彼らのこと The Hero is here.Ⅲ(2/4)
「おい……それは、何を持っている?」
一人が、私の持つ槍に気づいた。
足を踏ん張り、その一人に向かって、右手を思いきり振るう。槍が長鳴りを響かせ、十メートルはあろうかという距離を刹那のうちに詰める。相手の二人が息を飲む音が聞こえる。被り物の下で顔が恐れに染まるのが、手に取るほどに見えた。
テレビドラマでナイフが人の体に刺さるときなど、ぐさりと効果音が入るが、あれは当然ながら虚構だ。
金属が肉に刺さっても、音はほとんどしなかった。
槍身は山羊頭の胸を射抜き、そのまま床に縫いつける。背中から流れ出た血が槍を伝う。四肢がじたばたと痙攣するが、すぐに静かになる。
仲間の一人を喪い、隣にいた山羊が激昂した。怒りで任務を忘れているのか、銃口がまっすぐ私の顔面を捕らえる。自分の右手は空だ。
「お前、よくも……馬鹿な奴だ、武器を手放すなんてな……!」
引き金に指がかかり、弾丸が放たれる。私の頭は銃弾に穿たれ、後頭部に花を咲かせる――。
ことはなかった。
金属と金属がぶつかり合うギィインという耳障りな音。手に持つ槍で、弾丸を弾いたのだ。
相手には何が起こったのかも分からなかったに違いない。目にも止まらぬ手捌きだったはずだから。自分さえ、己の行為をいちいち自覚していない。ほとんど意識の外、体の反射だけで、この場のすべてを掌握している。
「どうして……」
山羊が悄然と呟くのへ肉薄する。銃口はもはや私を追ってこない。
手を離れていた槍がどうして我が手中にあるのか。簡単だ。私はこの槍を、自分が身に付けた黒いものから自在に取り出せる。離れたところからでも、例えば黒いスーツの上着やスラックスを介して、槍に触れられるのだ。浅い水底に槍が沈んでいて、まるで黒い布地が、その水面であるかのように。それがこの槍の持つ、もう一つの力だった。
今度は投擲ではなく、一メートルほどに大きさを調節した槍を、逆手に持って直接人間へ叩き込む。喉元からどばっと血があふれた。水城先生を返り血から庇うため、背中でそれを受け止める。鉄臭い匂いが鼻腔に満ちた。自分は嗅ぎ慣れた匂いだが、彼女は気分を悪くしてはいないだろうか。
騒動の音を聞きつけたらしく、背後から残りの二人が現れた。物言わぬ肉塊と化した仲間を見、彼らがどう感じたのかは分からない。憤りか、動揺か。何にせよ、面食らっているうちに、先ほどと同じやり方で一人を床に縫いとめて一気に距離を詰め、もう一人を素早い足払いで転倒させる。
工場の中を一気に駆け抜けた。
廊下の先に、出口が見えた。そこで一旦休止し、先生を床に降ろして、話しかける。
「水城先生、目を開けて下さい」
「……終わりました、か?」
「あと一人残っています。が、あなたは先に逃げて下さい」
「え……でも……先生は……?」
「私も後から行きますから。心配しないで」
「分かり、ました」
こくりと頷いた彼女を送り出して、振り返る。一番立っ端のある、山羊頭がゆらりゆらりと歩み寄ってきていた。
ここからは一対一だ。
発砲。銃弾を槍身で弾き返す。槍を投擲するが、相手がそれをかわす。またも銃弾を弾き、そのまま腕を振るって相手の拳銃を遠くへ吹っ飛ばした。次で決める、と腰を落とした私の左腿を、しかし弾丸が撃ち抜く。瞬間的な熱さ。貫通した腿の後ろから血が溢れるのが分かる。仲間の銃を拾っていたのか。
中途半端な姿勢で放った槍は致命傷にならなかった。相手も必死だ。死に物狂いといってよい。動くたびにどんどん血が流れ出ていく。相手の体からも、自分の体からも。
腿を撃たれたのはよくなかった。血を失いすぎて、目の前が霞んでくる。だがここで倒れるわけにはいかない。奴らに関わってしまった水城先生を、そのまま野放しにしておくと楽観するのは到底できなかった。
ここで潰す。なんとしても。
死線に飛び出していくと、相手は怯んだようだった。懐に取りついて、左肘を食らわせる。バランスを崩した相手に馬乗りになると、衝撃で毛むくじゃらの被り物が外れて、つるりとした顔が露になった。彼はまだ若かった。おそらく私よりも。その心臓目がけて、躊躇なく槍を降り下ろす。若者の目がかっと見開かれ、喘鳴ののちに呼吸が止まって、瞳孔がぐぐっと開いた。
終わった。
死を見届けて一度立ち上がるも、激しい目眩に襲われ、私はその場にへたりこんだ。埃と砂と血でまみれた床に、ごろりと身を横たえる。もう、体がぴくりとも動かない。止血を、止血しなければ、と思うのに、指はまったくついてきてくれなかった。
そのうち、白く重たい靄が思考を覆い始める。臓器がことごとく停止へ向かい始めるのを自覚する。ああ、これが死というものなんだな、とえらく静かな心持ちでそれを迎え入れた。ほのかに温かく、優しく、痛みすら包み込んで、苦痛のない場所へ連れていってくれる。なんだ、これなら死ぬのも悪くないじゃないか。
ゆっくりと瞑目する。このまま二度と、目覚めることもないのだろう。深々とした、一点の光もない闇へと、全身が沈みこんでゆく。
じゃり、という足音とともに、馴染み深い声がした。
「あーらら、こりゃまた派手にやったねェ」
軽薄そうな、男の声。
意識が途切れる寸前に、体が抱き起こされるのがなんとなく感じられた。頬がぺちぺちと叩かれる。
「おーい、生きてるかー? 死んでたら運んでやらねェぞー」
「う、るさい……黙って運べ……」
切れ切れに耳朶に届いた最後の声は、確かに己のものだった。
* * * *
―水城麗衣の話
桐原先生に促され、建物の外まで走り抜けた私は、草むらの中で混乱を来していた。
――どうしよう、ここから離れた方がいいのかな……でも、先生のこと気になるし……。あ、そうだ! 救急車と警察に連絡、救急車って何番だっけ……!
スカートのポケットに携帯を入れていてよかった。先生のスーツの上着をかき合わせ、ダイヤルしようとしたところで、携帯がいきなり視界からすぽんと消えた。
「えっ」
「呼ばなくていいですよ」
至近距離から、男性の声がした。
ぎょっとして振り向くとそこに、欧米人とおぼしき金髪碧眼の青年が微笑みを湛えて立っていた。その手で私の携帯をもてあそんでいる。彼が私の頭の上から手を伸ばし、携帯を後ろから取り上げたらしい。
ぞぞっと背中が粟立って、反射的に一歩退く。さっきの人たちの仲間だろうか。
「そんなに身構えなくて大丈夫ですよ。僕は桐原さんの味方ですから」
そう、流暢な日本語で言う。先生の名前が彼の口から出たことに、いくらか安心して緊張を解いた。
「水城麗衣さん、ですよね。あなたも、一緒に車に乗って下さい。じきに桐原さんとヴェルナーさんも来ると思うので」
青年は携帯を私に手渡しながら、後方を指で示した。砂利道に、後部が黒塗りになったバンが停まっている。後ろの扉は開いていた。
ううん、見るからに怪しい……。けれど青年の口ぶりには、物腰の柔らかさとは裏腹に有無を言わさぬ凄みがあった。運転席に乗りこんだ彼に続き、警戒しつつ渋々助手席のドアを開けると、シートの上で黒い影が蠢いた。
「うわ」
「ノイ、後ろに行っていて」
影は黒猫だった。暗がりの中で、瞳がぎらりと光っている。青年の指示をまるで理解しているかのように、猫は車の後ろへ移動していく。その尻尾を目で追うと、車の後方に座席はなく、カーペットが敷かれた平らなスペースが車内に広がっていた。大人が優に横たわれる広さだ。
不意に青年が口を開く。
「名乗り忘れていましたけど、僕はハンスです。フルネームはヨハネス・リヒター。覚えなくてもいいですけどね」
「ハンス……さん。えっと、私は水城麗衣です」
「知ってますよ」
ハンスさんは軽く笑い声をあげた。そういえばさっきフルネームを呼ばれていたっけ。動転しすぎだ。頬が熱くなって、俯いて両拳を握り締める。それにしても、彼は何者なんだろう。ちらりと横目で窺うと、作り物かと思われるほど整った相貌がある。こんな美青年と知り合う機会なんて、私にはない。




