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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
9/137

僕らのこと 君との距離(2/2)

 その時、右手の職員室の扉が開いて、男性教師が出てくる。反射的に顔を見ると、担任の桐原先生だった。今日はよく人と出くわす日だ。

 目礼して通りすぎようとしたが、ちょうどよかった、茅ヶ崎、と声をかけられて先生に向き直る。


「この前配布した進路調査票のことなんだがな。提出期限が明日になっている。実を言うと私のクラスで提出していないのは君だけなんだ」

「……ああ」


 今思い出した、わけではない。調査票はずっと、制服のポケットにしまわれている。

 この高校は進学校ゆえ、文理選択の時期が早い。一年生のこの時期に、そんな重要な選択を迫られるとは思ってもいなかった。

 それに加え調査票には、私大、国公立大、専門学校のいずれかに丸をつけるところがあり、学校名を書く欄が設けてある。俺は進路についてまだ何も考えておらず、そこに手をつけられる気がしなかった。渡されたその日に理系に丸をつけたものの、提出できずにいたのはそのせいだ。


「すいません、理系に進もうとは思ってるんですけど、志望校とか全然考えてなくて……」


 先生がふっと表情を弛める。


「それで大丈夫だ。今回は文理どちらなのかだけで構わない。それも決定ではないしな。来年のクラス編成に関わるから、ある程度の傾向を知りたいだけだ」

「──そうなんですか」

「この時期に全員の志望校なり進路なりが決まっているとは教師も思っていないよ。それらについてはまた機会があるとき話そう」


 こくりと頷く。少し胸のつっかえが取れたように思えた。進路調査票のことで、実をいうと少し悶々としていたのだ。

 心に幾ばくかの余裕を取り戻した俺は、はたと気づく。そういえば、桐原先生と九条の背格好は似ている。先生の方がわずかに身長も高く、肩幅もあるが。

 バスケ部に入らない? と問う九条の声が耳に甦る。

 スポーツをやっていると、背が伸びるのだろうか。


「あの」

「ん?」

「先生は、何かスポーツやってましたか」


 先生は怪訝な顔をした。


「どうした、唐突に」

「いや、ちょっと、気になって」

「そうだな……」


 少々の間を置いて、


「スポーツというか……武道のようなものを、昔な」


 先生が答えた。


 * * * *

上宮かみやひかるの話


 廊下で話す龍介と桐原先生を、曲がり角から未咲と僕はこっそり見ていた。


「担任と話すときの龍介ってなーんかいつもと違うよねー。素直っていうかさ」


 未咲は心底面白くなさそうな顔だ。


「桐原先生って他の先生とちょっと雰囲気違うよね」

「そう! あんな性格悪い奴見たことないし!」

「そういうのじゃなくて、どことなく浮世離れしてるっていうか……本心が掴めない感じ。眼鏡だってたぶん伊達ダテだし」


 未咲が驚きの表情を浮かべて僕を振り返る。


「え、分かるの?」

「うん、顔を斜めから見たとき輪郭が歪んでないでしょ! 度が入ってるなら歪むはず……あ、先生は昔武道をやってたらしいよ」

「え、分かるのる」


 僕たちがいるところからは、二人の会話はほとんど聞き取れない。未咲が驚くのも無理はない。


「うん。読唇術が使えれば簡単」

「えっ輝、心が読めるの!?」

「心じゃなくて、唇の方の読唇術ね」

「なーんだそっかー」


 すんなり納得した未咲に対し、疑問を持つことを知らないんだなあ、と僕は苦笑を漏らした。


 * * * *

―茅ヶ崎龍介の話


 結局、輝と未咲と同じ電車に乗り込んだものの、ずっと上の空の状態だった。二人の会話も全然覚えていない。気づいたら自宅の玄関の前にいたような有り様だ。

 家に入ると、母の涼子が鼻歌を歌いながらキッチンに立っていた。帰宅した俺を認めて、おかえり龍ちゃん、と歌うように言う。


「……ただいま」


 涼子は憂うべきことなどこの世にない、といった泰然自若の体で夕食作りにいそしんでいた。その横を通りすぎて二階の自分の部屋へ向かう。

 ドアを閉めるか閉めないかのうちに、適当に鞄を投げ出した。ベッドに倒れこむように横になり、ふーっと息を吐き出す。

 ──疲れたな。   

 胸の内側がもやもやする。これを何と呼ぶのか俺は知らない。分からない。誰か、教えてほしい。

 目を閉じると、二人の幼なじみの顔が浮かんでくる。輝の口が蠢いて、"後悔するんじゃない?"と言葉を発した。


「後悔なんて、しねえよ……」


 幼なじみという事実を抜きにしたら、自分は未咲をどう思っているのか。改めて考えると分からない。

 本当に分からないのだ。自分自身のことなのに。情けなくて泣きたくなる。

 目を開ける。二人の顔を遮るように、ポケットから進路調査票を取り出して翳す。理系に丸がついている。私大、国公立大、専門学校、学校名(   )。それらは渡された時のままの状態だ。

 自分は理系に進むつもりだが、未咲と輝はたぶん文系だろう。これまでずっと同じクラスだったが、来年からは確実に別々になる。ずっと三人一緒ではいられないのだ。

 それに、ずっと同じ関係でもいられない。いつか、必ず離ればなれになる日が来る。


「あー……くそっ」


 調査票を放り出し、頭を抱えてベッドの上で丸くなった。

 将来のことなんて考えたくない。

 自分は何がしたいのだろうか。分からない。

 自分に何ができるのだろうか。それも分からない。

 分からない。分からない。分からない。

 自分には何が分かるというのだろう?

 鬱々と考え込みそうになって、無意識に舌打ちをする。


「今の自分のことも分かんねえのに、未来の自分のことなんて分かるかよ……」


 俺は人知れずうめいた。



 昨日と同じような一日が終わって、生徒が待ち望んだ放課後が来る。部活に急ぐ者、下校する者、皆その顔は明るい。

 どうしてみんな、そんな平気な顔をして毎日を過ごせるのだろうか。悩みなど持っていないのだろうか。

 ぼんやりした頭をやり過ごしつつ、鞄に必要なものを移す。昨晩はよく眠れなかった。授業中はいつも以上に眠ってしまった。悪夢を見たような気もする。

 俺のその日がいつもと違う日になったのは、未咲が話しかけてきたからだった。


「龍介」

「あ?」

「あ? って、あんたね……その返事感じ悪いからやめなさいよ」

「うるせーな。お前は俺の母親かっつーの」

「あのね、いちいち突っかかってくるのもやめてくれる? まあそれはどうでもよくって、ちょっと付き合ってほしいんだけど」


 俺は少しまごついた。昨日あんな話をしたせいだ。


「……何びっくりしてるわけ? ちょっと買い物付き合ってほしいって言ってんの」

「……ああ」


 買い物か。ほんのちょっとでもどきりとしてしまった自分を蹴り飛ばしたい。

 未咲が俺を連れて向かったのは、高校から程近いところにある雑貨屋だった。ガラス用品や文房具やアクセサリー、プレゼントに使えそうなものから変わり種の置物まで、しゃれたものなら大体揃う。ちなみに自分はここで買い物をしたことなどない。


「何買うか知らねーけど、なんで俺連れてきたんだよ」

「男の人がどんなもの貰ったら喜ぶか、教えてほしいのよ」


 そう言う未咲の頬は、ほんのりと朱に染まっていた。

 ははあ、と思う。


「生徒会長にプレゼントでもあげんのか」

「ちょっ、余計な詮索はやめてよね!」


 未咲の頬が今度は怒りで朱に染まる。

 めんどくせえ奴だな、と俺は嘆息する。



「あ、見て龍介、これ可愛くない? これも可愛いし、これすごい綺麗! あーあそこにあるのも可愛いなー」


 店内をうろうろしながら品物を見繕ううち、未咲は自分の世界に入り込んでしまったようだ。プレゼント選びそっちのけである。何しにきたんだよ、と呆れるほかない。

 それにしても──と思いながら、未咲が先ほど可愛いと言っていたカエルの置物を手に取る。そのカエルはなぜか燕尾服を来ていて、パイプをふかしている。俺には妙ちくりんで変なカエルだとしか思われない。未咲の趣味は割と変わっているようだ。

 品物を見て回る嬉しそうな未咲の横顔を眺めているうち、なんとなく胸の内が温かくなってきた。こそばゆいような、不思議な感情が湧いてくる。これはなんだろう。


「……何か買ってやろうか」


 無意識に、そう口にしていた。

 未咲が怪しむような顔をする。


「はあ? なんであんたが、わたしに物を買うのよ」

わりィのかよ」

「……ま、あんたがどうしてもって言うなら、貰ってあげてもいいけど?」 


 口を尖らせてぷいと顔を逸らしながら言う。不機嫌なのか、照れ隠しなのか、はっきりしない。

 本当にめんどくさい。



 未咲が購入したのは、ふたを開けるとペン立ての形状になるペンケースだった。学校でも使えるようなものが良いだろう、との思いで俺が選んだのだった。

 俺はもう帰ろうと思っていたが、未咲はこれから部活に行くそうだ。ご苦労なことである。雑貨屋と駅は反対方向なので、必然的に途中まで未咲と一緒に歩くことになった。

 二人並んで歩くのはかなり久しぶりな気がする。未咲は今にスキップでも始めそうな軽い足取りだ。

 俺は何気なく未咲のつむじを見下ろした。昔のことを思い出す。幼い頃は未咲の方が背が高かったのに、いつしか自分の背が未咲を追い越し、今やかなり身長差がついている。身長とともに、二人の関係にも距離が開いてきたと思う。小さい時はそれなりに仲が良かったはずなのに、今では喧嘩腰でしか会話をすることができない。いつからこうなってしまったんだったか。


「何感傷に浸ってんの」


 校門へ続く小道の前に差しかかると、未咲がこちらを振り返った。別に、と言葉を濁したまま、しばし未咲と向かい合った。


「未咲」

「なに」


 言いたいことはたくさんある気がしたが、言葉は何も浮かんでこなかった。


「……上手くいくといいな」

「余計なお世話」


 吐き捨てて、未咲は足早に校門へと向かっていった。

 また距離が遠退とおのいて、手の届かない場所へ行ってしまうのだろう。俺はしばらく、釘付けになったように、その場を動くことができなかった。

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