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一 戻ってきた海の王国

 皇帝打倒の後のことを簡単に語ろう。


 まず、皇帝が殺されるところを見ていた周囲の給仕たちについて。

 彼らからの強い反感があることをヴァレリアは恐れていたのだが、なんと「ありがとう」と感謝してきた。

 どうやら、彼らも傲慢な皇帝のことが嫌いだったらしく、死んで清々したとか。そう考えると、少し可哀想な男である。


 皇帝や上将、下将の死体について。これは、普通に埋葬と決められた。

 本当なら重罪になるところだが、帝国ではいつでも強者が偉い。だから、もはやヴァレリアたちは崇められる存在になったわけだ。


 ちなみに激しい戦いにあった帝城は一部が損壊していたもののなんとか修理できるそうだ。よかった。


 そして――。


「オーロラ・アンネ様。あなたが次代皇帝に相応しいお方です。どうぞ、この地にお留まりください」


 様々な人間からそう言われたオーロラ。しかし彼女は、ゆるゆると首を振った。


「その申し出はありがたく受け取ります。しかしわたくし、一度邸へ戻らねばなりませんので」


「そうだよ。まだきちんと、父様と母様の埋葬だってしてないんだ」


 と、いうことで、一行は帝都からはるか東、中将邸へ戻ることになったのだった。





 焼け焦げた中将邸跡は、何人もの人間がきり崩している最中だった。

 そこへ現れたヴァレリアたち――否、双子姉弟を見て、彼らの動きが止まる。


「え、あれ見ろよ」

「オーロラお嬢様じゃねえか?」

「それにトビー坊っちゃままで!」

「幽霊かよ?」

「失礼だぞ!」


 そこへ軽い足取りで進み出た少女は長い金髪を揺らして笑う。少年もおずおずと前へ行き、二人一緒にお辞儀した。


「そうですよ。わたくしはオーロラ・アンネです。……やっと戻って参りました」


「そう。僕はトビー・アンネだよ。……やっと戻ってきたんだ」


 それから目を丸くする作業員たちに、事情を説明した。


「……と、いうわけで、皇帝を倒してきたんだ。ちなみにこの娘たちは」


「私はヴァレリア・イルマーレよ」


「わたしはプリアンナ・イルマーレ」


「ベル・クリランスなの」


 一通りの紹介を終えると、男の一人が深々と頭を垂れた。


「よくぞお帰りになりました、お嬢様と坊っちゃま、そのご同胞方。さあ、中将様ご夫妻のご遺体はこちらです」


 彼に先導されて進んだ先、そこには白布に包まれた中将夫妻の遺体があった。

 ヴァレリアには白布の中を目をすることはできなかったが、姉弟は両親へと、仇討ちの報告をしていた。

 その後すぐに遺体は埋葬され、軽い葬式のようなものが行われたのである。


「一段落着いたって顔してるわね」


「そうですね……。長い長い旅を終えて、やっと父様と母様にご挨拶できたのですから」


 オーロラの晴れ晴れとした笑顔は、太陽のように輝いて美しい。

 彼女たちが満足できたようで、ヴァレリアとしてもとても嬉しかった。


「この後、どうするつもりなの? お姉様」


 と、突然、プリアンナから質問があった。

 しかしもうその予定は決まっている。


「オーロラ、覚えているかしら? あのときの約束。いつか、イルマーレ王国へ行ってみたいって」


「ええ。申しましたね」


 こくりと頷くオーロラ。

 あの暴れ海の上で、彼女と交わした約束。――それを今、果たそうではないか。


「オーロラ、トビー、ベル。あなたたちをイルマーレ王国へ招待するわ!」


 そう言うなり、皆が皆、それぞれの反応を示す。

 オーロラは目を輝かせ、トビーは驚き顔、ベルは「なんか面白そうなの!」と興味津々で、プリアンナは「わーい!」と大喜びだ。

 チェルナまでもが尻尾をぶんぶん振って嬉しそうにしている。


 そうして、五人を乗せた黒豹は、ルデルークスの街の東、海岸沿いの砂浜へと駆け出した。





「人魚の肉を食べろって……、君、正気なのかい?」


「そうよ。普通、人間は海中で息ができないし、うまく泳げない。けれど人魚の肉を食べれば、自由に動き回ることができるわ」


 波打ち際にて。

 トビーとヴァレリアが言い争っていた。

 理由は、ヴァレリアの肉を食べなければならないということ。――海の王国に人間を招待するには、必須条件といえた。


「でも、僕は君の肉なんて食べたくない」


「好きだから?」


「そう。好きだからだ……って、ちょ、ヴァレリア!」


 急速に顔を赤くするトビーが叫ぶが、もう遅い。

 オーロラが優しく弟の肩を叩いた。


「予想はしていましたが、やはりトビーはヴァレリアさんのことを愛していたんですね。……きっといいご夫婦になりますよ」


「うわあ、知らなかったの! ビー、レリアに恋してるの? うふふなの」


「お姉様よかったね、いい男の人がいて」


 赤い人魚はしてやったりとばかりに微笑む。

 恥ずかしいやら何やらでおろおろする金髪の少年に、ヴァレリアは自分の小指をきり取って差し出した。


「これを食べて。愛しい人の肉を食べられるなんて、あなた幸せ者よ。さあ」


 仕方なし、という風に、トビーは手渡された少女の小指を口に含む。

 そして一瞬凝固した後――突然、言った。


「美味しい。甘い味がする」


「そうよ。だって人魚だもの。そうそう、ちなみに言い忘れてたけど、人魚の肉を食べると不老長寿になるから気をつけて。元々人魚は長くて二百歳、老いず美しいままで生きるの。だから肉を食べた人間も同じような体質になるのよ」


 途端にトビーの緑瞳が驚愕に染まる。

 そして彼は、叫んだ。


「えっ、それを先に言ってよ!」


 ヴァレリアは己の赤毛を揺すり、くすくすと笑ったのだった。





 イルマーレ王国には、掟がある。

 その大きな一つが、『人間と交わるべからず』だ。

 今回、仲間たちを招くことは、この掟に反することになってしまうだろう。

 しかしヴァレリアは、それでも構わないと思っていた。


 だって、そんな掟はおかしいと思うようになったからだ。

 人間は確かに、醜悪な面もある。しかし同時に優しい面だってあるのだ。

 それを、オーロラやトビー、ベルをはじめ、その他の全員から知った。

 だからヴァレリアは決めたのである。――『人間と交わるべからず』なんて掟、覆してしまおうと。


 アントニオ女王に叱られることは覚悟の上だ。

 しかし人魚と人間は、友好的な関係を結ぶことができるに違いない。そう思ったから、その一歩として仲間たちを招くことに決めた。


 ヴァレリアが自分の体から剥ぎ取った臀鰭を、オーロラとベル、チェルナが口にする。

 そして一様にその味に驚いていた。


「ねえお姉様。お姉様はそんなに体の部分を皆にあげて大丈夫なの?」


 不安げな妹の頭を撫でてやりながら、ヴァレリアは笑顔で答える。


「臀鰭はいつでも生えてくるから心配しないで。小指はトビーへの愛の印よ」


 準備は整った。

 目の前には広がる青い海へ向き直り、赤い人魚姫は天へ指を突き立てた。


「さあ、行きましょう。我らが王国イルマーレへ!」


 そして全員で手を繋ぎ、一斉に海へ飛びこんだのであった。





 ――海の中には色とりどりの魚たちが煌めき、改装がふよふよと揺れている。

 それは、絶景と呼ぶに相応しいほど美しかった。


「あちらの魚はなんですか?」


「あれはね……」


「うわあ、貝殻の中に銀色の玉が入ってたの! 綺麗なの!」


「それは真珠って言うの。お姉様が作ってくれたこのネックレスも真珠でできてるんだ」


 皆大はしゃぎで、あちらを指差しこちらを指しては楽しげに話している。

 ヴァレリアも懐かしさに胸の奥が温かくなった。


「それにしてもどうして海の中で息ができるようになるんだろう。……人魚って生き物は、どこまでも謎だね」


「そうね。でもそんなことどうでもいいわ、今は海の観光を楽しみましょう」


「がルゥ!」


 優雅に泳ぎながら、五人と一匹はゆっくりと深海へ進む。

 明るかった周囲がどんどん闇に包まれていき、やがて、何も見えなくなる。

 そしてその闇の先、眩い灯りが見えてきた。


 光の正体――それは、イルマーレ王国の街灯だ。

 あれがあるから、人魚たちは海に出ても王国の場所を見失わずにいられるのである。


「またお姉様と一緒に王国に戻れるなんて、夢みたいね」


 そうだ。

 プリアンナを連れて戻ってこられたのは、奇跡なのだ。

 様々な人の助力を思うと、頭が上がらない気持ちになる。


「……そろそろ着くわ」


 明かりが近づき、城壁が見えてきた。

 門をくぐり抜けた先、そこはイルマーレの城下町。目が覚めるような鮮やかさ放っていた。


「すごいですね……」


 人間の少年少女は感嘆の息を漏らす。

 確かに水中都市というのは物珍しいだろうし、美しいというのは否定しない。……けれどヴァレリアは、どことなく違和感を覚えた。


「少な過ぎるわ」


 街に出ている人魚の数が、明らかに少ないのだ。まるで、街が死んでいるみたいだと彼女は思った。


 それはプリアンナも同意らしい。


「お姉様、なんか変な感じがするわ」


 何があったのだろうか。何かの勘違いでなければいいのだが。


「どうしたんですか?」


「わからない。とにかく急ぐわよ!」


 街を泳ぎ抜け、奥へと進む。

 そして王城を目の前にしたとき、突然、藍色の人魚が飛び出してきた。

 彼女は忘れることもない。――あの暴れ海でヴァレリアたちを救ってくれた元召使い人魚、ブルノである。


「ヴァレリア姫様っ。あっ、それにプリアンナ姫様もっ!? おかえりなさいませっ! よくぞご無事でっ」


「ブルノ、どうしたの? もしかして何かあったの?」


 藍色の人魚が口を開こうとしたとき、黒髪の少女がそれを遮った。


「あっ、あのときの魚なの! 藍色の大きな魚! 本当に人魚だったの! ルドに自慢したいの!」


 どこで彼女がブルノを見かけたのかは知らないが、今はそんなことを言っている場合ではない。


 皆の視線が藍色の人魚に集中する。

 そして、ブルノはただならぬ様子で、こう叫んだのだ。


「大変だよっ。……女王様が変な奴に捕まっちゃったんだっ!」

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