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蘆原を越えて  作者: Sam
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一章 黒川

 俊勝と大助は黒川(会津若松市の古名)の北西にある町、坂下宿(ばんげじゅく)に着到した。

 越えてきた山々は眼前から既に遥か遠く、稜線は煌々(こうこう)と照りつける陽を頭上に緑々と輝いて見える。

 

 刻で言えば馬の刻(正午)位だろうか。坂下宿の家々からは旅人向けの焼き団子や、川魚の串焼きの香りが漂い、二刻(四時間)も前に最後の乾飯(ほしいい)(麦飯を平たくして天日で乾燥させた保存食)を平らげてしまった二人の鼻腔を容赦なく攻め立てた。

 「おい。お前の所の乱波(らっぱ)(忍者)は何処におるんじゃ」

 「坂下なら金上兵庫(かながみひょうご)様の館近くの神社じゃが、ひょっとすると大町……あるいは馬場町辺りになるかもの」

 「もうええ……」

 大助は心底がっかりした声でそっぽを向きながら答えた。

 大町は城下でも一番大きな町、馬場町は黒川の殿様の馬場(乗馬の練習場)であって、大町の東隣。どちらも坂下からはまだ一刻(二時間)以上はかかる。

 坂下にある金上館の近くであればまだしも、空腹のまま、あと一刻の徒歩旅は夜明けから僅かな休憩だけでここまで来た大助には絶望的な距離だ。

 

 俊勝は馬鹿では無いが、何処か空気の読めぬ所があった。かつ、それが現出するのが決まって大助の機嫌が悪い時に起きるため、その場合、大助は早めに諦めると昔から決めていた。

 『触れぬ神さんの何とやらじゃ……』

 「何ぞ言うたか」

 また、悪意のある言葉にもちゃんと反応してくる地獄耳。ほうじゃった、ほうじゃったと心の中で独りごち、大助は暫く黙ると決め口を噤む。

 いずれにせよ、目的地目前の坂下宿までようやく辿り着いたのだ。足は(すね)脹脛(ふくらはぎ)(もも)と漏れなく痛いし、空腹など輪をかけ痛みを覚える程に辛い。俊勝に暫時休息の提案をしようとしたその時。

 

 二人の行く道の前から喧騒の声が聞こえてきた。若い男の声と、これまた若い女の争う声が聞こえる。

 二本差しの二人、ましてや共に領主の家柄。喧嘩の仲裁は領分(役目)であり、領民の静謐(せいひつ)を護るは避けては通れぬ大事――と子供の頃から学び聞かされている。

 脚の疲れも忘れ、反射的に二人は駆け出し半町(約五十メートル)程で、(やしろ)(もり)の木陰に達した。

 

 「乱暴ならば止せ。金上様のお膝下ぞ」

 山越えでへばっていた俊勝とは思えぬ勇ましい声が響く。

 大助も真剣な顔で佩刀(はいとう)の柄に右手を添えておく。

 念の為、相手からはニ足ほど距離を置いている。迎い合う(やから)は既に抜刀しており、杜の隙間の陽射しを受けて、時折り周りに白い刃影(じんえい)をちらちらと走らせている。

 「領主なぞ、国境の城(津川城、福島を出て、新潟直ぐの所にある支城)におるわ。己ら何者ぞ」

 野太い声が対峙した俊勝に向けて発せられる。

 『……素人じゃの』

 大助は瞬時に相対する相手の力量を見抜いた。一刀の元に切り伏せられる距離であるのに、発せられた言葉は長々と、悠長としていたからだ。自身の一足であれば、刀の切先が届き打ち倒す事が出来る。その自信もある。

 

 「何とか言うてみい――」

 相手からすれば、俊勝と大助は二本差しとは言え、あまりに幼い容姿と完成していない体躯。対して五人もの徒党を組み、抜刀もしている男達は強気の啖呵を吐き散らした。

 騒動の中心である女子は腰を抜かして顔を覆い、身体を引き摺って道脇の笹藪に身を移し震えている様だった。

 俊勝、大助は黙したまま腰帯から鞘ごと刀を音も立てずに抜くと(さや)の背に左手を添え、柄を握り、がなり立てる男に向けて突き出すよう垂直に構えた。

 得物が喉元を突けば鞘であっても命までは届かずともただでは済まない。

「舐めやがって」

 対し、徒党は皆一様に思い思いのそれなりの構えを取る。

 真剣と鞘の対峙。一見奇妙な光景だが、俊勝と大助には釈然とした落ち着きがあった。

 

 一時の沈黙の後、俊勝と大助は気合いの元、一足飛びに同時に仕掛け、鞘先を狙いを付けた男の喉下と鳩尾(みぞおち)目掛けて同時に突き出した。

「……ぅう」

 と、品の無い唸り声を上げ、どう、と倒れる二つの音。

 あまりに一瞬の出来事に残る三名は眼を白黒するばかり。

 「俺らが餓狼党と知って……」

 内、一名の発した言葉は繋がらない。返す刀……いや、返す鞘でまた二つの重い音が地面からぶつかって聞こえた。

 

 俊勝、大助とも山奥の(ひな)の無限な刻を活かし、様々な環境で剣撃の修練を重ねている。多対一もとうに経験済みだ。

 『とは言え、鳴くだけの阿保は居なかったがの』

 あまりに役不足な敵に虚しさすら覚える大助。残った餓狼党最後の一人は女子の叫びの様な甲高い悲鳴を短く上げると、道向こうに駆け出して行った。四つの気の抜けた体は生きてはいるが、蝉の抜け殻か、或いは芋虫の様に地べたに丸く収まり蠢いている。

 

 「仕様の無い……」

 普段多弁な大助が言葉少なめに鞘太刀を腰帯に押し込める。落ち着き払って視線を落とさば、餓狼党とは物盗りか、乱暴狼藉を働く悪党の一団であった様だ。俊勝も大助のそれに(なら)ってから笹藪で震えている女に視線を向けた。

 「大事無いか」

 威嚇の声では無く、自領、檜原丸山城で飼っている猫に話す様な静かな調子で声をかける。

 恐怖と混乱の最中であろう女子の心境を慮っての声色。しかし……。

 

 「くっ、ふふふふふ」

 気でも触れているか、狐狸(こり)の類か、笹藪でうずくまる女子は表情も見えぬまま場違いな頓狂(とんきょう)な笑い声を上げてきた。

 大助が再び腰元の柄に手を伸ばす……が。

 「……沙耶(さや)か」

 疑問系の尻上がりの符丁。俊勝にはその正体が判っていた。

 と、笹藪で丸くなっていた女子は瞬時に道へ飛び出ると、片膝をついて畏まる姿に変わった。

 「お久しゅうございます。鶴千代様」

 声までも畏まりつつ、女子はうやうやしく挨拶をした。

 「乱波は……女か」

 「ああ」

 全てを悟った俊勝は自身の額から上を撫で上げつつ答える。喧騒と言い、それが起きた場所が金上館近くの神社と言い、乱波者の沙耶に仕組まれたものであった事まで判って呆れた上での所作であった。


 沙耶と呼ばれた女子は、黙したまま動じず、主家である俊勝に首を垂れたままだ。

 女子の名は金山沙耶(かなやまさや)……俊勝の父、山ノ内豊前守俊範やまのうちぶぜんのかみとしのり檜原丸山城ひのはらまるやまじょうへ移る前、金山(かなやま)で拾った戦災孤児であり、西隣の越後(新潟県)から七年前に一人流れ着いた過去を持つ少女である。

 齢は俊勝の二つ下で今は十四。妹と言うよりは幼馴染の距離感に近く、年下であるにも関わらず時に悪戯で泣かされ、時に剣撃の稽古で泣かされた武の素養も持ち合わせるなんとも相性の悪い、いけ好かない乱波者であった。

 

 「大助は縁者、その外聞じみた真似は無用ぞ」

 元服を終えた俊勝にとっては眼の上のたん(こぶ)の様な沙耶も家中の者。権威を保ちつつ、使いこなせなくては他の家来から舐められる。

 「は。本名右近介(ほんなうこんのすけ)様のご嫡男ですね。我は山ノ内豊前(俊勝の父俊範。俊範の弟が本名右近介)が郎党。沙耶と申します」

 乱波者だけあって情報に明るい。

 大助に取っては初見でも、沙耶には周知の存在である。……こうした抜け目の無い、人業(ひとわざ)離れた振る舞いが俊勝には気味が悪く、幼少の記憶も伴って何となく苦手な存在であった。

 「大助様、ご領地から黒川までお疲れの事と存じます。宿を手配しております故、直ちにご案内致します」

 沙耶はそう(そら)んじると立ち上がり、つかつかと町の方向へ歩み出た。夏の強い陽射しが木陰から出た沙耶の顔を照らす。

 『ほう』

 大助が心の中で呆気に取られた溜息を漏らした。

 沙耶の顔は人形の様で表情は感じられなかったが、見目秀麗に整った器量は昔話に聞く天女を想像させる。……いや、季節外れの雪女か。この上、着到を先読みし、宿の手配まで済ませているとは、中々気の利いた郎党だ。

 

 「さ、鶴千代殿も」

 「その幼名は止めい……」

 山ノ内鶴千代は俊勝が先月まで名乗っていた、否、名乗らざるを得なかった幼名であり、俊勝はこの名を恥じていた。

 

 俊勝の父、山ノ内豊前は幼子を亡くした過去がある。飢饉が頻発し、有効な薬の少ない時代にあって乳飲子(ちのみご)の生存率は兎に角低い。

 武家の子息は税収権を持つ故まだましな方であったが、それでも必ず成人する保証は無い。これより百年は後の江戸の世であっても、五歳までの乳飲子の生存率は二割五分から三割程度。

 七五三の祝いを受けられる可能性はそれ程に低く、七歳の祝いを受けられた子供はようやく『神の内』を脱し、人の子。つまり、天の神様に呼ばれる心配が無くなったとして認められる。そんな時代背景があった。

 

 俊勝の幼名、『鶴千代』は鶴は千年生きると言う故事と、千代まで生きると言う意味を組み合わせたなんとも『保険の効いた』名前であった。最も俊勝が嫌った理由は意味よりも武士らしく無い響きにあったのだが、気に入っていない事に違いは無い。

 沙耶はそうした家庭事情を理解した上で、更には三之丞の名を継いだ背景も知った上で敢えて呼んだのである。

 沙耶は俊勝に一暼もくれず、眩しい陽の元に向けて黙したまま歩き出す。俊勝と大助も黙したままその足取りに従った。

 

 

 翌朝……。

 俊勝と大助は沙耶が手配した簡素な宿坊で目を覚ました。昨日の旅疲れを癒すため、宿で薦められた近場の温泉にどっぷりと浸かり、その後の夕餉(ゆうげ)を瞬く間に平らげた後は直ぐに眠りに着いたが、まだ体に残る疲労感と暫く付き合った後、朝餉(あさげ)を告げる沙耶の顔で旅の目的を漸く思い出した。

 

 「吉次は黒川にまだ居るのか」

 沙耶は、「はい」とだけ答え、三つ指をついたお辞儀をした後、何故だか俊勝の顔を無言で一寸見つめてさっさと失せた。つくづくむずり者(根性曲がり)と俊勝は思ったが、感情を出した後の仕返しが怖く、それ以上は問わなかった。

 

 金売り吉次とは平安時代から伝わる奥州(岩手県)藤原氏に使えた商人の名で、平家物語にも出てくる伝説的な人物だ。

 もちろん、四百年が経過した現永禄(えいろく)年間に生きているはずはない。

 俊勝が口に出した吉次の名は人物名を指すのでは無く、東北から京までを行き来する商団体を指す通称を指しており、黒川を治める蘆名修理大夫盛氏あしなしゅりだゆうもりうじが近年簗田(やなだ)氏という黒川の商人を商人司(黒川領内外の商売を公的に許された役職)に起用したことで流通支配の強化を図り生まれた商隊の字名でもあった。

 

 商隊が扱うのは近々では機内で取引される鉄砲や火薬原料の硝石(しょうせき)や硫黄に玉薬(たまぐすり)、織物や道すがら手に入れる特産物などが主であるが、俊勝が欲するものは形の無い情報、桶狭間の戦いの詳細である。

 沙耶はそれを商隊から得て、鳥文を使って報せて来たに過ぎないから、情報の源である吉次に会わなければ俊勝の望みは叶わない。

 俊勝と大助は顔を見合わせると、朝餉を早々に済ませる事に決め、床の間を片付けもせず一階の飯処へ向かった。

 

 辰の刻(午前七時から九時)、俊勝と大助、沙耶の三人は宿をとった坂下宿を立ち、吉次が逗留しているはずの黒川は大町を目指した。

 

 途中、騒動のあった金上館前を通過する。

 金上館は黒川の殿様、つまりは山ノ内氏が臣従している蘆名修理大夫盛氏あしなしゅりだゆうもりうじの側近であり一門衆(いちもんしゅう)(親戚縁者の事)でもある金上兵庫守盛備かながみひょうごのかみもりはるの居館である。

 最も館はあくまで領地を護る上での拠点に過ぎず、金上兵庫本人は越後国境にある津川城(つがわじょう)に越後の抑えの城代として在城中だ。

 金上氏は前述通り蘆名氏が出自であり、通称『蘆名の執権』と呼ばれるほどの重鎮であった。

 

 俊勝ら一向が通りがかった金上館は南北三十五間×東西二十二間半(一間は1.818メートル)の長方形。館の周囲も一間の土塁(土を盛った壁)に覆われ、水堀で囲った鎌倉時代から伝わる武家様式の館であった。門前には土橋がかかり、門上には外敵を早期に察知するための見張り台が備わっている。

 俊勝が見やると見張り台には木盾に隠れた郎党と思われる男が、夏の暑さにやられて、顔を手で仰ぎながら天を怨むように見上げていた。

 一方、道を挟んだ館の対面側は青々とした田圃が広がり、木陰に入ると心地良い涼風と青い草の匂いが吹き抜け心地良い。

 

「平和じゃのう」

「また直ぐ戦になろうがの」

 農作業に汗を流す百姓に目をやりつつ、大助はのんびりとした口調でごちたが、俊勝が即座に私見を返す。

 その口ぶりは戦を忌避するものではなく、むしろ戦になって欲しいかのような明朗な口ぶりであった。


 俊勝の記憶に残る戦は二年前の永禄元年(一五五八年)に、俊勝の父である山ノ内豊前守俊範と、その兄の摂津守俊政(せっつのかみとしまさ)が引き起こした『巌谷城(がんこくじょう)攻め』であった。

 巌谷城は大沼郡の滝谷(たきや)と呼ばれる地域に所在し、そこは元々蘆名盛氏の所領であり、城自体は蘆名四宿老の一人、松本右京亮舜輔まつもとうきょうのすけきよすけに任せられ、城代(城の所有者に代わって城を守備する代行役)を松本氏家臣の井上河内守(いのうえかわちのかみ)が勤めていた。

 巌谷城の以西は山ノ内氏の所領であるため、この城の守護は蘆名領の国境を守る重要な役割を担う蘆名氏の支城の一つであった。

 

 ――その巌谷城を俊勝の父と叔父は突如急襲し、城代の井上河内守を殺し、城を乗っ取ってしまったのだ。

 以前、俊勝は興味本意で父に理由を問うたが、はっきりとした回答は無かったため、動機は今も分かっていない。

 ただ、父と叔父は確かに兵を率い、瞬く間に変事を起こし、強大な軍事力を持つ蘆名の城の一つを攻め落とした。

 相手は蘆名四宿老の中でも筆頭である松本氏。その松本氏に弓を引いたと言うことは、蘆名氏自体に弓を引いたのと同義となる。

 当然、この軍事行動に蘆名盛氏は激怒し、その怒髪天の勢いそのまま俊政、俊範兄弟の討伐だけに飽き足らず、山ノ内氏全体の討伐の下命をし、直ちに戦支度に入った。

 

 閑話休題。

 蘆名氏と山ノ内氏、他に河原田氏、長沼氏は会津四家と言われ、鎌倉の世から会津地域の覇を争ってきた氏族であり、各家とも代替わりこそしているものの根深い遺恨は常に付き纏っている。

 ましてや、蘆名盛氏は天文十二年(一五四三年)の七月に山ノ内氏を屈服させるため、山ノ内氏本拠地である横田城攻めを行った人物でもある。

『横田崩れ』と後に呼ばれたこの合戦は、峻険な山城と、山間部の狭隘を活かした頑強な抵抗により蘆名勢の惜敗に帰着していたが、巌谷城占拠の報は『横田崩れ』の汚名返上の機と、代々先祖がなし得なかった山ノ内氏との決着を着けられるかもしれないという腹積り、そしてその覚悟が蘆名盛氏にはあったのかもしれない。


 しかし、山ノ内氏征討は思わぬ帰着を見ることとなる。

 山ノ内一族の中でも一足早くに蘆名家の臣となっていた沼沢出雲守政清ぬまざわいずものかみまさきよ(山ノ内氏の一人であり、山ノ内七騎党の一人)という若者が、

「一任頂ければ必ずや山ノ内氏を帰順させて参ります」

 と蘆名盛氏に申し出、沼沢出雲の妹婿、かつ山ノ内宗家当主の山ノ内兵部大輔舜通やまのうちひょうぶだゆうきよみちに蘆名家へ恭順するよう説得に当たった。

 舜通は宗家として、弟達(俊政、俊範)に戦停止の使者を送った上で今回の変事の落し所を兄弟、義父の間で談合し、『攻め取った巌谷城の割譲』と言う臣従条件を大胆にも蘆名盛氏に提示したのだった。

 

 この条件は山ノ内側の軍事行動を蘆名氏に容認させた上、攻められた蘆名側の領地を寄越せ。

 という無茶苦茶な要求であり、これ程の条件を突き付けるのであれば完全勝利をした側がその威風をもって、敗戦側に突き付ける『不平等条件』で無いと本来辻褄が合わない言い分である。

 山ノ内氏討伐を下命した蘆名盛氏にとって、山ノ内氏の講和条件は負けにも等しい、屈辱さを孕む条件に聞こえたのは言うまでも無いだろう。

 が――、蘆名盛氏はこの苦渋を忍耐で飲み干し、結果山ノ内氏の臣従を許した。

 もたらされる恩恵を鑑み、己を捨て、政治的判断を冷静に選んだのが蘆名盛氏の格と言うものであった。


 では何が判断の基準となったのか――。

 

 政治的背景その一。

 蘆名家軍事力の増強目的である。

 

 山ノ内七騎党の総兵力は、奥会津の山中にあっても三千五百と言われていた。会津の東側、仙道地域(福島県中通り地方)に勢力を伸ばす野心を持ち、仙道北部の田村領、仙道東部の二階堂領に狙いを定めていた蘆名家にとっては願ってもいない大軍団を得る好機であり、さらには会津黒川以西の脅威も取り除く事が出来る一挙両得の策と捉えたのだ。

 

 そして、政治的背景そのニ。

 奥会津金銀山による経済基盤の確保と、流通経路の拡充が目論見にあった。

 

 奥会津は金山かなやまと言う地名に代表されるように金、銀の産出が昔から顕著な地域である。

 実際、山ノ内氏は金銀を携えて、西の山を越え上杉氏領土の越後へ至り、海塩や海産物を独自の交易で確保していた。

 山間地である会津黒川への塩の流通経路は金上兵庫が守る津川城経由頼みであるのが現状であったし、だからこそ前述した梁田氏を起用し、経済流通経路の拡充に力を入れていた事情もあるのだ。

 新たな流通経路の確保、新財源の確保、更に山塩(大塩、塩沢という地名は現代に残る)まで採れる奥会津は山林域の割には資源と経済源が豊かな土地であった。

 

 そして、最後に政治的背景その三。

 蘆名家に敵対する反乱分子の弱体化である。

 

 蘆名四宿老筆頭と認知されている松本氏ではあったが、過去七十年を遡っていけば、五年、十年に一度の割合で蘆名家に謀反を繰り返してきた負の実績を持つ一族であり、その紛争は蘆名盛氏の父祖の代まで遡る事が出来る。

 確実に裏切る。――そんな自立意識が非常に高い『獅子身中の虫』の家臣が討たれ、巌谷城領域の召し上げによる所領縮小が叶い、武士の本懐である『一所懸命(任された土地を命がけで守るという武士の道徳感)』が果たされなかった不名誉までもを松本氏に背負わせることが出来るのだ。

 もしかすると蘆名盛氏はむしろ三つ目から先に考え、山ノ内氏の条件を飲んだと邪推すら出来てしまう。

 

 いずれにせよ、山ノ内氏の兵力を取り入れ、奥会津の恩恵も手中にし、反乱分子の松本氏の力を削いだ事実は『蘆名中興の祖』と言わしめた蘆名盛氏の手腕として人口に膾炙(かいしゃ)されたのだった。


 以降、変事を起こした摂津守俊政は巌谷城と、周辺域の大沼郡瀧谷を蘆名盛氏から知行(ちぎょう)された。

 約束通り一切の咎めは無く、侵略した領土をそのまま獲得出来てしまった形である。

 一時は討伐の危機に晒された事を鑑みれば、その厚遇振りは異例な事だ。

 

 一方、俊勝の父、豊前守俊範は俊政の新領である瀧谷から西側に位置する檜原丸山城城代の孫娘との婚姻話が持ちかけられる。

 丸山城は蘆名家の旧臣である内山淡路守俊景うちやまあわじのかみとしかげが守護していたが、内山淡路は八十歳の老齢となっており、その上後継者が居なかった。

 俊範の正妻、つまり俊勝の母は数年前に既に死没していたため、俊範はこの婚姻を承諾。同地を領有して現在に至っている。

 蘆名盛氏は自領会津と、山ノ内氏との難しい国境問題を俊政、俊範兄弟に任せる事で、威圧感のある従属という見え方を避けつつ、山ノ内氏が臣従し易い形を提示して蘆名家へ取り組む事に成功した。

 俊政には知行という御恩、俊範には蘆名旧臣との血縁という繋がりで縛り、戦時には援軍を望み、また、万が一に山ノ内宗家が謀反を起こした際は会津到達までの時間を俊政、俊範兄弟の盾で稼ぐ事も考えられていた事だろう。

 今日の敵は明日の味方――と言う言葉が端的にそれを物語っている。


 戦国乱世の時代は、多くの思惑が交錯する時代であり、自家に起きた変事を例にして、俊勝は私見を述べていた――という訳だ。

 『まだ機会あり』――と。

 

 自身の未来はきっと定められていない、活躍の場が何処かにあるし、やり用は父達の様に幾らでもあるはず。

 そんな若人特有の淡い期待に折り合いを付けられる程に俊勝は成熟出来ていなかったのだ。

 心根にある渇望は晩夏の陽さながらに、俊勝の瞳に明るい光を灯し、黒川を目指す徒歩足に力を与えていたのだが、当人達はきっとそこまでは気付いていない事だろう。


 

 俊勝達一行は金売り吉次商隊が逗留(とうりゅう)していると聞いている黒川大町の北入口まで(ようや)く到達した。

 陽はすっかり頂点に立ち昇り、蝉の声が(やかま)しく町の活気に加わっている。

「流石は大町じゃ、神明(しんめい)様を過ぎても往来が多いわ」

 大助が感心の声を上げたが、直ぐに咳払いを一つし、澄まし顔を作る。いかにも鄙人と思われる発言を気恥ずかしく感じたのであろう。

 

 大町は北から南へ十町(約1.1キロ)程伸び、俊勝達が立つ北入口から見て、右手側には大助が述べた神明神社が鎮座している。通りの最南は蘆名家の米蔵がある稲代(いねだい)(現、米代町)まで続き、稲代の少し手前には蘆名氏が代々居城とする黒川城が堂々と存在している。

 城の大手門と接続する大町の通りは蘆名氏一六代の権勢を如実に体現するような、活気に満ち満ちた会津黒川の目抜き通りであった。


 一行は往来の激しさに戸惑いながら――とは言え、黒川で乱波活動をしている沙耶は一人涼しい顔であったが――、立ち並ぶ商店の店棚に目を奪われつつ通りを南へ下っていく。

 

 俊勝元服前にも大町には来た事があったが、その時と比べ商人司の影響か、上方のものと思われる立派な反物や見慣れない菓子、間違いなく高価であろう鎧皮や刀槍の類いを取り扱う店舗が目に付くような気がする。

 すれ違う同じ歳頃の女子も艶やかな着物に、これまた艶やかな小袖(本来は上着として羽織るが、頭から被り、火除けや顔を隠す目的でも使われた)をはためかせ、何の不都合も無いかのように(かしま)しく笑いながら過ぎて行く。

 俊勝も大助も年頃の男子であるのだから、洒落た町の女子に妙な警戒心と興味を覚えつつ、しかし凛とした姿をなるべく崩さないよう気を引き締めた振りで歩みを進めて行く。


 ――と、突如通りの左手側、商店の裏手から落雷に似た轟音が響いた。

 俊政と大助は顔を見合わせにんまりと笑うと、矢も盾も溜まらず一緒に駆け出す。

 あれは火縄銃の発砲音、そのようなものを黒川城下で白昼扱える者は『金売り吉次』以外に有り得ない。

 悪戯をしでかした子供が脱兎の如く駆け出す様にも似た男子二人の背に溜息を吐きながら、沙耶も歩速そのまま次の角を曲がった。


 俊勝ら一行の眼には人だかりが飛び込むが、構わず俊勝と大助がその人の群れを掻き分けて最前列に躍り出る。

 大町の東手に出て来ていたが、そこは蘆名家の馬場――、つまりは野っ原が広がる馬場町に通じている道でもあった。

 数名の男が着物の片肌を脱ぎ、手には火縄銃を持ちつつ談笑している光景があり、俊勝は溜まらず声を張り上げる。

「吉次――」

 大きな声に吉次と呼ばれた男も馴染みがあったのだろう。ふと顔を上げると声の聞こえた方向に視線を移す。

「山ノ内の若様――」

 一見強面の男の頬がみるみる和らぐ。

 壮年特有の笑い皺も目尻に蓄え、鋭かった眼光は半月状に細められた。

 俊勝が呼びかけた男は間違いなく金売り吉次商隊の隊長、梁田吉右衛門(やなだきちえもん)その人であった。

 片肌脱ぎの着物を直す事も忘れ、吉次は火縄銃を持ったまま、両手を広げ、俊勝も笑みを湛えたままその胸元に飛び込んだ。

「お懐かしう御座いますな。息災なご様子で」

「吉次もな。また外の話を聞きたくて出張って来た」

 一通り抱擁した後、吉次と俊勝は顔を見合わせ、挨拶を交わす。

 前に会ったのは蘆名盛氏の息女である鶴姫が白河結城(しらかわゆうき)氏庶流の小峰左衛門(こみねさえもん)に嫁ぐと噂が立った頃(弘治元年、一五五五年)と記憶しているからもう五年も前になる。

 山ノ内氏と梁田氏は金銀の商いで繋がっていた過去があり、当時十歳そこそこの俊勝はこの吉右衛門と当時の所領、横田中丸城下で出会い、よくよく可愛がって貰った記憶がある。

 当時吉次が見聞きした旅譚(りょたん)や合戦のあらまし、他の珍しい体験談を語らって貰えた事がまざまざと蘇って来る。

「豊前殿の女郎党が参っていた故、暫し逗留しておりましたが、正解で御座いました」

 吉右衛門は漸くはだけていた着物を着直すと、改めて俊勝に一礼をしながらそう言った。

「それよ。沙耶が知らせてくれた桶狭間の顛末が知りたくて参ったのだ」

 懐古の情に囚われていた俊勝であったが、本来の目的を吉次の一言で思い出した。大助、沙耶も俊勝の背後に並び、吉次はその様を見やると大きく頷く。

「よう御座います。では、あちらの小屋で上方の茶でも差し上げながらお話ししましょう」

 いい加減暑過ぎる日光にはうんざりしていたところである。吉次のありがたい申し出を受け、大助と沙耶が一足先に進み出た。

 俊勝の脳裏には溜め込んできた問いが雑多に、際限無く浮かんでいる。それらを解き明かした先に何を感じ取れるのか――、そしてどのようなきっかけが掴み取れるのか――、吉次の冒険譚に浮かれた十歳の頃の感覚を久方振りに胸中に秘めながら、俊勝も歩みを進める事にした。


 一行が去った馬場には火縄銃の発砲が残した黒色(こくしょく)火薬の硝煙の匂いが漂っている。

 時は永禄三(一五六〇)年八月末日、焦げた硝煙の匂いは会津黒川にはまだ相応しくない。

 一時の、ほんの僅かの太平の刻が人々の暮らしの喧騒の中で確かに存在していた。

 そしてそれはこの戦国の世において、次なる合戦の火種を孕んでいる事と同義でもあった。

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