僕らのこと ゴゥ(ス)トダンス・ウィズ・ランピィキャット(6/8)
合宿の時間はあれよあれよという間に過ぎ、いよいよ三日間に渡る日程のメインイベント、バーベキューが目前に迫ってきた。
昨日から自分について回る気配を一時でも忘れるため、一心不乱に課題に取り組んだ俺は、山のように積んでいたワークやらプリントやらを劇的に減らすことに成功した。これで夏休みの後半は、暑さをやり過ごしつつだらだらと日数を数えられそうだ。
俺が課題に向き合うあいだ、未咲は何やら不機嫌そうな様子で、しきりにあれを教えろこれも教えろと絡んできた。俺が何かしでかして、それに腹を立てているのだろうか。しかしそういう場合、いつもの未咲であれば俺に構わずほったらかしにするはずだ。
未咲はどこか、彼女自身に腹を立てているようにも見えた。
「どうかしたのか」
問うと、別に、と即座に突っぱねられる。女子は本当に何を考えているのか掴めない。なので、未咲の機嫌が直るまでそっとしておくことに決めた。
キリのよいところまで課題をこなし、ふと窓の外を見ると、目線まで陽が傾き、辺りが茜色の染まりつつある。夏の盛りだと思っていたけれど、徐々に日の入りが早まっているのを実感する。今が真夏のピークで、あとはだんだんと秋の気配を感じるようになるのだろう。
夏は嫌いだが、こんな季節の終わりには、誰もが抱くどこか切ない晩夏の郷愁が、自分の胸にも広がるのを止めることはできなかった。
バーベキューが始まるまであと一時間ほど。俺はそれに備え、早めにお風呂に入っておくことにした。
入浴に使うアイテム一式を携えて風呂場に向かうと、そこには先客がいた。こんな時間に俺と同じことを考える奴がいるのか、とよく見ると、それは見慣れた姿。輝だった。
幼なじみといえど、裸体を晒すのはそこはかとなく気恥ずかしいものがある。なんとなく前を隠しつつシャワーへ近寄ると、体を洗っていた輝は俺に気づき、やあと声をかけてきた。
「おう」
「バーベキューが終わったら合宿も終わりだねえ」
「意外とあっという間だったな」
「ほんとにね。龍介はあの、大学生のお姉さんの連絡先聞き出したの?」
「しねえよ、そんなこと」
しばらくこの合宿に関する感想をぽつぽつと言い合う。誘ってくれてありがとう、と言われたので少々照れくさくなり、改まって言うほどのことかよ、と憎まれ口を叩く。
不意に輝が黙りこんだ。ついそちらを見ると、輝はじっと俺を見返していた。
「龍介はさ、あの二人、うまくいくと思う?」
しばらくの沈黙ののち、不意にぽつりと輝が漏らした。その声はごく小さいものだったが、浴室の硬い壁によってその響きは何倍にも膨れ、部屋中を満たす。
増幅された音は、いやに俺の耳に刺さった。
「――あの二人って?」
「未咲と、九条先輩だよ」
「ああ……まあ、そうなんじゃねえの」
その名を聞いただけで、苦い気持ちが胸の内に広がる。
上手くいくも何も、お互い好きなら上手くいっているのではないだろうか。九条の方はともかく、未咲にはあんな欠点のない男を嫌う理由などひとつもないはずだ。俺なんかじゃ足元にも及ばないくらい、九条は完璧なのだから。どこまで進展したとかは知りたくないけど。
輝はふっと、どこか虚無的な微笑みを浮かべた。
「僕は上手くいかないと思うな」
「は? なんで……」
「未咲の感情は憧れであって、それは恋愛とは別物だからさ。先輩はそうじゃない。二人の気持ちは初めからすれ違っている」
輝の口ぶりは、自分と同学年とは思えないほどに大人びていた。
というか、何なんだ。その恋愛のエキスパートみたいな口調は。
「お前、そういう方面に詳しいんだっけ……」
「これはチャンスなんだよ、龍介」
俺の問いかけには答えず、力強く言い切る。
いや、何のだよ。
「何言いたいのか、さっぱりなんだけど……」
「このままでいいの、龍介。このまま、二人が恋人関係のままで。――君さ、未咲が笑ってるならそれでいい、とか思ってるんでしょ」
ぐっと喉の奥が詰まる。まさしく図星。輝の言う通りだった。
未咲が笑っていられるなら、幸せを感じているのなら、その笑顔が俺に向けられるものでなくても、俺は構わないと思って、いる。
こいつ、読唇術だけじゃなく読心術も使えるんじゃないのか、と恐れおののかずにはいられなかった。
輝は教え諭す表情になる。いつもの温和な雰囲気は消え、冷徹とまでいえる顔つきになっていた。
「それじゃ駄目なんだよ。物わかりのいいふりはやめなよ。龍介はいつもそう。何だかんだ理由をつけて、自分が傷つくのが怖いだけなんでしょう。できない理由なんて探せばいくらでも見つかる」
「何……」
「自分から動かなきゃ、欲しいものなんて手に入らないんだよ」
輝が、俺の心のその真ん中まで見透かそうとするように、まっすぐな視線で射抜いてくる。瞬きすらしない。
幼なじみの見たことのない表情に、俺は気圧されていた。
「君はもっと、我が儘になっていいと思うよ」
最後に少しだけ張り詰めた顔を緩めて、輝はそのまま浴室を出ていった。
無音になった浴室で、しばらく目の前の曇った鏡を睨む。俺には分かる。あいつは相手の痛いところを無闇に突いて回るような人間ではない。きっと本当に俺のためを思って、敢えて厳しい言葉を選んでいるのだ。
「だからってなあ、どうしろっつうんだよ」
今、未咲の隣には九条がいる。俺では彼にはどうやったって勝てない。未咲もきっと、そんなのは望んでいない。二人が上手くいかないなんて、そんなことがあるだろうか。きっと、俺の気持ちと存在だけが邪魔なのだ。
このままでいいのか。いいとは思わない。けれどこんな現状で、どうしたらいいのか考えたって解が導かれる道理はない。
――人間も、数学と同じく論理的だったらいいのに。
頭の中のもやもやを直接揉み消すように、俺はシャンプーをわしわしと泡立てた。
肉や魚介類の焼ける香ばしい匂いが、暑さの名残濃い実習所の周りの闇に、心地好い喧騒とともに漂っている。暗闇に食べ物や炭、緑の香りが混ざりあう、濃密な夜だ。木にくくられたライトがちょうど食材が乗った網を照らし、その下では、明るい光を放ちながら、炭がぱちぱちと爆ぜている。
網の隣には巨大なテーブルが設えられ、生の肉や野菜をはじめ、おにぎりや甘辛様々なつまめるお菓子、ソフトドリンクや大学生用の酎ハイ、ビールなども並んでいた。大学生各位のアルコールによるテンションの上昇で、高校生たちも自然と笑い声が大きくなっている。馬鹿騒ぎというほどではなく、和やかと呼べる範囲での宴といえた。
バーベキューをするにあたり、俺は進んで食材を焼く役を買って出た。役割があるのはいいことだ。食材は昼間に大学生が買い出しに行って調達してくれたもので、立地が海そばということもあり、肉よりもむしろ新鮮な魚やエビ、貝類が目立っていた。大学生がいつの間にか釣ってきたアジなども含まれている。
その食材をテーブルに並べる際、大学生の一人、太田の兄がしきりに首をひねっていた。どうかしたんですか、と輝が尋ねる。
「うーん……なんか、買っといた食材が減ってる気がするんだよね」
「そうなんですか?」
「かといって、誰かが調理した跡もないみたいだし、生のままで食べられるものでもないし……バーベキューに支障をきたすほどでもないけど、不思議だなあ」
俺は二人の会話を背中で聞いていて、ぴくりと反応してしまう。部屋から飛び出た何か。夜中にぎらりと光る双眸。標本室で感じた何者かの気配。それらが、ここに至っても影を落としている。
もしかして、この実習所には俺たち以外の"誰か"がいるのではないか。潜伏し、俺たちの様子を窺っているのではないか。
「あれかな。屋根裏にこっそり住んでる人がいて、そーっと食べ物を持っていって……こういうの何かあったよね。江戸川乱歩だっけ」
「や、やめて下さいよそういうのぉ……」
俺の後ろで未咲が怯えた声を発した。
その未咲は今、女子で集まってよく響く笑い声をあげている。まさに宴もたけなわというところだろう。もう不可解な出来事は忘れてしまったようだ。あれくらい機嫌が良ければ、二人で話がしたいと言って誘い出せるかもしれない。
なあ、と口火を切りかけたその時。
円の中心にいた女子大生が、高々とアルコールの入ったコップを掲げ、
「さあ皆さん、盛り上がってますかあ? それではお待ちかね! 肝だめしの時間でーす!」
と朗々と宣言した。
いや、何だそれ。そんなのがあるなんて聞いてない。待ってもいない。




