魔法使いの一刻
人間誰しも、なんて大き過ぎる主語をもって何かを語るなんて馬鹿馬鹿しいことは流石の僕だって滅多にしないことだ。けれどもこのことに限って言えばそんな大層な主語も嘘にはならないと思う。
人間誰しも魔法に憧れる。それを知るのは絵本かもしれない、テレビかもしれない、ラジオかもしれないし、父母の子守唄かもしれない。珍しい人で言えば魔法使いを見たから、という人もいるだろう。かく言う僕も、その中の一人な訳で。
しかしまぁ、魔法なんてものはヒトじゃ手を伸ばすことさえ馬鹿馬鹿しい。なんてことは小学校も高学年に上がる頃にはみんなみんな気づくことだ。もしかすればサンタさんの真実よりも早くに気づくかもしれない。それでもそろそろアラサーと数えられるような歳になったところで、憧れを捨てきれない、そんな僕のようなやつは山のようにいるだろう。
なんて、くだらないことを考えてしまうのは今現在直面しているような社会の苦しみなんかを魔法一つで解決できやしないか、という何とも浅ましい思考の結果だ。僕が子供の頃憧れたのはそんな魔法じゃあ無かったはずなのに。
しかしまぁ、そんな雑念とは裏腹に今この時間だけを見れば僕の気持ちは案外晴れやかだった。
というのも今日という日は僕の有給休暇を祝福してくれているようで、この時期らしい薄い青空に少しばかりの雲がかかる程度の天気の日だ。暫くはこの青を眺めていたくなってしまう。そうは言っても公園で一人、せっかくの今日を呑気に空を眺めるばかりで無為にするつもりもない(とは言っても既に12時は過ぎてしまっている)ので、首をくいと下ろしてみせる。
するとまぁなんともおかしな光景が目に映る。先程までは砂場の方で遊んでいたはずの4、5人の子どもたちが公園の中央の方に集まっている。もっと見れば、その中心には少しくたびれた黒いスーツと中折れ帽とを身に着けて、屈んでいる大人がいる。こちらに背を向けてしまっているので、その顔を伺う事はできないのだが、えらくゆったりとした雰囲気の大人だ。
ちょうどその時。目を向けたのと同時にふわりと子ども等の方から風がやってきて、それが子ども等のうちの一人の言葉をこちらまで運んでくる。
「ねぇねぇ!!『魔法使い』ってホント!?」
こんなところで聞くとは思っても見なかった言葉に、思わず身をはねさせる。その言葉を前提に、もう一度よく子ども等の中心にいる大人のことを見てみればなるほど……よく見知った服装であることに気がついた。
立ち上がり、彼らの方へと向かおうとするとまたもやタイミングよく、今度は『魔法使い』と呼ばれた黒スーツの方からから風がやってくる。しかし、今度運ばれてきたのは声ではなかった。それは花の香り。少しツンと鼻を刺すようであったかと思えば、その次の瞬間には何とも言えない穏やかさが心に満ちていた。見れば彼等の周囲には白い小さな花がいくつも咲いている。かと思えばそれらに見惚れる暇もなく、花々は枯れて灰になってしまい、そのまま風に乗ってこちらまでやってきてしまった。
「あぐ……」
全く持って覚悟ができていなかったどころか、少し声を出そうと口を開けていた分、幾らか灰が口に入り口籠ってしまう。と彼等は皆こちらの事に気づいたようで、特に『魔法使い』はこちらを見てすぐその不気味な顔を破顔させ、上機嫌に話しかけてきた。
「おや、おや、キミもここにいたのですか。どうしたのです今日は仕事のある日ではないのですか?」
人のような手足や胴に動物の頭蓋骨のような頭を持つ……彼のような存在を『魔法使い』と人々は呼んでいる。おおよそ人ではない、が時に人のように振る舞い、またある時は神のように振る舞う。彼等はずっと昔人が生まれたその時から我々人間の最も近く、同時に最も遠くに位置する最良の隣人であったらしい。……訳あって僕にとっては親のような存在だ。
「あぁいや、今日は休みを取ったんです。最多連勤記録を更新しそうな勢いだったものですから……」
「それは、それは、よく休むと良いですね。偶然でしょうか、必然でしょうか。今日はとても良い天気です。身を、心を休めるには絶好の一日となることでしょう」
彼は少し緩慢に、さりとてうっとおしさを感じさせないような喋りで僕を労う。
「まさに、神様に感謝してます。……ところでなんですけどなんで魔法を使ってたんです?」
『魔法使い』と呼ばれる彼等には四つの共通した特徴がある。一つ、頭部が動物の頭蓋骨を模したものであること。二つ、魔法を使うこと。三つ、寿命というのものが存在していないこと。四つ、【誓約】と彼等が呼ぶものに縛られていること。
「いやぁね、この子達が見せて欲しいと言うものだから。」
彼はそう言ってパチン、と指を鳴らす。すると彼の周辺に今度は黄色を主体とした花が咲き乱れる。周囲の子ども等はその光景に息を呑んだ後目をキラキラと輝かせている。子ども等の様子そのものは非常に微笑ましいものではあるのだが少しばかりのモヤが生まれる。
「いいんです?」
というのも『魔法使い』……特に彼は魔法をこうしてひけらかすようなことは滅多にしない。その背景には人の欲が引き起こした数々の出来事が隠れているのは歴史が、何より彼等の記憶が確かに記している。
「なぁに、このくらいは良いでしょう。幼子の笑顔ほど、眩しいものもないですから」
彼は実に穏やかな眼差し(とは言ってもおおよそ目と呼ぶべきものは彼には存在していないのだが)を子ども等に向けて、満足気にそうつぶやく。
「……僕が初め見せてくれと散々懇願したときには、全く取り合ってくれなかったじゃ無いですか」
随分と前のこと……それこそ10数年は前の事だが、未だにその時のことを憶えている。あのとき、丸一日は彼に泣きついたはずだ。それでも彼はあのときの僕に魔法を見せてはくれなかった。その時は理不尽だと泣き喚くばかりだったが、今になって思えばそれも無理の無い事と思うようにもなってしまった。故に一層彼のこういった行動が不思議に思えてしまう。
「キミたちの視点では時折私たちを『変化をしないもの』と観測することがある様ですが……我々もまた、キミたちのように変化してゆくのです。まぁ、それは酷く穏やかな変化ですし、その行き着く先もキミたちとは違う、虚しいものではありますがねぇ」
「つまりは……?」
「さぁて……?人が人を称すには考える葦であると言うでしょう?なれば、それに則ってこそでしょう」
彼はしたり顔で僕に言う。こうなってしまっては彼はその口を割ろうとはしない。くだらないところで強情なのだ。煙にまかれたのが癪だったので何かしら彼の粗を探せやしないかと思案してみると一つの疑問が浮かんだ。
「てか、それはつまりあのとき【誓約】とか言って僕のことを宥めてたやつ……あれは嘘ってことですか?」
僕がそう言うと彼は虚空に目を向けながらとぼけるような仕草をしだした。
「はて、はて、そのようなこともありましたか。いえ、いえ、何分相当前のことでして……」
「貴方にとってしてみれば、僕にとっての昨日のことのようなものでしょうに」
「まぁ、まぁ、アレです。【誓約】には嘘をついてはいけないとは言われておりませんので」
そんなこんなをしていれば一通り感動しきったらしい子供らが再び彼の足下に寄り集まり出しては騒ぎ出す。彼はそれをまんざらでも無いようにして、新しい魔術の行使をしようとする。やがていくつかの小さな気流が生み出されて、それらが地面の砂を巻き上げ、小さな小さな砂のつむじ風が巻き起こる。
少し離れてタバコを吸おうとして、けれどつい足をとめてしまって、つい……目を奪われてしまう。それは確かに細いなもの。けれど人の手には決して届かないもの。とうの昔にその隔絶を知ってしまっているというのに、未だ諦められないでいるもの。彼はそれをくだらないものだと嘯くけれど……
「もう、十分ですか?」
追加でいくつかの魔法を子供等に見せた後。ひどく嬉しげな彼の背に問いかければ、彼はいつもよりも一層緩慢に首肯した後子供らに穏やかな笑みを向ける。
「では、では、名残惜しいのはやまやまですが……あと少しで日も暮れ出すでしょう。皆さん、今日はもうお家にお帰りなさい。またいつかの日出会えたならば魔法を見せてあげますから」
「じゃぁ!約束をしましょ!」
彼がそう子供らに言えばその中で1番はつらつであろう少女がとびきりの笑顔とともに彼に小指を差し出す。彼もまた、それに応えるようにとびきりの……少し不気味な笑顔とともに黒い手袋に包まれた小指を差し出す。そして全部で6個分の小指がひしめき合う。
「ねぇね、おじさんも!」
なんて言われてしまったので僕も一緒に。……どうやら人数は多ければ多いほど良いらしい。
「君もおじさんと呼ばれるようになったのですね。いや、いや、感慨があります」
なんて言葉を受け流しながら……
『指切った!!』
いくつかの声が寂しげな公園の中で重なって、1つの約束をした。
「ご安心を、魔法使いは約束を破りませんから」
結局の所公園を発ったのは15時を大きく過ぎた頃で木々も縮こまるようなこの頃では寒さが少しづつ強くなりだす頃だ。
「今日はどうしましょうか、会ったのも何かの縁です。久しぶりに一緒に夕食をしましょうか?」
隣を歩く彼はこちらを見ることも無く聞いてくる。
「一緒に、と言っても貴方は食べないでしょう」
「ええ、ええ、然し話し相手の居るのと居ないのとでは違うと言うでしょう?ついこの前人のテレビで言っていたのです」
「そう大して変わるものとも思えませんが……」
……理由あって彼に育てられる様になったのが5歳を過ぎた頃の事。それから10数年彼の元で過ごして……彼の元を離れてまた10数年。いつの間にか二人での会話におかしな居心地の悪さを覚えるようになってしまった。きっとそれは今僕が胸に抱えている物のせいでもあるのだろうけど。
「……ぁあ、別れる前に何処か、神社にでも寄って行きませんか?」
肺の空気を一斉に吐き出すように、言葉を一息の内に吐き出してしまう。正直なところ今日言うつもりはこれっぽちもなかったけれど、晴れていたこと、彼に会ったこと、彼の魔法を見たこと、そんな偶然とも言えないような事の連続にほんの少しだけ感傷を受けて、つい言ってしまった。
彼は少しきょとんとした後いつも通りの穏やかな笑みを浮かべてうなづいた。
「何処が、良いでしょうかねぇ……そうだ、そうだ、私の家に行ってしまうのはどうでしょうか。魔法を使えばすぐに行くこともできますし」
「それでいいんですけど……歩いて行きましょう、折角なので」
何となくまだ心の用意ができていないような気がして、歩いて行くことを選ぶ。今まで二人で歩いて彼の家を目指すなんてことはロクになかったので、見慣れた町並みと見慣れた彼の顔、そんな見慣れたものばかりの光景に何処か新鮮さを感じてしまう。
「最近は何をしてるんです?まさか今日みたいな事ばかりをしているわけではないのでしょう?」
苦し紛れのくだらない問い。彼の顔をマトモに見ることすらできないままに発された問いであったと言うのに、彼は心の底からの笑顔を浮かべる。
「ええ、ええ、今日は特別めずらしい日でしたとも。最近は……そうですね。人間のことを知ってみるのも悪くは無いかと思いまして。テレビや小説、詩などを読むようになりましたかね」
「貴方らしくないですね。」
正直本心から出た言葉だったが、彼は心外というような目でこちらを見てくる。……あぁいや、彼には僕らのような目はないのだけれど。
「これでも君のことを理解しようと色々なことをしていたのですよ、私は。君が泣いたり怒ったりするたびにその理由を1時間まるまる考えるのなんて当たり前でしたし、大変なときは丸1週間考えたって答えが出せなかったのです」
思えば1度か2度随分前のことをやけに詳しく聞こうとしてくることがあった。
「じゃあ一つアドバイスです。子供は自分が怒った理由を聞かれるのがいちばん苦手なんです。なんせ自分の過ちを公に認める訳ですから、恥ずかしいんです。そんなことをしてしまった自分が。しかも大概くだらないことが理由なので、余計に。」
「人はそうも簡単に自身の過ちに気づき、受け容れられるのですね」
彼のえらく感心したような物言いに少しだけ笑みが溢れる。
「子供だからですよ。大人になってしまえば自身が怒った理由がくだらないものだった。と認められなくなりますから」
なんて話を続けていれば神社の鳥居が見えてくる。ふと、立ち止まる。その姿を見るのが、ひどく久しぶりなような気がして記憶を遡って見たけれど、ついには正しい記憶を思い出すことができなかった。けれど、一つだけ覚えていることがある。
「昔、20年は前のことだったと思います。僕がさんざん貴方に魔法を見せてくれとせがんだとき。とうとう折れた貴方は、他の誰にも言わないと、そう約束してほんの少し、たった一つだけ、初めて魔法を見せてくれた。その時のことを覚えていますか?」
その言葉の裏に広がる思い出は、先程の公園での白い花の魔法を思い浮かべる。生まれて初めて、眼の前で見た魔法と同じそれ。花の名前なんて、今も昔も分からないから同じ花だったのかさえ定かでない。
「えぇ、えぇ、覚えていますとも。私が人に魔法を見せたのは500年ぶりくらいのことであったと思います。あのときもまた花の魔法でしたか」
突然足を止めた僕に少し驚きながら、彼は遠い遠い昔を懐かしむかのように、何かを眺める。……僕たち人には彼ら魔法使いがどんな世界を見ているのか、その欠片だって知らないし、わかりもしない。だから、彼の見る世界を羨むことすらできない。
「いや、そんな大きな話ではないんです。ただ、人と生きるのって難しいなーとか、社会規範とやらが余りに強大で、僕なんかじゃ到底及ばないなぁとか、そんな、くだらないことなんだと思います」
端的に言うのなら、あの日魅せられてしまった。そこにないものを生み出す魔法に。生み出したものは現実のもののように見えて、結局は幻のように灰になって消えてしまう、そんな魔法に。
「ちっぽけな辛いなあ、ってそんな思いがいくつか重なってちっぽけな丘になって、いつしかタバコを美味しいと感じるようになって、アルコールに酔うことを良しとするようになって、重なった思いがいつしか山のようになって、どうしようもない生きづらさになって」
とうとう二進も三進も行かなくなってしまう。そうしてそれはやがて怒りとなって。僕の自我を、蝕んでいくようになる。僕は、怒りの理由を理解しようとはしなかった、恥ずかしくって、目を背けたくって。有給休暇。その言葉に嘘はないけれど、一つばかり、僕の現状を表すには枕詞が足りていない。だから誤解のないように言うならば。退職前の有給休暇。大きな決心があった訳でもなく、流れで決めたことだった。
彼は立ち止まったままの僕を横目に前へと進み出す。何となくそれにおいていかれることが不安だったから、それに続いて僕も歩き出す。そうして当初の目的であった神社にたどり着く。その神社は住宅街の端にあり、あまり人で賑わうことがあるような場所ではない。だから、昔から人の目から逃れたいときにはここに来ることが多かった。彼はその神社の中心にたどり着くとこちらを向き、手を差し出した。
「ひとつ、魔法をお見せしましょう。さぁ、さぁ、私の手を握って。そうして目を瞑って」
彼の言うとおりにする。すると目を瞑った途端薄気味悪い浮遊感に身体がさらされる。
「さぁ、さぁ、目を開けて」
彼に言われたとおりに目を開ける。するとそこは遥か、遥か、空の上だった。下を見れば……いや地上のことを下と言うのは今回に限って言えば明らかな間違いだ。なんせ僕と彼はいま地上に対して水平に立っている。僕の正面にこそ地上がある。足元から少し目を離せば2つの虹があった。2つの虹の赤色の線にはさまれたその中間に今、僕はいる。
「……ぁ」
思わず息が漏れて、声にならない声が出る。それを横目に、彼はやっぱり楽しそうにしていた
「我々魔法使いが昔、憧れたものがいくつかありました。その内の一つにして最大とも言うべきものが、虹です。何処まで行ってもその果にたどり着くことはなく、ただ空に美しい半円を、時には円を浮かべる。ただそれだけのものに憧れたのです」
彼はまた、どこか遠いところを眺めるように語りかける。
「2つの虹が空にかかるとき、その間には一つの少し暗い帯がかかるのです。人はそれを暗帯、と名付け、次第にアレキサンダーの暗帯と人々は呼び始めました。この魔法はその再現、空をも歩いてみせたい、とそう考えた魔法使いがならばあの美しいものを、と思い、生み出した魔法です」
どうでしょう?とこちらに問いかける彼の声が、何処か遥か遠くからのもののように思えて、ついあっけにとられてしまう。
「人は、虹を神様からの約束の証と捉えることもあれば、単に幸運の証と捉えることもありました。大雨の後に太陽と共に現れるそれは大きな意味を持つ、と。だから今はそれに習いましょう。少し、早とちりをしてしまったようにも思いますが。今日を移ろいの日としましょう。キミの人生が移ろう日」
はるか大空からの景色を美しいとは思えなかった。少しづつ家々に明かりが灯りだす頃のそれは、どうしようもない不安感と、気色悪さで僕を包んでしまう。自分の知っているはずの街の、顔も名前も知らない人々。彼らの確かな生活の息吹を感じてしまい、心がそれに囚われてしまったのだ。
「もう一つ、憧れたものなんて、存外呆気のないものです。ここだってあまり美しさを感じられはしないでしょう?まぁ、まぁ、それだって構わないのですがね」
彼は足元を眺めながら一層嬉しげに言う。
「私はヒトであるキミに、教えてあげられることは多くありません。神様と大仰な約束をしてまで不朽に憧れ、それを悔いるような我々から唯一教えられることでしょうか。終わりのないものに真の価値は付けられません、どうかキミに終わりが来たとき、それが最上の価値を持っていることを願います。御安心を。我々はそれを尊び、記憶するために今は在るのですから」
一つまたたきをすると、いつの間にか目の前の景色は神社の一角を映すばかりになっていた。先程までとの視界のギャップに脳が大きく混乱し、しばらく項垂れていたが、数分も経てばクリアな脳へと戻っていた。上を見上げれば虹一つない夕焼けが空を覆っていた。きっと、あの虹もまた灰になって消えてしまったのだろう。
「なんだか、いろいろ吹っ切れたような……そうでもないような……なんと表現すればいいんでしょうね」
「無理に言葉に表す必要はないでしょう?」
そのあまりの難題具合に思わず頭を抱えてしまいそうになっていると、穏やかな表情の彼が見当違いな事を言う。
「言葉に表さずとも整理はしておきたいんです。でないと、僕の頭が曇ったままになってしまう。せっかく、明日には晴れる予定なのに」
結局彼の言葉の何が僕の心にどんな影響があったのか、そのすべてはわからない。けれどきっと、あのどうしようもない気色悪さだけは、ずっと忘れられないだろう。あれは、今の僕にとって確かな救いなのだろうから。
「少し、よろしいですか?何故、今日私にそのようなことを相談したのでしょうか。聞けば、しばらくは休みだと言いますし。出会ったのだって、偶然でしょう?」
彼は僕が落ち着いたのを見計らってそんなことを聞いてきた。
「えと、仕事を辞めるってなってからすぐに一旦こっちには帰ってきてたんですけど、それでもなんだか、話そうって気が起きなくって。ほら、ずっと雨が、降っていたでしょう?昨日も、一昨日も、そのもう一つ前も」
やっと晴れたのが今日だった。まさか公園で会ってしまうとは思っても見なかったけれど。彼は僕の答えに納得したようで吟味するように、あたりを眺めだした。
「それでは、それでは、約束をして今日はお開きとしましょうか」
「約束?」
彼が余りにも唐突に言い出すので思わず疑問符を浮かべてしまう。
「えぇ、えぇ、約束をしましょう。きっとキミの終わりが良いものであるように、と約束をしましょう」
「何とも縁起の悪い話ですね、それ」
僕がそう言えば彼は少し困ったようにする。
「お許しを。しかし、それがキミたちのような限りあるものと関わる上で、私に赦された唯一の死の尊び方なのです」
彼は懇願する。さながらその様子は赦しを神に請う聖職者を描いた宗教画のようだった。
「じゃあ、彼女に習って、指を切りましょうか。」
彼女に習うのであれば二人だけというのも少し物足りないけれど。
「いえ、いえ、問題はありません。我々は約束を反故にはしませんから。えぇ、えぇ、決して」
それならば、と指を合わせて。辺りが夕暮れに満ちる頃、魔法使いと人間一人その終わりの幸福を願って、指を切る。