彼らのこと・回想 銀の追憶Ⅰ(4/5)
冷えてきたため火をおこし、赤々と燃える炎を見つめながら、倒木の上でしばらく二人で話す。ルネの手には酒の小さいボトルがあった。ぽつりぽつりと会話を続けていると、だんだんとルネの口数が減ってきた。ちらりと見ると、瞼もとろんとしている。ふと気づいたときには、ルネは座ったままですうすうと寝息をたてて眠りに落ちていた。
私は無遠慮に彼女の顔をまじまじと見つめた。寝顔を見るのは初めてだった。
血気盛んな雰囲気は失せ、あどけなささえ浮かぶ、無防備な表情を晒している。焚き火の光によって、精悍なつくりの顔面の上に、長い睫毛の影が作り出されていた。その愛らしいともいえる繊細さに、思わずどきりとする。活動時と睡眠時とで人はこれほど印象が変わるのかと、感心してしばらく彼女の様子を眺めていた。
不意に冷たい風に吹かれて、我に返る。こんなところで寝入っていては風邪を引いてもおかしくない。私はルネの肩口をとんとんと叩いた。
「おい、ルネ……風邪を引くぞ。起きてくれ」
んー、と返事とも呻きともつかぬ声が漏れるが、ルネは目を覚まさない。失礼して、少しばかり強く肩を揺すってみる。――駄目だ。途方に暮れる。
こうなったら自分が寝床まで運ぶしかあるまい、と決意する。彼女は華奢な体格だから持ち上げるには困らないだろう。問題は、どこを持つかだ。
初めおぶろうかと思ったが、意識の無い人間相手には難しいとすぐに気づく。男相手ならこんなに悩む必要はなく、引きずってでも運ぶのだが。仕方なく、片手で背中を支え、一方の手で膝を持ち上げることにした。
ルネに近づくと、ふわり、と花の香のような匂いが漂った。その香りの優しさに、心臓が大きく跳ねる。いくら勇ましく漢らしい振る舞いをしていようと、やはり男とは根本的に違うのだなと思う。
ルネの肩に手を回し、膝裏に手を差し込んで、その華奢な体躯を持ち上げようとする。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
一秒未満、コンマ数秒のうちに、見える世界が反転していた。作り物の見事な星空が見える。後頭部がちくちくするのは、草の感覚だろう。そして、自分の腹の上に、ルネが馬乗りになっていた。
凄絶な形相だった。眼には殺気がみなぎっている。両手で、得物の日本刀を私の首筋へと突き立てていた。大事には至っていないようだが、僅かにひりひりする。皮膚が切れているらしい。
――殺されるところだった。確かに、その実感があった。
そんな状況下で、私の思考は、この人の瞳と髪はなんて美しいのだろう、と場違いな感想を弾き出していた。
その状態は長くは続かなかった。ルネがはっとして顔に動揺の色を浮かべ、焦ったように刀をどかす。刀は濡れたように艶やかに光っており、それが鞘に納まるのをぼんやりと見届けた。
ルネは、すまん、とぼそりと呟いた後に立ち上がり、そのまま立ち尽くす。
「ルネ……?」
地面に仰向けになったまま、私は縫いつけられたように動けなかった。襲われたことへのショックで、ではない。そこに突っ立ったままの彼女、その青く美しい瞳に宿った後悔と悲しみの念が、痛々しいほどに胸へ迫ってきたからだ。
そのルネの姿は、荒野に取り残され、冷たい風に吹きさらされているように見えた。一人ぼっちで。まるで無力な少女であるみたいに。
「すまない……私は、もう部屋に戻る。君も、もう休むといい」
「ああ……」
ふらふらとした足取りでテントに向かうルネの背中を、私は上体を起こした体勢のまま長らく見つめた。その、何かに深く傷ついた背中を。
翌日、私とルネのあいだには表面上は特に何事もなかった。挨拶の言葉をかけると普通に返してくれたし、きびきびと隊員に命令する姿は凛々しく覇気があった。しかし、その顔がどことなく強ばって見えた。
気にかけまいとするのに、どうしても気になってしまう。午前中の模擬戦闘では組んだ相手の足を引っ張り、危うく自分も大怪我をしかけた。頭の中に別の誰かがいて、シナプスをめちゃくちゃに絡ませてでもいるように、実体のないもやもやで思考が鈍っている。実戦ともなれば、人間を辞めた獣みたいに目の前の事態に過集中するほどなのに、自分が自分でなくなったようで落ち着かなかった。
午後、見張りに呼ばれた私は、運悪くヴェルナーと組まされてしまった。この男、いつもはおちゃらけて飄々としているのだが、実は他人についての観察眼が異常に鋭い。一体いつ見ているのか不気味なくらいに。
「お前ら、昨日なんかあっただろ」
持ち場に着くなり、ヴェルナーは簡潔に言った。気取った風もない、淡々とした口調だった。
単刀直入に切り出され、数秒おかしな沈黙を作ってしまう。
「……何かとは、なんだ」
「だーかーら、それは俺が聞いてるんだろが。昨晩はルネと二人きりだったんだろ? ルネもああだけどこの部隊で一人きりの女性だし、男と女が二人きりになったら色んなことが起こっても不思議じゃないし、端から見ててもお前らなーんかぎくしゃくしてるし。俺ってこう見えても口は堅い方だから、何があったか包み隠さず言ってごらんよ。ほら。遠慮せずに、ほらほら」
ヴェルナーは淀みなく私に迫ってくる。口はどう見ても弓形に歪んでおり、明らかに面白がっていた。そんな様子と、常日頃の言動からいっても、こいつの口の堅さを信用するわけがなかった。
「何も無い」
「無いこたないだろォ、そんなに動揺しちゃってさぁ」
「動揺などしていない!」
「ええぇ、目が泳いでるよお、錦くん。あっ、俺分かっちゃった! 人に言えないようなことを二人でしてたから、だからそんな変な態度なんでしょ」
「勝手な憶測をべらべら喋るな! 昨日はただ――」
そこまで衝動的に言い返してはっとする。ヴェルナーがにんまりと意地汚く笑う。この男に手玉に取られたのだと分かったが、既に手遅れだった。
「へえ? ただ、なに?」
「……ッ」
「大丈夫大丈夫、ほんとに誰にも言わないから」
悔しさに歯をぎりぎりと噛み締める。話すまでヴェルナーは解放してはくれないだろう。どうせあと数時間、ここでこいつと一緒にいなければいけない。その間中ねちねちとしつこく粘着されるよりは、潔く吐いてしまった方が楽か、と半ば自暴自棄な結論を出した。
「……貴様が思うようなことは何も無い。ただ――ただ、ルネに襲われそうになっただけだ」
ヴェルナーがひゅうと口笛を吹いた。
「おいおい、俺の期待以上だぜそりゃ。女性に襲われるなんて羨ましいぜ、ルネの好みはお前みたいな優男ってことかい。で、それを断っちゃったわけ?」
にやつく男を前にして眉間に手をやる。どうやら言葉を曲解しているらしい。襲われた、その言葉以上の意味はないのに。
「そういうことじゃないんだ。……殺されそうになった」
「殺されるゥ?」
今度こそヴェルナーは頓狂な声を上げた。次は彼が眉間に皺を寄せる番だ。
どういうことだよそれ、と訝しむ眼前の男に、昨夜あったことを手短に説明する。
先ほどまでの浮薄な雰囲気は鳴りを潜め、赤い眼光も鋭く、ヴェルナーは腕を組んで思案しはじめた。
「ま、大事に至らなかっただけ良かったがよ。本当にお前、それ以外のことはしてねえのか」
「無論、そうだ。寝込みを狙うような不埒な真似などしない。貴様と違ってな」
「お前も言うようになったねぇ。そういや、今の話と関連するか分からんが、気にかかってたことがあったな」
「何だ」
「大したことじゃないんだが……ルネはいつも、革手袋をしてるだろ。あれ、外したところを誰も見たことがないんだよ。俺が思うに、極力肌を露出しないようにしてるんじゃねえかと」
「だから?」
「お前、鈍いねェ。つまり、ルネは他人に触れないようにしてるってこと。他人に触られたら、昨日のお前みたいに斬りかかっちまうってことだよ」
「……なぜ」
「それは分からんよ。昔何かあったんじゃないの? お前が自分で聞いてみれば」
言い出した張本人のくせに、ヴェルナーはとっとと話題を投げ出して、草原の上にごろりと横になった。このタイミングで昼寝でも始めるつもりらしい。どこまでも気ままな男だ。絶対に耳を貸さないのは火を見るよりも明らかだったので、協調性を身に付けろなどと言うつもりはなかったが。
それよりも、私はルネのあの時の姿を脳裏に呼び起こしていた。殺気の塊のような表情。すぐそのあとに見せた、不安げで寂しそうな表情。手負いの小動物にも似た彼女の様子からは、寒々しい孤独を強く感じた。
あの反応がルネの過去の経験から来るものだとしたら、深入りするのは憚られる。私のような人の心の機微に疎い人間が、踏み込んでいい領域とは思えなかった。それに、ルネは頼りがいのある第一部隊の部隊長であらんとするが故に、弱みともとれる部分は公に晒さないのではないか、とも思えた。
そこまで考えたのに、どうにかして彼女に心を開いてもらう方法はないものか、と無意識に思慮を巡らせている自分に驚いた。
手袋越しだったけれども、彼女は私の頭を撫でてくれた。だから、だから、もしかしたら――。
ふるふると頭を振り、思考を強制的にシャットダウンさせる。ルネと知り合ってからの自分は、やはりどこかがいかれてきている。




