彼らのこと スプレーマムの告白(5/7)
思わず見とれていると、出し抜けにヴェルナーさんが大きな声を出すものだから、びっくりしてしまう。
「ロッティちゃん! 会いたかったよ」
両腕を大きく広げながら、彼は脇目もふらず女性に歩み寄り、熱烈なハグをする。女性はというとなされるがまま、その熱い抱擁と頬を擦り合わせるキスを受けている。でもその顔はなんとなく白けて見えた。
「久しぶりだね。君に会えないあいだ、俺がどんなに胸を焦がしていたか知りたいかい?」
「聞きたくもないわ」
「そう? ああ、君の声を直接聞けるなんて最高だよ。いつ会っても素晴らしく美しい君――」
「あのねヴェルナー、今はそういうの必要ないでしょう、私は仕事で来たのよ。元気そうで何よりだけど、離れてくれる?」
にべもなく言われ、残念、と呟きつつ体を離すヴェルナーさんは、それでもどこか楽しげだ。
ついに女性が私の目の前に立つ。そして、ヴェルナーさんに向ける冷淡な眼差しとは正反対の、花も羨むような眩しい笑みを浮かべる。
「あなたがレイ・ミズキかしら?」
「は、はい、そうです……。あの、ヴェルナーさんからお話は聞いています」
私がぺこりと頭を下げたのと、面目ない、という声が横から差し挟まれたのが同時だった。桐原先生の声だ。
三人して一斉に彼の方を見る。先生は眉尻を下げながらも凛々しい表情をしていた。その視線は金髪の女性に注がれている。
「私が不甲斐ないばかりに、はるばる日本まで来てもらう形になってしまって申し訳ない。初対面なのにこんな格好で失礼する」
「あらミスター、初対面じゃないわ」
桐原先生に向き直った女性は面白そうにふふっと笑った。
「八年前、支援部隊にいたシャーロット・エディントンよ。もう忘れてしまわれたかしら」
シャーロットと名乗った女性が悪戯っぽく微笑すると、先生の顔色がみるみる驚きに染まっていく。目を丸くした彼の顔からは、不思議と幼さが感じられた。まるで、今ここにいながら何年も時が巻き戻ったかのように。
先生の口調は、畏まったものからやや砕けたものへと一瞬で変化していた。
「あ、ああ……あの……! 雰囲気が違っていたから分からなかったな」
「それはお互い様でしょう、あなたもだいぶ変わっているわよ。以前はもっと尖っていたけど、少し丸くなった気がするわ」
「ううむ……それは確かにそうかもしれんな……」
「あなたが生きていて良かった」
「……ありがとう。しかし……君はもしかして、今は執行部にいるのか」
「ええ。部署替えをして執行部唯一の女性エージェントになった物好きよ」
先生は渋い顔で腕を組み、シャーロットさんは意味深な笑みを浮かべながら肩を竦める。二人は知り合いだったのだ。会うなりの親しげな会話に、心の奥底がちりちりと焦げ付くようだった。
シャーロットさんは、私が知らない桐原先生を知っている。
心の底で燻るそれは、悋気だろうか。嫉妬だろうか。火種を揉み消すみたいに、胸の前できゅっと拳を握る。
そんな心境を見透かしたように、黙って様子を眺めていたヴェルナーさんが、ぽんと私の肩を叩いた。斜め後ろを見上げると、大丈夫、というようにゆったりとした頷きが降ってくる。私もそれに浅く首肯して応えた。そうだ、私は今の桐原先生が好き。今の彼は積み重ねてきた過去の上に立っているのだから、その足元の過去を知ろうが知るまいが、私が彼を好きなことにきっと変わりはない。
それに、好きと言って気持ちを受け入れてもらえたのだ。もう少し自信を持とう。
気持ちを改めていると、再びシャーロットさんの視線がこちらに向けられた。
「挨拶が途中でごめんなさい。シャーロット・エディントン、身分は明かせないの。ごめんなさいね。これからあなたの護衛に就くわ。よろしくね」
「は、はい……! よろしくお願いします」
「あなたは普段どおりに過ごしてくれて大丈夫よ。周りの人には知られないようにするから、私のことは気にしなくていいわ」
「ええと、私の家で一緒に生活するっていう話でしたよね。今日からですか?」
「そうよ。何日か後からの方がいい?」
「いえ、大丈夫です」
「良かった。それじゃあ、ここでの用事が済んだら行きましょうか」
「あ、用事なら、済み――」
ちらりと桐原先生を見やる。用事は済んだことにしていいのだろうか。彼は真っ直ぐ私のことを見ており、その目の光の強さにどきりとする。
本当は、今日のところはとりあえず先生と話せればいいなくらいに思っていた。だから、用事は達したことになるのだろう。結果的には良かったけれど、そもそもあんな大それた行為をしに来たのではなかったのだ。
怪我がまだ治っていない彼のところに、あまり長々といるのも良くないように思える。今日はこれくらいで切り上げるのが適切かもしれない。
用事は済みました、と申告したら、シャーロットさんはまたにこりとほほえんでくれた。
シャーロットさんがまず病室を辞し、ヴェルナーさんはじゃあまた来るぜと手をひらひらさせながら背中を見せる。私もまた来ますね、とベッドに近づいて声をかけると、出し抜けに桐原先生の大きな掌が私の腕を取り、指先を包み込んだ。
突然のことに硬直していると、どこまでも真摯な眼差しをした彼に見上げられる。
「すみません」
「え……?」
「何も力になれなくて歯痒いです。本当なら私があなたの傍にいられたらいいんですが――」
「そんな……」
熱のこもった視線にどぎまぎしてしまう。好きな人に"傍にいられたら"なんて言われて、この私が平常心でいられるわけがない。
オーバーヒート寸前の頭で、なんとか常識ある返答を探す。
「どうか謝らないで下さい。私はほんとに、先生が無事に過ごしてるだけで嬉しいと思ってます! なので何も気にしないで下さい。今はまず体を治すのを第一に考えましょう!」
「……そうですね。ありがとうございます」
「いえ、そんな」
「水城先生。あなたがいてくれて良かった」
「……っ」
好きな人が表情を緩めてそんなことを言うものだから、私の胸はいっぱいになってしまう。
はち切れそうになった感情をこらえて病室を後にすると、廊下の角の先からヴェルナーさんとシャーロットさんが英語で話しているのが聞こえてきた。二人とも抑制的な声音だ。
「いつも君に頼ってばかりでごめんね」
「依頼を受けてから謝られるのは好きじゃないわ。大体、可愛い女の子が相手だって言われたら断れないでしょ。急いで他の仕事を片付けてきたわよ」
「そこは相変わらずだね。……君も俺に頼ってくれていいのに。もっと甘えてくれていいんだよ。俺は君のものなんだから」
「……そういうのは、もっと頼り甲斐を身に付けてから言うものじゃない?」
「はは。なかなか手厳しいね」
なんだかただごとではない気配を感じ、思わず足が止まる。会話の内容だけ聞くと、シャーロットさんがヴェルナーさんの好意を突っぱねている構図だ。なのに、抱えた痛みを我慢しているような苦しい響きが、お互いの声色に感じられるのは気のせいだろうか。
「ロッティちゃん。俺の気持ちはずっと変わってないよ」
「そう言われても、私にはどうすることもできないのよ。分かるでしょう」
「うん。それでも、言いたいんだ。君を本当に好きな人間が、世界に一人はいるって分かっててほしいから」
「あ、あのう……」
充満するオトナな空気にいたたまれなくなって、角からそっと頭を覗かせる。二人は驚くでもなく、ふいとこちらを振り向いた。今しがたの非礼を正直に口にする。
「すみません、ちょっと会話が聞こえちゃって……」
「いいのよ。聞かれて困ることは話してないから」
「うん。気にしないで」
二人とも、人が変わったように柔和にほほえむのが、逆に私の胸をざわつかせた。




