僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅰ(2/6)
図星を突かれ、絶句した俺を見て、仁志田が今度は体を仰け反らせて笑い声を上げた。
「え、マジなの? やべーな。クッソ変態じゃん、お前。ま、分かってたけど」
彼の笑い方があまりに愉快そうなので、自分としてもさほど嫌な気分はしなかった。俺が変態なのは否定できない事実であるし。
俺にこういう話題を振ってくるのは仁志田だけだ。自分の趣味嗜好がアブノーマル寄りだと自覚していなかった時代に、「お前それは変態だよ」と暴かれてから、彼の中で九条悟は変態で通っている。仁志田に言わせれば、俺は惨めな気持ちになるのを好むミゼラブルフェチらしい。言い得て妙だと思う。
爬虫類めいた細い目元から、流し目がこちらを捉える。
「女子が知ったらどんだけ萎えるだろうな。文武両道、才色兼備の生徒会長さまがそんな男だったなんてさ」
「自分が一番よく分かってる。なあジン、俺さ……ずっとこのまま一人なのかなあ」
気持ちよく晴れた秋空を見上げ、心の内を吐露する。それは偽らざる自分の本心だった。霞みたいな薄い秋の雲のように、声は弱々しく響いた。
「それが話したかったこと?」
問うてくる仁志田に、頷きで答える。
俺は、本音も弱音も、こいつの前でしか曝け出すことができない。自分の汚い部分を直視してもなお、友人として付き合ってくれる相手は仁志田しかいない。
仁志田はへらへら笑いながら、ばあか、とちゃんと言ってほしかった言葉で叱咤してくれる。
「今からそんな深刻に考えてどうすんだよ。まだ俺たち、高校生だぞ? もっとライトに考えようぜ。遊びでいいじゃん、遊びで。相手がそれで良けりゃあな」
「……まあ、分からないでもないよ」
仁志田が缶を持ったまま、うーんと天に向かって伸びをする。
「頭ん中がエロいことでいっぱいなのに変なところで真面目だからなー、お前は」
「そういう言い方されるとけっこう傷つくんだけど」
「事実だろ。お前のその爽やかさとかさあ、もはや短所だよな、逆に。むしろエロさ全開で売り出してった方が上手くいくんじゃん?」
「できねえよ」
好き勝手言い募る仁志田に苦笑しつつ、今度は俺の方から拳をお見舞いするふりをする。
仁志田は暴力生徒会長はんたーい、などと軽口を叩いて身をよじった。
「とにかく、一回ぱーっと遊んでみることだな。深く考えずに、自分のやりたいようにしてさ。合コンやろうぜ、人数集めてやるからお前も来いよ」
「無理だよ、それは。……とりあえず、会長でいるあいだは」
強引な提案に笑うしかない。でも、そんな仁志田に救われているのも事実だ。ウザがられるに決まっているから、口には出さない。
仁志田の案に乗ってみるのも一興かとも感じたが、今は生徒会長という立場が許さない。生徒会長は言わば学校の代表だから、変な噂を立てられれば校名を傷つけることにもなりかねない。文化祭を終えると生徒会選挙が始まり、次の会長へとバトンを渡せば晴れて任期満了となる。
じゃあさ、と言いながら仁志田が肩に手を回してくる。
「それが終わったら女の子と遊ぼうぜ。俺が責任を持って後腐れのない子を紹介してやるから」
「……頼むよ」
「ようし、もっとお前の変態ぶり、前面に出してこうぜ」
「はは……まあ、それはちょっと自重するよ……」
話があらかたまとまったところで、計ったようなタイミングで外から九条くーん! と甲高い呼び声が飛び込んできた。
下方を見ると、同学年の女子が三人、校舎の前庭付近から二階のこちらを見上げて手を振っている。手を振り返すと、きゃーという悲鳴めいた黄色い声が上がり、彼女らが見ている九条悟という虚像がここに存在しないのが申し訳なくなる。肩を回したままの仁志田がふんと鼻を鳴らした。
「女子ーうっせえぞー」
「うるさい、仁志田!」
「九条くんを独り占めするなー!」
「離れろー! 今すぐ!」
先ほどは甲高い声を出していた彼女らが、口々に迫力のある声音と口調で仁志田に命令する。そんな光景が俺は羨ましくなる。どうして俺は仁志田じゃないのだろうと思ってしまう。
彼はなかなかの天邪鬼なので、文句を言われたのとは逆にもっと俺の肩を抱き寄せた。恋人にするそれと同じように。
女子たちから一斉に悲鳴が上がる。
「おうおう、羨ましかろう」
「やめろー! 九条くんを汚すなー!」
「仁志田ー! 覚えてろよ!」
「ははは……」
苦笑しているあいだに、彼女らはベランダの下側へと吸い込まれるように消えていった。
そこでチャイムが鳴り始める。じゃ、行くわと腕を解いた仁志田を、なあジン、と呼び止める。
「お前がいて良かったよ」
去りしなの大きい背に言うと、振り返った彼は盛大に顔をしかめていた。
「は? んだそれ。気持ち悪い通り越して怖ぇわ」
「ごめん、でも本当に感謝してるから」
「はあ……重いんだよなあ、お前は。俺以外にも本音言える相手早く見つけろよ」
言葉は拒絶みたいだったが、口調は冗談めかしているのが俺には分かる。
「ああ。頑張るよ」
「頑張る頑張るって、そればっかり。お前はそもそも頑張りすぎなんだって。それやめて建前も捨てて、それでも受け入れてくれる人を探せっつってんだよ、ばあか」
優しい捨て台詞を残し、仁志田は去っていく。
放課後、文化祭実行委員の仕事を終えると、時刻は十八時半近くになっていた。駅へ歩いているとさすがに空腹を感じ、手近なコンビニに寄ると、菓子パンコーナーに見知った横顔を見つける。
鋭い目付きで棚を見回しパンを見定めている男子生徒。茅ヶ崎龍介だ。
茅ヶ崎くん、と呼びかけると、男子にしてはかなり薄い肩がぴくりと震える。こちらを振り向くと、むっつりした顔の中で目が見開かれる。彼はぺこりと軽く会釈した。
「あ……どうも」
「今帰り?」
「まあ……そんなとこです」
仁志田と未咲さんのことを話した日に、偶然未咲さんの幼なじみの茅ヶ崎くんに会うなんて。
乗りかかった舟だ。目を少し細めて、少し窺うように切り出した。
「あのさ。ちょっとこれから、時間あるかな?」
「え……はい」
目に戸惑いを浮かべつつも、茅ヶ崎くんは頷いてくれた。
* * * * *
――茅ヶ崎龍介の話
桐原先生の代わりに来た担任がクラスに馴染み始めた頃、俺は初めて先生の見舞いに病院を訪れた。
入院病棟はうっすらと消毒液の匂いが漂い、また独特の時間が止まったような空気に満ちている。祖父母の見舞いに別の病院へ行ったことはあるが、正直この雰囲気はあまり得意ではなかった。
当初、桐原先生が入院することになった旨と入院期間だけが生徒に知らされ、どこの病院に入院したのかは通達がなかった。ヴェルナーから病院名を告げられたのは昨日のことで、先生からではなく彼からの連絡であることが、ただの怪我ではないことを窺わせた。影と"罪"という二つの名前が頭をかすめる。
病室の扉をノックすると、どうぞ、と懐かしさを覚える声が返ってくる。
桐原先生はベッドの上で本を読んでいたようで、テーブルに本を置いてこちらを見上げた彼と、ちょうど視線がかち合った。先生はトレードマークとも言える黒縁眼鏡をかけておらず、きりりとした眉とやや切れ長の目が丸々見えるようになっていた。眼鏡があろうがなかろうが男前は男前だ。非常に羨ましい。
先生は少し眉根を寄せ、久しぶりだな、と発声した。
「体、大丈夫ですか」
「もう大したことはない。わざわざ見舞いになど来なくとも良かったのに」
「いやあ、ヴェルさんが行ってくれってしつこかったんで……」
「まったく、あいつは……今度会ったら言ってやらねば」
顔をしかめる先生の様子は、入院前と変わりない。いつもの彼が健在であることに、俺は内心ほっとしていた。やつれた先生の姿は見たくなかったからだ。




