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一 お買い物

 陽が真っ青な海から顔を覗かせる頃、ヴァレリアたちはルデルークスに到着した。


 今日も今日とて朝一番から賑やかしい街に足を踏み入れると、昨日の嫌な思い出が蘇る。

 無一文と罵られたこと、強盗たちに襲われたこと。


「……でも今度はオーロラたちがいるから大丈夫。何も心配すること、ないわ」


 人間は依然として苦手なままだ。でもこれが人間の世界である以上、ある程度は受け入れなくてはならないとヴァレリアは思うようになったのだ。

 それはもちろん、双子姉弟と、中将夫妻のおかげだった。


 それから一行は、チェルナを歩ませて商店街へ。


「ねえ、どうして私たち、こんなにジロジロ見られてるの?」


 度々向けられる周囲の視線が気になったので訊いてみると、オーロラは当然のように言った。


「簡単なことですよ。わたくしたち、この街では少し有名なんです。それに、チェルナは大きいし目立つでしょう?」


 確かに、こんな肉食動物が街中にいたらと思うとヴァレリアはゾッとしてしまう。まあもちろん、その上に乗っているのだけれど。


 そんなこんなで周りの視線を浴びながら、やってきたのは飲食料品の店。

 ヴァレリアはチェルナから降り立つと、店の前までドレスを揺らしながら歩く。

 ここは昨日、ヴァレリアが追い返されたところだ。


「やあ。いらっしゃい。……って、昨日のお嬢さんじゃねえか」


 会ってすぐさましかめっ面をされてしまう。よほど昨日の印象が悪かったのだろうが、それを挽回する準備はできていた。


「今日こそはちゃんと買いにきたわ」


「でも、金がねえんだろ?」


 そう言って嘲笑のような笑みを浮かべる男に、金貨三枚を突きつけた。


「お金ならあるわよ?」


 その額を見て、店主が腰を抜かす。


「ひえっ。さ、三万ロン!?」


「いいからこの店にある分全部をちょうだい」


「で、でも……」


 戸惑う男。仕方ないと息をつき、ヴァレリアは背後の彼女へ目配せした。


「お願いします、わたくしたち、どうしても必要なんですよ」


 彼女――オーロラは、愛豹を歩ませゆっくり現れると、店主へ向かってそう微笑んだ。


「お、オーロラお嬢様!? それに、トビー坊ちゃんまで……」


「そうですよ。わたくしたち、今、腕利きメイドがいなくなって困っているんです。ですからお願いします、すべての商品を譲ってください」

「そうだよ。僕たち、今、腕利きメイドがいなくなって困っているんだ。だからお願い、全部の商品を譲って欲しいんだよ」


「ね?」


 少年少女三人にそう言われて、店主はワタワタと店中の商品をかき集めてきた。


「こ、これでいいかい?」


 果物や野菜、気軽に食べられるサンドウィッチという食べ物や、大量の飲料水まで。これだけあれば、三日以上は確実に大丈夫だろう。


「ありがとう。……昨日の汚名、返上できたかしら?」


 最後にそう笑って、長く美しい赤毛を風に靡かせる少女はそっと店を離れた。





 荷物をバッグに詰めると、次は雑貨屋。

 手拭いや夜闇を照らしてくれるランプなど、これからの旅に必須な物を購入した。


「それにしてもすごいのね、このドレス。全然人魚だってばれないわ」


 ちなみに、破り捨てられてしまった昨日の海藻のスカートは、ところどころ鱗が露出し、かなり際どい状態だったのだ。

 それが今はどうだろう。すっぽりと紅色のドレスで隠され、誰一人としてヴァレリアが人魚だとは思わない。


「そりゃそうだよ。元々オーロラの服なんだ、可愛いし、実用的だよ」


 トビーはそう言ってなぜか胸を張る。

 しかし、今オーロラの着ているドレスをちらと見ても、ヴァレリアにはどこが実用的なのかわからない。

 長丈で歩きづらそうな深緑色のドレス。可愛いのは大きく頷けるが、実用的とは縁遠い気がした。


「それはともかくとして、次は何を買いに行くの?」


「そうですね。……あっ、地図です。地図を買わずには何もはじまりませんからね」


「ああ! 忘れていたわ!」


 ヴァレリアが思わず大声を上げたと同時に、チェルナがそちらへと駆け出した。





 これは地図屋へ行く途中の話になる。

 街の人間がこんな噂をしているのを、ヴァレリアたちは耳にした。


「ねえねえ、聞いたかい。中将様の邸が、一夜にして燃えちまったらしいよ」

「怖いねえ。なんでも、新皇帝の手向けた軍隊の仕業なんだとさ」

「でもさっき、オーロラ様とトビー様をお見かけしたような……」

「気のせいでしょ。中将様もフルール奥様も亡くなったらしいし、生きてるはずないよ」

「まったく困ったものじゃ。わしらの生活は、中将様が支えてくれていたというのに。……世も末ということじゃな」


 そんな話を聞きながら、チェルナの背上、ヴァレリアの一つ前に座るトビーが、ぼそっと呟いた。


「――――してみせるから」


「え?」


 思わず聞き返してしまうヴァレリアを振り返り、彼は「なんでもないよ」とごまかす。

 だが、


「トビーは、『絶対になんとかしてみせる』と言ったんですよ。わたくしも思いは同じです」


 一心同体の姉に言われてしまった。

 するとたちまちトビーの顔が赤くなる。


「へえ。いいじゃない。……全部が終わったら、それ、私もお手伝いするわ」


「……君の助力なんて、いらないよ」


 ぷいと首を背けるトビーの声音はあくまでも冷たい。

 でもきっと彼のその行動も照れ隠しなのだろうと思うから、ヴァレリアはなんだか彼のことが憎めないのだ。


「さあさあお二人とも、お店に着きましたよ」


 そのとき、オーロラの鈴の音のような美声が、地図屋へやってきたことを知らせたのであった。





「地図かい。……ええと、これだね。五千ロンになるよ」

「五千ロンね、はいどうぞ」


 こうして一行は、地図を無事に入手することができた。

 一段落し、早めの昼食を取りながら地図を広げて見てみる。

 どうやらロンダ帝国は、二つの大陸で成り立っているようだ。

 今いるのが東の大陸の端。そして――。


「はるか西の彼方の大陸、その最西端にあるのが帝都です」


 つまり、二つの大陸を横断しなければ、目的地へはたどり着けないというわけだ。


「なかなか厳しいわね……」


「大丈夫だよ。チェルナは足が速いんだ、あっという間に着くさ。――さあ、昼ごはんも食べ終わったことだし、そろそろ行こうか」


「そうですね」


 ゆっくりしてはいられないと、三人は背筋を正す。

 ――目指すは西の帝城だ。


「とびきり急いで、西方へ向かいなさい!」


 叫び、オーロラが黒豹チェルナを走らせはじめるのだった。

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