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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
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彼らのこと・回想 銀の追憶Ⅰ(5/5)

 ルネと二人きりで面会する機会はその日、相手からもたらされた。簡素なレーションでの夕食が済んでから、話がある、と一人隊長室に呼ばれたのだ。配属初日以来、そこに足を踏み入れるのは二回目だった。今度はヴェルナーも付きまとっていない。正真正銘、ルネとのマンツーマンだ。

 マットの上、丸腰のルネと対面して座る。いつになく硬い面持ちがそこにはあった。


「改まって、どうしたんだ」

「昨日のこと、きちんと君に謝っていなかったと思ってな。隊長としてしてはいけないことをしてしまった。申し訳ない」


 ルネが深々と頭を下げる。輝かしい髪の先が、床面に着いてしまうのも厭わずに。

 痛々しい思いを抱く。彼女にそんなことをしてほしくなかった。いつだって胸を張り、表情には余裕と確かな自信がみなぎり、この人に着いていけば大丈夫、そう思わせる振る舞いがルネには似合っていた。私の心には別に、昨夜のことでマイナスの感情が生まれたりはしていなかった。


「ルネ。顔を上げてくれ。君が謝る必要はない」

「そういうわけにはいかない、私は危うく君を――」


 面を下に向けたまま、言い募ろうとするルネ。その薄い肩を、私はぐいと持ち上げていた。また組み伏せられるだろうかとか、そんなことは頭になかった。ほとんど無我夢中で、至近距離から、彼女の凛々しい顔を見つめる。

 ルネは口を半開きにして、唖然としたようにこちらを見返していた。嫌がる様子はなかった。


「私は君のことを、怖いだとか隊長として不適切だとか、そんなことは一切思っていない。それどころか、私はあの時君を――綺麗だと思ったんだ」


 一気にそこまで言って、反応を見る。

 ルネは数秒、毒気を抜かれたようにぽかんとしていたが、私に両肩を掴まれたままの格好で、体を震わせて笑いはじめた。

 次は私が呆気に取られる番だった。よく笑う人だ、と脳のどこかが他人事のように考えていた。ルネは一頻ひとしきり大笑いしたあと、うっすら目に涙を溜めて、手を口元で押さえながら、私の方に視線を移す。


「おいおい、この状況で口説くか、普通」

「なっ! 私はく、口説いてなど……っ」


 思いもよらぬ言葉に、かあっと頬が熱くなる。体を仰け反らせて、あたふたと体の前で手を振った。

 そんなつもりで出た言葉ではない。ただあの時感じたことを、率直に言ったまでなのに。

 ルネの可笑しさ満点の笑みは、やがてすべてを包み込むような、慈愛に溢れた笑顔へと変わる。

 そんな彼女の表情に、意図せず心臓が早鐘を打つ。


「ふふ……何にせよ、君のおかげで気持ちが晴れたよ。ありがとう」

「私は……特に何もしていないが……」

「天然タラシか。タチが悪い男だ」


 そんな想定外の評が、不敵なほほえみと共に私に下される。

 ルネの雰囲気は、いつのまにかいつもの通りに戻っていた。私もほっとして、小さく吐息を漏らす。弱気な彼女を見るのは辛かった。私は、悪戯っぽく笑っている彼女の方が、ずっと――。

 ずっと、何だ?

 その先に続けようとした単語を、私は蓋をして無理やり押し込めた。


「錦」


 急に真面目な調子で呼び止められてびくりとなる。もしや、私が今抱きそうになった、適切でない想いに気づいたとでも言うのか。

 そろそろと見やると、ルネは気後れするほどまっすぐな瞳で、私のことを見つめていた。

 その口が意を決した風に動きだす。


「今決めた。君にだけ、伝えておこうかと思う。――私の、過去について」


 無意識のうちに、ごくりと唾を飲んでいた。



 ルネは瞼を伏せ、水滴がぽつりぽつりと落ちるように、静かに語りはじめた。あくまで、淡々と。


「こんな生活をしておいて、信憑性がないかもしれないが、私はな……男が怖いんだ」

「怖い?」

「ああ。まだ"罪"との戦闘が常態化する前の話だ。向こう方のとある麻薬製造拠点を、私を含む四人のエージェントで制圧する作戦が立てられた。それが私の初めての実戦だった。そこでトチってな、私は敵の手に落ちた」

「……」

「情報課が立てた作戦計画が、私が女であることを考慮すると、かなり無理がある内容だったというのもある。しかしまあ、それは言い訳になってしまうだけだがな。……私を捕らえた"罪"の連中は、三、四人はいたかな。みんな薬でキまっていてね、けだもののように本能丸出しになっていたその野郎どもに、順番に手籠めにされたんだ」

「……!」

「連中は薬で痛覚が麻痺してたのか、私が暴れて殴ったり蹴ったりして抵抗しても、ぜんぜん意に介さなかった。気を失ってしまったら楽なのにと、早く終わってくれと、それだけを考えていたよ。そのまま影に見殺しにされても仕方ないと思ったけれど、仲間は助けに来てくれた。――全部が終わってからだったけどね。私はもう心も体もぼろぼろになってた。自分の体液と連中の体液で、体の表面も中もぐちゃぐちゃのべたべたに汚れていた。人生であんなに惨めだったことはない。もう、昔の話だが」


 そこで一度言葉を切るルネに、私は何も声をかけられない。

 語り口は穏やかだったが、組んだ彼女の手の甲には節が白くなるほどに浮き出ており、精神的な苦痛に耐えているのが嫌でも分かった。


「私は自分の性を呪った。なぜ男に産まれなかったのかと思い悩んだ時期もあった。けれど、自分ではどうしようもないことについて、思案する時間など自分にはないと思い直した。私は強くなろうと決心した。男より、もっと。二度と仲間の足を引っ張らないように。自分の身を自分で守れるように。口調も変えて、短かった髪も伸ばしてみたりして、そして変わろうと思った私が行き着いたのが今の自分さ」

「……そんなことが……」

「男と言葉を交わすのは問題ないが、深層的にはまだ恐怖心があるし、触られるとどうにもね……反射的に反撃してしまうんだ。昨日の君への狼藉もそのせいというわけだ」


 これで私の話は終わり、とルネは締めくくる。

 彼女が背負っているものに打ちのめされて、私は口の利き方を忘れてしまった。慰めの言葉ひとつ浮かばない。ルネの過去。その凄惨な出来事を乗り越えるため、どんなに苦労しただろう。どんなに努力しただろう。

 想像を絶する道を歩んできた彼女に、力に訴えることだけが取り柄の私が、かけるべき言葉など持ち得るはずがなかった。私は恥じ入って俯いた。

 

「すまない、悪いことを聞いた。何と言えばいいのか分からない」

「いや、言い出したのは私の方だから。私こそ、君を良くない気分にさせてしまったかもしれないな……。でも今、なんとなくすっきりした気分なんだ。この話を他人に伝えたのは初めてだ」

「そうなのか……。それが私で良かったのか……」

「もちろん、君で良かったよ。……君と話していると、不思議と心が落ち着く。他の人にはない、安らぎを感じるんだ。なんとなく、私はずっと前から、君を知っているような気がしている」


 私は驚いて、目を見張った。ルネのその印象が、私が内心に抱えていた気持ちと、まったく同じものに他ならなかったからだ。

 ルネの隣にいることに、パズルのピースがきっちり嵌まるのにも似た、自然さと必然性を感じる。まるで、こうなるのが初めから定まっていたかのように。そうするのが自然の摂理であるかのように。

 私たちは見つめ合う。ルネの瞳、通った鼻梁、薄い唇、細い顎、輪郭を縁取る銀の髪。私はその時悟った。この目の前にいる人に、とっくに惹かれていたのだということを。


「なあ、錦」


 不意に、ルネがゆっくりと呼びかける。


「何だ?」

「君さえよかったら、練習相手を引き受けてくれないかな。男性恐怖症を克服するための。どうにか、苦手に打ち勝ちたいと思っていたんだ」


 その顔は真剣そのものだった。

 その申し出に是と回答するのに、しばし逡巡する理由はひとつ。


「それは、私でいいのか?」

「君がいいんだ」


 ルネが大きく頷く。それに私も頷き返した。ルネのためになることなら、当然何でもやりたいという心境だった。

 ルネは滑らかな動作で自分のすぐ前に跪くと、流麗な仕種で、私の片手を掬い取る。その様子はまるで、麗しい中世の騎士だった。


「では、これからよろしく頼むよ、錦」


 ルネはそこで、完璧な笑みを浮かべてみせる。

 頬の熱さを感じつつ、疑問を投げかけずにはいられなかった。


「……なあ、これ、逆じゃないか?」

「まあ、どっちでもいいだろう」


 彼女がそう笑い飛ばすので、私もつられて笑った。

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