僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅰ(4/6)
「それとだな、この怪我のことだが――君を狙った襲撃ではなく、別の人物を狙った襲撃に巻き込まれたものなんだ」
「え? ってことは、俺以外にも狙われてる人がいるんですか」
これには虚を突かれた。尋ねる声に返ったのは、いたく渋い顔だった。それだけで空気がぴりぴりと張り詰め、どことなくハードボイルド映画を見ているのに似た気持ちになってくる。
「……すまない、それについては詳しく話せないんだ。申し訳ない。いつか話せるときが来たら、君には全て打ち明けると約束する」
「……分かりました。俺、先生のこと信じてるんで」
「信じれば裏切られたときに辛くなるぞ」
諦念を滲ませた目が俺を捉えた。葉の落ちきった晩秋の並木のような、寂しい目だと思った。
ぐっと、無意識的に拳を握る。
「いや、俺は先生がどんな人でも、どんなことを考えててもいいと思ってるんで」
「……君は私より大人だな」
ふっと笑う声には温かみが戻ってきている。
ベッドに備え付けられたテーブルの上に、先生が身を乗り出した。
「……さっきの君の話で、訂正したいことがある」
「なんですか」
「それはな、もし君の護衛をしていて私が怪我をするようなことがあっても、君のせいではまったくないということだ。君の護衛は我々が勝手にやっていることで、君には責任は発生していない。"自分のせいだ"と言えるのは、自分自身が責任を負える時だけだ。だから、私やヴェルナーに何があろうと、君のせいではないんだ。それを分かっていてほしい」
堅苦しいとも言えるが、だからこそ真摯な語り口。
しかし、俺は切なさを感じていた。自分の周りの物事が、自分の手の遥か先で展開していることで感じる、針でちくちく刺されるのに似た、痛み未満の切なさ。これは俺のことなのに、自分は何も手出しができない。守られることしかできない。俺は無知な子供に過ぎないから、仕方ないのかもしれない。それでも、何かできることはないのだろうか。何かしたいと思うのは罪だろうか。
進路指導調査の用紙を前にして味わった、無力感を抱くのはもう嫌だ。
俺にできること。それは、何だろう。
押し黙っていると、もう遅いから帰りなさい、という声で我に返る。
「ヴェルには私が退院する日を震えて待てと言ってくれ」
「あの、先生」
「ん?」
「先生も影の一員ってことは、戦い方とか……身に付けてるわけですよね」
「それがどうかしたかね」
唐突な問いをぶつける俺に、相手が怪訝な顔をする。
「退院したら護身術とか、教えてもらえませんか。守られてばかりじゃ嫌っていうか……俺も何かしたいんです」
「そうか。それなら了解した」
「あ、まあ、ヴェルさんに頼んでもいいんですけど」
言い訳するように言葉を足すと、先生は存外真剣な目でふるふると頭を振った。
「いや……あいつは悪い奴ではないと以前言ったが、あまり信用しすぎない方がいい。ヴェルは何も考えてないように見えるが、実際は何を考えているのか分からない奴なんだ。道化を演じているんだよ。上から命じられたら私にも平気で銃口を向けるだろう。私はどうなってもいいが、君に心を許しすぎてほしくない」
「……実は怖い人なんですね」
「そうだ」
「でも、先生だってどうなってもよくはないですよ」
「なに?」
「水城先生が悲しみますよ」
先生の喉から、うっ、と息が詰まったみたいな音が漏れる。頬が紅潮するのを隠すように、大きな手で顔が覆われた。こんな姿を見たら水城先生はきっと喜ぶだろう。
「……教師をからかうものじゃない」
「すいません」
数秒後、掌を取り払った先生と目が合って、どちらともなくふふっと笑い合う。
彼の頬はまだ赤くなったままだった。
病院をあとにして駅方面へ向かうバスに乗り、駅そばのコンビニに入ったところで、
「茅ヶ崎くん?」
そう声をかけられた。
そちらを見ると、生徒会長の九条悟が好感度マックスのほほえみを湛えて立っている。あまりの聖人オーラぶりにたじろぎつつどうも、と頭を下げると、今帰り? と訊かれる。病院に行ってきた帰りだったが、説明するのも面倒でまあ、そんなとこです、と答えると、
「あのさ。ちょっとこれから時間ある?」
と問われて、俺の思考は固まった。どこか意を決したような趣のある目の光に呑まれ、思わず頷いてしまう。
自分より広い背についていきながら、俺は戦々恐々としていた。
――俺なんかに何の用だ? カツアゲでもされるのか? やっぱり爽やかな外見の奥には裏の顔があるのか?
九条悟は迷いなく歩き進め、駅構内の一角にあるコーヒーチェーン――呪文を唱えないと注文ができないとまことしやかに囁かれているあれ――へ入っていく。
内心でげ、と思った。
「好きなものを頼んで良かったのに。ご馳走するって」
「いや、自分、甘いの苦手なんで」
「そうか。俺より大人だね」
さっきの桐原先生といい、その台詞を年下に言うのが流行ってでもいるのだろうか。笑う生徒会長の前で、俺はブラックコーヒーを手にしている。
かたやドーム型のプラスチックの中でクリームと半分凍ったドリンクを混ぜながら、先輩が話し出した。
「茅ヶ崎くんはさ、文化祭でミスコン出るんだよね」
「ええ……なんで知ってるんすか……」
「そりゃあ知ってるよ。文化祭実行委員長だもん。楽しみにしてる」
「できれば見てほしくないんすけど……」
なぜ誰も彼も同じようなことを言うのだろうか。俺は嵌められてやることになったようなものなのに。やめてくれ。
そしてこんな下らないことを言うために、俺に声をかけたわけではないはずだ。
「……そんなことを言うために、俺を誘ったわけじゃないでしょう?」
水を向けてみると、先輩の目が不安そうに泳いだ。逡巡するように、一口二口とストローを咥内に含む。
俺は待った。この人が躊躇うなんて、よほどのことだろうから。
やがて決心したように、九条悟は背筋をぴんと伸ばす。
「未咲さんの、ことなんだけど」
「ああ……」
今度は自分の視線が目の前の男からぶれる。この人は未咲の彼氏なんだった。どこまで進展したんだろう、という考えを全力で脳内から追い出しつつ、ぶれた視線を無理に戻す。
大丈夫だ。この彼と一緒なら、あいつも幸せだろう。
「彼女のこと、よろしくね」「あいつのこと、よろしくお願いします」
頭を下げながら言った台詞が被って、二人とも反射的に相手の顔を見た。九条悟はえ? という表情をしているが、俺の顔にもえ? と書いてあるだろう。
数秒、無言の時間が流れる。
「そうか、聞いてないんだね」「よろしくって何ですか?」
また声が重なる。俺はまだ訳が分かっていないが、会長の表情にはもう得心の色が滲み始めていた。
九条悟が泣き笑いみたいな複雑な表情になる。
「俺たち、上手くいかなくてね」
「別れたってことですか? なんで……」
「うん、俺が悪かったっていうか……最初から上手くいくはずがなかったんだ。それで……俺が振られたんだろうな、あれは」
「ええ……何考えてんだ、未咲のやつ……」
未咲が振った? こんな欠点のない相手を? 返す言葉がなく、その隙間を埋めるようにコーヒーを啜る。
会長も手元をくるくると回しながら、どこか潤んだ目で遠くを見ていた。
「俺はね、未咲さんのことが本当に好きだったんだよ。……でも、好きになったのは君の隣にいる未咲さんだった。俺の隣じゃない。俺は君には敵わない」
「え」




