7.マーキュリー夫人の困惑②
やわらかい微笑をそのうつくしい顔に乗せて語りかける金髪女。
女王然としたその姿。
これは、だれだ?
金髪女が魅惑の唇を開くと華やかな声が耳に響いた。
「王都生まれ王都育ちで、セルウェイ公爵家門のマーキュリー伯爵に嫁いで三十年。それ以来このセルウェイ公爵家に従事しているアビゲイル・マーキュリー夫人。子どもはいない。夫は五年前に亡くなり爵位は公爵へ返上。先代の公爵夫人の信任も篤かったマーキュリー夫人。あなた、わたしをだれだと思っていた?」
目の前のこの女に自分のフルネームを名乗った記憶がない。
余計なことを言った覚えもないし、だれにも彼女と接触しないよう命じていたはずだ。
なのに、なぜ彼女は知り得ないことを知っているのだろう。
この情報をどこから取り寄せたのかと、夫人は内心で首を傾げる。
「わたし、フィーニスのナスル家の者だって自己紹介したと記憶しているんだけど、違ったかな」
それは聞いた。ナスル家なんて王都では聞いたこともない家名だった。
貴族名鑑にも載っていないその家名は、まちがいなく平民の証であるのだが。
「つまり、違う領の人間なんだよ? わたしが長だと敬意を表するのはフィーニス辺境伯なんだよ? 違う領の人間を邸宅内部に入れて野放しにするってどういうこと? なんで警戒しないの?」
ミハエラが言いたいのは爵位のことではなかったらしい。
フィーニス辺境伯閣下の支配下にいる人間だと、そう言いたかったのだ。
だが、フィーニスといえど、同じ国内の貴族ではないか。
警戒しなければならない理由など……。
「わたしが来たとき、おまえたちセルウェイ公爵家の人間がする行動の選択肢は三つあった」
ミハエラは急におおきな声を出した。
朗々と響くそのうつくしい声は、大ホールのなかを反響し隅々にまで届いた。跪く者たちにも、ドア付近でホール内の様子を窺う人間たちにも。
「ひとつは、わたしを公爵の伴侶として丁重にもてなし敬うこと。
ふたつめ。わたしを人質として拘束。塔なり牢獄なりに監禁すること。
みっつめ。わたしを即座に殺し、王命などクソ食らえ戦争だと立ち上がること」
「戦争?」
なんて怖いことを言い出すのかとマーキュリー夫人は震えあがった。
その呟きを耳にしただろうに、ミハエラは顔色も変えずに弁を続けた。
「フィーニスの人間を迎え入れるのに、おまえたちはそのどれをも選択しなかった。
わたしがこの邸内に足を踏み入れてから三日経った。
おまえたちがしたのはわたしを放置しただけだ。見張りもしないし拘束もしない。人質として扱うこともないから食事などの面倒もみない。
なんだ? これ。
どれもこれも中途半端だ。手ぬるい。話にならないほど生温いわ!
だからわたしがのうのうと邸内を歩き回るような事態に追い込まれた。そうだろう?」
ミハエラがそう言い、マーキュリー夫人を見たとたん、夫人の全身にズン……っと、とんでもない重力の圧がのしかかった。立っていることなど不可能。彼女は跪き床に手をついたがその姿勢ですら困難で、息を吸うことすら重労働であった。
ミハエラが重力魔法を使い夫人の動きを拘束したのだ。
詠唱もなにもない、静かに訪れた拘束に夫人は恐怖した。
重力魔法もその土地の記憶を読み情報収集するのも、大地の精霊の加護を受けているミハエラには造作もないことであるが、その内情を親切に教えてあげる義理などない。
「三日もあれば、情報収集にも充分だし。もう我慢も限界なのでね、行動開始したわけだ。
あぁ、おまえたちは聞いていないかもしれないから、ひとつ、有益な情報を教えてあげよう。
わたし、ミハエラ・ナスルはね。フィーニス辺境伯の名代として王都に来ているんだ。その意味、よーく考えてくれると、わたしとしては嬉しいかな。
――あとは公爵に直談判するよ」
ミハエラはそう言ったきり黙ってしまった。組んだ足をゆらゆら揺すりながら頬杖をついて目を瞑っている。
どうしてこんなことになったのだろうかとマーキュリー夫人は内心でひどく狼狽えた。身動きがとれないからかそれとも憤りのせいか。震えがちっとも収まらない。
ふつうの貴族女性ならば、世話を焼かれなければひとりではなにもできない。
ミハエラもそうだと。
与えられた部屋で困惑し、逃げ出すのが関の山だと思っていた。
この公爵家に居座ろうとするならば、癇癪を起こし問題行動をとるだろうと思っていた。メイドや下女に手を上げ周囲のひんしゅくを買うだろうと。
空腹に耐えかね厨房へ盗みに入るだろうと。
あるいは物乞いのようにへり下って懇願するものだと。どうか食べ物を与えてくれ、どうか水を与えてくれと。
だから、そうなるまでミハエラ・ナスルには手出し無用だと通達していたのだ。
そのどれをもせず、悠々と玉座に腰かけているこの女は。
(ふつうではない、ということ……?)