僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(7/8)
距離にして五メートルほど。人の流れのただ中で立ち止まっている人影は目についた。明るい髪色の、私服の若い女性。大学生だろうか。彼女はこちらにおずおずと近寄り、あのう、と声をかけてくる。なんだろう、相手に強烈な既視感がある。
「すみません、一緒に写真って撮ってもらえませんか?」
その声を聞いて、一気に思い出が甦ってくる。夏休みの合宿のとき、やたらぐいぐい距離を詰めてきていたあの大学生だ。下手に出ている彼女を見て、思わずふっと笑ってしまう。
「久しぶりですね。来てたんですか」
「えっ……男の子……?」
「いやいや、俺ですよ。茅ヶ崎龍介。夏休みの時に会った……」
「あ、ええ! 龍くん?」
女子だと思っていたのか。自分の顔を示して苦笑すると、相手の目が真ん丸になり、なんだか可笑しい気持ちになった。すごーい、と言いながら、彼女が前から横からしげしげと見つめてくる。うう、それはかなり恥ずかしい。
「いやもう、モデルみたいに綺麗な美少女がいるから一緒に写真撮っておかなきゃ! と思ってさー。すごいねえ龍くん、めっちゃ美人~。あ、てことはミスコン出るの?」
「ああ、まあ、はい」
「そうなんだ! じゃあ、しっかり見とかなきゃね~」
「別に見なくてもいいんですけど……」
楽しげな彼女と相対していると、用件を済ませた輝がちょうど姿を現す。二人は「あ、輝くんだー。おひさー」「あれ? お久しぶりですね」などと朗らかに挨拶を交わしているが、輝の方はなぜか目が笑っていない。ように見える。
「今ね、すごい美少女がいると思って、一緒に写真撮ってもらおうと思って。そしたら龍くんだったんだー」
「それなら、僕が写真撮りますよ、このカメラで」
輝は首に提げっぱなしの一眼レフを掲げてみせる。それを見て女子大生の顔がぱあっと明るくなる。どうしてこいつはそんなにサービス精神旺盛なんだ。中身は鬼畜のくせに。
人通りが少ない場所に移動し、二人で被写体となる。隣からほのかに香水の匂いが漂ってくるのが落ち着かなかった。加えて相手が腕を絡ませてきたり、頭を肩に預けてきたりするのだからたまらない。なんで女子の格好をすると女性はガードが緩くなるのだろう。不思議だった。
「じゃあ、写真が出来上がったら太田くんに渡しますね。そうすれば太田くんのお兄さんから届けられますよね?」
「うん! ありがとう~」
女子大生は上機嫌で去っていった。ふー、と息をつきながらふと輝の顔に視線をやると、反射的にびくりと肩が跳ねる。輝が暗い笑みを浮かべ、それが悪の親玉のように見えたからだ。え、何、こわ。
ほほえみながら、その目元は全く笑っていない。
「良かったね、龍介。これはチャンスだよ」
「チャンスって、何の――」
「君もさっきの彼女に目を付けられてるって気づいてるだろう? 彼女にミスコンの場で、君には未咲しかいないって見せつけるんだよ。すっぱり諦めがつくくらい、圧倒的な密着ぶりでね」
輝の圧に思わずたじろぐ。圧倒的な密着ぶりとは何だ。いつの間にか廊下の壁際にじりじりと追い詰められていて、幼なじみの豹変ぶりに、口の端がひくりと引きつる。
「いいかい? 龍介、これは君のためでもあるんだよ」
「俺のためって――」
「彼女に言い寄られたら困るだろ? まさか、彼女と付き合いたいとか、心があっちに傾いてるとか、そんなことはないよね」
「そ、れはない」
「なら」
「わ……分かったよ……」
元々彼女に知り合い以上の感情を抱いてはいなかったが、気迫に負けて頷く形になる。もしかしてこいつ、あの女子大生を諦めさせるという口実に、俺に積極的になれと焚き付けてるだけじゃないのか? ずっと俺と未咲をくっつけようと画策してきて、痺れが切れたのか。
俺が受け入れると、即座に輝の態度が軟化する。僕もますます楽しみになってきたよ、とにこにこ顔の輝の傍らで、こいつは一体どこまで計算ずくなんだ、と空恐ろしくなった。
午後のミスコンは最も大きい体育館、第一体育館で行われる。下見のために輝と二人で訪れたそこは今、人々の熱気とバンドの爆音で満たされていた。
思わず体を動かしてしまいたくなる、テンポの速いリズムをベースとドラムが刻み、そこに高く咽ぶようなギターが重なる。脳が直接揺さぶられそうだ。曲は有名なJ-POPのロックアレンジであるらしい。軽音楽部か、学生バンドだろうか。見たこともない色とりどりのライトがステージ上の彼らを照らしていて、まるで別世界の住人に見える。演奏自体は拙い部分もあるのだろうが、生音の肌感覚は凄まじかった。
輝と体育館の後ろの壁際に陣取り、拳を突き上げている聴衆を横目に、ミスコンでは入り口から赤いカーペットがどう敷かれるだの、最初は俺が一人で会場に入っていくだのとこそこそ最終的な打ち合わせをする。未咲とは昨日、会場の準備をする段階で相談は終わっているそうだ。
一通り流れを確認したところで、ステージでは一般的なライブよろしく、出番の終盤にバンドメンバーの紹介が始まった。ボーカルの顔は汗びっしょりだが、とても良い笑顔を浮かべているのがここからでも分かる。
「僕たち『ELEGEIA』の演奏はどうでしたかー! 最後にあと一曲、僕らが作った曲をやります!」
沸き起こる大歓声。体育館全体が揺れるほどの。
「聴いて下さい、『ストラトスフィアを越えて』!」
小刻みなビートのイントロが流れる。抑えた音量だが何かこれからすごいことが起こる、そんな予感に満ちていた。体全体でリズムを取る彼らは本当に生き生きとしていて、楽しそうで、きっと衒いなく自分を物語の主人公だと思っているのだろう。それを距離以上に遠くに感じながら、つい青春だなあ……と呟いてしまう。
「僕としては、龍介も十分に青春の真っ只中にいるように見えるけど?」
「いや、俺は――」
微笑しながら問うてくる輝に、肯定を返すことはできない。
なあ輝。俺はそれよりも、考えてしまうことがたくさんあるんだ。みんなが知らないはずの世界の姿とか。よく知っているはずの人のもう一つの顔とか。何年も前から他人の手で定められていた、俺の人生とか。運命だとか、思惑だとか、陰謀だとか。そういうことを、たくさん。
そんなことは口に出せるはずもなく、胸に渦巻く言葉を全て飲み込む。
すると輝は、何もかもを見透かすような柔和な表情で言った。
「龍介。君には、何か僕にも言えないことがあるのかい」
「あ……」
まずい。今の、もしかして口に出てたのか? 慌てて取り繕うとすると、ふっと輝が寂しげに笑う。
「君の考えてることは分からないけれど――でも、ずっとそばにいた僕としては、隠し事があることすら隠されるのはちょっと悲しいな」
「輝……」
「幼なじみの僕にも言えないことを、君が黙っているのは全然構わないんだ。秘密は誰にでもあるしね。でも、『隠し事をしてます』って隠さないで堂々と言ってもらえたら、安心できるんだよ。僕も、未咲も」
「……」
俺は輝の目をじっと見た。その両目をこんなに真剣に見つめたのは初めてかもしれなかった。ぐっと拳を握り、切々と歌い上げられるマイナーコードに負けないよう、腹に力をこめる。
「ごめん、俺、隠し事をしてる。お前にも、未咲にも。でも、いつか話せる時が来たら、二人にはちゃんと俺の口で言うから、それまで待っててほしい」
輝は数拍間を置いて、「うん」と朗らかに頷いた。
「その時を待つことにするよ。確かに聞いたからね。……そろそろ教室に戻ろうか。きっとみんな首を長くして龍介を待ってる」
「ああ……行くか」
教室へ向かおうと踵を返したところで、輝はちらりとこちらを見やった。
会場を包む音楽が、短調から長調に軽やかに変わる。
「それにしても、僕が女子だったら龍介の真剣さに惚れてたかもね。君がそんな格好じゃなければ」
掴みどころのない幼なじみは、そこでさりげなくぱちりとウインクを飛ばす。
言われてみれば、とひらひらするスカートと肩の下で揺れる髪を見下ろす。これ以上格好のつかない格好もそうないだろう。
「それは褒めてないだろ? 馬鹿にしてるんだよな?」
「事実を言っただけだよ」
輝は肩を竦め、もう俺は苦笑いするしかなかった。




