11.魔戦場のミハエラ
壇上には白いドレスを身に纏う金髪美女。身の丈ほどある巨大な長剣を肩に担ぎ、魔王のごとく悠々とホール全体を見下ろしている。
かたや、対峙するセルウェイ騎士団のナイトリー団長は騎士団のなかでも精鋭中の精鋭。
今回のグランスタンピードにも参戦し、数々の武勲を挙げヴィクターを喜ばせた。
団長は筋骨隆々の、見上げるほど逞しい体躯をもつ武骨な大男である。
彼らは黒い騎士服の上に鎧を着こみ、帯刀したままだが平和な王都ではありえない第一級戦闘態勢をとっていた。
あたかもスタンピードで魔獣を前に臨戦態勢をとっているかのような緊張感。一瞬の気のゆるみが、あるいはその緊迫感を見誤れば、死に直結するかのような。
――そんな、鬼気迫る緊張感に包まれていた。
だれも、なにも言わない。
ちいさな咳ひとつで場の緊迫感が削がれる。それが分かっているから身動きひとつままならない。
そんな張り詰めた空気のなか、口角をあげてミハエラが笑った。
「待っていたぞナイトリー」
その声に対しナイトリー団長は。
「お許しを! ミハエラさま! 伏して! 伏してお願い申しあげます! 剣をお納めください!」
ナイトリー団長は叫びながら跪き、団員たちも彼に倣うかのように一斉に跪いた。
「……へ?」
鎧を纏った大きな体躯が一斉に跪いた音とちいさな振動に、ヴィクターは拍子抜けした。
なぜ彼らは狼藉者を前にして膝を屈するのか? 主である自分を守り戦おうとしないのか?
「待ておまえら。なぜ降参するのだ?」
ヴィクターは目の前にいる騎士のひとりに問いかけた。
声をかけられた騎士たちは一斉に振り返ると、口々にヴィクターに説明をする。
「相手はあの“魔戦場のミハエラ”さまですよ? 死にたいのですか?」
「“魔戦場のミハエラ”さま相手に刃を向けようなど愚の骨頂」
「あの方が“魔剣レギンレイヴ”だけを出しているうちに謝るのが得策!」
「殺傷能力の高い“閻魔刀”を出されたら……!」
「我々があのスタンピードを生き抜けたのは、ミハエラさまが先陣に立たれていたからこそです。我々はミハエラさまのあの雄姿を忘れはしません」
全員がうんうんと頷いている。
「あの雄姿?」
なんのことか分からないヴィクターが問いかけると、ナイトリー団長までもが口を開いた。
「あれは、とくに激しい戦闘が続いた日でした……三日三晩、寝ずに魔獣を打ち倒し続け、やっと朝日を拝めた……そう、一息ついたときの。
自分たちの周りに結界が張られていて……、あぁミハエラさまの結界だ、有難い。これでやっと小休止できるとミハエラさまを見た……。
眩い朝日を背後に……屠った魔獣たちの中心で返り血を浴びたまま、魔剣レギンレイヴと閻魔刀を大地に突き立てそれに凭れ……立ったまま休息をとるミハエラさまの、あの神々しいお姿……我らが生ける軍神……守り神……あのお姿が目に焼きついて離れません」
感極まったといった風情で語るナイトリー団長と、うんうんと頷く騎士たち。
「うつくしかった……」
「魂が震えるほど感動しました……」
「あぁ生き抜いたんだという実感を覚えました……」
「あれは死線を潜り抜けたからこそ、分かる感覚やもしれません……」
騎士たちの感想のあとに、ナイトリー団長がぽつりと言う。
「閣下はあのお姿を見ていないから、お解りにはならないでしょうが」
騎士たちが一斉に非難めいた瞳をヴィクターへ向けた。
(なぜ、こいつらはこんな恨みの籠った目で私を見るのだ?)
ヴィクターが内心で狼狽えたとき。
「御託はいらん。立てナイトリー。わたしはおまえを待っていたのだ」
ミハエラの嬉しそうな声が響き、彼女は長剣の尖端をナイトリー団長へ向け構えた。
「あの日のように、わたしの相手をしろ!」
「お断りします。ここは王都です。魔の森ではないのです! ミハエラさまがあの時のようにパワー全開で剣を振るえば王都が壊滅してしまいます!」
「構わん」
「構いますっ! ここには無辜の民もおおぜいいるのですっ! 戦闘能力のない無力な一般市民が巻き添えを喰らうことになります」
団長の至極まっとうな意見を聞いたミハエラは、しばし沈黙した。
一度首肯し、深いため息をつく。
「なるほど。それはよろしくないな」
あっさりとした声で言うと、彼女は構えていた長剣を下ろした。魔法陣を出現させその中へ愛刀を収納させる。
そしてひょいっと身軽に壇上から降りた。ふわりと柔らかそうな黄金の髪が揺れる。
呆然と見守るヴィクターには一瞥もくれず、まっすぐにナイトリー団長の目の前に立った。
「よし。ならばフィーニスへ帰ろう! ナイトリー、一緒に来い。わたしはおまえに会うために王都くんだりまでのこのこと来たんだ」
「え?」
「褒賞は思いのままだと国王が豪語するのでな。おまえを所望したんだ。わたしは婿を捕まえに来た、最強の男が欲しい、“セルウェイ騎士団の最高責任者をくれ”と。
彼だけがわたしの剣を受け止めることができる。彼ならばわたしの背を任せてもいい。彼をくれとしっかり説明したはずだったんだ」
とてもいい笑顔で説明する彼女は、思いのほか愛らしい表情をみせた。
「国王は笑って了解してくれたのだがな。蓋を開けてみればそこの『へなちょこ』を寄越された。話が違うと抗議しようとしたんだが、人が多すぎてできなかった」
がっくりと肩を落とすミハエラ。
そんなミハエラにヴィクターは血相を変え詰め寄った。
「へなちょこ? ちょっと待て、きみは私のことをへなちょこと言うのか? 熱烈に私の嫁になりたいと陛下に懇願したのではなかったのか?」
ミハエラは真顔で首を横に振った。
「わたしはおまえの嫁になる気など毛頭ない。たぶん国王は勘違いしたのだろう。いや、わたしも悪かったんだ。“セルウェイ騎士団の最高責任者”が欲しいなどと言ったから」
「最高責任者は私だ!」
「だが公爵閣下。セルウェイ公爵領から来た騎士団の最高責任者はナイトリー団長だったぞ? 閣下は半年前、フィーニスの地に来たはいいがずっと娼館に入り浸りだったじゃないか。大地の精霊はきちんと見ていたぞ? 閣下は一度も辺境城に入城しなかったし、ましてや魔の森の戦場になんて足を踏み入れもしなかった」
「そ、そんなわけないだろっ!」
重大な発言をされ、ヴィクターは血相を変えて怒鳴った。半年前、彼が辺境への遠征に赴いたのは確かだ。その後のことは王都に残った者は知らなくてもいいことなのだ。
だがミハエラは怯まない。
「いいや。請求書は来ているはずだから、執事殿ならばご存じじゃないのかな? “黒猫館のカルメン”がお気に入りだったとか? あそこは高級娼館だし秘密厳守だ。安心しろ」
そう言ってにっこりと笑うミハエラであったが、衆目でバラされているので秘密厳守もクソもない。
へー、公爵閣下ってば、遠征に行くと言って実は遊びに行ってたのか……
そこここで使用人たちのそんな囁きが聞こえてきた。
目を覚ましてから青い顔をしてその場にいたマーキュリー夫人も、非難めいた目を公爵へ向けている。
執事は渋い顔をしながら沈黙を守った。
なんとなく気まずくなったヴィクターである。




