8)異母兄と妻
「はぁぁぁぁ、あんた、本当に、生き埋めになったんかよ」
悲鳴に近い声が群衆を劈き、鉱夫たちのどよめきが包んだ。鉱山を管理する役人たちが、鉱夫たちに静まれと怒鳴りつける。
群衆に取り囲まれているのは、異母兄ライムンドだ。隣に立つ美しい女は妻だろう。あの芝居のとおりであれば、旅芸人の娘のはずだ。旅芸人には見えない貴婦人がいた。
「じゃ、奥様がこちらの御方でしたら、あの、あの、旅芸人のお嬢さんで、その」
頷いたライムンドに今度は悲鳴が沸き起こった。
無礼な鉱夫たちを前に、ライムンドは笑っているが声が聞こえない。距離のせいなのか、本当に声がでないのか、ペドロの位置からはわからない。
「美人だよな」
「あれが嫁さん」
「やっぱ声、出ないのかな」
「だって、何か書いてるぞあれ、ほら、手元」
「すっげえ美人だよなぁ。それにあの胸」
「でけえな」
「でけえよ」
「あれだろ、何かいろいろ喋れるんだろ、外国の言葉」
「じゃぁ、賢いんだ」
「賢くて美人で胸のでかい嫁さんかぁ」
いたたまれなくなったペドロはその場を離れた。
ペドロはただ一人、用意された部屋に待っていた。護衛に伴われて入ってきたのは、王弟ライムンド殿下と王弟妃コンスタンサ殿下だ。
並んで座った二人は、跪いたままのペドロを見た。
「あなたが他の方々の消息を知りたがっていると聞きました。当時の書類は持ち出すことが出来ません。あなたに全てを見せることもできません。夫と私で必要な部分だけ書き写しました」
部屋に響くのは女の静かな声だけだ。
護衛の一人が書類を差し出していた。
「その書類は、差し上げることは出来ません。この場で燃やし、全て灰にしたことを確認して、私達は帰ります」
穏やかな声には、何の感情もなかった。
「ありがとうございます」
王弟の職務がどれほどのものか、ペドロにはわからない。その合間にこれを用意してくれたのかと思うと、ペドロは自分が情けなくなった。ペドロは王子であったころ、王族責務からは逃げ回っていた。
「かけなさい」
元は旅芸人の女に許可されなくては、元は王子の自分が椅子に座ることも出来ない。内心忸怩たるものはあるが、王弟妃殿下と罪人では仕方ないことだ。女から漂う威厳と気品からは、王家の一員として多くを成し遂げてきた女の自信を感じさせた。王子であったころのペドロにはなかったものだ。
受け取った書類には、見覚えのある几帳面な字が並んでいた。異母兄の文字だ。異母兄の声は一度も聞こえない。やはり声は出ないのだ。異母兄が手にしていた石板に何かを書いた。
「そうね、ライ。私たちは席を外したほうがよいかしら。ただ、書類の始末の問題もあるから、どうしましょう」
異母兄の言葉を読み上げた女と異母兄が見つめ合う。異母兄の手が動く。
女が頷いた。
「その書類は重要なものです。私たちはここから席を外すことは出来ません。ただ、こちらはこちらの用事をすませますから、お気にせずご覧になってください」
二人は本当に何かの書類の確認を始めた。石墨が石板の上を滑る音が聞こえてくる。二人の会話には声がない。
ペドロは手元の書類を繰った。義母兄の几帳面な文字と、もう一つはあの女、義母兄の妻の文字だろう。書き写した書類には、ペドロが知る名も、知らない名もあった。親と同じく処刑されることを選んだものも、生きることを選んだものもいた。
探していた名前があった。
「イラーナ」
思わず声が出た。生きていた。神殿に身を寄せ巫女になっていた。生きていた。それ以上のことは何もわからない。生きていた。それだけで良かった。
ペドロを見た異母兄が僅かに微笑んでいた。微笑む異母兄の頬に、女が手を添えた。
「ありがとうございました」
炎の中で書類が燃えていくのをペドロは眺めていた。生きることを選びはしたものの、結局すでに死んでいるものもいた。ペドロは生きているが、生き続けるのは容易なことではない。
一人一人の顛末は、ペドロのためにわざわざ調べてくれたのではないか。確かめて礼を言わねばと、開きかけた口をペドロは閉じた。異母兄の声を一度も聞いていない。声を失った異母兄の前で、あれこれと話すことが憚られた。
お前のせいだという、アキレスの言葉が忘れられない。結局はそれ以上、何も言わずに別れた。
ペドロはただ、大地母神に祈った。何を祈ればよいのかもわからなかった。ただ、今自分がここにいて、イラーナがどこかで生きていることへの感謝を祈った。