一 愛の口づけ
それからの海中旅行は穏便に進んだ。
キャメロンやアントニオ、ブルノも仲間に加え、城内を案内したり街中を見て回ったり……。
数日間を、ともに楽しく過ごした。
しかしいつまでもイルマーレ王国に留まっていることはできない。
だから、オーロラたちは地上へ帰ることになった。
「わたくし、皇帝に選ばれてしまっていますから戻らねばなりませんね。……トビーは、どうしますか?」
そう問いかけられて、トビーは困った顔をした。
だが彼は覚悟を決めた顔でこう言ったのだ。
「僕はここに残るよ、オーロラ。僕はヴァレリアと一緒にいたいんだ」
彼の言葉に、誰一人として反論する者はいなかった。オーロラは笑顔でそれを許し、海の王国を出て行こうとした。
「ちょっと待って、オーロラとベル。最後に見て行って欲しいものがあるの」
「見て欲しいものって何なの?」
興味津々のベル。ヴァレリアは優しく笑いかけ、片目を閉じた。
「今は内緒。夜を楽しみにしていて」
その日の夜、王の間には数々の面子が集められていた。
女王やプリアンナはもちろん、オーロラやベル、なんとキャメロンの姿まで。
そして――。
「じゃっ、早速はじめさせてもらうよっ。……さあさっ、入場してねっ」
藍色の人魚がそう声を響かせると、音を立てて大扉が開く。
そして現れたのは、朝焼けのような赤髪を揺らめかす、美しい少女だった。
紅色の鱗が輝き、雪のように白い肌が美麗な人魚姫。――ヴァレリア・イルマーレである。
彼女は王の間の中央に進み出て、背筋を正して立つ。
その瞬間、司会のブルノから声がかけられた。
「ではまずっ、女王陛下からお言葉をっ」
「……。私はイルマーレ王国の女王、アントニオ・イルマーレです。早速継承の儀をはじめましょう」
場がしんと静かになる。
橙色の人魚は頭上の王冠を脱ぎ、ヴァレリアの前まで行った。
「王女、ヴァレリア・イルマーレ。あなたを今より、イルマーレ王国の女王と認めます」
王冠を被されたヴァレリアは、その感触を手で触れて味わう。
やはりすごい。重みがある。なんとも素晴らしいと、ヴァレリアは思った。
「ありがとうお母様。今日から私はこの王国の女王になるわ。まだまだ拙いけれど、皆、よろしくお願いね」
一斉に、拍手が巻き起こる。
しかしそれは、次のブルノの言葉によって制された。
「皆さんっ。これで終わりじゃないんだよっ。……入ってきてっ」
その声とともに、もう一人の人物が開け放たれた扉の向こうから現れた。
黄金の礼服を身に纏った金髪の美少年トビー。
彼の姿に、会場から歓声が上がる。
「似合っていますね、トビー」
「ビー、すごく格好いいの!」
ヴァレリアの隣に並んだトビー。
少年少女二人は互いを見つめ合い、笑う。
そして運命の瞬間が訪れる。
「新郎トビー様っ。あなたはヴァレリア姫様……じゃなかったっ、ヴァレリア女王様を妻として愛し合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますかっ?」
「もちろん。彼女といられるだけで僕は幸せだ。人間と人魚が交わるのはいけないことなのかも知れない。でも僕は、それでもヴァレリアを愛するよ」
胸を張り、そう言いきったトビー。
彼はなんと強くなったことだろうか。その姿を目にして、ヴァレリアの胸に激しい熱が湧いてくる。
「新婦ヴァレリア新女王様っ。あなたはトビー様を夫として愛し合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますかっ?」
大きく頷き、ヴァレリアはトビーと手を繋ぐ。
皆がこちらを、ヴァレリアたちを見ている。彼らの期待に応えよう。
「ええ。誓うわ、この身が朽ちるまでの永遠を。……トビー、愛してる」
彼に抱きつき、その柔らかな感覚を得る。
彼の顔と近くで向き合い、直後――、唇を重ね合わせて口づけを交わした。
拍手や歓声の嵐が吹き荒れて、二人を祝福する。
――こうして赤い人魚と人間の少年は、固い愛で結ばれたのであった。
――その後のこと。
地上へ戻ったオーロラ・アンネは女帝となり、帝国を治めるようになった。
「これからはわたくしがこの国を引き継いでいきます。それがわたくしに課せられた役目なのですから」
同じくベル・クリランスは、なんと中将に抜擢された。
「ロラに任されたの! ルドの遺志を継いで、ベルも立派な将軍になるの!」
ちなみにチェルナはオーロラの元、依然として活躍中だ。
キャメロン・イルマーレは、イルマーレの王城で過ごしはじめた。
もう誰からも偏見を受けずに、幸せに。
「ワタシが……、ワタシがこんなに幸せになれるなんて……。ありがとう、ヴァレリア」
アントニオ・イルマーレは現役を引退し、こっそりひっそりと暮らし続けている。ブルノも世話役を続け、相変わらず元気だ。
プリアンナ・イルマーレはいつまで経っても変わらない可愛さで、健やかでいてくれている。
「わたし、お姉様といられるだけすごく嬉しいわ。わたしも、今度はいいお婿さんに出会えたらいいな」
深海の王国の女王となったヴァレリアとトビーは、今も夫婦仲よくしている。
かつてはいがみ合っていたイルマーレ王国とロンダ帝国はすっかり関係がよくなり、貿易が盛んになった。王国の人魚たちの『人間と交わるべからず』の掟も取っ払われて、人間と人魚は自由に交流することを許されたのである。
ヴァレリアは城の窓から外を眺め、呟く。
「この平和が、いつまでも続くといいわね」
隣のトビーが緑瞳を細め、頷いた。
「そうだね。……きっと永遠さ。この世界やオーロラたち皆の幸せも、僕たちの愛も、ね」
窓の外を色鮮やかな魚たちが悠々と泳いでいく。
そこへ、可愛らしい声がかかった。
「お姉様にトビーさん、何してるの?」
頭上の紫色のリボンを揺らして首を傾げる彼女を見遣り、ヴァレリアは答える。
「いやね、このまま平和が続くといいわねって」
「そうね。わたしもそう思うわ。……そうそう、夕食ができたってブルノが言ってたよ。冷める前に行こう」
桃色の人魚の少女に手を引かれ、二人は食堂へ向かって歩み出す。
「ふふっ。トビーも行きましょう」
「うん」
そう言いながら、彼とヴァレリアはともに優しく微笑する。
――そして赤い人魚は、ただ一心に末永い平和を願うのだった。
これにて『赤い人魚は諦めない』は完結となります。
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