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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
53/137

僕らのこと ゴゥ(ス)トダンス・ウィズ・ランピィキャット(7/8)

「き、肝だめし?」

「そんなの聞いてないですよお」

「私怖いの駄目なんですけど……!」


 女子たちが口々に拒否反応めいた言葉を並べる。俺だってそういう、わざわざ得体の知れないものがいそうな場所へ行くのを面白がるイベントは、正直ごめん被りたい。

 女子大生は聞いているのかいないのか、にやーっと口の端を吊り上げる。


「ルールは簡単! くじで二人組を決めて、森の奥のほこらの前に置いてある、鉛筆を一本持って帰ってくるだけ! ちなみに明かりはこの懐中電灯だけだよー! さ、くじ引きしよう」


 彼女はなぜか楽しそうに、本当に楽しそうに、掌に収まるほど小さい懐中電灯を見せびらかしてみせた。それだけを持って暗がりに分け入っていくには、あまりに心もとない装備品だ。

 彼女があまりにてきぱきと説明し進行するものだから、誰にも拒否する暇もなかった。怖がっていた女子高生たちも流されるように、言われるがまま組決めのくじを引いていた。俺も気づけば"四"と書かれた細長い紙片を持っていた有り様だ。

 女子と男子とで組になるようにしてあったらしく、案の定というべきか、運良くというべきか、俺は未咲と二人組になった。うんまあ、こうなる予感はなんとなくあった。俺と同組になったことを知ると、未咲は露骨にぷいっと顔を背けた。

 数字が小さい順に森に入るらしい。一を引いたのは輝と同級生の女子で、輝はか弱い光では到底照らせない深い暗がりの中へ、躊躇することなく踏み込んでいった。その表情は穏やかで全くひきつったりしていなかった。すごい余裕だ。同性ながら惚れぼれするくらいの。

 待っている時間はやけに長く感じた。何か食べていてもいいのだが、その方が気が紛れるのだが、じわじわと這い上ってくる緊張感のせいで、とっくに食欲などせている。

 一組目が戻ってきたのは十分ほど経ってからだった。にこにこと笑う輝の片手には、ちゃんと鉛筆が握られている。隣の女子は、俺たちの姿を見るとあからさまにほっとした顔つきになった。

 二組目を見送り、彼らが戻り、三組目を見送るあいだに、未咲の表情からは血の気が消えていった。この待たされる時間は確かにきつい。嫌なものはさっさと終えてしまうに限る。俺にだって余裕はなく、掌にはじっとりと汗をかき、鼓動が早まっている。ただ、未咲の様子から察するに、彼女の緊張は自分の比ではなさそうだった。

 三組目の太田からいやに軽い懐中電灯を受け取る。よくこんなもの見つけてきたなと思うほどかわいらしいサイズだ。試しに木立の入り口から内部へ差し向けると、ほんの少しの狭い範囲しか照らすことができない。


「ぶっちゃけ怖いぞ。頑張れよ、茅ヶ崎」


 要らんことを囁き、俺の肩を叩いて、太田は皆の方へ歩み去っていった。 

 ただの森だ、と自分に言い聞かせ、未咲と二人して木々のあいだに足を踏み入れる。想像以上に前が見通せない。足元には落葉が積み重なっており、踏みしめるごとにバリバリと小さくない音が出た。木は大半はまっすぐ上に伸びているが、ところどころに節くれて曲がった種類のものもあり、それが暗闇からぱっと照らし出される様は、何か奇妙な生き物じみて背中を粟立たせる要素満載だった。

 俺の心臓はどくどくと激しく脈打っている。雰囲気に飲まれているのもあったが、一番は、身を縮こませるようにした未咲が、俺へ体を密着させているのが原因だった。

 緊張と、恐怖と、少しの喜悦で、もう自分の心境が分からない。

 へばりつく未咲をちらりと盗み見ると、その顔色はずいぶんと青かった。 


「大丈夫かよ、お前」

「たぶん……大丈夫……」


 大丈夫そうには見えないのだが。

 そう返そうとした矢先、ぴゃっと未咲が飛び上がる。


「ひゃっ」

「な、なんだ?」

「いまなんか、パキッていわなかった? やだぁ……」

「風とか、木の枝でも折れたんじゃねーの……」


 言うが早いか、未咲にきゅ、と手を握られた。

 おい、それはやばいぞ。


「……龍介の手、意外とおっきいね。こうするとちょっと安心するかも……」


 片手が未咲の両手で包まれる。未咲の手はさらりとして、俺より少し冷たかった。こんなときにやめろと言いたい。全力疾走した後くらい早まったこの脈拍が、未咲に伝わってしまうのではないか、と恐れを抱く。

 手を繋いだまま、それからは無言で森の奥を目指した。おそらく四、五分だったのだろうが、体感では一時間も二時間もかかったように思われた。


「あ、祠って、これかな」


 俺も同時にそれに気づいた。俗に鎮守さまというものなのだろうか、俺の背丈より小さい鳥居と、ちんまりとした祠が姿を現した。祠の前に鉛筆がそっと置いてあり、それはお墓に線香を供えるのにも似ている構図だった。未咲が鉛筆を一本掴む。二人とも、どちらからともなくほっと息をついた。


「じゃ、戻るか」

「うん」


 未咲の両の手はまだ俺の手をしっかり握っている。そういえば、未咲と手を繋いだのなんて、中学一年のとき以来じゃないか。ぼんやりとそんな考えを巡らせられるほど、往路よりは心に遊びができ、この状態を噛み締めて心に刻むこともできた。未咲の顔色にも血色の良さが戻ってきている。

 今なら言えるのでは。

 今なら、ずっと隠し事をしてきたと、彼女に伝えられるのでは。

 俺は唇を湿らせ、意を決して、口を開いた。


「あのさ。お前に言ってなかったことがあるんだけど……」

「え?」


 未咲が、予想以上の反応を示す。肩がびくりと跳ね、脚の動きが止まる。それは、予想外の切り出し方をされた、というより、言われるのではないか、と予期していた言葉を不意に投げつけられた、と思えるような反応の仕方だった。

 未咲の過剰なリアクションに内心で首をひねり、また実際に未咲の方へ首をひねったとき。

 俺の思考は突如凍りついた。


 そこに山羊がいた。


 呼吸ができなくなる。木立の暗がりの中、人の大きさの影がぬっと立っている。闇に紛れるような、黒っぽく目立たない服装。そして頭には、リアルな山羊の被り物。

 山羊頭の男。

 何度も繰り返す、誘拐の日の夢。

 ――どうしてここに、あいつがいる。これは現実か。誰か夢だと、そう言ってくれ。

 視界がぎゅうと狭くなる。心臓が破れそうなくらいに、ばくばくと肋骨を叩く。不快な冷や汗がこめかみを伝った。いきなり押し黙った俺を、未咲がどこか切迫した面持ちで見上げている。


「ねえ何? 話って――」


 俺はそれに答えられない。凝視する先で、ゆらり、と山羊頭が一歩踏み出したように見えた。

 俺は未咲の手を乱暴に引っ張った。


「走れ!」

「え、え? 何なの?」

「いいから!」


 もどかしく俺は叫ぶ。半歩遅れて、未咲がついてくる。木々を抜けるまで、無我夢中だった。そのあいだの記憶はなく、気づいたら実習所の前で膝に両手を置き、ぜえぜえと肩で息をしていた。

 必死の形相で疾走してきた俺を、みんなが目を丸くして見ているのが分かる。未咲はかなり混乱していた。


「ねえ、何なの? 話って……どうしていきなり走りだしたりしたのよ!」


 いまだ息を切らしながら、俺の頭の中ではぐるぐると様々な考えが回っている。動揺しすぎて、未咲の問いかけに答える余裕もない。

 あれは本当にあの山羊男だったのだろうか。あそこに、実際に立っていたのだろうか。

 繰り返し夢を見すぎて、起きていても夢が見えるようになってしまったのか。もしくは大学生が用意した、参加者を怖がらせるための仮装という可能性は? よく考えれば、俺が誘拐に遭ってから、八年近くが経っているのだ。当時の誘拐犯と同一と考えるには無理がある。もっと冷静になればよかった。焦りすぎだ。走って逃げることもなかった気がしてくる。

 そばに、女子大生がつつうっと寄ってきた。


「何かあったの? 龍くん」

「いや……何でもないです」


 そう返答するしかない。女子大生はそお? と小首を傾げると、また威勢よく右手を天へと掲げた。


「最後は私ですがあ、男性諸君! 誰かエスコートしてくれる人ー!」


 え、と無意識に声が漏れる。そうか、女子は男子よより一人多いのだ、と思い出し、焦る。もし、あれが本物なら。あそこに山羊男がいるのなら。行かせるわけにはいかない。けれど、"行っては駄目です"と言っても、全員に怪訝に思われるのがオチだろう。


「俺、行きます」


 自分でも驚くほどの勢いで、名乗りを上げていた。

 女子大生がにっこりと満足げに微笑むが、それを視認し、なにがしかの感情を脳から引き出すだけの余力は俺にはない。

 彼女と並んで再度森へ踏み込む俺を、未咲は憮然として見送っていた。

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