彼らのこと・回想 銀の追憶Ⅱ(1/4)
―桐原錦の話
男が苦手だ、というルネの告白。
それについて、心当たりがないでもなかった。
第一部隊には、半月に一回ほど、食糧や備品の補充のために配給がある。支援部隊の運び屋たちが、海底通路を通ってえっちらおっちらと人力で荷台を牽いてくるのだ。いったい何世紀の光景だと呆れたくもなるが、しち面倒な入島手段のためにそうする他にないのである。支援部隊の中には運び屋のみならず治療屋もいて、第一部隊にも軍医はいるにはいるのだが、隊員に話せない心理面での微妙な相談を抱えている者は、ここぞとばかりにその時を狙い、彼および彼女に内面を吐露しているようだった。
その支援部隊員の中に、ルネが一際親しくしている女性がいる。
眩いほどの金髪に、こぼれ落ちそうに大きな青い瞳。名を、シャーロット・エディントンという。
成人するかしないかほどの若さで、隊員たちは配給よりも、彼女に会えるのを楽しみにしている節があった。シャーロットは控えめな性格で、一人ひとりに要り用なものがないか聞いて回る。支援部隊のエージェントたちが逗留している二、三日のあいだ、彼女は右へ左へ引っ張りだこだった。私はそんな彼女の様子を、あんな人気者ではさぞかし気苦労が多いのだろうな、と遠巻きに眺めていた。
彼女が最も多くの時間を共に過ごしているのがルネだった。シャーロットが島に訪れる度、ルネは男装した舞台俳優ばりの大げさな仕草で彼女を迎えた。
曰く、
「君が来るのを待ちわびていたよ。君のいない日々はまるで羽根をもがれた鳥のような気分だった……」
「ああ驚いた! 君の周りの空気が宝石のように輝いて見えて、そこに天使が舞い降りたのかと思ったよ」
「シャーロット。かわいいかわいい私の子猫……」
等々。聞いている男の方が恥ずかしくなって赤面するほどの台詞を、ルネは顔色も変えず滔々と並べてみせる。シャーロットは呆れるどころか、ぽっと頬を染めて、ルネに肩を抱かれるままになっていた。二人のその姿はまるで仲睦まじい美男美女で、私たち男どもを何とも例えがたい妙な気分にさせるのだった。
そのシャーロットを一番熱心に口説いていたのはヴェルナーだ。
彼はどうも女性には誰でも(ただしルネを除き)優しくする癖を持っているようで、支援部隊が来る日のはしゃぎようといったらなかった。
その中でも、おっとりとした気質で拒否の言葉をなかなか口にしないシャーロットは、格好の標的だった。ヴェルナーが彼女を人気のないところに連れ込み、拒絶しないのをいいことに無理やり交際に発展させようとするのを、ルネと二人で阻止したこともある。私が力づくでヴェルナーを引き剥がし、シャーロットはルネに優しく抱き締められてふるふると震えていた。どうやらルネは、女性相手には肌を触れ合わせるのを厭わないようだった。
ヴェルナーは何度邪魔をされても、シャーロットに関わるのをやめようとはしなかった。女性関係にだけは変に粘り強く、我々の手を焼かせた。ある時などは、生憎ルネがシューニャに呼び出されて留守にしており、私一人でヴェルナーをぼこぼこに叩きのめす羽目になったこともあった。
私に引きずられながら、ヴェルナーはシャーロットに向かってウィンクとサムズアップを飛ばす。どこまでも懲りない男に、脇腹へ膝を入れてやると、やっと大人しくなった。
「あの、先ほどはありがとうございました」
振り回されて疲労感を覚えた私が、木陰で一息吐いていると、シャーロットは律儀に礼を言い、ぺこりと頭を下げてきた。その姿を見上げ、目を合わせると、彼女の身に緊張が走るのが分かる。
男との会話に慣れていないのだろうか。そんな調子で男だらけの場所に来ているのだから、きっと精神的な負荷が大きいのだろうなと思われた。
「礼には及ばない」
「いえ、そういうわけにはいきません。あの……新しく入隊した方ですよね。何か足りないものがあったら、お気軽に言ってくださいね」
「特にないし、今後も不足する予定はない。私のことは気にしなくていい」
「え、えっと……」
「それよりも、君は自分の身を守ることを覚えた方がいい。ルネや私がいつも目を光らせていられるわけではないんでな。君もエージェントの一員なら、自衛の手段を身につけるべきだ」
「あ……そ、そうですね。そうします……」
シャーロットは肩を落とし、しょんぼりした様子で私の前から去っていった。異性との付き合い方が上手くないのは私も同じだな、とその時考えた。
ルネとシャーロットはよく、二人きりで長々と話し込んでいた。詳しい内容は知らない。しかし風の噂で流れてくる話から察するに、どうもシャーロットは支援部隊から執行部隊への異動を望んでいたらしい。それについての助言をルネに求めていたようだ。
ルネがシャーロットに向ける視線は慈愛を含み、優しかった。時には愛おしげに目を細めながら、シャーロットの耳下で切り揃えられた金髪を梳くように撫でていた。愛撫を受けるシャーロットの方でも、恥じらいつつも目元や口元をほころばせ、その熱い瞳はただルネだけに注がれていた。誰も近づけない、二人の世界がそこにはあった。
恋愛感情の存在すら疑える、彼女らの雰囲気に私は嫉妬を覚え、そしてまた、そんな自分が腹立たしかった。女性に羨望を抱いてしまうなど、お門違いもいいところだ。
もしかしたら、ルネは男が嫌いなだけでなく、女性を好いているのかもしれない、と思うようになっていた。
その疑惑はその後すぐ、打ち砕かれることになるのだが。
ルネの提案により開始の運びとなった、彼女の男性への恐怖を和らげるための特訓。それは、夜の静寂の中、互いの呼吸の音だけを聞きながら始まった。
週に二、三回程度、私たちはこっそり隊長室で落ち合うこととした。秘密の共有は結果として、どことなく甘美な罪悪感を、双方の胸中にもたらした。
「それじゃあ、始めるか」
初回、ぎこちない動作で私が隊長室に入るなり、書き物をしていたルネはそう言う。おもむろに立ち上がった彼女と、部屋の真ん中で向かい合う。
私は緊張していた。たとえ練習という名目でも、誰かと男と女の関係になったことなど無かったし、ルネから何をするのかも詳しく聞いていなかったからだ。
ルネがよし、と自らを鼓舞するように呟く。
「まずはハグからだな」
そして、さあ来いという風に、両手を広げて待ち構える。
思わず、後退りしそうになった。じわっと変な汗をかく。
「いきなりか。わ、私から行くのか……?」
弱々しく問うと、ルネは深々と首肯する。
どんな厳しい戦況を前にしても戦いた試しなどないのに、その時の私の両手は情けなく震えていた。ルネは言い換えれば未知だった。その下に何が隠されているのかも分からない、一面真っ白の雪原だった。
私はその歳まで、他人にほとんど触れた経験がなかった。養父に暴力を受けたのを除けば、皆無と言ってもいいくらいに。自分が女性と抱きあうなんて、人生にそんな甘いイベントが起ころうとは露ほども考えていなかった。血と泥にまみれて、そうしていつか野垂れ死ぬのだと思い込んでいた。
ルネの視線はぶれずに私に注がれている。おずおずと彼女に近寄り、黎明期のロボットさながらの覚束なさで手を伸ばす。背中に腕を回すと、ルネの体はぴくんと小さく跳ねた。一瞬呼吸が荒くなるが、ルネはそれを無理に抑え込む。
「……大丈夫か?」
「いい。続けてくれ」
その声音には余裕はなかったけれど、ルネはそれに抗うように手を伸ばし、私の胸に体を預けてきた。髪からほんのりと甘やかな香りがする。温かい。柔らかい。どこか懐かしいその匂いに、視界が一瞬くらりと揺れる。足を踏ん張って、どうにか姿勢を維持する。
彼女のしなやかながら細い体躯は、私の腕の中にすっぽりと収まった。幅も狭く、そして何より薄い肩だった。力を込めたらすぐにでも折れてしまいそうな。
そうしていると、理由は分からないが気持ちが満たされた。心臓が肋骨の内側を激しく叩いているけれど、嫌な緊張ではなかった。まさにここが、自分の居場所だったのだと分かった。




