僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(5/8)
何人ものメイド姿の女子に囲まれながら、衆人環視の下で化粧をされる。訳が分からない。公開処刑だろこれ。
「ねー、BBクリーム要ると思う?」「もはやパウダーだけで良さげじゃん? 茅ヶ崎くんめっちゃ肌綺麗だし」「ほんと羨ましいわあ。ねえ、アイシャドウ何系がいいかなる」「リップはどうする? 自分的には薄づきがいいと思うんだけど~」
きゃいきゃいと近くで交わされる会話が微塵も理解できない。化粧品は少し甘い良い匂いのするものが多かった。顔の上で柔らかいものが行ったり来たりするのがくすぐったく、まるで自分が絵の具を塗りたくられるキャンバスになった気分だ。
いつもメイクの濃いクラスメイトには近づきがたい印象を持っていたが、こうしているとそんなに怖い感じは受けない。おそらく俺もそのような印象を持たれていたのだろう、群衆の空気が「茅ヶ崎にあんなことして大丈夫?」から「なんだ、茅ヶ崎もけっこう普通の人じゃん」へと軟化していくのを肌で感じた。
考え事をしつつぼんやり身を任せていると、「マスカラ塗るね~。目閉じないで、あと動かないでね。目に刺さったら超痛いから」との声かけに「ひいぃ」と思いながら目を見開く。気づけば、どうしてだか教室の人口密度がますます増していた。うちのクラス以外の生徒も見物しに来ているらしい。くそ、見世物じゃねえぞ。
衆人の中に、いつか一緒にテスト勉強した弓道部の女子二人を見つける。その後ろから、同じクラスでこれまた弓道部の太田がしげしげと俺を見つめていた。もしかして呼んだのか。わざわざ別のクラスから。これは恨み言のひとつやふたつ、ぶつけたって構わないだろう。
「太田……何見てんだよ……」
「あ、ごめんごめん。なんか新しい扉が開く人がいそうだなーって思いながら見てた」
「やめろ……」
新しい扉って何だよ。
もうこの場から逃げ出したい気持ちになっていたが、眼前にマスカラのげじげじした房が迫っている今、目を閉じることすらできはしない。俺の顔面はどんな仕上がりになっているんだ、と不安に駆られながら拳を握り、この羞恥の時間を耐える。
ようやくメイクも終わり、ロングのウィッグを被せられたところで、おそらく文化祭実行委員会の仕事で駆けずり回っていた未咲が空き教室にやってきた。俺は首筋や頬にかかる自分のものではない髪の感触にぞわぞわしていたのだが、未咲の顔を見て、そんな違和感が吹っ飛ぶほどぎょっとなる。未咲の髪が、昨日より十cmほど短くなっていたからだ。元々肩口くらいだったのに、今は耳から下の輪郭がすべて露になるほどのショート丈になっている。そのシャープな輪郭を見て、意図せず心臓がどきりと跳ねた。
「お前、それ……」
「え、すご! 龍介めっちゃ可愛くなってるじゃん」
俺の言葉尻を奪い、未咲が逆に勢い込んでくる。でしょー? と得意げなメイク担当の女子たちに、激しく頷く未咲の目は、きらきらを通り越してぎらぎらと輝いていた。なんでそんなに嬉しそうなんだ? 俺の顔面は一体どんな仕上がりになっているんだ。
「いやそれより、お前の髪……今日だけのために切ったのかよ」
「えーこれ? これもウィッグだよ?」
未咲が不思議そうに髪の毛先をいじる。へえ……、と相槌を打ちながら、自前の髪より短く見せることもできるのか、と妙に感心してしまう。
そのうちにつかつかとこちらまで近づいてきた未咲は、俺の腕を取って立ち上がらせ、いきなり体を密着させてきた。おい、公衆の面前なんだが? 周りがわっと沸く。
緊急アラートが鳴り響く脳内。対してあまりの非常事態に硬直する体。
そんな俺の傍らで未咲は、自身の携帯電話を取り出して上方からかざす。
「せっかくだから写真撮っておこ!」
ああ、そういうことね、と安心――はしなかった。
インカメラ越しに自分の今の顔が目に飛び込んできて、反射的に肩が跳ねる。誰だこの、自分にそこそこ似てはいるが見覚えのない女子は。はっきりしていてかつ濃くはないアイメイクに、頬はうっすら色づき、唇はつやつやと桃色に光っている。ああ、女子だ――完全に女子に見える。化粧ってすげえな。
クオリティの高さに思考停止する俺に構わず、未咲はますます密着度を高めてシャッターをバシャバシャ切っている。おい、やめろ。そんなにくっつくな。胸のあたりを腕に押し付けるな。中身は今までと変わらないただの男だぞ。
「写真ならもっとちゃんとしたので撮ってあげるよ」
と要らん提案をしてきたのは写真部兼新聞部の輝である。既に立派なデジタル一眼レフを構えており、こちらの返答など求めていないのは火を見るより明らかだ。
同学年の大勢の生徒がほほえましげに見守る中心で、未咲はポーズを決めまくり、俺は棒立ちになっている。何なんだこれは。
十枚くらい連写され、輝がカメラの液晶を見せにくる。まあ細かくは分からないが、顔回りだったり足元まで写っていたりバリエーション豊かだ。さすが本業……と思ったところで未咲があーっ! と高く叫ぶ。こいつは何回俺を驚かせたら気が済むんだ。
「な、何だよ」
「制服! このままじゃ駄目じゃん、龍介とわたしでウエスト合うかな」
と言い終わらないうちに、未咲はスカートのファスナーを下ろし、いそいそと脱ぎ始める。おいおいおい。
「ここで脱ぐなよ!」
「なんで? 下にスパッツ穿いてるもん」
「そういう問題じゃ……そういう問題なのか?」
混乱の連続で正常な思考がどこかに行ってしまっている。未咲は大胆に太ももを晒し、脱いだばかりのスカートをずいと押し付けてくる。こいつの素足は目に毒だ。視線を微妙に逸らし続けている俺に、未咲は最後通牒のように言い渡す。
「龍介も脱いで」
いやいやいやいや。
「ほら、早く」
「いや、おかしいだろ! こんなに人が見てんのに……」
「スカート穿いてから脱げばいいじゃん。わたしも寒いんだけど?」
「寒いのは勝手にお前が脱いだからだろ! ああもう、分かったよ……」
スカートをひったくるように受け取り、体温の残るそれをごくりと見つめる。皆が期待の目で見ているのが分かる。化粧をしてくれた女子の一人が、にっこりと笑いながら訊いてくる。
「茅ヶ崎くん。脚、剃ってきた?」
自分の口元が引きつった。
クラスメイトからの指令とはそれだ。当日に脚をつるつるに剃ってこいというもの。当然俺は脚の毛など剃ったことはなく、ドラッグストアで体用の剃刀(女性用)を買い、風呂場で黙々と処理をする一連の行動のあいだ、謎の羞恥と敗北感とに苛まれていた。脚を剃ると、スラックスを穿いた際に、布がまとわりついてくるような違和感があることも知った。別に知りたくもなかった。
俺は顔を引きつらせながら無理に笑ってみせる。虚勢というやつだ。
「あー、剃ってきた、よ……」
「えー、早く見せて!」
なぜお前のテンションが上がっているのだ、未咲よ。
もう四の五の言ってもいられない。まごまごしていたら恥の時間が伸びるだけだ。俺は意を決してスカートに足を突っ込み、ウエストのホックが掛けられることに自分で若干引きながら、下のズボンを引き抜いた。
おおーっと観衆からよく分からない歓声が上がる。
「いよっ! 男前!」とおじさんみたいに囃し立てたのは太田だったろうか。この格好で男も何もあったもんじゃない、絶対皮肉だろ。未咲はわざわざ腰を屈めて俺の脚を観察している。もうやめてくれ、全部。
「脚ほっそ! シルエットもめっちゃ綺麗だし! いいな~羨ましいな~」
「男に羨ましいっておかしいだろ……」
人生初のスカートは人生一恥ずかしかった。下から入ってきた風がそのまま通り過ぎていき、その過剰な風通しの良さに不安になる。無防備すぎるだろこれ。スカートやばいな。
「よしっ、もう一回記念撮影会! みんなも入って入って~」
スラックスを穿き終えた未咲にまたも引っ付かれ、まあでもミスコンは午後からだからそれまでは教室のバックヤードでひっそりしてよう、と現実逃避気味に考えているところに、無情な指令が再び下る。
「茅ヶ崎くん思った以上に可愛いから、校内回ってうちの深海カフェの宣伝してきて! プラカードはこれね」
差し出されたプラカードを見、ずいぶん気合いが入った出来だなあ、と遠いところで思いながら、もはや笑うほかなくそれを受け取るのだった。
これが青春ってやつなら、俺は全力で逃亡したい。




