十章 左衛門督と右衛門介
「……随分と話したのぅ」
庭の障子戸を開け放って、猫目の月を見上げながら俊範が短く溜息を吐き出す。
俊勝の望みで話し出してはみたが、思いの外伝えたい想いが多く、半刻(一時間)もの独白となってしまっていた。
「……で、儂の昔話にきっかけはあったか」
「は。己の経験ではまだ語るに足りませぬが、父上の様に選び、それを為す――。そんな生き方をしたいと存じます」
最初の頃のぎすぎすとした雰囲気では無く、静寂の夜を邪魔しない静かな語らいになっている。
「儂の様に……か。そこは武士の本分を全うしで良い。誰かを目標にはするな。目標は自分に課し、果たせ」
「はい」
俊勝の耳の奥で鈴木大蔵のお節介な言葉が繰り返して聞こえる。
『若は殿から愛されておりまするぞ』と。
こうして自分の言葉を細かく正して来るのも父の愛ゆえ――なのであろう。
「最早儂が止めるのも無意味だろう。……が、旗本衆に成ってお前はなんとする」
「あれこれ考えは巡らせて参りましたが、答えは一つ」
自室で書き出していた、
一つ、旗本衆で為したい事をお伝えす
が脳裏で反芻される。
俊勝は一度言葉を切り、呼吸を整えて襟を正した。
「自分の力で牧伯になりとう存じます」
『牧伯』とは統治する者、つまり領主と言う意味である。
「……それも儂の様にではあるまいな」
「分かりませぬ。父上は儂に取って大きな存在故、その背中をお手本としている部分は否定出来ませぬ。しかし、自分の力で自領を得てみたい事に偽りも御座りませぬ」
俊範は「ふむ」と唸ると、左手を顎に当てて暫し黙した。その所作が考えがある時の父の癖である事は俊勝も知っている。
「蘆名家の臣下となり、戦場を駆ける事になる」
「望む所に」
「いやそうでは無い。右門佐殿と同じ道を辿るのでは無いか……と申しておる」
俊範の昔話にあった西方山ノ内家、元当主の山ノ内右門佐信重。巌谷城攻めから三年経過しているが、依然として病は治らず、当主の座は今では信重の次弟である俊秋に継承されていた。
俊範の左手は顎に添えられたまま……。と言う事は追求はまだ続く。
「確かに若殿は修理殿の様に表裏な性では無いと見えるが所詮は大名。目的の為に家臣を木綿の様に扱うは必定。その時にお前はどうする」
問答の様だが、親としての心配をしている事が俊勝には理解出来るようになっていた。
一つ、父上のご心配を払拭す
鈴木大蔵に感謝しつつ、また言葉を頭で反芻した。
「その時は父上を始め、宗家や沼沢家など、多様にご相談を致します」
「ふむ」
至極真っ当な事と思えた。
足りない部分は助力を得て生き延びると答えているのだ。
若さ故の過信は加味されていない。謙虚に、だが真摯に事に当たると言う決意を俊範は汲み取って、漸く顎から左手が離れた。
「儂のこの合戦、応援頂けますでしょうか――」
一つ、この合戦を応援頂きたい事をお伝えす
準備していた言葉をそのまま俊勝は申し出た。
謀りでは無く、真っ直ぐに心根のまま、敬愛する父に放った。
「……応援する。巌谷攻めを語ってしまった以上、最早それしか言えぬわ」
俊範は短く言い、仕方無しと言った具合でやっと破顔した。
およそ俊勝の中でも見た記憶の無い、穏やかで鷹揚な頷きと目を細めた笑み。認めて頂けた……。そう感じ、俊勝も緊張が解け、釣られて笑っていた。
「……何か飲み物でもお持ちしましょうか」
少しの間の後、頓狂な提案をして来た我が子の顔を俊範が見るが、穏やかな表情を認めそれが俊勝なりの優しさから発せられたものと察した。
「気が効くの。とは言え白湯は要らぬ。折角の月夜じゃ……」
「では、酒を持って参りまする」
「土器は二つ……な」
俊勝は黙って頭を下げると、部屋を後にする。庭から見える山の方で梟の鳴き声が聞こえた。
「光……。彼奴は益々其方に似てくるのう」
俊範は猫目の月を見上げながら一人静かに笑う。
似て来たのは顔や表情だけではない。感じたまま、それが正しいと一直線に動く性分や、周囲を見渡す感度も母である光の生き写しの様だ。
……父故、倅の若さに過分の心配もするが、それ程間違った方向には進んでいないと思えている。
だが、『一つ選ぶ』いう事は一つ、或いはそれ以上の可能性を選べないという事。つまりは『物事に表裏有り』という事を教えられていない。
やがて銚子を運んで来た俊勝の足音を聞きながら、もう少しだけ父の面倒な小言を言い聞かせようと俊範は決めた。
黒川に発つ前に。
限られた命がある内に。
永禄四(一五六一)年、皐月のとある日。
俊範と俊勝親子は数名の従者を伴い、檜原領の西、本名領に赴いていた。
俊範にとっては妻を失って以来、俊勝にとっては未だ大助との仲直りが出来ぬままの訪問となる。
故に両者の顔には物憂げな表情が浮かび、従者達も軽口は叩かず、必要な事のみを顰めた声で話す道中であった。
「……」
中でも同行している沙耶の曇る顔色は顕著で、長い前髪で隠そうとしているものの重い気配は消し切れておらず、とうとう他の従者達も白けてしまって、淡々と道中に付き従うのみになっている。
「兄上――。久しぶりで……ござい……ますな……」
先に到着の連絡を受けていた本名右近介氏重が屋敷の門前で出迎えたが、一行の負の雰囲気に発した言葉を思わず飲み込んだ。
やがて、空までポツリと泣き出したものだから堪らず、右近介氏重は一行を屋敷へ誘導し、さっさと姿を消す事にした。
「大助、お前は山三と先に和解して参れ」
それだけの言葉を残して。
「なんで儂から詫びねばならぬのじゃ」
ぶつぶつと独り言を言いながら、大助は俊範一行を通した広間に向かう。
三ヶ月も前の喧嘩であり、溜飲などはとっくに下がっている。大助の性格は執着する質でもない。
が、先に手を出したのは俊勝であったから、それを自分から謝ると言うのは筋が通っていない事。
そんな事を考える内、忘れていた怒りが沸々とまた沸いてくる気配を感じ出していた。
「あっ――」
怒りに任せながら廊下の角を曲がった所で誰かにぶつかり大助は声を上げた。むしゃくしゃの感情のまま咄嗟に相手を睨みつける。
「……大助」
本来ならば足音で気づく所だが、感情の昂りと考え事のせいで、段階を踏んでから会おうとしていた俊勝当人がそこに立っていた。
「丁度良かった。お主に詫びに参る所じゃった」
「は――」
俊勝は初め笑っていた。久しぶりに会うのを喜ぶ様に。
……が、すぐに表情を真顔に正し大助に向き直る。
「以前はすまなかった――」
そして、簡単に首を大助に向けて垂れて見せた。
大助の機嫌が良くない時に決まって起きる。俊勝の空気読まずを思い出しつつも改めて面食らった。
「許してくれ」
もう一発。下げた頭のまま詫び言が発せられる。
声も大きく反省はちゃんと伝わるが、この音量は俊範らの居る広間にも聞こえるであろう事は想像に容易い。
「わ、わかった。もう怒ってもおらんし、気にもしとらんからその頭を上げぇ」
先ほどの勢い何処へやらで、おたおたと俊勝の肩を引き上げながら大助は自ずから「許す」と言ってしまっていた。
『もう少しゴネてやるつもりじゃったが、空気読まずの山三にはどうやっても振り回されそうじゃしの……』
やれやれといった心中ではあったが、少し罰が悪そうに、しかし「良かった」と嬉しそうに微笑む従兄弟に大助も苦笑いするのみであり、またそれで許してしまえる程に二人は若かった。
さて、俊範率いる檜原山ノ内家と本名家が集合した理由であるが、俊勝と大助の蘆名旗本衆入りを横田山ノ内宗家に報告する為であった。
前述しているが、宗家は蘆名家に臣従してはいるものの、根っからの忠誠などは誓っておらず、互いの領土は侵さないという同盟に近い関係性である。
――それを報告無しで巌谷城を俊範は攻めた。
流石に二度も宗家への報告無しで事態を決める訳には行かず、二日の道程をかけてこうして檜原を出てきたという訳だ。
――翌朝。
本名館を後にする一行に本名右近介氏重と、その子大助、その他従者が加わった事で総勢は倍の二十名に膨れ上がった。
そも気の明るい氏重や大助、それに従う従者達も軒並み明るく、通夜の様であった雰囲気は今朝の晴れ間の様な、からりとした笑い声に変わっていた。
結局、暗くするのも明るくするのもそこに居る人の選択で決まるものである。
昨夜仲直りを果たした俊勝と大助両人も、本来の調子を取り戻し、馬上からの活発な声掛けで一団の士気も上がっていた。
「とは言え、一刻半の近道じゃがの」
「なんの、なんの。僅かな刻も笑うて行く方が楽しくござろう」
俊範の言葉に氏重が笑い声を被せてくる。
氏重は昔から楽天的であったと俊範は思い起こす。
そもそも七男一女と男の多い兄弟。長男に近い程、跡目争いでギスギスとするものであり、俊政や俊範にその気が無くとも家臣らは宗家乗っ取りやら、時には宗家当主暗殺の話まで持ち上がるのが実際の所であった。
(こういう輩を適当にあしらうと逆恨みされ、自分が標的にされる事もあるから、血統とは因果なものである。最も暗殺の相談など、一世一代のものだから、丁寧に言い含めて考え直させなければならぬのは当然とも言える)
だが、これが六男。俊範から齢十近く離れた弟となれば環境も変わる。
競争の勝ち目が薄い分、期待が無く暗く沈むか、一発逆転を狙う革命家の様な家臣が発言権を持つ可能性が出て来たりするものだ。
が、氏重はそんな状況を笑いで変え、家中と周囲を明からしめ、多幸感のある領内経営をしてきた。
宗家を継ぐだけが生の価値ではない事、荒事など企まずとも豊かに暮らす事は出来る事を地で証明して見せていた。
『本名家らしく行こう』
というのが氏重の心意気であり、それを理解した家臣や領民の噂が更なる逃散民(圧政やしがらみから逃れ、田畑を放棄した農民の呼び名)を呼び寄せもし、結果本名領は明るく栄えていた。
やがて切払峠を越えると、そんな活気ある本名領も深い木々の枝に隠され、見えなくなった。
山道を降り、再び只見川の流れに落ち合い、越川、高根沢と抜けて行く。
そのうち、左手側に五町(560メートル)程の高さを持つ要害山が見えて来た。
この要害山の北尾根の先には大手門があり、そこから山道を南東へ登って行く事で山ノ内宗家の本城である『横田中丸城』の本丸へ辿り着く。
元は鎌倉の世に建てられた城で、はっきりとは分からないが建設から三百年そこらを数えているのは間違い無い。現在も修理や拡張が続けられ、この時代の最新防御施設、虎口も備えている。
この山城は約二十年前の『横田崩れ』で、蘆名盛氏の攻撃を頑強に跳ね除けた実績があり、小勢と言え、一筋縄ではいかない山ノ内家の確かな軍事力を体現しそこに鎮座していた。
が、今は平時であるから、城は僅かな守兵が番をするのみであり、まして蘆名盛氏による『横田崩れ』など俊勝が生まれるニ年前の事であるから、眼前の穏やかな佇まいの山城など若い大助と俊勝には一つの景色程度にしか映っていない。
俊範と氏重らも大手門を遠目に眺めながら、のんびりと馬の歩みに揺られて通り過ぎて行く。
初めから目的地は城下に所在する山ノ内屋敷である。
山ノ内家十五代目の当主、刑部大輔氏勝と、先代かつ長兄の兵部大輔舜通が在する先祖代々の館だ。
「……三年ぶりか」
「檜原拝領の報告以来――、と言う事ですか」
俊範の独り言を俊勝が拾って首を傾げる。
山ノ内家には親族同士での戦は過去起きていない。
これも前述したが、十三代当主の治部太夫俊清(俊勝の祖父)と前代当主舜通の間には家督継承で意見が割れた過去は確かにある。
が、その際は俊清が宗家を離れたため、他家で見られる様な内輪揉めには至っていない。
表立って仲が悪くは無いはずが、何故に三年もの間、直接会う交流をしていないのかが俊勝には不思議に思え、先の質問に至っていた。
「当主とその兄弟仲など存外その程度のもの。……いや、むしろその程度の方が上手く行くのよ」
父はあっさりと、顔色も変えずそう言い放った。
巌谷攻めによって、自分の領地経営をする立場、つまり長兄の舜通と同じ『統治者』になってから、宗家は頼らないようになっている。
これは独り立ちをした子が、実家に寄り付かなくなる現代の関係性にも近い。
が、逆の可能性も俊範は否定した。兄弟仲が良く、距離も近い場合は危険である……と。
理由はこの時代、仲の良さも謀事の狙いになったからである。
先の蘆名氏方の乱も、適度な距離感を保てていた内は何も無かったが、盛氏からの無視や冷ややかな処遇がやがて憎悪(愛情と正反対の言葉だが、強く想う感情と言う意味では同義である)を産み、そこを富田監物義実の讒言で爆発して乱にまで繋がっている。
『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と言う言葉通り。過剰な距離感と愛憎は、謀をする者にとって付け入るのは容易なのだ。
やがて、横田領の中心部へ歩を進めた一行の眼前に大きな館の姿が認められる。
東西の幅は五十二間(約94メートル)、南北は四十三間(約77メートル)、三方の土塁で館の前と左右を囲い、背後は深田堀を配して有事に備える武家様式の造りだ。
古くから建っているだけあって、会津四家の過去の威光を象徴するような存在。その規模も坂下にある金上館のほぼ倍はあった。
乗って来た馬を庭内の馬留めに繋いでいると、一人の若者が近づいて来て声をかけてきた。事前に連絡をしていたから、それが迎えである事は言うに及ばない。
「お初にお目にかかります。某、目黒七十郎と申します。恐れながら檜原豊前守殿に本名右近介殿で御座りますか――」
歳の頃は二十代半といったところであろうか。月代(兜を被る際、頭の蒸れを防ぐために頭部の中央を剃り上げた髪型)を綺麗に剃り上げており、身なりも良い。
俊範は若者の苗に覚えがあった。
「山ノ内四天王の目黒殿の子息か。お父上は息災か」
「四天王などと……。某にはまだ重き渾名に御座います。父は病もなく息災に」
山ノ内宗家に仕えている目黒氏は、『坂東武士の鑑』と言われた畠山重忠の曽孫を祖としている。
その血筋もさることながら、目黒氏は鎌倉の頃より山ノ内家に仕え、戦功著しい武の家として認められていたため、山ノ内宗家を代表する重鎮の家格として人口に膾炙されていた。
「さ。殿も大殿もお待ちに御座います」
「左様か。案内苦労に――」
迎える使者の手本の様な折目正しい目黒七十郎の招きを受けて、俊範、俊勝、本名氏重と大助ら四人が広間に通された。
この広間も酒宴を受けた黒川城の広間と大差ない程の広さがある。
眼前、つまり主人が座す高座の背後には山ノ内氏の家紋である『丸に三柏』紋が六尺(約180センチ)もの木造りで壁掛けられ、宗家としての威信を現している。
「檜原豊前守、並びに本名右近介、参上致しました」
俊範の口上を受け、皆その頭を下げた。高座に居る実の兄弟、従兄弟に――である。
「叔父御殿、良くぞ参られた。刑部大夫に」
「兵部じゃ。久しいの」
現代の家族との関係に比べ、なんとも素っ気ない久方ぶりの対面。慣れていない俊勝と大助は面を上げた後の造顔をどうするかにすら戸惑う。
「この度は事前の報告、苦労である」
長兄の兵部大夫舜通、俊範の九つ上であるから数え歳で五十二歳。『横田崩れ』に父の俊清と共に勝利し、蘆名氏との同盟を交わし、蘆名盛氏の父である修理大夫舜盛から『舜』の字を賜った前十四代当主である。
対外政では甲斐の武田大善大夫晴信や越後の長尾弾正少弼景虎の援軍要請を受ける事もあり、独立した勢力として認知されてもいる。
「……二度も兄上、いや宗家の面目を潰してはならぬ。と先の失敗より学んでおります故」
俊範は短く応え、今一度その頭を下げた。低頭のままの俊勝の頭上、高座の方から叔父舜通の
「ふんっ」
と言う不満気な鼻息が聞こえた。
山ノ内家の男は執着心の強いきらいがあるが、先の当主も例外に漏れない様だ。
「……もう頭を上げて良いぞ。本題は山三と大助の蘆名旗本入りの話であるのだろう」
痺れを切らして刑部大夫氏勝が言葉を割り入れ、俊勝達は漸く頭を上げられた。
ちらり上眼使いで確認した叔父の顔は納得のいかぬ様子。対して従兄弟の氏勝も目に角が立っている様だ。
この宗家の親子も時期当主決めの際、長男の氏勝と次男の大学助豊政で揉めたため、腹に一物抱えた関係であるのは俊勝、大助も承知している。
次男の大学助を推した父の舜通に対し、世の倣い通り、長男を当主に推した祖父の俊清。その意見の違いは山ノ内家中を舜通派、俊清派に分断したため、俊清は五男俊甫を伴って横田を退去。その後川口玉縄城を隠居城とした事で内乱は防がれた過去があった。
「現当主として、山三、大助の意向を聞こうぞ」
面を交互に見つつ、刑部大夫氏勝は真っ直ぐの眼光で呼び掛けた。
俊勝、大助らの従兄弟となる氏勝の齢は七つ上。今年で数え二十四歳と若いが、その若い双肩に宗家を背負っているからか、言葉や目付き、振舞いのどれをとっても堂に入ったものに見えた。
「父上、ここからは当主たる儂が居れば事足りるでしょう。遠路はるばる叔父御殿が参られたのです。別室にてご兄弟水入らずお過ごしを」
当然、現当主の氏勝も山ノ内家の男子であるから、父の過去を忘れてなどいない。弟の大学助も居場所無く、出奔(家を出て行方をくらます事)に追い込まれた。
掛ける言葉こそ優しいが、それが建前で発しているのは明らかで、冷たさを含んでいる。
「ふんっ――。豊前、右近。折角じゃて京で流行りの茶でも点ててやる。着いて参れ」
あからさまに怪訝な顔をする俊政。目を合わせた氏重が苦笑いを返し、仕方無しといった具合で、無風の日の狼煙の様にのたりと二人は立ち上がり退出した。
「さて……」
眼光は従兄弟同士になっても変化が無く鋭い。
無言のまま暫く三人は視線のみを交わし合った。
「本題と参ろう。ここからは従兄弟同士、本音で語ろう」
言うなり氏勝は初めて相好を崩し、一つ溜息を吐いた。
張り詰めていた空気が揺らいで、俊勝と大助も安堵の笑みを返し合った。
「お主らが蘆名に武功を買われ、家臣になるのは叔父御殿の文で分かっておるし、儂もそれに反対はせぬ。が、山ノ内家の一門として、為したいものは何じゃ」
仰いでいた扇子を閉じ、氏勝はその先を顳顬に当て、首を右に傾けて問うて来た。
先程よりも和らいだ表情ではあるが、宗家の当主からの問いであり、それに見合った迫力が備わっている。
「儂は戦功を立て、いつか父のような領主となりたく存じまする」
俊勝の回答に氏勝の右目がピクリと動いた。
「大助はどうじゃ――」
「は。儂は戦場で名を轟かせる剛の者になりたく存じます」
はっきりとした甲高い声で、大助もそう述べた。
が、当の氏勝は表情を変えず、扇子を顳顬に当てたままで暫く二人を見やった。
「……儂は、山ノ内家一門としての回答を望んだのじゃが――。お主らの答えは個人で叶えたい将来の事を言うておろう」
氏勝の顔は変わっていないが、場の雰囲気が変わる。
「では、質問を変える。……お主らの夢は何じゃ」
「夢……でござれば、先程申し上げたものが……」
「違うぞ山三。ではもう一つ問うが、もし一年で自領を持てたならば主の夢は叶ったと言えるな。後は領民を慈しみ、善政を引き、戦となれば槍を振るう……。その繰り返しだけにその命を――この先数十年の歳月を費やすのか」
淡々と紡がれる氏勝の問いに二人は答える事が出来ない。背を冷たい汗がつたう。
「お主らの答えは、次の行きたい経路地であって、将来をかけて追い求める夢や理想では無かろう。ましてやお主らは一門ぞ。その辺りの雑兵でも語る様な経路地を夢などと――」
「で、では刑部殿はいかな夢をお持ちでしょうか。お聞かせ願いたい――」
大助がしどろもどろになりながらも質問を返す。雑兵の戯言と自身の夢を一緒くたにされたため、鼻息が荒い。
氏勝はやっと扇子の先端を頭から放し、両手を胡座の膝上に乗せ、身を乗り出して口を開く。
「儂の夢はな。山ノ内の領土に海を加える事じゃ――」
「……は――」
唐突過ぎる答えに思考と言葉と表情がついて来ない。呆気に取られた二人の顔をニヤニヤと笑いながら氏勝は話を続ける。
「海を加える事、即ち西の越後の北端を手に入れる。越後の北はこの奥会津とは違って、平らな土地が広大に広がっておって米作にも適しておる。そうなれば猫の額の様な山間の平地で、苦労して米を作らんでも良くなる」
氏勝は懐から折り畳まれた半紙を取り出し、それを開きながら続ける。地図の様だ。
「……見ろ、この横田から山を越えた場所が魚沼。既にここは山ノ内家の所領になっておる」
「山ノ内家の――」
「そうじゃ。越後守護代家(長尾景虎の事)とは不即不離(付かず離れずの意)の協調関係を保っているのは知っておろう。長尾氏からの要請で度々援軍を出して来た事も」
「その件は存じておりますが、それ程の所領を得ていたのは初耳にござりまする」
驚嘆の声を上げる俊勝と大助に氏勝の笑みが止まらない。
「当然よ。北越後領有の話が蘆名に漏れれば、横田くずれの再来になり得る。これを話したのは一門の中でもお主らが初めてじゃ」
「……何故、それ程秘匿していた話を我等に――」
俊勝の疑問も当然である。一門ですら漏洩を危惧して伝えられていない極秘話をまだ元服まもない従兄弟に打ち明けたのは何故か――。
氏勝は頷き、声を顰めて、
「それよ」
と短く言い放った。扇子を再び開き、口元に当てると言葉を繋ぐ。
「端的に言えば、儂は西への領土拡大を目指す。お主らは蘆名に取り入り、南仙道地域の領土を得て欲しい」
仙道とは現在の福島県、中通り地方を指す。
北から信夫、安達、中央の安積、田村、岩瀬と、南の石川、白河の七つを指して仙道七郡とも言われている。
この地域はまとまった統治が無く、大名家として田村氏、二本松氏、二階堂氏、石川氏、白河氏が割拠し、小競り合いを繰り返していた。
「海から仙道まで山ノ内領が繋がれば、蘆名を返さずに物流経路を作る事が出来る。商人司の簗田氏を味方に引き入れる事で山ノ内領で手に入らぬ物は無くなる」
「……吉次とは昵懇の仲に御座います。確かに陸路のみならず、海路まで使えるようになれば多くの銭が動く様になりまする――」
商魂逞しい吉次であれば、この話を僥倖とし、飛びつくに違いない。
「山ノ内家の経済力を高め、武具を備え、米の増産も叶うとなれば――」
大助も理解が追い付き、丸い眼を輝かせる。
「そうよ。豊かな国には人も集まる。人は兵にもなる。山ノ内家は蘆名に負けぬ大勢力となり、会津四家の総領とならん」
「それが刑部殿の夢――」
散々本を読んで来た俊勝ですら思い及ばぬ戦略論に途方も無い衝撃を受けた。
自分が山ノ内家の一門である事の意味を理解せぬまま蘆名家の臣となっていたならば、想定よりも早く、父を始めとした親戚縁者に力を借りる必要に迫られていたかもしれない。
「どうやら、儂の夢をわかってくれた様じゃな。理解が得られない場合の最悪の手段が不要となり安心したわ」
氏勝はそう言ってカッカッと高く笑った。笑ってはいるが、もしも断っていたならば、従兄弟といえど口を封じられていたのかもしれぬ。
俊勝と大助は引き攣った顔を見合わせ、なるべく悟られぬ様、作り笑いを貼り付けて、低頭して見せた。
「そう言えば、右近殿の書には元服の挨拶も兼ねるとあったな――」
高笑いの後、唐突に氏勝がそう切り出した。
大助がその言葉にハッとした表情を見せ、姿勢を正し、拳を床に突き立てる。
「仰せの通り、卯月に元服致し、名を本名右衛門介と改める事と相成りました。怜悧なる刑部殿の夢、この右衛門介にも見させていただきたし――」
「そうか――、良くぞ申したわ。誠良き従兄弟に恵まれたものよ。この夢、その胸の奥底に仕舞い込み、共に果たそうぞ」
氏勝が感無量と言った様で、扇子を開いて見せた。
続いて俊勝も大助……いや、右衛門介を倣って首を垂れる。
「儂も檜原を出るにあたり、名を改めました。刑部殿の夢、この山ノ内左衛門督も見とう御座りまする」
「ほう。山三は左衛門督とな。まるで阿吽の金剛の様じゃ。お主らの力を合わせ、文字通り剛力とせよ」
申し合わせた様な左右の改名であったが、俊勝と右衛門本人達が一番に驚いていた。
と、同時にぴたりと縁が結ばれた様な高揚感が心の臓の律動を早めているのにも気付いていた。
「さ、めでたい事じゃ。一献傾けようではないか――。
おぉい――、誰ぞ酒を持って参れ――」
山ノ内宗家、十五代当主、刑部大夫氏勝。
山ノ内家の男であるから、大酒飲みもまた然りであった。
時は永禄四(一五六一)年、皐月。
閉塞して来た少年らの未来は、蘆名、山ノ内宗家の追い風を受け、急速にその運命の歯車を回転し出している。
行末の先は多くの戦いを孕み、全身全霊を持って取り組まなければならぬ事を、少年達はまだ知る由もなかった。




