僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(3/8)
「えっ……それは、どういう」
甘い返答を半分予想していた私は、桃色の唇から紡がれた、おおよそアクセサリーには似つかわしくない単語に虚を突かれる。首輪って? どういう意味だろう。
シャーロットさんは口の端だけで笑む意味深な表情をしながら、私に向かって軽くウィンクした。
「詳しくは言えないわ。女は秘密が多い方が素敵でしょ?」
気取った言い方に、私の心は逆にしゅんと沈む。彼女と生活を共にして一緒に服も選んで、だいぶ距離が縮んだ気がしていたけど、所詮私とシャーロットさんは違う世界に生きる人間なんだ。その事実をまざまざと突きつけられ、舞い上がった自分をたしなめられた気がした。
冷めてきたコーヒーで喉を潤し、気を取り直して明るめの声音で話題を変える。
「あの……そういえば、シャーロットさんってスーツが好きなんですか? いつも決まってて格好いいですよね。似合ってる」
「そう?」シャーロットさんは思いがけないことを言われたとばかりに、大きな目をしばたかせ、
「好きとか嫌いとか……あまりそういう観点で考えたことが無かったわ。そうね――好きか嫌いかで言えば、好きではないわね」
「え? そうなんですか?」
今度はこちらがきょとんとする番だった。シャーロットさんのスーツ姿はぱりっとしていて一分の隙もなく、どんな場所でもあれ? ここはランウェイかな? と勘違いさせるほどの完璧さなのだから。
「仕事中だから、仕方なく着ている感じかしらね」
「あー、スーツ着用って決まってるんですか」
「いいえ……規定として文言があるわけでもないわ」
「じゃあ、どうして……?」
そうね、と言葉を探しながら、シャーロットさんは顔を俯ける。華のある表情が陰り、目の下に睫毛の影が落ちる。
「言うなれば、これは武装なの」
武装、と鸚鵡返しに呟くと、美しく青い瞳がこちらを見つめ返してきた。
「そう、武装よ。私が身を置いている組織はね、私と数人を除くと全員が男性なの。時代遅れだと思うかもしれないけれど、力と体力勝負の組織ではそれが現実。その中で男性と同じくらいか、それよりもっと大きい責務を果たしていくという覚悟を、私は着ているのよ。男性から舐められないように、という意味もあるわね。……いずれにしろこれは、男社会に身を投じる決意を着ているということなの」
張り詰めたシャーロットさんの声に圧倒された。そんな強い気持ちを持って、服装を選んでいるなんて。
でも、と思う。どこか違和感がある。悲壮な志を持った彼女の顔に、さっきの無邪気で素直な彼女の表情が重なる。
「なるほど。……でもそれって、ちょっと変じゃないですか?」
考えもまとまりきらないまま、口が自分の感覚に従っていた。説明に異議を唱えられたシャーロットさんの眉間に浅く皺が寄る。
ぐ、と両手でカップを握りながら、一言一言単語を選んでいく。
「服が武装だっていうのは理解できます。私も良い服を着たり、メイクをしたり、ネイルを変えたりすると精神的に強くなる気がする、というか自信が付きますから。でも、シャーロットさんのは……男性と同化しようとしてるってことじゃないですか? スーツが好きで、好んでその格好を選んでるなら変だなんて思わないんです。でも、組織のために好きでもない、決まりでもない格好をしているなんて……それって何というか、勿体なくないですか? あんなにいろんな服が似合うのに」
シャーロットさんはじっと私の言葉を聴いている。もう眉根を寄せてはいない。お互い、真剣だ。
「スーツを着るのが悪い、とは思いません。でも、シャーロットさんは本当は、今日買ったみたいな服がお好きなんでしょう? だったら周りを気にせずにどんどん着たらいいって私は思うんです。組織のこと、全然知らない私が言うのもなんですけど、男性社会のなかで逆風が吹いても、シャーロットさんなら実力ではね退けていけるんじゃないでしょうか」
勢い込んで拳をぐっと握る。相手の目は丸く見開かれていた。
綺麗なワンピースを着たシャーロットさんが、スパイ映画のようにひらりひらりと攻撃をかわし、邪魔者に打ち勝っていく様子が目に浮かぶ。それは百パーセント私の妄想だが、彼女の姿はきっととても格好いいだろう。
「それに何より――強くて可愛い女性って、最高じゃないですか?」
にこりと笑いながら問いかける。怒られるかも、という可能性は考えていた。何も知らないくせに、勝手なことを、と。
でもシャーロットさんは眦を吊り上げるどころか、不意を突かれたとばかりにまじまじと私を見ていた。彼女が何も言わないので、なんだかどきまぎとしてくる。前方に傾けていた体を椅子に戻し、縮こまるように両手を膝に揃えた。
「す、すみません、偉そうなこと言って……」
「いいえ、謝らないで」
柔らかなシャーロットさんの声にはっとする。見ると、彼女はテーブルの方に顔を向け、こくこくと小刻みに頷いていた。何かを確かめるように。何かを自分に言い聞かせるように。
「あなたの言うとおりかもしれないわ。そうね、男の顔色を窺う必要なんてないのよ ね。好きな服を着て、他人に何か言われたら実績で突っぱねていけばいいのよね」そこで私に向き直り、飾りではない満面の笑みを浮かべ、「目が覚めたような気がするわ。レイ、気づかせてくれてありがとう」
「い、いえ、そんな大層なことは……」
日本人の性として、こんなとき恐縮せずにはいられない。
あたふたと体の前で手を振る私を、シャーロットさんは頬杖を突き、首をやや傾けて見る。まるで眩しいものを見るときみたいに、目元を優しげに細めて。
「ふふ。やっぱり私、あなたのこと好き」
かっと頬が熱を持つ。慌てふためいた私は、せめて熱を持つ頬を隠そうと、コーヒーカップを取り上げた。
* * * *
―ルカの話
睡眠が必要ない体になっても、ルカは最後に見た夢の内容を覚えている。
エコノミークラスの窮屈な座席に長身を押し込めるようにして、今ルカは機内で目を閉じている。日本へ向かうジェット機はほぼ満席だ。安定飛行に入り、乗客たちはそれぞれ思いおもいに過ごしているので、そのざわめきが耳まで届く。
組織の金ならいくらでもあるが、極力目立つのを避けるため、飛行機はエコノミークラスを選択するのが通例だった。無論、搭乗する際に使ったパスポートは己のものではない。が、偽造というわけでもない。この世には誰にも、何にも顧みられずに消えていった存在が掃いて捨てるほどある。"罪"では彼らの身分を拝借しているというわけだ。
偽造するのはむしろ、顔の方である。"罪"と、秘密裏に"罪"へ資金を提供する各国の技術力があれば、整形などなしに顔写真そっくりの顔を作るなど造作もないことだ。今ルカは、気の良さそうな三十代の男の顔をしている。ただし、その表情は氷のように凍てついているのだが。
ルカは瞑目しつつも、眠っているわけではなく思索しているだけだった。瞼の裏側に幻の八十八鍵を思い浮かべ、想像の十指でそれを奏でる。心に浮かぶ曲を思うままに弾いていると、最後の眠りで得た追想が立ち現れていく。
――最後の夢は、我が主の思い出ばかりだった。




