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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
43/137

僕らのこと 記者倶楽部のおしごと(6/6)

「偶然だな。お前も来てたのか」

「おう。九条もデートか? やっと彼女つくる気になったか」

「つくる、って言い方は好きじゃないんだけど……」


 会長が苦笑いする。じろじろと舐めまわすような視線から逃れようと、わたしは半ば会長の影に隠れていた。どうも相手は苦手な部類の人達だ。

 引っ込むわたしとは反対に、胸元豊子(ゆたかこ)がぐいっと前に出てくる。


「えー、あたしそっちの彼の方がタイプなんだけど。ねえねえ隣のコ、相手交換しない?」


 な、なんてことを言うのだ。確かに会長は完全無欠の爽やかイケメンだし、元気だけが取り柄のわたしは全然釣り合わないかもだし、あなたみたいな派手な美女の方がお似合いなのかもしれないけど、絶対に交換なんか応じてやらない。

 言い返そうとすると、す、と会長がわたしを庇うように腕を伸ばした。

 毅然とした面持ちで、顎をぐいっと持ち上げる。


「悪いけど、彼女は俺が無理を言って付き合ってもらってるんだ。遠慮してくれないかな」

「悟さん、無理なんてそんな」

「いいから」


 きっぱりした声音。眼の光も強い。

 守ってもらってる、と分かって、またしても心臓が早鐘を打ち始めた。

 つまんなあい、と不平を垂れる女の人の腕に、ジンと呼ばれた男子が自分の腕を絡ませる。


「そーそ、今日は俺で我慢しろよ。ほら、行こうぜ」

「ま、いいけどさー」

「じゃーな九条、邪魔して悪かった」


 にやりという笑いを残して、二人は風みたいにさっさと人混みに紛れていく。

 わたしはしばらく何も言えず、彼らが消えていった先をぼんやりと眺めていた。爬虫類男の、わたしを値踏みするような眼光が、目に焼きついたままだった。


「えっと、今の人って」

「ごめんね、びっくりしたよね。あいつ、男バスの主将だよ。仁志田にしだって名字だからジン。隣の女の子は知らないなあ。あいつ、すぐ相手変えるから」

「……そんな人と、仲いいんですか」

「んーまあ、同じ部活だし、見た目ほど悪い奴じゃないんだよ。信じられないかもしれないけど」


 うん、信じられない。あれは絶対に見下した顔だった。なんでこんな平凡すぎる女が、会長の隣にいるのかって。

 考えてたら腹が立ってきたけど、やめよう、きりがないんだし、と開き直る。誰がわたしをちんちくりんだと思おうが、それが何だっていうのだ。会長がわたしの隣でいいと言ってくれるなら、それでいいじゃないか。

 気を取り直して、ふんっと気合いを入れる。我ながら可愛いげがない所作だったけど、会長は優しげな瞳でわたしを見つめていた。

 その後、見繕った服を買ってくれるという会長の申し出に、ものすごい勢いで辞退することになったのだが、一度決めたら意外に曲がらない会長に根負けして、わたしが折れるのが先だった。



 太陽が西に傾いて、空を赤く染めている。

 まだ暑いけれど、そんなのが気にならないくらい、幸せな気分だった。こんな満ち足りた気持ちになるのはいつぶりか、ちょっと分からないほど。

 駅までの距離がもったいないなくて、わざとゆっくり歩く。会長が、疲れた?、と気遣わしげに尋ねてくれる。少し、と答えると、ちょっと休んでいこうか、とちょうどよく現れた公園の入り口へと導かれた。

 公園の遊具も、砂場も、噴水も、木の葉も、ベンチも、会長だって、茜色に染まっている。はかったかのように、敷地内には誰もいない。

 ジージーという油蝉の鳴き声に、もうひぐらしのもの寂しげな声が混じっていた。

 買ってもらった洋服の袋を膝の上に乗せ、憧れの人とベンチに腰かける。そうだ、まだお礼を伝えてないんだった。


「あのっ、今日はありがとうございました。ほんとに楽しかったです。あと服も買ってもらっちゃって……なんだかすみません」

「そんな、いいのに。たくさん着てくれたら嬉しいな」

「はい、いっぱい着ます!」

「それ着た未咲さんと、またどこか行きたいな」

「え……」


 驚いて、思わず目を見張る。会長はすべてを包むような笑顔を浮かべていた。見間違いでなければ、それは愛おしいものを見る表情だった。

 きゅ、と両拳を握る。次が、あるってことだろうか。期待してもいいのだろうか。でも、その前に。

 まだ言ってもらえてない言葉がある。

 会長は、わたしをどう思っているのだろうか。


「あの……今日ずっと訊きたかったんですけど」


 手に汗が滲む。体が震えそうになる。でも、これを訊かなきゃ帰れない。意を決する。


「なに?」

「えと、悟さん、は……あのですね……」

「うん」

「あの、わたしのこと……す、好きなんですか……?」


 ああ。言ってしまった。

 言葉にしたのは自分なのに、思わずぎゅっと目を瞑っていた。全身が心臓になったみたいに、血流の音だけが大きく耳に響く。

 会長が、体の正面をわたしに向ける気配がした。すっ、と吸う息の音が聞こえる。そして。


「好きだよ」


 目を開ける。彼のどこまでも真剣な顔を見る。今日のこれまでのどきどきがまるで助走にすぎなかったように、心臓が壊れそうなほど脈打っていた。

 会長の視線はまっすぐで、ひりひりと痛いくらいで、こんなに熱量を持った瞳をわたしは見たことがなかった。熱のこもった視線に射抜かれて、身動きができない。 


「未咲さん」


 彼の手が、厚くて熱い手が、わたしの頬と肩に触れる。そっと、彼の方へと引き寄せられる。

 会長の顔がかしぐ。

 あ、もしかして、もしかしなくても、これって。


 * * * *

―茅ヶ崎龍介の話


 どうしたらいいのか分からない。本当に今日、来なければよかった。これを絶望というのか。

 ビルから出てきた二人はそのまま帰るのかと思ったら、ドラマに出てきそうな夕陽に染まる公園で、ベンチに座って何事か話しはじめた。どこからどう見ても、ひねくれた俺の頭でいくら歪んだ見方をしようとしても、いい雰囲気としか形容できなかった。

 そしてあろうことか、九条は未咲の頬に手を添え、顔を寄せたのだ。

 あらー、と輝は能天気に驚く。俺は危うく叫び出しそうになった。

 公園だぞ! 外だぞ? 俺たちが見てるんだぞ!

 未咲は硬直したように、されるがままになっている。

 無理だ。こんな場面、見届けられるわけがない。

 俺は失意のうちに、ふいっと目を逸らした。


 * * * *

―篠村未咲の話


 ぼんやりしたまま、家のドアを開ける。

 ただいまも言わずに玄関を行き過ぎたら、みーちゃんデートどうだったのー?、とお姉ちゃんに尋ねられたけれど、うん、と曖昧な返答をぽいと投げ、二階の自室にそのまま向かう。

 この日のためにようく吟味して選んだ格好のまま、ベッドにどさっと横たわる。いつも変わらぬ優しい柔らかさが、ダイブした体全体を受け止めてくれる。

 ついさっき。

 会長からのキス。まだ頬に、手の熱さが残っているよう。

 そう、まだついさっきなのだ。


 わたしが避けてしまったのは。


「ごめんなさいっ」


 体をひねって、腕で壁を作るようにする。恐る恐る会長の様子をうかがうと、彼はきょとんとしていた。真ん丸な両目。少し開いた口。何も言わなくても、予想外だ、と感じているのが分かる。彼の戸惑いがひしひしと伝わってくる。

 わたしは泣きたくなってしまった。


「あ……すみません、わたし……」

「いや――俺の方こそごめん。急だったね」

「いえ、そんな……」

「えっと……」

「…………」


 居心地の悪い沈黙。

 幸せな気分が一転して、すごく気まずい雰囲気になってしまった。全部、わたしのせいだ。そのあと駅まで送ってもらうあいだ、まともな会話はできなかった。会長の声色は優しかったけど、その気遣いがむしろ、わたしの胸にちくちく刺さった。

 なぜあのとき、避けてしまったのか。

 怖い、という感情が、心の奥から湧きあがってきたのだ。それは理性ではなんともならない、本能的な感情だった。こちらのテリトリーに深く踏み込まれるのが、どうしてだか恐ろしかったのだ。

 会長と楽しくお喋りしたり、一緒に同じものを観たり、食べたり、選んだりするのはとても楽しい。それらの行為は、わたしをあたたかい幸福に包んでくれる。けれど、会長に抱き寄せられたり、キスしたり、それ以上のことをするのは、それは――。

 それは、なんだか、違う。気がした。


「なんで……? 悟さんのこと、ちゃんと好きなのに……」


 ひとりでに涙が出てくる。

 ――会長に、女として見られるのが、気持ちわる、かった。

 どうして、違う、嫌、と思ってしまうんだろう。嫌だなんて思いたくない。そう思えば思うほど、負の感情が膨れ上がってくるようで、恐怖に絡め取られそうになる。

 自分で自分が分からない。わたしを想ってくれる会長に、心底申し訳なかった。間抜けな顔のウサギの抱き枕をぎゅっと抱きしめ、ふかふかの体に顔を埋めて、込み上がってくる嗚咽を殺した。

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