僕らのこと ゴゥ(ス)トダンス・ウィズ・ランピィキャット(3/8)
合宿場所は、海に突き出た岬にあった。丸みを帯びた三日月型の岬の先の方、陸地の内側に抱えられる形で。建物の周りは岩場がほとんどだが、少しだけ砂浜があり、あまり人の来ない穴場となっているらしい。
合宿の件を両親に伝えると、二人は心底嬉しそうな顔で送り出してくれた。
合宿のメンバーは、高校生は俺と未咲と輝、太田組の男子一人、女子二人の計六人。未咲は今日も脚を潔く露出した格好だ。
駅で大学生の車を待つあいだ、近況などを報告し合う。未咲は女子二人とは既に友人関係らしく、黄色い声をあげてきゃっきゃっとはしゃいでいる。顔の広い輝はもちろん、太田とももう打ち解けている。太田は少し見ないうちにだいぶ日に焼けていた。
「すげえな太田、その日焼け」
「ああ、けっこうプールで泳いでたりするからな。茅ヶ崎は相変わらず白いなー」
「まあ、あんまり外出てねえし……」
「茅ヶ崎って、暑さ苦手そうだもんな。インドア派っぽいというか」
「悪かったな、どうせ俺はひ弱で根暗だよ」
「ああ悪い、皮肉のつもりじゃなかったんだ。インドアもアウトドアと同じくらい良いと思うし、ただそう思っただけというか……いや、悪口っぽかったよな。ごめん」
「……いや、俺こそごめん」
つい棘のある言葉をぶつけてしまい、反省する。すぐに悪意を疑ってしまうのは俺の悪い癖だ。最近になって、他人はそこまで自分にマイナスの感情を持ってはいないものだ、と分かってきたが、つい思考がそちらに流れてしまう。太田があまり気に介していない様子なのが救いか。あまり卑屈になるのはよそう、と心に刻む。
やがて二台の車に別れ、大学生三人がやって来た。男子が二人で、女子が一人だ。太田に似て大らかそうな雰囲気の男子が、太田兄だろう。大学生はみんな軽やかな空気を纏っていて、ずいぶんと大人に見えた。
これで合計が男子五名女子四名。総勢九人となった。
「おー、大所帯だねえ」
集まったメンバーを見回して、ふわふわしたロングヘアの女子大学生がころころと笑う。
荷物をトランクルームに詰めこみ、自己紹介もそこそこに、二組に分かれて車に乗り込む。合宿場所へは一時間ほどかかる。途中、海沿いの幹線に出ると、夏の陽射しを波間に受けた海の表面で、数えきれないほどの細かいきらめきが、季節を誇るようにちらちらと踊っていた。綺麗だな、と素直に思った。
岬へ近づくにつれ、道路は細くなり、民家は疎らになり、枝が海とは逆方向に伸びた木が増えてくる。小さな浜辺を横目に進み、こんもりと茂った木々を抜けると、その建物はいきなり目の前に現れた。
公民館みたいだ、というのが最初の印象だった。外壁の漆喰は白く、ぱっと見は小綺麗だったが、よく見ると年季が入っているのが見て取れ、壁や玄関部分のコンクリートにはひび割れも生じていた。太田によると、少し前まで使われていた大学の施設だということだ。玄関脇には、臨海実習所、と彫られた金属のプレートがそのままになっていた。
「すごーい! なんか、頭良さそうな建物!」
「その発言がもう馬鹿っぽいけどな」
目を輝かせている未咲に突っ込むと、間髪入れずチョップが飛んでくる。長年の勘に従ってすかさず避けると、避けるなー! と未咲が憤慨した。それを見ていた大学生たちが、二人とも面白いね、とくすくす笑う。どこが面白いのか分からない。
太田兄に誘導され、玄関でスリッパに履き替える。所内は多少埃っぽく、かすかに薬品臭と潮の香りがした。廊下の上部にもガラスが嵌められているため、照明が点いていないにもかかわらずかなりの明るさだ。ドアや窓の鍵、階段の手すりなど、作られた年代を暗示するデザインが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。通路はくねくねと蛇行し、一直線に先を見通せないようになっていた。通行するときは、向こうから誰かが来ないか気をつける必要があるだろう。建物内の部屋数は相当多く、普段は一人で在駐しているのが信じられないほど、敷地面積は広かった。
まずはめいめい、割り当てられた部屋に荷物を置きに行く。ひとつの部屋は二段ベッドが二つ、簡易な長机ひとつと椅子が二つ。男子と女子で別れるが部屋の構造は一緒だそうだ。ここで勉強するわけではないから、まあ寝泊まりできれば十分だろう。戯れに布団に触れてみるとふかふかとして手触りがよく、快適そうだった。
男子女子四人ずつからあぶれた一人はどうするのかというと、施設の管理人である太田兄には別に部屋があるらしい。
興味本意でその部屋を覗かせてもらう。立て付けの悪いドアをぎっぎっと開けた先には、六畳ほどの昔懐かしい風情の和室があって、真ん中にぽつんと机が置いてある。夜は布団を敷いて寝るのだそうだ。
俺を含めた高校生たちは一様に苦笑いを漏らす。あまりにわびしい風景だったからだ。
「なんか、寂しーい」
「こんな広いところに一人って、心細そうですねえ」
太田兄は眉をハの字にして笑う。
「あー、そうそう。ちょっと怖いよ。たまに変な物音とか聞こえるし。足音みたいなの」
「え、それって――」
「ちょっと、やめてくださいよ、そういうの!」
とたんに青ざめた顔になったのは未咲だ。いつも豪胆な幼なじみは、オカルト的なものは苦手なようだった。そう言う俺だって得意ではない。聞かなきゃよかったと後悔する。
太田兄は冗談、冗談、と申し訳なさそうに笑みを振り撒く。俺にはその弁解が、どうも取って付けたもののように思えて仕方なかった。
荷物を手放して身軽になると、建物内部をぞろぞろ歩き回って説明を受けた。
トイレはここ。洗濯機はここ。お風呂はここ。お風呂は大浴場と個室なんだけど、人数が多い男子が大浴場使ってね。トイレに虫がいることあるから気をつけて。何の虫かは言わないでおくけど。
そういえば、と太田兄が今思い出したように言う。
「ここ、大学の施設だっただけあって、標本室とか、二階には実験台付きの実験室とかあるよ。見たかったら自由に見てみて。頼んでくれたら案内もするし」
へえ、標本ね、とあまり馴染みのない単語が耳に残った。
ちょうどお昼時になったため、食堂へと移動する。車が別だった参加者同士で自己紹介をしつつ、仕出し弁当での昼食を終えると、いよいよ勉強の時間となった。二段式のどでかい黒板がある講義室を利用し、各自課題に取り組んでもよし、大学生に教えを請うてもよし、という塩梅だ。
一度課題を持って講義室に向かった俺だったが、ペンケースを鞄に入れっぱなしだったことに気づき、やれやれと思いつつUターンする。ところどころ塗装が剥げたドアを開けると、中から真夏に似つかわしくないひやりとした空気が流れ出て、顔を撫でた。冷気の不意打ちに背筋がぞくっとなる。
何かが足元を掠めるような気配がした。
中に誰もいないと思っていたから、反射的に体がびくりと跳ねる。咄嗟に下を向いたが、影は捉えられない。廊下へ頭を向け、右左と見渡してみても、何の気配も感じられなかった。
二度三度と首を振るう。気のせいだろうと思い込む努力をする。さっき太田兄に、物音とか足音などの変な話を聞いたから、神経がおかしな具合に立っているだけだ。きっと。
気を取り直し、がやがやとした喧騒が満ちる講義室に舞い戻る。これまで放置ぎみだった課題にあせあせと取り組むあいだに、その昼の不可解な出来事は、脳の皺の隙間からこぼれ落ちていった。
* * * *
―篠村未咲の話
龍介から勉強合宿の誘いの連絡が来たとき、わたしは驚いた。そして同時に、ありがたくもあった。
どこかに、頭を切り替えるきっかけがあればな、と思っていたからだ。
学生は夏休みで浮かれているというのに、わたしの心の中の風景は、落葉しきった晩秋の林のように寒々としていた。会長との――悟さんとの関係が、にっちもさっちも行かなくなっていたのが原因だった。
わたしは悟さんからのキスを避けてしまった。
あれからも、二人きりで会う機会は何度かあった。けれど、素敵なお店で美味しそうな料理とデザートを前にしても、どうにも気持ちは浮き立たない。好きなはずの人といるのに、座りが悪くて、もぞもぞする。美味しいはずなのに、何の味も感じなくて、砂でも噛んでいるよう。
そして、真ん前にいる悟さんの目を、どうしてもまっすぐ見ることができなかった。この人は、わたしを女として、そういう対象として見ているのだ、と考えると耐えられなかった。席を立って逃げ出してしまいたくなった。
本当に、勝手な話だと思う。悟さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。手を伸ばせば触れあう距離にいるのに、厚いガラスで隔てられたように、そこには決定的な壁が立ちはだかっていた。
悟さんは、雨粒をぎりぎりまで孕んだ曇天にも似た表情を浮かべている。整った顔は、くしゃりと泣き出しそうに歪んでいた。わたしのせいだ。わたしが変なことをしなければ、彼にそんな似合わない顔をさせることもなかったのに。
もう元には戻れないのだと互いに分かっていた。それほど溝は深まっていた。一度自覚した違和感は、拭い去ろうとしても消えてくれない厄介な代物だ。それこそ、ガラスの向こうにこびりついて落ちない汚れのような。
氷で薄まったアイスコーヒーを掻き混ぜながら、ね、と悟さんが優しい声色で沈黙を破る。
「俺が未咲さんのどこを見て、好きになったのか分かる」
遠く遠く、何百光年も離れた星の光でも探すように、その目はどこか別の場所を見ていた。




