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三 決心、旅立ち

「どうしたの!?」


 満身創痍の召使い人魚を目にし、ヴァレリアが思わず叫んだ言葉がそれだった。

 サメにでも食われたのかと思うほどボロボロだ。折れた腕からは今も血が滴っている。


「……そんなことはどうでもいいですから、とにかくあたしについてきてくださいませ! さあ早く!」


 しかしヴァレリアの疑問に答える様子もなく、召使いはヴァレリアの腕を引っ掴み、無理やりに部屋から引きずり出した。


「な、何するのよ!?」


「静かに! プリアンナ様もお手を!」


 叫ぼうとするヴァレリアの口を押さえて黙らせると、プリアンナに手を差し伸べる召使い人魚。

 何が何やらわからないながらも、プリアンナは彼女と手を繋いだ。


「では、走りますよ!」


 叫ぶなり、少女二人を連れた召使いは駆け出す。

 元々、人魚という生き物はその下半身の特徴から、歩くのはできても、走るのは得意ではない。

 だが召使い人魚は必死に、なかば肉が剥き出しになった魚の尾を駆使して廊下を走り、走り、走り続ける。


「ねえ、どうして走るの!?」


「今何が起こってるのか説明してちょうだい!」


 無言で駆ける召使いに、引きずられるままになるプリアンナとヴァレリアがそう問うた。


「走ったままで説明します!」


 召使い人魚は廊下を駆け抜け、階段を降りながら、事情を話しはじめたのだった。




 ことは半時間ほど前、ヴァレリアが出かけていた頃に戻る。

 イルマーレ王国王城へ突然、客が訪れたのだ。

 その客人は、なんと甲冑姿の人間たちであった。


「城の中に入れろ。女王と話がしたい」


 本来、人間は海中でいられるはずがないし、そもそもイルマーレ王国の存在を知り、訪れること自体が普通ではない。

 だが鬼気迫る形相でそう言われた門番は、女王の確認を取った後、王城内へ招き入れた。


 王の間へ通され、女王アントニオと対面したいかつい男。彼は会うが否や、驚くべきことにこう言ったのだ。


「おれは地上の国、ロンダ帝国下将だ。今日は皇帝に頼まれて、とある用でここへやってきたんだぜ。……この国、いいや、城に桃色の人魚がいるだろ? そいつをおれたちによこせ」


 桃色の人魚。それが表す意味はたった一つ。――イルマーレ王国第二王女、プリアンナ・イルマーレである。

 もちろん、それを引き渡せとの要求を受けたアントニオ女王は首を振った。


「申しわけありませんが、それはできません。……皇帝さんには、謝っておいてください」


「そうはいかねえぜ、女王。おれだって、褒美がかかってんだからな。……もう一度言うぜ、桃色の人魚を渡せ。さもねえと」


 男は不気味な笑みを浮かべ、腰の鞘から長剣を抜き出した。


「――実力行使、させてもらうぜ」


 そして、血で血を洗う殺戮がはじまった。

 人魚側の護衛が次々と男に挑みかかったが、甲冑の人間たちによってあっという間に命を散らされた。

 女王は命からがら逃げることに成功し、召使い人魚にこう言いつけた。


「私のことはいいですから、プリアンナを見つけて守りなさい。ヴァレリアもどこかにいるはずだわ、探しなさい」


「はい、女王陛下!」


 そうして召使いはプリアンナを探して城内を走りまわり、何も知らずに微笑み合うヴァレリアとプリアンナを見つけたのだった。




「と、いうことなんです」


 彼女の話を聞いて、ヴァレリアは唇を強く噛み締めた。

 ――人間の襲来。

 それにつけ加え、彼らが桃色の人魚、プリアンナを狙っているという事実。

 なんということになってしまったのだろうか。

 突然のことに驚きつつも、ヴァレリアは必死で頭を回転させた。

 何か解決策は。何か。何か。

 考えるが、浮かぶのは疑問だけだ。

 どうして人間たちはプリアンナを狙っているのか。なぜ人間たちはこの王国の存在を知ったのか。どうしてこんな事態にならなければならないのか。先ほどまで、真珠のネックレスの話をしていた。普通の日常だったはず。どうしてこんな目に遭わなければならないのか。

 わからないわからないわからない何もわからない――。


「お姉様、前!」


 プリアンナの可愛い声で我に返り、正面を見たヴァレリアは思わず絶句する。

 そこには、二十、いや三十はくだらないほどの甲冑の男たちが待ち構えていたのだ。

 彼らの手には、血の色に染まった剣が握られていた。


「ヴァレリア様、プリアンナ様。ここはあたしが止めます。ですからどうか、お逃げください」


 どこか悲壮な表情を浮かべ、強く握っていた手を離して召使い人魚は言った。

 自分の命を捧げて、ヴァレリアたちを守ろうということだろう。だが、そんなの許せるはずがない。

 だって彼女とは、長年のつき合いであり、もはや家族のようなものなのだから。


「あなたを見殺しにするっていうの? そんなこと……」


「つべこべ言ってる場合じゃありませんよ! ほら行って! ――あたし、あなたたちのことが、大好きでしたよ」


「桃色の人魚だ!」

「捕まえろ!」

「捕まえろ!」


 直後、大声で叫びながらこちらへ飛びかかってくる人間たち。

 満身創痍の召使い人魚を残して、ヴァレリアは妹の手をとって、近くの部屋へ駆けこんだ。


「お姉様、どうするつもり? このままじゃ捕まっちゃうよ」


「わかってる。彼女の犠牲は無駄にしないわ」


 扉の向こう、廊下の方から召使い人魚の高い悲鳴――、否、断末魔が聞こえた。

 涙がこぼれ出しそうになりながら、ヴァレリアは部屋の奥、カーテンのかかった窓のガラスを、赤い尾を思いきり叩きつけた。

 パリン、と高い音を立ててガラスが砕け散る。


「飛び出すのよ! さあ早く!」


 叫ぶなり、妹と一緒に窓から飛び降りるヴァレリア。

 飛び降りると言っても、城の外は一面海なので落ちても大丈夫だ。


 砂の地面へ降り立つと、そこには慌てふためく人魚たちに姿があった。

 イルマーレ王国の人魚の総数は一万人ほど。見渡したところ、その内ほとんどの国民があたりを駆けずり回り、混乱と恐怖に叫びを上げていた。


「人間だわ」

「人間が、どうして!」

「殺される」「殺されるぞ」

「死にたくないよう」

「助けて、助けて下さい」

「逃げろ」「逃げろ」「逃げろ」「逃げろ」


 四方八方に走り逃げて行く人魚たち。

 ヴァレリアはその中に知った顔を見て、彼に駆け寄った。

 ――執事のジョンである。


「ヴァレリア様、プリアンナ様、ご無事でしたか!」


「ええ! でも人間どもに追われてるの!」


 ヴァレリアが事情を簡単に説明すると、人魚の青年は「なら」と言って彼女の手を引いた。


「こちらに、隠れるのにはとっておきの洞穴があります。ぼくが外を見張っていますから、ヴァレリア様とプリアンナ様は中へ」


 ジョンの案内でたどり着いた洞穴は、岩でできた天然のものだった。

 ――入ると中は暗くひんやりとしていて、狭い洞穴の中に小魚がたくさんひしめいていた。


「健闘を祈るわ」

「頑張ってね、ジョン」


 手を振るヴァレリアとプリアンナに、ジョンは薄く微笑んだ。


「人間ごとき、追い払って見せますよ」


 ――それが、ジョンとの最後の会話になった。




 イルマーレ王国に突如として起きた惨劇は、止まることを知らなかった。

 帝国の将軍にジョンが殺され、洞穴に隠れていたヴァレリアたちは見つかり、逃げたものの帝国軍に包囲されてしまった。

 そして――プリアンナは、姉のヴァレリアを守って、自らの身柄を将軍に引き渡した。

「さようなら」と、悲しい笑顔を残して。


「私のせいっ……。私のせいだわ。私が守れなかったから、プリアンナは」


 人間たちが去った後のこと。

 ヴァレリアは床に伏し、ただただ涙を流していた。

 プリアンナがさらわれたのだ。ヴァレリアの目の前で。


 悔しい。悲しくて腹立たしくて、気が狂いそうだ。

 ヴァレリアがもっと強くあれば、よかったのに。

 でも、ヴァレリアは弱く、誰も守れなかった。……召使い人魚も、執事のジョンも、プリアンナも。

 

「気持ちはわかりますが、そう悔やむことはありませんよ。……これは、私の力不足が引き起こした、必然の悲劇だったのですから」


 そう言って力なく微笑むのは、ヴァレリアの傍らで座りこむ人物。

 イルマーレ王国の女王でありヴァレリアの母である、アントニオ・イルマーレだ。


 陸上、ロンダ帝国の軍隊が攻め入ってきた今回、イルマーレ王国の被害は甚大だった。

 元々一万いた人魚の数は七千人と三割も減少し、王国の主要な人物のほとんどが惨殺された。その中で生き残ったのは、アントニオ女王と第一王女のヴァレリアだけである。


 アントニオも、自分の無力を嘆いているに違いない。

 強く野蛮な人間に対して、人魚はあまりにも無防備で無力だった。


「最悪! 最悪だわ! 人間なんて……、どうして! 今まで平和だったのに! どうして突然……。プリアンナを!?」


 なぜ、よりにもよってプリアンナを連れ去ったのか、ヴァレリアには理解できない。

 ヴァレリアは今まで人間というものを見たことがなかったし、もちろん言葉を交わしたことすらなかった。それは、プリアンナも同じだ。

 なのに、どうして深海の人魚の国の存在を知り、プリアンナを狙ったのか。

 そもそもずっと変だとは思っていたのだが、人間は普通海中で動き回れないはず。なのに彼らは人魚に勝る力を持っていた。一体なぜ、あんなことができていたのだろう。

 何も、わからない。


 ――今ヴァレリアたちがいるのは、イルマーレ王城の王の間。

 玉座は破壊され、優美に彩られていた壁面はボロボロ、血や肉片が飛び散っている。


 まるで悪い夢みたいだ。夢なら覚めればいいのに、と、ヴァレリアは思った。


 そう唇を噛み締めるヴァレリアへ、アントニオがこんな言葉をかけてきた。


「プリアンナのことは……、残念ですが忘れましょう。…………仕方ありません、私たちの戦力では、人間に勝てるはずがありませんから」


 苦渋の決断、だったのだと思う。

 確かにアントニオ女王の言う通り、人魚は人間に敵わない。だから、プリアンナを取り戻すことは、できないのだ。

 ――でもヴァレリアは、次の瞬間、怒りのままに叫んでいた。


「プリアンナを放っておくっていうの! ……そんなの、そんなの、ひど過ぎるじゃないっ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るヴァレリアへ、アントニオはまっすぐに見つめて静かに言い返す。


「あなただってわかるでしょう。プリアンナのことは、もう仕方がないのだと」


 母の考えていることは、ヴァレリアにだってわかった。

 彼女だって、怒っている。でもどうしようもないと諦めてしまっているのだ。

 ――でもヴァレリアは、赤い人魚の少女は、決して諦めることを知らず、


「じゃあいいわ。私、今決めた。――地上へ行ってプリアンナを連れ戻す。絶対の絶対、あの将軍野郎や、プリアンナを狙ったっていう皇帝野郎をやっつけてみせるわ」


 と、宣言してみせたのだった。


「な、何を馬鹿なことを言っているのですか!? 地上へ行くなんて、狂気の沙汰ですよ!?」


 今まで静かだったアントニオ女王が、目を見開いて怒声を張り上げる。


 ――この深海の王国イルマーレには、いくつかの掟がある。

 掟を破った者は人魚の国を追放されることになり、それは一生の孤独を意味するのだ。

 その内容は、三つ。


 一つ目は、人魚同士を殺めないこと。

 二つ目は、王・女王を尊敬し、つき従うこと。

 そして最後、三つ目が『人間と交わるべからず』だ。


 数百年前のかつて、イルマーレ王国とロンダ帝国は、激しく争っていた時期があったのだという。

 その多数の死者を出した戦争は、結局、うやむやな形で収束した。

 そしてそのときから、人魚と人間は絶対の絶対に関わってはいけないという掟が定められたのである。

 その掟を破るなんて言語道断。ましてや王女であり、次代の女王であるヴァレリアには決して許されないことだった。


「でも、それでもいいわ。私は、プリアンナを助けに行く。あの子を一人で放っておくなんて、無理よ」


 ヴァレリアの決意はもう、たとえ何を言われても変わらない。

 国を乱され、誰よりも何よりも大切な妹を奪われた。……こんなので、泣き寝入りできるほど、ヴァレリアは可愛げがある少女ではないのだ。


「はぁ。本当にあなたは、仕方のない子なんですから。――私はこの国の女王として反対します。でも……、そこまでの覚悟があるなら、勝手にすればいいでしょう」


 大きく溜息を吐きながら、アントニオ女王はそう、娘を許したのであった。




「これでよしっと」


 ――その夜、準備は整った。

 海上、ロンダ帝国へ挑むために用意したのは、最低限の飲食料品、通貨である銀色の貝殻、そして――。


「綺麗……」


 赤く輝く宝剣を見つめながら、ヴァレリアはうっとりと呟いた。


 これは、イルマーレ王国に古の時代から伝わる秘宝。この度は、きたるべく戦いのために、こっそりと持ち出させてもらった次第である、


「お母様、きっと怒るでしょうね……」


 おとなしい母親だが、意外と怒ると怖い。帰ったら、どれほど叱られるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ヴァレリアはそっと王城を出た。


 深夜の深海は、いつもにも増して真っ暗だった。

 被害の爪痕が大きい街や、十六年間を過ごした王城を振り返り、ヴァレリアは心に誓う。


「何があっても必ず、プリアンナを連れて戻ってくるわ。そして人間どもを、懲らしめてやるんだから。だからそれまで……さようなら」


 そして、彼女は真紅の尾をくねらせ、紅色の長髪を靡かせながら、漆黒の海へと陸を目指して泳ぎ出す。

 ――こうして、さらわれた妹を救い出すため、赤い人魚ヴァレリアの冒険が幕を開けたのだった。

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