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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
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僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(8/8)

 今日という日の、今という時が刻々と過ぎていく。俺は未咲と共に、体育館の入り口のすぐそばで、ミスコンの順番を今や遅しと待っていた。永遠に出番が来なくていいような、もう本番を早く済ませてしまいたいような、相反する気持ちが心臓をどくどくとき立てている。入り口の金属製の扉は固く閉ざされていたが、会場のボルテージが高まっているのが伝わってくる。率直に言って、ものすごく緊張していた。

 出番は一年からの組順なので、俺たち一年D組は四番目となる。この扉が開いたら最後、パフォーマンスは三年生の終わりまでノンストップで続く。ごくりと唾を飲み、汗ばんだ拳を無理やり開く。

「緊張してるの?」と傍らにいる未咲が訊いてくる。


「してるよ……目立つのは慣れてねえんだから。お前はしてないのかよ」

「してるよ。でも、楽しみ。グランプリ獲ろうね」


 ショートカットの下の表情はきりりと引き締まっていた。遥か彼方を真っ直ぐ見据えている、澄みきった瞳だ。ちょっとうちのクラスの男子では太刀打ちできないほどのイケメンに見えた。

 この文化祭では来場者投票があり、グランプリはクラス部門とミスコン部門それぞれに与えられる。クラス部門は水城先生のところの劇が圧倒的なクオリティで、ぶっちぎりの一位ではないかと既に噂されていた。グランプリを狙えるのはもうここだけなのだ。自然と代表全員の意気込みも変わってくる。


「でかいとこ出たな。ま……ここまで来たらやるしかないしな」

「うん。頑張ろ」


 未咲と頷き交わし、二人して一年C組の代表の背中を見た。前方にいる生徒たちはみんなそわそわしている。大丈夫だ、緊張しているのはみんな同じだ。

 俺は今、すべてのしがらみをかなぐり捨ててここに立っている。ただの未咲のパートナーとして。十数年にわたる幼なじみとの関係も、半年間の桐原先生との関わりも、長年人生を見つめてきた影との関わりも、今の俺には全部関係ない。こんなすっぱりした気持ちはいつぶりだろう。

 これが終わったら、俺は未咲や輝と対峙しなければならない。九条悟くじょうさとるがいるから、未咲は文化祭の準備で忙しいから、なんて自分に対する言い訳は通用しなくなる。ここを全力でやり遂げて、わだかまりのない心の状態で二人と向き合うんだ。

 決意を強く念じていると、とうとう俺たちへのコールがかかる。


「じゃあ、行ってらっしゃい!」


 未咲に背中をぱんと押される。振り向かずにそのまま数段の階段を昇り、会場へぐっと一歩を踏み出した。

 眩しかった。スポットライトが当てられ、一瞬何もかもが白飛びする。怯まずに歩みを進めると、こちらを見る人、人、人の姿が目に入る。可愛いー、という黄色い声を鼓膜が辛うじて拾う。体育館のライトは真ん中の列だけが点灯し、空間の真ん中にある円形のステージをぼんやりと浮かび上がらせていた。

 俺たちのパフォーマンスの筋書きはこうだ。俺は悪意を持った男どもに追われ、体育館に逃げ込んでいく。そしてピンチに陥ったところを未咲が颯爽と助けるのだ。体育館の後方にスタンバイしていた柔道部員の男子が、筋書きどおり三人がかりで掴みかかってきた。俺はステージ目指して慌てて逃げる。大きな掌が伸びてくると、真に迫って見えたのか、群衆からざわざわと声が漏れる。


「やめろ!」


 鋭い声を放ったのは、扉付近に仁王立ちした未咲だ。ライトが彼女を照らすと、かっと黒い影が浮かび上がる。腰に手を当てた勇ましい姿は、本当にヒーローそのものだった。俺は思わず息を飲んだ。現実のものとは思えないほど、頼もしさに満ちていたからだ。

 悪漢たちは未咲に向き直り、突如登場した正義面の優男に掴みかかる。しかしながら優男は手練で、悪漢より数段上手(うわて)なのだ。悪者の手はヒーローには届かず、BGMとして流れる音楽のリズムに乗り、逆に未咲が素早い突きや回し蹴りで華麗に撃退していく。実際には柔道部の連中が自分で倒れて受け身を取っているのだが、さすが運動神経が抜群な未咲との連携だ、かなりの迫真ぶりだった。会場のそこかしこから歓声が飛び、場がさらに盛り上がる。

 悪漢たちを全員()すと、ヒーローは包容力のある笑みを浮かべて、うずくまっている俺に手を差しのべる。少女の格好をした俺がその手を取ると、群衆はどっと囃し立ててきた。ああ、もう、完璧だ。未咲が俺をぎゅっと抱擁し、ライトがしぼんで消えたら、我々のパフォーマンスは幕切れとなる。

 しかし、ここで想定外が起こった。

 抱擁の直前で、突然がっくりと倒れ込んでくる未咲。俺を引っ張りあげようとした体から、ふっつりと力が抜けたように見えた。

 熱を持っていた全身が一瞬で冷える。反射的に華奢な体を抱き止めながら、ぶわっと焦りが湧いてきた。なんだ? 緊張しすぎて失神したのか? でもそうは思えなかった。聴衆も大騒ぎになったら俺は、どうすれば。

 一瞬のうちにそこまで考える。けれど、恐れていた事態は起こらなかった。ある意味、危惧した事態より恐ろしいことが起こった。

 ざわめくかと思った聴衆が、声を上げるいとまもなく、次々に未咲のように倒れ伏していったのだ。ばたばたという音は次第に大きくなり、やがて尻すぼみにやむ。ガンガンにかけられていたアップテンポの音楽だけが、人間をせせら笑うかのように流れ続ける。未咲は眠っているようだった。息も脈もあり、おそらく倒れた皆も同じだろう。でも、なぜ? 群衆が一斉に眠りに落ちるなんて、どうしてこんな奇妙な現象が?

 ぐるりと見渡しても、誰も彼も身動みじろぎをせず、目覚めているのは俺独りのようだった。体育館の外からも誰も来る様子がない。内心混迷を極めていると、不意に背筋に悪寒が走った。目の端に信じがたいものが映る。

 山羊頭。俺の忌まわしいトラウマ。

 体育館の側面にある扉をこじあけ、山羊の被り物を身につけた人間が、ぞろぞろと中に入ってくる。十人はいない程度だろうか。ハイテンションの音楽が頭に刺さるように響いて、過去の記憶が否応なしにフラッシュバックし、頭痛がぎりぎりと脳を締めあげる。あいつらは、敵だ。影の予見とやら通りに、俺を殺しに来たのか? 生徒や先生も巻添えにするつもりで。でも、未咲だけは。未咲だけは守らなければ。

 激しい頭痛と吐き気で視界が明滅してくる。俺は未咲を抱きかかえ、地べたに座り込みながら、ぎりぎりと山羊頭たちを睨み付けた。

 すぐにでも躍りかかってくるかと思われた彼らは、そうはしなかった。何故か床に敷かれたカーペットに沿って二列に並び立ち、恭しく山羊の頭を垂れる。

 あたかも悪魔の降臨を待つ召喚者のように。王族の御成りを待つ従者のように。

 嫌な予感が、視界の端を黒く塗り潰していく。冷や汗を垂らしながら、俺は見た。自分も通ってきた金属の扉をくぐって、おそろしく背の高い一人の人間が、つかつかと歩み寄ってくるのを。

 山羊頭の数倍、背筋がぞっと冷えた。背中に冷や水をぶちまけられたよう。得体の知れない、でも確実な恐怖。恐怖の塊が、こちらに近づいてくる。怖くて歯ががちがち鳴るのに、目が離せなかった。

 その人は、縦に細長くて、全身真っ黒だった。たぶんヨーロッパ系の外国人で、まだ若い男性だ――彼が死神でないのなら。顔だけが異様に白く青ざめていて、表情という表情が抜け落ち、一対の目だけが金色にぎらぎら光って見えた。彼の周りの空気だけ、数度低いのではないかと思わせる、凍てついたオーラ。山羊頭たちは、静かにその青年が行き過ぎるのを見送っている。

 俺の体の中心から、嫌悪感と無力感と恐怖心が吹き出していく。全身ががたがたと震える。来るな。来るな。こっちに、近づくな。

 そんな思いも空しく、真っ黒な青年が俺のすぐ前を塞ぐように立った。気力を振り絞り、下からきっとめつける。俺の格好に眉ひとつ動かすことなく、相手は冷酷にこちらを見下ろしていた。金属光沢のような、冷たい光が宿った目だ。その色に近い目を、猫のものでなら見たことがある。けれど、猫の目よりずっと人間らしさが感じられない無機質な目だ。

 暗闇の化身のような相手が身を屈め、俺に右手を伸ばす。体がびくりと凍りつく。殺される。こんなところで。ヴェルさんは近くにいないのか? 未咲に手出しはさせない。ぎゅうと幼なじみをかき抱き、息を詰める。涙が滲んだけれど、顔を逸らすことはしなかった。

 俺の喉元にでも絡み付くかと思った指先は、上に向けられた掌から、音もなくすうっと外に開かれる。

 まるで、そちらへいざなうように。そちら側へと、優しく迎え入れるように。

 黒い青年が初めて口を開いた。


「お初にお目にかかります。私はルカと申します」

「……ッ……」


 全身に怖気おぞけが走り、総毛立つ。相手の口調は至って平坦であるのに。

 青年はなおも続ける。


「茅ヶ崎龍介。我々は、あなたを歓迎致します」

「――は……?」


 状況に思考が追い付かない。かんげい。それはどんな意味だっただろう。やっと絞り出した声は、ひどくかすれていた。

 いつの間にか音楽は止んでいる。急に訪れた静寂の向こうから、虫の羽音のようなドローンの飛行音が、低く聞こえてきていた。

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