僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅱ(2/8)
「そ、うですか……そんな風に言われることがないので……なんと言えばいいか……」
困惑なのか、照れのせいか、桐原先生は眉根を寄せて語尾を濁す。私はその時決意した。彼はきっとあまり外見を褒められたことがないんだ。じゃあこれからは、私がいっぱい褒めよう、と。そして、いっぱい困らせちゃおう、と。
そうだ、恋人同士になったのだから、ある程度のことは自由に何でもできるのだ。にへえ、と緩みそうに口元をなんとか押し隠し、先生の頬をそっと撫でる。
「勘違いさせちゃってごめんなさい。先生は出会った最初からずっと格好いいですよ。でも、今は可愛いとも思ってます」
「いや、さすがに可愛くはないと思いますが……」
掌の中で彼がますます渋面を作る。ああ、その顔こそが可愛いのだと彼は知らないんだろう。なんて可愛いの。しかも格好いいし。大好き。
さて、ここまでが実際にあったことで、しばらく見つめ合った後に面会時間は終了した。もっと時間があったなら、と私は浅い眠りの底で夢想する。あの雰囲気なら、既成事実を作れたのではないか。夢うつつの私の頭には常識や理性という箍は存在せず、妄想が果てのない想像の彼方へ飛び立っていく。
あのままベッドに飛び乗って、先生の上に覆い被さって、逞しい体にこの胸を押し付けたら、彼は何らかの反応を見せただろうか。まだ充分には動けない先生の胴に跨がって、慌てる彼を尻目に、薄手の入院着の袷に手を差し込んで、焦らしながら服を脱がせて、それからそれから――。
せんせ、私にあなたの可愛いところ、もっと見せて。
今度こそ、にへえ、と口元がにやける。
と同時に、遠く、それでいて近い場所で、私を呼ぶ声が聞こえる。
「レイ、起きて。レイ――」
「ん、ん……?」
「レイ、起きる時間よ。それとも、お姫様はキスがないと目覚めないのかしら?」
誰? そう思いながら、瞼の向こうの眩しさに眉をひそめる。ああ、今のは全部夢だったんだ――。桐原先生が格好いいという話までは本当に本当だけど。
薄く目を開けると、誰かが私をすぐそばから覗きこんでいた。焦点がじわりと合って、輝かしい金髪と澄んだブルーアイとが私の霧深い思考を一発で醒ます。
シャーロットさん。私の護衛をしてくれているシャーロットさんが、ベッドの横から私の上に身を乗り出しているのだ。そして不可抗力として、彼女の胸が私の胸の上に乗っかっている。互いの小さくないボリュームの胸が押し合う形となり、ふっかりとした圧力が伝わってきていた。こんな状態だったから、あんな不埒な夢を見たのかもしれない。思い返すとなんてとんでもないことをしようとしていたんだろう、夢の中の自分は。
「目が覚めた? レイ」
「ん……おはようございます……。あ、あの……キスって……」
「ふふ、してないわよ。Good morning, my princess. さあ、起きて」
シャーロットさんが優しく起床を促してくれる。いやはや、起き抜けからド迫力美人に至近距離から見つめられるなんて、かなり心臓に悪い。
流れ作業的に時間を確認した私は、危うく変な声を出しそうになった。もう出かけるはずの時刻までわずかだった。ひきつりそうな顔でシャーロットさんにすみません、と謝ると、曇りのないほほえみでいいのよ、急いでないもの、と返ってくる。
そう、今日は彼女と、駅近くのショッピングモールに行く約束になっていたのだ。シャーロットさんは三つ揃いのスーツで完璧に準備を整えており、彼女への申し訳なさで押し潰されそうになりながら、私はできる限り急いで準備に取りかかった。
お出かけの約束に至る事の発端は、シャーロットさんの「日本の服は可愛くて好き」という、初対面の日の一言だった。桐原先生とのデートを見据えて新しい服を見繕いたい私が、その言葉を思い出して彼女を誘ったのだ。シャーロットさんも「あなたが買い物に行くならどっちみち自分も着いていくし、服も見てみたいわね」と返したことで決まりになった。
「でも、もう可愛い服を充分持っているじゃない。新たに買う必要がある?」
身支度をばたばたと済ませていると、寝室から着替えて戻ってきた私の格好を、リビングで眺めていたシャーロットさんが言う。
「あー、それなんですけど……」
今の自分の格好は、小花柄のAラインワンピースの上に、ボタンを半分くらい留めた薄手のカーディガンを羽織っている、というものだ。説明するより見てもらう方が早いと、私は羽織のボタンを外し、シャーロットさんの前で開いてみせた。
「私、持ってる私服がこんな感じのばっかりで」
シャーロットさんが思わずといった様子でオゥ……、と口元に手をやる。ワンピースの襟ぐりは際どいところまで開いているデザインで、もはや胸が半分露出しているに等しい。元彼たちは大体こういう趣味の人ばかりだった。デートから部屋に帰るなり胸元をまさぐってくる人さえいた。たぶん私ではなくて、私の胸と付き合っていたのだろう。そそくさとカーディガンのボタンを留め直すと、なんというか、ゴージャスね、とシャーロットさんがしみじみと感想を述べた。
私は力強く右拳を握り締める。
「私、桐原先生にはふしだらな女だと思われたくないんです、絶対に! 格好だけでも!」
「なるほど、それで新しい服が欲しいというわけね。彼は見た目で他人を判断する人ではないと思うけれど……確かにレイにはもっと上品な服装が似合うと思うわ」
さりげなく桐原先生をフォローし、私をも持ち上げてくれるシャーロットさんに感動すら覚える。
外出する準備を終えると、彼女は笑みながら右手を差し出してきた。
「さ、行きましょうか。私のお姫様」
シャーロットさんの彼氏力すごいな、と思いながら私はその手を取るのだった。
結果的に言うと、シャーロットさんとのお出かけは至極楽しかった。
ファッションフロアで互いに似合いそうな服を見繕う、というのが楽しくて、年甲斐もなくはしゃいでしまったのだ。私はともかく、素晴らしいプロポーションを持つシャーロットさんは何でも似合い、彼女が試着するたびに最大限の賛辞を送らずにいられなかった。スーツを着ている時のシャーロットさんはクールな印象だけれど、清楚なワンピースや華やかなブラウス、ふんわりしたスカートなどを身に纏った彼女はそれはもう可愛らしかった。
「これ……私には可愛すぎるんじゃないかしら?」
「そんなことないですよ! すっごく似合ってますよ!」
私が「可愛い~!」と声を上げるたびに、シャーロットさんは照れからか頬を染め、可憐な少女みたいに恥ずかしそうにしていた。ああ、抱き締めてしまいたい。彼女の普段とのギャップに、自分が男だったら絶対に恋に落ちていたな、とさえ思った。会計へ服を持っていく前に、「武器を隠すところが少ないのがネックね……。太ももにベルトを着ければ隠せるかしら」なんて物騒なことも言っていたけど。
そして、私は目撃してしまった。シャーロットさんの首に、いつぞやヴェルナーさんの胸元に揺れていたのと同じネックレスが、確かに下がっているのを。
買い物を終えカフェに移動した我々は、テラス席に陣取った。涼風が深まる秋を知らせ、道行く人々の中には首を竦めて歩いている人もいる。彩度を失っていく街の中で、美しいシャーロットさんの髪と美貌は際立って人目を引いていた。ちらちらと視線を感じ、なぜか私が誇らしい気持ちになる。
紅茶を優雅に飲んでいる彼女を横目に見つつ、つい私はにやけてしまうのだった。だって、試着室で見たあのシンプルなクロスのネックレスは、絶対にヴェルナーさんとお揃いだったのだから。何だかんだ言ってやっぱり恋人同士なのかなあ、とほほえましく感じてしまう。
ホットコーヒーをかちゃりとソーサーに戻して、私は口火を切った。
「シャーロットさんのおかげで、今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「そんな、私こそ楽しかったわ。キュートな服をたくさん見られて……ちょっと散財しすぎたけれどね」
「ふふ、ぜひ今日買った服をいっぱい着て下さいね! ……それであの、さっき思ったんですけど、それ、ヴェルナーさんのと一緒ですよね。お揃い、なんですね」
シャーロットさんの首元を指差しながら問いかける。ネックレスは今はシャツの下に隠れていたが、彼女のすらりとした指が金属製のストラップをするりと引き出した。
「ああ、これのこと? お揃いね……まあ、そうね」
やっぱり、と勢いづく前に、シャーロットさんがどこか空虚な目をしてネックレスを見つめる。
「お揃いといっても、彼とだけお揃いというわけではないのだけれどね。――これは、首輪なの」




