二 血染めの出会い
「あなたたち、何のつもり!?」
立ち上がり、ヴァレリアは背後の男たちに向かって怒鳴る。
男たちは七人。背丈は大中小様々で、皆一様に物騒な武器を構えている。
「言っただろ? 遊ぼうぜって。……やっちまえよ」
リーダーらしい大柄の男の指示で、他の六人の男が一気に飛びかかってくる。
海藻のスカートの中に隠していた短剣を取り出そうとするが、遅い。尻尾を鞭のようにして一人は跳ね飛ばしたものの、ヴァレリアは残りの男たちに長い赤毛を引っ掴まれ、五秒とかからずに組み伏されてしまった。
「ああ。うっ、ああ」
あまりにも突然の出来事に、ヴァレリアは動揺したまま、呻き声を上げるしかない。
全身を使ってなんとか抜け出そうとする。だが、男たちの拘束は固く、どうしようもなかった。
「とりあえず金目のものを剥ぎ取れ。それからは、俺から順に遊んでやろうぜ!」
大男の声に反応し、男どもが一斉にヴァレリアの体を探りはじめる。
サークレットを奪われ、ネックレスをむりやりに外される。貝殻を勝手に取り出され、ブラジャーを脱がされた。
「あ、や、やめて。やめて」
今の状況が理解できない。
ヴァレリアは今、人間の男七人組に襲われている。金品を奪われ、抵抗も虚しくなすすべがない。
――ああ、最悪だわ。
それが、このときヴァレリアが心の中で呟いたことだった。
旅立ち早々金がないという無様を晒し、目的地すらわからない。
そしてこんな裏路地で男たちに取り囲まれ、きっと殺されるのだろう。
なぜこうなってしまったのだろうか。
ヴァレリアはただ、プリアンナを救い、人間たちに復讐をしたいだけだ。それなのに、こんなところで死んでしまうなんて。
「い、や……」
嫌だった。そんなのではあまりにも、情けな過ぎるではないか。
愛妹を助けると、必ず王国へ戻ると、誓ったのに。
そんなヴァレリアの気持ちとは裏腹に、男たちの暴挙は止まらない。
彼らはヴァレリアの上半身をすっかり裸にしてしまうと、最後に――。
彼女の海藻のスカートを派手に破って、見てしまった。
「ひやあっ。な、何だこれは!?」
赤く美しい、人魚の尾鰭を。
途端に青ざめた男たち。気持ち悪く微笑んでいた顔を恐怖に染め、叫んだ。
「に、人魚だあ!」
彼らの態度の変貌ぶりに、ヴァレリアは驚くしかない。
地上で人魚がどんな風に思われているのかは知らないが、どうやら恐れられているらしいということだけは、はっきりとわかった。
「化け物だ!」
「本物の、化け物ぉ!」
「助けてくれえ!」
「なんで人魚がこんなところにぃ……!」
「もういい! 遊びはやめだ! 殺せ!」
「殺せ!」
重なる怒号。
一度は飛び退った男たちが、なりふり構わずに武器を向けて、駆け寄ってくる。
自分は殺されるのだ。そうわかっているのに、ヴァレリアの心は妙に落ち着いていた。
そっと菫色の瞳を閉じ、彼女は後悔を胸に、呟く。
「――ごめんなさい、お母様。ごめんなさい、プリアンナ。私は何もできなかった」
そうして死を覚悟した――その瞬間だった。
鈴の音のような穏やかな美声が、赤い人魚姫の鼓膜を揺すったのは。
「そこまでですよ、あなたたち」
直後、高らかな悲鳴が、した。
訪れるはずの死がやってこず、恐る恐る目を開ける。
すると、地面に横倒しになるヴァレリアの目前、そこに血溜まりが広がり、男の一人の頭を砕かれた残骸が沈んでいた。
「……え?」
思わず無理解に声を漏らし、ヴァレリアは視線を巡らせる。
左に、口をあんぐりと開けて突っ立つ六人の男の姿がある。
そして右には。
「あら、驚かせてしまいましたね。すみません。危ないと思ったので、つい手荒な真似をしてしまいました」
そう言って笑う、美少女が佇んでいた。
歳は恐らく十六歳くらい。ヴァレリアとほぼ同じだろう。
陽に照らされて光る、尻下まで伸びた驚くほど長い金髪。頭上で煌めく銀色の蝶の飾り。風に揺れる深緑色のドレス。その可憐さは装飾だけではなく、素材にある。
引き締まった四肢、背はすらりと高い。顔は非常に整っていて、緑色の澄んだ瞳や優美な微笑みはきっと誰もを魅了するだろう。
「誰だ、お前は……!?」
目を丸くしつつ、必死に虚勢を張ってそう問いかける男たちのリーダー。
彼の問いに少女は可愛らしく小首を傾げて見せた。
「あらまあ、知らないんですか? 自分でも知名度には自信があったのですけど、どうやら過信だったようですね。……それはともかくとして、あなたたちに勧告いたしましょう。今すぐその方から離れ、ここを立ち去ってください。そうすればわたくし、あなたたちを見逃して差し上げますよ?」
「何上から目線で言ってくれやがってんだ!」
だが、穏やかな少女の言葉に、男たちは激昂した。
「俺たちを舐めてやがんのか、おい?」
「お、女風情が、大口叩きやがってよお!」
「よくも俺たちの仲間をやっつけてくれやがったなぁ!!」
「許さねえぞ、よくもよくもよくもあいつをぉぉぉぉ!」
「状況わかってんのか? さっきは不意打ちだったからアレだけど、六対一で娘っ子が勝てるわけねえだろ!」
「面白え。こっちの女も思い知らせてやろうぜ!」
そしてそれぞれに武器を構え、金髪の少女へと襲いかかる。
「わたくし、争いごとは嫌いなのですけど……、仕方ありませんね」
少女がため息を漏らした直後、ヴァレリアの目の前で信じられないことが起こった。
どこからともなく現れた鉄球が、一瞬にして男どもの頭を打ち砕いたのだ。
――血の雨が止んだ後に残ったのは五人の男の首なし死体と、床にうつ伏せにされたあのリーダー格の大男だけだった。
おまけに、その背中には小斧が突きつけられていたのだ。
「舐めてたのは君たちの方だよ。……それに一つ訂正。五対一じゃなくて、五対二だからね?」
声の主を見て、ヴァレリアは息を呑む。
それは信じられないほどの美少年であった。
少女とは対照的に金髪は短く、衣装は黄色のシャツに薄茶色のズボンと素朴。だがやはりその素材がよく、すらりとした体型やその宝石のような緑瞳は美しいという言葉では表現しきれないし、その整った顔はとても柔和であった。
そんな彼が、小斧を手に、男を組み伏せている。
「ひっ。た、助けて、だすけて、くれぇ。もう、じません。もうしませんからぁ」
悲鳴混じりの男の訴えに、だが、今度は傍の少女がかぶりを振った。
「わたくしは先ほど、あなた方に選択肢を与えたはずです。それを無碍にしたのは、あなた方ご自身でしょう? そのご決断の結果をしっかり体感しながら――逝ってくださいね?」
そして、振り下ろされる鉄球。
瞬間、ヴァレリアはそれが何であるかを理解した。――三つの鉄球にそれぞれ鎖がつながれ一まとめとなった凶器。母である女王に聞いたことがあるが、それはモーニングスターと呼ばれる地上の武器なのだという。
かつて人間と人魚が争っていた時代、最強の武器として恐れられたというそれを、少女が握っていたのである。
「ぐお」
それが頭部へ直撃した瞬間、苦鳴を上げた男の頭が爆ぜ、血肉が飛び散った。
――こうして、ただ眺めているしかなかった激戦は幕を下ろしたのであった。
――場所は変わらず裏路地。
戦いの跡が残る中、血飛沫が一滴たりとも付着していないドレスを揺らして、金髪の少女が歩み寄ってきた。
「大丈夫でしたか?」
そう問いかけてくる少女に、我に返ったヴァレリアは身を起こして小さく頷く。
「ええ、大丈夫。ありがとう。でも、今のは何だったの?」
あまりのことにヴァレリアは理解が追いつかない。
先ほどまで彼女を取り押さえていた男どもは血の海に沈み、そして目の前には、わけのわからない少女と少年。
「ご無事で何よりです。ああいう輩には気をつけないと、こういう裏路地にはよく潜んでいますからお一人で入るのは危険ですよ? わたくしたちが駆けつけたからいいようなものの、あのままではあなたは傷つけられた末に殺されていたところでしたでしょうから」
そう微笑する少女の言葉を呑みこむ暇がない。
「ええと、ええと。少し待ってちょうだい。私はヴァレリア。ヴァレリア・イルマーレよ。あなたたちは、どなた?」
「ああそうでした。わたくしとしたことが、自己紹介を忘れていましたね。わたくしはオーロラ・アンネ。そしてこちらが弟の」
「トビー・アンネだよ。……ああこれ、君のだね。返す……ぁ」
そう名乗った少年が、血の海に沈んだ男たちが奪おうとしていたヴァレリアの品を拾い上げて彼女自身へ帰そうとした、その瞬間。
彼は改めてヴァレリアを見て――、気づいてしまったようだ。
「に、人魚!?」
破られた海藻のスカートの中、下半身が魚の鱗で覆われていることに。
少年はそのまま、手にしていた物を取り落として後ずさりする。
「ああ」
見られてしまった。どうしたらいいのだろう。
一難さってまた一難とはこのことだ。どうやって誤魔化し、この化け物じみた二人組から逃れればいいのかしらと、ヴァレリアは目の前が真っ暗になった。
――殺されるわ。きっと私、殺されるわ。
これはあくまで推測だが、彼女たちは善人だ。
しかし善人だからといって、必ずしも親切なわけではない。それも、地上で化け物だと言い伝えられている人魚に対してなら、なおさらである。
むしろ、正義感によって殺されても何もおかしくはなかった。
でも何の弁明の言葉も浮かばず、ヴァレリアがたじたじとなっていると、緑瞳を見開く少女――オーロラは落ち着いたうっとりした声音で言った。
「まあ。あなた、人魚なんですね。なんてお美しいんでしょう、やはり伝説は本当だったのですね。ああ、素敵。わたくし、人魚に憧れていたんです」
その瞳に他意は感じられず、彼女は正当に、紅色の人魚姫に見とれていた。
しかし一方の美少年――トビーはうろたえ、思いきり全身を震わせて、
「――ぁ。人魚が、本当にいるなんて。ひぃっ。た、たすけ、て」
と、こちらは明らかに怯えている。
そんな対照的な反応を返されると、当のヴァレリアは驚き、困惑するしかない。
でもとりあえず、友好的に接してみることにした。
「ええと、そう、私、人魚なの。深海の王国イルマーレの第一王女にして、次代の女王なのよ! 助けてくれてありがとう。このご恩は一生忘れないわ」
立ち上がり、できうる限り格好をつけて見せる。
まあ、上半身が裸で、下半身が海藻の切れ端を巻きつけただけという現状では、せっかくのポージングも様にならないのだが。
「いいえ。当然のことをしたまでですから。あなたが本当に人魚なのでしたら、色々とお話を伺いたいと思うのですけれど、わたくしたちのお邸へいらしませんか?」
「ひぇっ。お、オーロラ、正気?」
震える声でそう叫ぶトビーへ、オーロラは首を傾げると、
「正気も正気ですよ。トビーは何を怖がっているんですか? この方はきっと困っていらっしゃるでしょう。それに少々怪我もなさっています。なら、お邸にお招きするのが当然。そうでしょう?」
と言って、黙りこませてしまった。
これではあまりにも申しわけない。そう思い、ヴァレリアは口を挟んだが――、
「ああ、気を遣ってもらっているならごめんなさい。これ以上迷惑をかけるわけには行かないし、私、大丈夫だから。……いや、大丈夫じゃなかったわ」
金のことを思い出して、ハッとなる。
そうだ。元々金がなくて困っていたのだった。そこをあの下品な男どもに絡まれたものだから忘れていたが、無一文という事実こそが重大問題なのである。
さて、どうしたものか。
しかし、弟やヴァレリア自身が何を言おうと、金髪の少女の心は変わらないようだった。
「いえ、遠慮はなさらず。さあさあ、行きましょう。陽が暮れてしまう前に」
そう言うなり、頭上の蝶飾りを揺らめかせて歩き出すオーロラ。
彼女の弟に悪い気はしたが、ヴァレリアは仕方なしに、地面に落ちていた赤いブラジャーを身につけると、彼女の提案に乗ることに決めた。
「わかったわ。じゃあお言葉に甘えるわね」
そしてトビーも、「もう、オーロラは……」などとブツブツ言いながらも歩き出し、オーロラに先導されて一行は、血生臭い争いの跡が残る裏路地を後にする。
その姿を、少しばかり傾きはじめた陽だけがじっと眺めていたのだった。