彼らのこと スプレーマムの告白(1/7)
―桐原錦の話
人はいつか死ぬ。いつか別れがやってくる。死に方は人それぞれだとしても、収束するところは畢竟、死というただ一点だ。
だから、誓ったはずだった。人に好かれないように生きていこうと。大切な人を喪う、あの身を割くような悲嘆は、自分以外の誰ももう味わわなくていいようにと。
けれど、駄目だった。私はまた同じ過ちを繰り返そうとしている。
人は、いつか死ぬのに。
夢でしか会えない人がいたから、自分は眠っているか、死んでしまったのか、そのどちらかだと思った。
そこにルネがいる。
銀色の光に満たされた空間で、私はルネと向かい合っている。全身がほのかな暖かさに包みこまれ、意識を失う直前までぼろぼろだった体は、すっかり元のようになっていた。十歩歩めば届きそうな距離に、彼女がいる。表情は逆光で分からない。彼女が手を差しのべてくれれば、その手を取れるのにと思った。
「ルネ……会いたかった」
言葉では言い尽くせない感情がこもり、声は意図せず震えた。表情は見えないのに、ルネが寂しげに笑うのが分かる。
「君はどうしようもない男だな」
そちらへ踏み出しかけていた足が止まる。ルネは喜んではいなかった。混乱して、どうして、と呟きが漏れる。
「どうして、だって? 君が向かうべき場所は私のところじゃないだろう。待っている人がいるところに、帰るんだ」
「私を待ってくれている人なんて、いるはずが――」
「本気で言っているのか?」
私には分かる。彼女が苦笑しながら嘆息しているのが。
ルネがすっと頭上を指差す。
眩い光が満ちる空間に、私の名を呼ぶ声が天使の梯子のように射してきていた。か細い、しかし確かな音の源は、上方にあるらしい。その様子は、深海底に粛々とマリンスノーが降ってくるのに似ていた。
私はやっと思い出した。帰るべき場所があるのだと。
「すまない、ルネ。私は行くよ」
かつて一番大切だった人に向かって、別れを告げる。ルネは満足げに大きく頷く。
「ああ、それでいい。もう私のところになんて来るなよ」
「分かった。ルネ、ありがとう。そして、さようなら――」
ルネに背を向けて、銀の光を掻き分けて泳いでいく。決して振り返らず、桐原先生、と自分を呼ぶあの声の方へ。上へ、上へ。鯨が、息継ぎを求めるように。
銀の光の水面に顔が出たと思った途端、私は目を開けていた。
「……」
白い天井。白いリネン。ぐるりとカーテンで囲われた狭い視界。消毒液のかすかな匂い。腕から伸びる点滴のチューブ。
病院だ。
手を目の前に持ってきて、握ったり開いたりを繰り返す。生きていた。まだ生きている。
体のそこかしこが痛むものの、耐えられないほどではない。ベッドの上に付いているナースコールを、私は黙って押した。
事件があった日から、数日が経過した。十ヶ所近い骨折と何針もの縫合にも関わらず、私は医者が目を見張るほどの回復ぶりを見せ、リハビリに取り組めるほどになっていた。学校には、事故に巻き込まれたという話になっているようだった。
入院に必要な品は自分が意識を失っている間に誰か――十中八九ハンス君かヴェルナーだろう――が差し入れてくれたため、生活するには困っていない。まだ、病院の関係者以外には顔を会わせていなかった。面会謝絶を貫いているからだ。
「会ってやったらどうかなあ。毎日来てるよ、二人とも」
人相の悪い、元影の隊医だった胡麻髭の主治医にはそう言われている。しかし、会うわけにはいかなかった。
どの面下げて会えというのだ。
私のせいで、水城先生には怖い思いをさせた。取り返しのつかない事態さえ招きかけた。この期に及んで、合わせる顔があるわけもない。
そんな考えを巡らせながら、くたくたになった美味しさのかけらもない病院食を、修行にでも臨む心持ちで食べ終えたとき、どやどやと慌ただしい足音がした。
女性看護師の慌てた声がそれに着いてくる。
「あの、面会謝絶と言われているんです――」
「関係あるかよ、どうせあいつの我が儘なんだろ。俺は会うっつったら会うんだよ」
自分にとっては忌々しくもなじみ深い声。
ベッドを取り巻くカーテンを無遠慮に開けて姿を見せたのは、案の定ヴェルナーだった。
うんざりしてそちらを見やると、白い歯列を剥き出しにしてにやりと笑う男と目が合う。
「よう錦。元気そうだな」
「馬鹿を言うな。これのどこが元気なんだ」
「憎まれ口叩けるんだから元気だろうが」
「……面会謝絶と言ってあるはずだが」
「うるせーな、そんなにぴんぴんしてるのに面会謝絶もクソもあるかよ。わざわざお前の情けねえツラ拝みに来てやったんだから、ありがたく思えよな」
ヴェルナーは恩着せがましくそうのたまう。
小さく息を吐いて、無遠慮な悪友をじろりと睨んでやった。
「何をしに来た」
「お見舞いだよ、お見舞い。なあ、水城ちゃんさ、毎日見舞いの品持って病院に来てるんだぜ。なんで会ってやらねえんだよ」
目の前の男が彼女をちゃん付けで呼ぶのが、妙に気に入らなかった。いつの間に自分の知らないところで親しくなったのか、と下唇を噛む。
「……どうしても何もない、会えるはずがないだろう。彼女に合わせる顔がないんだ。私のせいで余計なことに巻き込んだ。怖い思いもさせた。あと少しで取り返しのつかないことになりそうだったんだ。何をどう謝っていいのか分からない」
そこまで一息に胸の内を明かすと、ヴェルナーが不敵に唇を歪ませる。
と同時に、シャッと音も高くカーテンが大きく開け放たれた。
「じゃあ、直接それを伝えたらいいだろうが」
ぎくりと体が震える。あらわになったそこに、多少申し訳なさそうな顔の水城先生が立っていた。おずおずと私の顔を窺い、
「すみません、来ちゃいました」
そう、口の端にぎこちない笑みを貼りつけて言う。
咄嗟に言葉を紡げないでいると、それじゃ二人でごゆっくり、とヴェルナーが暢気に言い、ひらひらと手を振って病室を出ていく。
「ちょ、おい、ヴェル……!」
自由人の背中を恨めしげに見送るが、こんな体では追いかけて引き留めることも叶わない。観念して水城先生と向き合った。彼女は泣きたいような笑いたいような複雑な表情だったが、おそらく自分も似た表情を浮かべていたことだろう。
水城先生が意を決したように、口元と眉を引き締める。
「あの……桐原先生、ちょっと外に行きませんか?」
「……はい」
促され、私は観念して身を起こした。




