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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
93/137

僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(6/8)

 * * * *

―水城麗衣の話


 午前十時に一般の開場が始まり、近隣の高校生や保護者と思われる人たちが続々と集まってくる。人々のざわめきは波となり、校舎のそこここへと広がっていく。

 私は十時半から劇を披露する生徒たちの担任として、成功を祈りながらステージの前に座っていた。ここ第二体育館は、うちのクラスの貸し切り状態となっている。私の受け持つ生徒たちが、劇とダンスを組み合わせた演目をあの舞台で披露するまで、あと十分もない。

 練習はちょこちょこ見かけていたが、先生を驚かせたいという生徒たちの意向で、内容は今でも詳しくは知らなかった。生徒や教師へ向けての詳細な公開もされていない。それでも、外部講師を呼んで本格的な練習をしたという噂と、生徒の地道な宣伝が実を結び、(あまね)高校内の関係者を中心に、相当数の観客を集めていた。演目のタイトルは『静かな海の真ん中で』。

 今はまだ、月面の様子を描いた書き割りだけが、聴衆の視線と喧騒とを受け止めている。

 上演を待つ私の肩を、とんとんと叩く人があった。振り返れば、ザ・好い人代表みたいな男性の顔がある。


「水城さん、生徒さんたちの演技をしっかり見てて大丈夫ですからね。俺がちゃんとカメラ回しときますんで」


 録画用のカメラを片手に、そう言ってぐっと親指を立てるのは、隣のクラス担任の長谷川先生だ。

 彼は桐原先生の赴任当初から、私と桐原先生の仲を応援してくれていた。最初に二人きりで話すきっかけを作ってくれたのは彼である。その後、主にヴェルナーさんの計らいで、私たちはくっつくことになったわけだが、長谷川先生が我々の仲を進展させる契機を作ってくれたことは確かなので、感謝しないといけないだろう。

 ありがたい申し出に、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます。じゃあ、お任せしちゃいますね」

「任せて下さいって! 後で桐原さんと一緒に見て下さいよ。それにしてもびっくりしました、いつの間に水城さん――」

「はせっちー、水城ちゃんに気に入られようとしてんのー?」


 長谷川先生が言いかけたところに、彼のクラスの生徒が割り込んでくる。受け持ちの生徒を十人ほど連れてきてくれたのだ。長谷川先生を囲む生徒たちは、含み笑いのように一様ににまにまと笑っている。


「だめだってー、水城ちゃんはもう桐原先生のものなんだから。ねっ」

「はせっちのスペックじゃ桐原先生とは勝負になんないよー」

「あのなあ、そんな下心はありません! もうすぐ始まるから静かにしてなさい」

「あ、はは……」


 相変わらず長谷川先生と生徒は友達みたいに喋る。それだけ彼が愛されていることの証左だろう。

 それより、私はなぜ我々の関係を学校のみんなが知っているのかがずっと気になっていた。自分の想いを桐原先生に告げた直後から曖昧な噂は立っていたけれど、彼から交際を申し込まれたのとほぼ同時期に、いよいよあの二人はくっついたらしいとの話が生徒を中心に急速に広まったようなのだ。あまりにタイミングが良すぎる。

 知られて困るわけでもないけれど、相手が入院もしていることだし、私はしばらく秘密にするつもりだった。桐原先生だって無闇に他人に言いふらすとは考えられないし、私たちの関係を知っているのはシャーロットさんとヴェルナーさんくらい。ただ、ヴェルナーさんなら、桐原先生の携帯電話やパソコンを使って、噂を広めるくらいはできそうだ。根拠もなしに他人を疑いたくはないけど。

 実は、私たちが恋仲になったと知られたことで、ちょっとした影響があった。あまり接点のない同年代の女性の先生から、棘のある視線を送られることが何回かあったのだ。こっそり桐原先生を狙っていたらしい。噂話は彼女たちへの牽制になっているとも考えられ、ヴェルナーさんはそこまで考慮していたのかもしれない。うん、根拠はないけどあり得そう。

 生徒たちの私への言及はいつの間にか止み、今度は話の中心は長谷川先生に移っている。


「まっ、桐原先生みたいなイケメンよりはせっちみたいな普通フッツーの顔が好きな人もいるって! わかんないけど」

「そうそう! はせっちにも絶対いい人見つかるってー、わかんないけど」

「うるせー、未成年からの気休め言われたって慰めになんねえよ」

「え、慰めてないし。茶化してるだけ」

「よりたちが悪いわ! ほら、もう前向いてろ。時間になるぞ」

「はーい」


 長谷川先生たちの会話にくすくす笑いながら、自分も前に向き直る。思えば、文化祭の出し物について初めて桐原先生と話をしたときから、自分を取りまく状況は劇的に変化した。体育館の明かりが落とされていくのを見ながら、感慨深く感じてしまう。

 劇場でよくある、ビーッと長く響くベルの音がどこかから鳴った。とうとう舞台が始まるのだ。


 * * * *

―茅ヶ崎龍介の話


「一年D組、教室で深海カフェやってまーす。来てね」


 人混みの中を歩きながら、傍らの輝が声を張り上げる。執事姿の彼の首にはリュウグウノツカイなる深海魚のぬいぐるみが巻き付いていた。俺はプラカードを掲げつつ、その影に隠れるようにしてこそこそ歩いている。が、やはり視線が気になる。周囲の人間が全員こちらを指差してひそひそ話しているのでは、そういう気分だ。大部分は被害妄想だろうが、実際じろじろ見られているのは確かだった。


「龍介、堂々としてなよ。恥ずかしがってると余計目立つよ」

「そんなこと言ったってなあ……」


 輝が小声でアドバイスをくれるが、そもそも自分は人前に立つのがとても苦手だ。普通の格好でもそんななのに、ましてやこんな姿では……。


「だって午後には全校生徒の前に立つんでしょ? 少しでも慣れといた方がいいよ。堂々としてれば完全に女の子に見えるんだし」

「それは褒めてんの? けなしてんの?」

「事実を言っただけ」


 にこやかだが何を考えているのか今一つ分からない輝に付き添われ、二年生の教室が並ぶ二階の廊下を進んでいく。どこもかしこも大盛況だ。窓から屋上の方を見ると、相変わらず黒いドローンが行ったり来たりしている。誰が操縦しているんだろう? ドローンは一機でなく、いつの間にか四、五機に増えていた。


「あれ? 上宮かみや?」


 歩みを進めていると、教室から出てきた二年生に輝が声をかけられる。先輩は輝に出し物を見ていけと言う。輝が手早く説明してきたところによれば、彼は部活の先輩であるらしい。つまり彼も生徒の秘密を嗅ぎ回っているやばい人だというわけだ。

 輝は俺にも展示を見ていこうと誘ってくれたが、生憎服装も相まってそんな気分になれそうもない。首を横に振り、教室の外でしばらく待つことにした。

 人の流れから一歩離れ、案内の冊子を手に行き交う人々をぼんやり眺める。プラカードをひっくり返して足元に下ろすと、こちらに注目してくる人は驚くほどいなくなった。今は客寄せパンダとしての役割をしばし放棄してもいいだろう。気疲れを感じ、無意識のうちに瞼が重くなってくる。

 その時だった。


「初めまして」


 そう、耳元で小さく囁かれた気がした。

 男の声だっただろうか。はっとして周囲を見渡すが、先ほどとは面々が違う変わらぬ人の流れがあるだけ。気のせいかな、と思って息をつくと、こちらをじいっと見ている人の存在に気がついた。

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