僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅲ(2/5)
それより、と語尾を奪うシャーロットの声色は、先ほどよりやや熱を帯びている。上側だけが銀色に光る銃が、改めて黒い男に突きつけられる。
「この状況はあなたたちの仕業なんでしょう。どういうからくりか話しなさい。なぜみんな眠ってしまったの」
そう詰問されても、二人がかりで急所を狙われていても、死神のような青年はまったく平然としている。石像かと見紛うほどの、非人間的な立ち居振る舞い。ぞくり、とまた背筋が寒くなった。
彼がそろりと右腕を掲げ、体育館側面の開け放たれた扉の、その外を指で示す。
「ドローンが何機か飛んでいるのをご覧になったでしょう。あれらは我々が用意したものです。あのドローンから、ヒトに対して催眠作用のある音波を飛ばしているのです――この学校の敷地を全て覆うように。ご安心下さい、人体に悪影響が及ぶものではありませんので。音波が途切れれば皆目覚めます。さらに、敷地内と敷地外は亜物質障壁で仕切ってあります。そのため、外から新たに人が入ってきたり、この事態が外部に漏れたりする事態は起こりません」
厳かな、己の業績でも誇るような口ぶりに、思わず目を見張っていた。あの黒いドローンは"罪"のものだったとは。てっきり学校が撮影用にでも飛ばしているのだと思い込んでいた。亜物質障壁なるものが何なのかは理解を超えているが、まるで影側の後始末にも配慮しているような説明の仕方が、常軌を逸した不気味さを感じさせた。
一方で、単に眠っているだけという話にほっとする気持ちもある。未だに腕の中で規則正しく寝息を立てている未咲に視線を落とす。どうして俺が眠らないかは疑問だけれど、ただ寝ているだけだから、きっと大丈夫。ルカの説明が嘘でないなら、この状況が解消されれば、みんなすぐに目を覚ます。
でも、未咲やみんなのために、自分でできることがないのが歯痒くて、噛み締めた奥歯がぎりりと呻く。
ルカの説明が予想外だったのはヴェルナーたちも同じらしく、チッと鋭い舌打ちが聞こえた。
「そんな大それたことをして……何が目的なんだ?」
「あなたに話す義理はありません。そこの、少年に話があります」
「そうかよ」
じゃあ、と不敵な笑みを取り戻したヴェルナーが会話を受ける。
「飛んでるドローンを全部撃ち落としゃあ、この状況は解決するってわけだな。そうだろ?」
「その選択肢はお勧めしません。そうなれば我々も全力で阻止しなければならなくなりますので。今回は事を荒立てるために来たのではないのです」
「何だと……?」
ルカが軽く左の掌を差し出すような仕草をして、こちらの陣営にさっと緊張が走る。
「私もお訊きしたいことがあります。なぜ、あなた方が眠ってしまわないのか。我々は身につけた機器が生み出す振動によって、催眠波を打ち消しているのですが」
伸ばされた手は翻って首元に添えられ、黒シャツの襟をぐいと引っ張る。喉仏の張り出した首の根元には、小さいコインほどの大きさの、金属のボタンのようなものが張りついていた。説明から察するに、外部の催眠波の波を、そのボタンめいたものから生じる波で打ち消す、という原理らしい。ある音波に、正反対の山と谷を持つ音波をぶつけると波が消失するという、あれだ。
ヴェルナーは不敵な笑いをさらに深くする。
「あんたらの技術があんたらだけのものだと思うなよ」
そうして空いている方の指先で、初対面の日からずっと胸元に揺れている、黒いクロスのネックレスをとんとんと叩く。
「きっとこいつが働いてくれたんだろう。俺もいつそんな機能が実装されてたのかは知らねえがな。おたくらのそのボタンとおそらく機構は同じだ。この首輪は高性能すぎてね、俺たち組織の駒にゃ知らされない機能がたっぷりだ」
「なるほど。それは確か、あなた方の識別票代わりでもありましたか」
両陣営が納得する中、やり取りに着いていくので必死な俺は、ヴェルナーのネックレスが単なるアクセサリーではなかった、その一点に驚いていた。識別票ということは、ドッグタグに近いものなのだろう。彼の皮肉めいた言い方は、逆説的に切実なものを帯びていて、俺はまたヴェルナーたちとの相違を肌で感じている。
ルカがわずかに目を伏せた。
「それにしても――この催眠波は私どもの最新の成果なのです。既にあなた方が同じ技術を開発しているとは恐れ入りました。さすがは同じ穴の狢です」
そんな、挑発とも取れる台詞を真顔ですらすらと述べる。対するヴェルナーは獰猛に笑みながら、
「そうだな、蛇の道はへヴィーってわけだ」
「蛇ね、蛇」
本気なのか冗談なのか、小声でシャーロットに突っ込まれていた。
影のメンバーも彼らなりの方法で催眠波の効果を打ち消している。それは分かった。けれど、俺の疑問は解決されていない。
「自分はなぜ眠らないのか、という表情をされていますね」
不意にルカの両目が俺を捉えて、情けなくも肩がびくりと震える。悪寒が全身に広がって、目を背けたくなった。それをぐっと堪え、最大限の眼力で相手を睨む。ルカの目には何の感情も浮かんでいない。何も読み取れない、無機質な双眸。
「心当たりはありませんか。先ほどあなたの襟元に、我々が所持しているのと同じものを仕込ませて頂いたのです」
「……あ」
水を向けられ、心当たりならひとつしかなくて、声が漏れる。宣伝のために校内を回っていて聞いた、「初めまして」という声。急いた気持ちでシャツの襟裏をまさぐると、一円玉を数枚重ねたような形の機械がころんと掌に転がりこんできた。黒っぽい外見のそれは見た目より重く、金属のあわいから青い不思議な光がちかちかと瞬いている。これが、催眠波を打ち消す振動装置。
全然気づいていなかった。耳元に吹き込まれた男の囁き、あれがルカだったのだろうか?
今度こそ疑問が解消され、場にはお互いの次の出方をうかがう、じりじりと焦れるような時間が流れる。生徒たちが寝入ってから、どれほどの時が流れたのだろう。もう何時間も経った気がするし、実際はほんの十数分なのかもしれない。ほとんど身動きしていない体がぴきりと悲鳴を上げかける。
次に動いたのは、黒い来訪者の方だった。
「さて、お喋りはここまででいいでしょう」
冷酷に言い放ちつつ、一旦取った間合いを一気に詰めてくる。ヴェルナーの反応は迅速だった。派手なスーツを纏った影が、俺を庇うように立ち塞がる。
「止まれ。さもないと撃つ」
「どうぞ。私は構いません」
ルカはさあ、と言わんばかりに長い腕を翼のように広げた。そのあまりにも堂々とした立ち姿に、さしものヴェルナーも一瞬怯んだような素振りを見せた。
もしかしてこのルカという人間は、銃弾で風穴を空けても死なないのではないか? どうしてだかそんな風に思わせる、人智を超えた底の無さがそこにはある。
一瞬のうちに二者の視線は交錯しただろう。ルカはもう、手を伸ばせばヴェルナーの額に指が届く場所にいる。俺ですら感じる、息苦しいほどの圧迫感。真正面から相対しているヴェルナーのプレッシャーは、いかばかりか。
「そこをおどきなさい。さもなければ、あなた方の血潮をそこの少年に見せねばならなくなる」
低く、最後通牒めいた重苦しい響きだ。目の前の大きな背中が小さく揺れて、ヴェルナーが薄く笑っているのが分かった。こんな状況で笑える神経が分からない。それが仮に、虚勢であったとしてもだ。
「あんたみたいな大物を始末するチャンスを、俺たちがみすみす逃すとでも?」
「いえ。――しかしこの状況で争えば、眠っている人間が全員無傷というのは難しいでしょう。あなたたちも多少の犠牲は厭わないでしょうが、前途あるたくさんの若者を巻き込むのは本意ではないはずです」
ルカは理路整然とした言葉を連ね、ヴェルナーの熱を受け流す。その完全に平坦な物言いでは、前途あるたくさんの若者、というのが良い意味なのかどうか、即座には判断がつきかねるほどだった。




