彼らのこと The Hero is here.Ⅱ(2/2)
「桐原先生ッ? どうしてこんな…大丈夫ですかッ」
「水城先生……どうしてここに……」
一瞬、視線が交錯する。
涙で潤んだ目、わななく唇、蒼白な顔。
彼女はじたばたと足掻きながら、涙声で事由を訴える。
「学校で、クラスの子達がここに来ようって話してて、いても立ってもいられなくて、だから……あっ」
その声は途切れる。元から部屋にいた三人のうち一人が、先生に歩み寄って髪を鷲掴みにしたのだ。
「おいおい何だよ、知り合いか?」
もてあそぶのに丁度よい玩具を見つけたと言わんばかりに、その声は愉悦で歪んでいる。
形勢は完全に逆転していた。彼女に手出しさせるわけにはいかない。彼女は私とは違う、一般人なのだ。だが体は動かない。
髪を掴んだままの山羊頭が、私の方に顎をしゃくる。
「愉しいことを思いついたぜ。この女を有効利用してやろう。目の前でこの女を嬲れば、重たいこいつの口も滑らかになるだろうからな」
「待て……ッ」
一人の男が水城先生を羽交い締めにし、一人が服に手を伸ばす。残りの二人も緩慢な動作で彼女へ近づく。
これから何をされるか悟った水城先生の頬が、かっと赤くなる。目の縁からぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。
「な……、嫌! やめて……!」
叫び声を背景にして、私は自由の身になれぬものかとがむしゃらにもがいた。全身を巡る血が、憤りの炎でふつふつと煮える。心の中心は反対にぞっとするほど冷え、凍てついていく。
許さない。絶対に。怒声を張った。
「待て、彼女を巻き込むな! 彼女は関係ないッ」
「関係ないなら、口出しせず見殺しにすれば良いだけの話だろ。さっきまでとは違って必死だなあ、もしかしてお前のオンナ?」
「何を……ッ」
あれよあれよという間に、彼女の上着とシャツが剥ぎ取られた。こちらに見せつけるように、先刻は私の目を貫こうとしていたナイフで、焦らすようにじわじわと肌着を裂く。自分の中の嫌悪感が爆発する。
下着に包まれた胸があらわになった。
その豊かな張りを目の当たりにした山羊頭たちが、口笛でも吹かんばかりに感嘆を漏らす。
「見ろよこの女、すげえぞ」
「顔はロリっぽいのにいい体だな」
「俺こういう女好きだわー」
「や、やだ……やめて……もう…………」
男の指がスカートの下から侵入し、這い上る。おぞましい手つき。けだものの呼吸。
「大人しくしてれば悪いようにはしねえよ」
「そうそう、いつもあの男の下でどんな風に啼いてるのか教えてくれればいいだけ」
「いやっ、私そんなことしてな……っ」
水城先生はいやいやをする。泣きじゃくっている。
自分の感情のプールから、焦りすらもはや消えていた。内にあるのは怒り、ただそれのみ。オセロの白が一気に黒にひっくり返るように、すべての感情が怒りに塗りつぶされてゆく。
こんな激情が、まだ己の内に眠っていたことに驚いていた。
立ったまま、金属棒を持っていた男が彼女の華奢な脚を割った。続いてかちゃかちゃとベルトを緩める。
「俺たち、ちょうど溜まってるんだよねえ」
「毎晩あの男のをどうやって咥えてるのか教えてほしいなー?」
水城先生が青ざめた顔をこちらへ向ける。がくがく震える唇から、絶え絶えに紡がれた言葉は、救いを求める単語ではなく。
「いや……。だめ、先生……見ないでぇ……っ」
それで、自分の中の何かがぶつんと切れた。
――大切な人を、もう二度と、目の前で傷つけさせてたまるか。
沸騰していた憤怒が急速に冷えていく。絶対零度へ。すべてを凍てつかせる不動の温度まで。
次に口を突いたのは、信じられないほど冷淡な声だった。
「……おい。薄汚い手で彼女に触れるなよ。微塵子未満の低脳な屑共」
それが自分で放った声だと、後からどこか遠くでぼんやりと感知する。自分が自分でなくなったような感覚だった。
男たちが、ぴくりと肩を震わせて振り返る。
「おいおい、状況分かってんのかお前……」
ふん、と鼻を鳴らす。自分でも信じがたいことに、私はまたも笑っていた。三十年間生きてきて、これほど不敵に、これほど歪んだ笑みを浮かべたことは、きっとない。
「状況を分かっていないのはお前らの方だろう。英雄の居場所を知りたいんじゃないのか? 教えてほしいのなら彼女から即刻離れろ」
「や……っと吐く気になったのかよ」
「そうだな。ただし、お前らの対応次第だがな。さあ、早く彼女を解放しろ」
人が変わったような私の様子に気圧されたのか、男どもがじりっ、と後退りする。一人が意を決して、ぶるぶると頭を振りながら答えた。
「……いや、その手には乗らない。お前が居場所を吐くのが先だ」
「そうか」
私は頷いて、億劫そうな身のこなしで、ゆっくりとその場で立ち上がってみせた。
全員が唖然としてこちらを見る。
特別な縄抜けの術を使ったのでもない。腕の力だけで縄を引きちぎったのだ。無論、縄の持つ高い摩擦係数のおかげで、手首の皮膚はずだずだになっている。血が染みだして指を伝い、汚い床へぼたぼた垂れるが、そんなことはどうでもよかった。痛みなど、そんな些末なものは意識の外に追い出している。
呆然としている男どもの前で、床に無造作に落ちているスーツの上着を拾い、内ポケットからハンカチを取り出す。こんな汚物にまみれた顔を水城先生に見せるのはいたたまれない。顔面を拭い、ハンカチを放る。
そして、出し抜けに言った。
「私が英雄だ」
数秒間、誰も言葉を発しなかった。
静寂。沈黙。
「…………何だと」
「聞こえなかったのか? "罪"の、先代のボスを殺した"英雄"は――パシフィスの火に終止符を打ったエージェントは、この私だと言っているんだ」
英雄はここにいる。最初から。
山羊頭たちが全員、動きを止めた。




