9)鉱山の町
異母兄夫妻が鉱山に来た理由は、近隣の国と鉱石の取引をするための下調べだった。言葉も重さの単位も違う国との取引だ。あれこれと揉めたらしいが、結局は皇国の言葉と度量衡を共通でもちいることになった。
ペドロは度量衡の計算が出来るということで、重宝されたが、皇国語がわからないことを残念がられた。ペドロの年代には皇国語を分かるものが少ない。
「あーあ、なぁんか色々、すでに死んじまった昔の王様にあれこれ文句を言っても無駄だけどさ、俺は年寄りなんだぞ! 引退させろぉ! 」
鉱山の町の酒場で、酔って喚く白髪が乏しくなった男を、数人の仲間が慰めていた。
鉱山の周囲には町が出来ていた。かつては犯罪者と荒くれ者の鉱夫しかいなかった。店などなかった当時とは、随分と様変わりした。ペドロの髪も白ばかりが目立つようになった。
今も鉱夫の仕事は厳しい。それでも寝泊まりする小屋があり、食事も提供され、給料がまともに払われる仕事だ。体力に自身のある者たちが、仕事を求めてやってくるようになっていた。
犯罪者として送り込まれた後、刑期を勤め上げ、鉱夫として働き続けるものも多い。
「出来ることして金もらえるならありがたいよな」
鉱山を去っても、他に出来る仕事など無い。また盗人になって戻ってくるだけだからと鉱山で働き続け、世帯を持つものもいた。
酒場が出来たのは数年前だ。随分と議論になったらしいが、酒場は主も従業員も全員が元は荒くれ者だ。酔って少々の小競り合いはあるらしいが、大きな騒ぎは今のところ無い。
昔を知る者たちは口々に言う。
「鉱山も変わったなぁ」
「アキレス様々、辺境伯様々だよ」
てんでばらばらに、どこか遠くに向かって乾杯をする。辺境伯の領地がどの方向にあるかなど、誰も気にしていない。
町が人が増え、家族で暮らすものたちが増えると、子供たちが生まれる。今、町の話題は今度できる学校だ。
「学校かぁ」
「いいなぁ。俺、行かせてもらえなかったし」
「俺の村にはそもそもなかったし」
「なんかあれだろ、大人も通えるんだろ」
「仕事終わりに、授業あるらしいぜ」
かつて教師から逃げ回っていた幼い頃の自分が、ペドロは恥ずかしくなった。学びたくても学べない、その場所すらなかったものがいたのだ。
「なぁ、お前、読み書きできるんだろ」
突然、話しかけられてペドロは驚いた。
「あぁ」
「ならちょっと、教えてくれよ。俺の名前な、どうやって書くんだ」
名前すら書けないものもいることを知っていたはずなのに。眼の前の男に言われて、ペドロは言葉を失った。過去の失政を目の前に突きつけられた気がした。
「お前さぁ、名前いわなきゃどう書くかなんてわかんねぇだろ」
その言葉を皮切りに、酒場にいた男たちが次々と名乗りだす。
「こら、閉店だ。おまえら」
店長の怒鳴り声で、ペドロはようやく開放された。
学校の建物が完成した祝いの日だ。教師を乗せた驢馬が麓からやってきた。
「女だ」
「女だ」
ざわめきが出迎える女の顔を、ペドロは見つめた。
「イラーナ」
最後に見たのはいつだったか、だが、見間違えるはずなどない。思わず漏れた声に、周囲がペドロをみた。自然と人垣が割れていく。
「ペドロ」
懐かしい声だ。懐かしいぬくもりをペドロは抱きしめた。
抱き合う二人を周囲の歓声が包んだ。
<完>