彼らのこと・回想 銀の追憶Ⅰ(2/5)
「先ほどは失礼した。隊長殿とはつゆ知らず……」
少し頭を下げつつ、出会い頭の非礼を詫びる。ルネは口の端に、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「それよりも先に、謝るべきことがあるんじゃないか? ん?」
「いや……申し訳ない」
「まあそう恐縮するな。こういう外見だし性格だし、男に間違われるのには慣れている」
「面目ない……」
羞恥に頬の辺りが熱くなるのを感じ、私は俯く。
ヴェルナーが私の心境を知ってか知らずか、気軽な調子ではっはと笑う。
「まーでも、あれは仕方ねえよ。ルネがもっとめりはりのある体してたら新入り君だって間違えな――ぐふっ!」
ルネの拳がヴェルナーの腹に横から入り、男は丸くなって悶絶し始める。ルネはその様子を、凄味のある笑みとともに眺めている。恐ろしい。
「まったく、失敬な奴だと思わんか?」
ルネはこちらに苦笑を向けた。確かにと頷いて、やっとのことで痛みから回復したらしいヴェルナーに向き直る。
「たとえ冗談でも、あのような言葉は感心せんな」
「うっ、新入り君に説教されるなんて……」
「はは、錦は紳士だな。まあ、私も手が出てしまったからおあいこだ」
「そうそう」
「お前は少しは反省しろ」
ルネはヴェルナーの頭を小突く。いってえ、とぼやきながらもヴェルナーの顔には笑みがある。私は二人の様子を見て、当惑せずにはいられなかった。今まで籍を置いていた部隊では部隊長の言は絶対で、そもそも軽々しく言葉を交わせるような関係ではなかった。ところがここはどうだろう。まるで、隊長と隊員が対等な間柄であるかのようだ。
「驚いたか?」
ルネが今度はにやりと不敵に笑った。私の考えが読めたとでも言わんばかりの表情だ。
「ここに来た奴らは大体最初は驚くよ、君だけじゃない。でもこれが私のやり方なんでね。君にも慣れてもらわねばならないんだ」
「話というのは、もしや……」
「そうそう、そのことだよ。ここでは堅苦しいのは抜きだ。肩の力を抜いて、気楽に話せ」
気楽にと言われても、戸惑わずにいられない。ここでは、自分の常識が通じないらしかった。
「しかし……」
「上官命令が聞けないか、錦?」
ずいと顔を近づけて、ルネが低く問うた。その双眸が、ぞくりとするほど冷たい光を宿している。やられる、と本能が囁いた。この人は、紛うことのない、本物の手練れだ。
分かった、と観念して答えると、ルネは破顔して私の肩をぽんぽんと叩いた。
「そうそう、素直が一番だ。じゃ、次に行こう」
「次……?」
何が何なのか分からないまま、ルネがさっさと立ち上がって隊長室を出ていく。ヴェルナーはもう後に従っている。食堂のテントから外に出たところで、ルネに追いつく。それと、彼女が隊員を呼ぶための大音声を張ったのが同時だった。
「全員集まったか? よく聞け、貴様ら!」
わらわらと集合した男たちへ、ルネな威勢のよい声を放つ。その声はどこまでも澄んでいる。
「今宵、桐原錦くんの入隊を祝して、歓迎会を執り行う! 開始は十八時、厳守だ。それでは総員、準備開始!」
愉快げな笑いを湛えた隊員たちが、おう、と地鳴りのように応えた。
そして私は、和気藹々とした喧騒のなか、一人で溜め息を漏らしているというわけだ。
「まったく、戦場で何をしているのやら」
一際盛り上がっている一団をちらりと見やる。その輪の中心にいるのは、隊長殿もといルネだ。
「ルネも真面目そうな顔をしてあれだものな……」
銀髪が、炎に照らされてまるで金属のように輝いている。がたいのよい男四、五人に混じって、ルネはぐいぐいと酒を飲み進め、大口を開けて呵々大笑している。もしかしなくても誰よりも飲んでいるのではなかろうか。宴が始まってそれほど経っていないのに、少年のような顔はほんのりと朱に染まり始めていた。
はあ、ともうひとつ息を吐いて、手元の杯に目を落とす。うんざりした表情の男の顔が映っている。とんでもないところへ来てしまったものだ。
「よっ、新入り君。飲んでるかーい?」
唐突に肩を叩かれる。
見なくても分かる。ヴェルナーだ。億劫に思いつつ横目で見ると、締まりのないだらしない顔がある。彼の赤毛は、朱色の光の中でゆらゆらと燃え盛っていた。
不躾な男の登場に、むっとして言い返す。
「新入り君じゃない。錦という名がある」
「あーそうだったねえ、どうも男の名前を覚えるのは苦手でね。女の子の名前なら一発で覚えられるんだけどね。あはは」
誰もそんなことは聞いていない。
どうやらヴェルナーもしこたま飲んでいるらしく、昼間の上をいく上機嫌さと鬱陶しさだった。
「何の用だ、ヴェルナー」
「おっ、俺の名前は覚えてくれたんだ。嬉しいねえ、ヴェルでいいって。つうか、別に用がなくても話していいだろ。宴の席なんだしさ」
男はへらへらと気の抜けた笑みを浮かべ、気安く私の隣に腰を下ろす。そのまま私の杯のなかを覗きこんだヴェルナーの口先が尖る。
「おいおいなんだよ、全然飲んでないじゃんか。お前のための宴なんだからどんどん飲めって。あーそれとも酒が駄目な体質なの? 日本人には多いんだっけか。ていうかもしかして成人してないから飲めないとか? そういえばお前年いくつ? そもそも成人してんの」
ヴェルナーの声が洪水のように襲いかかり、うんざりする。ぺらぺらとよく喋る男だ。正直苦手なタイプだった。
「年なら、二十二だが」
「えっまじで? 俺より二つも上かよー。全然見えねえわ、年下かと思ってた」
無礼極まりない男は上体を仰け反らせてあはははと大笑いする。年上だと判明したところで敬う気はさらさら無いらしい。腹の底からふつふつと憤りが沸き上がってきたが、言い返すのにも疲れて黙っていた。
憮然として彼から視線を逸らす。もう一人でに抜け出して、さっさと寝てしまおうかとも考えた。
ところが、自分の意志に反し、顔が勝手にぐいとヴェルナーの方を向く。彼の手が頬を掴み、無理矢理そちらを向かせたのだと、数瞬遅れて気づく。
――どこに初対面の、しかも年上の同僚の顔を、鷲掴みにする奴があるのか。
私は問答無用でヴェルナーの手を振り払った。
「気安く触るな。何様のつもりだ」
「あのね、お前さ、その顔やめろって」
「……何なんだ、いきなり。どの顔のことだ」
「だからァ、その顔だよ、その湿気た顔だろォ? 楽しい席なのに、お前だけだぞそんな暗ーい面してんの。もうちょっと愛想よくできねーの?」
「貴様に愛想を振りまかなくてはいけない理由が分からない」
「はあ……なんか理屈っぽくてめんどくさそうな奴だなァお前」
ヴェルナーが呆れ顔になって首を振る。だったら関わらないでくれと本気で思う。それに呆れたいのはこちらだ。
こんな馴れ合いのままごとのようなことをして、一体どういうつもりなのか分からない。私はここに、酒など飲んで馬鹿騒ぎするために来たのではない。
「私はな、こんな戦場の渦中で酒を飲む気にはなれんのだ。ルネも一体どういうつもりなんだか」
またもルネのいる方に目をやる。大きな切り株の上で、腕相撲の力比べをやっているらしい。ちょうど屈強な隊員をルネがたやすくねじ伏せたところで、私は内心一驚を喫した。周囲がどっと囃し立てる。
その様子は、心底楽しそうだった。私がこれまでに見てきた戦場とは、全く別物の世界がそこに広がっているようだった。そこは、とても温かそうだった。
「楽しそうだろ」
ヴェルナーが私と同じ方を見ながら、しみじみと呟く。
肯定も否定もしないでいると、ヴェルナーは手の杯をぐいと傾け、静かな口調で語りだした。




