える。
「ある意味、威圧戦より質が悪いの」
誰に言うともなく呆けた顔で俊勝がごちる。初陣が詰んでいる戦になろうとは想像もしていなかったし、こんな浪漫の無い大人の戦に駆り出される準備をしていたのかと思うと少年の心はやり切れなさで溢れていた。
間も無く蘆名勢は田島領に入る。あれだけ苦労した雪掻きも誰が行ったのか分からないが、蘆ノ牧以降は徹底して行軍し易い道に整備されており、それすらも気に入らない。
そんな折、汗馬の蹄の音が後方から聞こえて来た。
「……後ろからじゃと――」
そう。紛れもなく隊列最後尾の山ノ内隊よりも後方、つまり馬の蹄は黒川方面から聞こえて来ていた。
「押し通る、押し通る――」
馬上の伝令武者は息も絶え絶えにそう叫びながら近づいて来る。
武者の甲冑には丸に三ツ矢筈(筈は矢の尻に当たる部品。弓弦と噛み合う部分で、この部品が無いと矢を発する事が出来ない重要なもの)が描かれており、この家紋は黒川を守る蘆名四宿老の一人、平田家の家紋であった。
馬上からの物言いが無礼とされる中、緊急性を持った伝令であるが故、それを詫びながらの言上と感じとれた。
伝令は一目散に蘆名旗本まで駆け抜けて行く。隊列の前方からどよめきが起こり、それが喧騒に達するまでそう時間はかからなかった。
「蘆名山城守、並びに富田監物と主膳親子、北方(現、喜多方)にて御謀反――」
隊の前方からその声が津波の様に湧き上がり、喧騒は驚きの大音声に変わる。
蘆名盛氏の腹違いの兄が蘆名四宿老の富田氏分家(謀叛に及んでいるのは富田宗家では無い)と挙兵した事を伝える急報。まさに蘆名家を揺るがす『お家の一大事』に他ならぬ伝令であった。
「山ノ内隊、黒川方面へ隊列を直せ――」
豊前守俊範が急に大声で指揮の声を上げた。面食らいつつ、狼狽えつつも隊は蘆名勢の向きの反対に隊列を整えていく。巌谷城攻めに参加している足軽も多い為か、困惑は見えるものの、混乱している様子は無い。命のやり取りを乗り越えた軍は覚悟が決まるのも早かった。
今度は蘆名旗本が居る田島方面から早馬の蹄が近づいて来る。戦場の『当たり前』に風見鶏の様に面食らう俊勝と大助。その早馬は想像も及ばない指令を声高に呼び回った。
「後陣五と四、黒川の変事をすわ(早急に)討ち果たすべし。修理様本隊は鴫城を陥落次第、黒川へ戻るとの由」
応、と返事をするなり、山ノ内隊は黒川に向けて駆け出した。俊政、俊範も馬の腹に蹴りを入れ、隊の先陣を競って駆け出す。
長沼氏を攻めていた蘆名勢は思わぬ謀叛の報により色めきだったが、その中で蘆名盛氏は四千の兵力の後方部隊を割き、北方で発生した謀反勢討伐の軍を急編し対応したのだ。
戦経験は無くとも、今は山ノ内隊として駆けるのみ。
俊勝と大助はその心掛けのみを胸中に納めて黒川を目指す。
最早初陣も手柄も落ち着き払って考える余力は無い。
一兵卒として、山ノ内隊の指揮官である叔父と父を信じるのみであり、これまでのわだかまりも混乱に乗じ、すっかり霧散していた。
想像の外で突如発生した反乱に、山ノ内隊は会津守護の下命を受け、ただただ青空の下をすわ駆け抜けるのみであった。




