表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

わたし

作者: うめ

批判的なものは頂けません

すみません

私のエッセイ的なものです


私は

一人娘で大人ばかりの環境で育った


幼い頃からADHDで

保育園ではお昼寝の時間に友達を起こして

小学校ではなぜみんな机があり椅子にしっかりと着席しているのか意味がわかりませんでした

学校が勉強する場所だと分かるまで授業中金魚と遊んでいました

母は何回か呼び出させていたような気がします

それで、病院に行って、箱庭など

体験しました

中学校は母が学校が辛かった早く卒業したかった話ばかりするので私も同じような気持ちになり女優になった気分で笑わないことを心がけていたら寂しい青春になっていたきがします

そして、中学時代にイカの入ったパスタを食べた時喉に詰まってその感覚が忘れられなくて怖くなって食べ物を飲み込めなかった時期がありました

その頃五キロくらいは一気にやせてしまい、現在も通院している精神科の先生に初めて会いました

高校は前期で合格してあまり受験という感覚は無かったです

なんとか高校では勉強について行きましたが


高校2年になり友人関係でなかなかうまくいかなくて、なぜかすべて嫌になり自転車で縁石にぶつかり救急車に運ばれてしまいました 忘れもできない17歳の誕生日に転びました

顔を擦って、あたまを打ち足を擦りむいて初めて救急車に乗りました

顔から小石を取る作業が一番痛かったです


それでも3日くらいで学校に行きました

それほど心配をしてくれるような友もいないのでまあ悲しくなりした

ついでに同級生には顔の包帯をとったらもっとすごいのかと思ったと言われたほどでした

当初はすごかったんですよ

若さで治して、いまはほとんど顔の傷は目立ちません

あとと言えば両手に傷が残りました

はじめはすごく気になったけど今はそれほど気にならなくなりました

大学は高校3年の時の担任の勧めで色んなところを受けましたが行きたいところには合格できなかったので地元の私立の大学にいきました

今でも高校の三年生のときの担任が一番まともな先生だったとよく母と話しています 

大学は勉強を頑張り奨学金も少しもらえました

友達ができ海外フィールドワークにもいく事ができ

ました

大学3年のゼミにはいって少し経った6月くらいの頃すごく暑い日があり、車の運転をしていたらふらふらと目眩と動悸がしました

そこから何回か動悸が続くようになり病院に行きパニック障害と診断されました

ADHDとの2次障害でとても苦しいです

現在も精神科に月に一度は通っています

就活では34社くらい受けて2社内定までいきました


やっと入れた会社では

入社前のオリエンテーションの上司の部下への平手打ちを見て 

怖くて忘れられなくて

2ヶ月ですぐやめてしまいました


それから2年くらいハローワークの資格を目指せる教室や就労支援センターに行き

やっと今の会社で

障害者雇用で働いております

それでも辛い日々です

だからといって諦めた訳ではなく

小さな小さな幸せを大事にして生きていくしかないのかと思ってます


辛い現実をやり過ごすために

母を救うために私は生まれてきたと思いました


これからは自分のために生きたいです

平和に穏やかな世界が続く事を祈ります

生き続けます

どうかよろしくお願いします

苦手でしたらブロックしても構いません


お読み頂きありがとうございます


生き続けましょう

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ