1.セルウェイ公爵邸、玄関ホール
約半年前。
魔の森で発生した特大魔獣大暴走に対処するため、国の内外から腕自慢の勇者、冒険者たちが集められ魔獣討伐連合軍が編制された。当然、有力貴族の騎士団もぞくぞくと参入した大掛かりな一軍となる。彼らをまとめたのはフィーニス辺境伯。
“フィーニスの当主は魔の森に住む”と噂されるほど魔の森と魔獣たちを熟知したかの辺境伯の活躍もあり、魔獣たちとの死闘を制したのはひと月ほどまえ。
人間たちは魔獣の脅威を退け、生き延びることができたのだった。
本日、王宮ではその戦勝記念パーティが催された。
もっとも武勲を挙げた者にはなんなりと望むままの褒賞を与えるという国王陛下の告知もあったせいで、その夜会はたいへんな盛り上がりをみせたのだった。
――ひとりの乙女の困惑をよそに。
◆
「閣下! わたしの話を聞いてくださいっ」
セルウェイ公爵邸の玄関前に止まった四頭立ての馬車の扉が開かれた途端、若き公爵閣下本人がひらりと飛び降りた。すました顔でスタスタと歩き始めたその後ろ姿に、白いドレス姿の女性が呼びかける。
ドレスの長い裾をまとめて持ち上げた女性は馭者の差し出す手を無視すると、身軽に馬車から飛び降りさきをいく公爵に追いすがった。
「ですから! こちらの話を聞いてくださいっ」
女性は豪奢な金髪をうつくしく結いあげ、目元涼しげな若草色の瞳をもつたいそうな美女であった。
女性らしい魅惑のボディラインに沿った白いドレスの裾が長く動きづらいのか、自分でまとめて持ち上げスタスタと歩を進めている。
さきを歩く若き公爵閣下も美貌では負けていない。
名をヴィクター・セルウェイという。二十五歳。独身。豊かな艶のある黒髪と冷たい泉の底のような凍てつく青い瞳は、社交界の女性たちに人気の若き公爵である。『美貌の君』とも呼ばれる彼は国王陛下の甥であり、王位継承権をも持つ。いまだ独身であることもあいまって、我こそは花嫁にと自薦他薦が引きも切らない状況だったのだが。
その公爵閣下が王命により突然花嫁を決められた。
本日、王宮で開催された戦勝記念の夜会でお披露目されたはずである。
その花嫁である女性がやってくると聞き及んでいた公爵邸で働く使用人たちは、玄関前にズラリと並び、主人の帰りを待っていたのだが。
これはいったいどうしたことだろう。
だれもが己に問いかけた。
主人であるヴィクター・セルウェイ公爵閣下は、花嫁らしき女性の手を取ることもなく馬車から降りるとさっさと邸内へ入ってしまった。
花嫁であろう女性は話を聞いてくれと言いながら一瞥すらしない彼の後ろ姿を追っている。
玄関ホール内で公爵を出迎えた執事スチュワートは戸惑った。
彼の若き主の機嫌が地を這うように悪いことが分かったからだ。
「スチュワート。適当な部屋を用意して客人を案内しろ。いいか。絶対私に近づけるな」
「ですから閣下! 聞いて」
「うるさい。辺境の地ではさぞ“戦乙女”は持て囃されたであろうが、この王都でまで同じ扱いになると思うな汚らわしい」
「ケガラワシイ……?」
金髪美女は寝耳に水、といった表情で愕然としている。
ヴィクターはそんな彼女を見ながら言い捨てた。
「これは白い結婚だ!」
眉間に皺を寄せそう宣言すると、彼はさっさと自室へ引き上げた。
残された美女は首を傾げている。
「しろいけっこん……」
どうやらことばの意味が分からなかったらしい。
さてこの令嬢は、見かけはすばらしい美女であるがそれだけの、教養のない下賎の者なのかと執事は内心でため息をついた。
彼の感想と同じそれを、隣にいた侍女頭も抱いたらしい。
「スチュワートさま。お嬢さまのおもてなしはワタクシめにご一任ください」
執事と並び主の帰りを待っていた彼女は、冷たい表情のままそう言った。
彼女、マーキュリー夫人は先代セルウェイ公爵のころからこの家に仕える優秀な侍女頭である。
女性のことは女性に任せるに限る。
執事は“お嬢さま”のお世話を侍女頭に一任し、ヴィクターのあとを追った。