僕らのこと 記者倶楽部のおしごと(5/6)
* * * *
―篠村未咲の話
映画は面白かった。心の底から感動もした。割と涙腺が緩いタイプであるわたしは、途中からえぐえぐと泣きじゃくっていた。あいにく拭うものを持ち合わせていなかったけれど、会長が隣からそっとハンカチを手渡してくれ、事なきを得た。
映画館から出ると、きゅうう、とわたしのおなかが鳴る。もう、会長といる時くらい自重してよ、わたしのおなか。
会長が軽やかに笑い、左腕をかざしてそこにある時計を見る。
「ちょうどお昼時だね。何か一緒に食べようか」
「あ、わたし、何も考えてなくて――」
「いや、大丈夫だよ。未咲さんは、ご飯ものかそれ以外だったらどっちがいい?」
「えーと、ご飯もの以外、ですかね」
「それじゃあ、イタリアンはどうかな。この近くにイル・ソーレってお店とか、駅前のビバーチェってお店があるんだけど」
「イタリアン! いいですね」
「俺はビバーチェの方が色々選べるからいいかなと思ってるんだけど、未咲さんおなかぺこぺこ? ちょっと歩ける?」
「歩けます! 鍛えてるんで」
小さくガッツポーズをしながら首を縦に振る。ちょっとずれた返答になった気がするけど、会長がふふっと微笑んでくれたので結果オーライだ。
ビバーチェは初めて入るお店だった。こじゃれた雰囲気で、あまり馴染みがない空気が漂っていた。夜になったら、お酒とおつまみ的な料理が出てくるお店なんだろう。カップルが来そう、という感想を抱いたとき、そうだ、わたしたちも正真正銘のカップルなんだ、と思い至って、一人で勝手に赤面した。
慣れない場にいるせいで、動きがぎこちなくなり、メニューを決めるのにも時間がかかってしまう。普段、龍介を付き合わせてラーメンや丼ものばかり食べているツケだ。それでも会長は、嫌な顔ひとつせず待ってくれた。なんて紳士。なんて心の広さ。
運ばれてきたスープパスタの器を見て、反射的に少なっ、と声に出してしまいそうになったが、そこは我慢、がまん。何せ憧れの会長の前なのだ。スプーンの上で頑張ってフォークをくるくる回し、一口をいつもの三分の一くらいに抑えて口に運ぶ。龍介や輝が相手ならもりもりむしゃむしゃと食べるところだが、どうしてもおしとやかにしないと、という意識がはたらく。
会長が手慣れた様子でピザを切り分けながら、口を開いた。
「この前未咲さんから貰ったペンケース、毎日使ってるよ。すごく便利で、気に入ってる」
はたと目の前の整った顔を見る。
ペンケースというのは、前にわたしが会長にプレゼントした、ファスナーを開けると自立させることができるという一品だ。
嬉しかった。使っているのみならず、気に入ってくれているなんて。
「本当ですか、嬉しいです! あれ実は、幼なじみの奴と選んだんですよー」
あ、しまった。つい、言わなくていい事実まで伝えてしまった。
会長の手の動きがふ、と止まる。目が少しだけ細められ、笑みが若干減ったように見えた。
「幼なじみって、もしかすると茅ヶ崎くんかな」
「あれ、龍介のこと知って――」
「うん。前、新聞部の取材を受けたから。……未咲さんは、茅ヶ崎くんと仲がいいんだね」
会長はなぜか、遠いものに向ける目でわたしを見ていた。
フォークを一旦テーブルに戻し、体の前で掌を左右に振る。
「いやいや! 全然仲良くなんてないですよ。家が近くて、昔からよくつるんでただけですし。会ったら喧嘩ばっかりしてますし」
「そっか……」
会長は一応頷いて笑みを浮かべるが、それはどこか取り繕った笑顔にも見えた。
たまに勘違いされるが、わたしと龍介は彼氏彼女の関係なんかじゃ全くない。わたしたちのあいだには、本当に何の特別な感情もないのだ。
あの日、あいつが関係をこじらせてしまったせいで。
その日のことを、わたしははっきり覚えている。あれは中学一年の夏祭りの夜だった。
龍介が人混みの中で気分が悪そうにしていた。わたしは彼を休憩場所に連れ出し、二人して休んでいたところ、急にあいつが"龍介くんって呼ばないで"と言い放って、駆け足で帰ってしまったのだ。何に腹を立てたのだか、未だに見当がついていない。わたしはびっくりし、龍介を怒らせてしまったと思い、訳が分からず大泣きしながら家に帰った。お姉ちゃんとお兄ちゃんが、泣きじゃくるわたしを見て目を丸くしていた。
お姉ちゃんは、"大丈夫、龍くんは優しいから許してくれるよ"と言ってなだめてくれた。
次の日、そろそろと龍介の家に謝りに行ったら、のっそり出てきた龍介は居心地が悪そうな顔をしていた。"悪いのは俺なんだ、悪かった"と逆に謝られたけれど、一度も目を合わせてくれなかったし、一人称が"僕"から"俺"に急に変わっていて驚いた。
それからというもの、龍介はわたしに対して突き放すような態度を取るようになった。はじめは困惑するばかりだったわたしも、だんだん彼の理由不明な言動にちょっとした憤りを抱くようになり、そっちがそうならわたしも、と龍介に刺々しく当たるようになって今に至る。魚心あれば水心というやつである。違うか。売り言葉に買い言葉というやつである。それも違うか。
そんなことがあっても、わたしがあいつの近くにいて何やかや世話を焼いているのは、ひとえにわたしのお情けというものだ。わたしってば、なんて優しいの。
「あいつは、わたしがいないと駄目なんですよ」
ちょっと胸を反らしながら言うと、会長がいいなあ……と小さく呟く。
「え?」
「いや、独り言だよ」
誤魔化すように破顔するその表情には、わずかながら寂しさが滲んでいた。
* * * *
―茅ヶ崎龍介の話
二人が店内に消えていくのを見送って、俺はひそかに安堵した。というのも、これで彼らの会話を聞き続けなくて済むからだ。未咲と九条の仲良さげなやりとりを耳に入れているのは、精神的にかなり辛いものがあった。感情への負荷が大きすぎる。
ふーっと詰めていた息を吐き出す。いくら読唇術が使える輝といえども、姿が見えなければ会話も追えまい。
と高をくくっていたのだが、輝はこれ見よがしに鞄からイヤホンを取り出すと、いそいそと耳に装着してみせた。
「何してんだよ」
「二人の会話を聴いてるんだよ」
「はあ? どうやって」
「昨日の夜、未咲の家に行ってさ、集音機を渡してきたんだよ。恋愛成就の御守りの中に仕込んでね。しっかり鞄に入れて持ってきてくれたみたい。はっきり聴こえるよ」
「嘘だろ……」
軽くウィンクまで飛ばす輝とは対照的に、俺は眉間を押さえた。盗聴までお手のものとは。こいつ犯罪者予備軍なんじゃないか。どこまで鬼畜なんだよ。
しかも、これはイヤホンをシェアして着けろという流れなのではないのか。周りでは普通に人が行き交っているというのに。拷問以外の何物でもない。
「俺は聴かないからな」
先手を打って拒否すると、意外にも輝はそうだね、と素直に聞き入れた。
「龍介は聴かない方がいいかもねぇ」
「どういう意味だよそれ……」
輝の口元に意味深なほほえみが浮く。夏の真昼間だというのに、背筋に冷たいものが走った。
* * * *
―篠村未咲の話
店から一歩出ると、熱気に全身を包まれる。それでも、太陽は南を過ぎ、西へ傾きはじめている。色々話をしながら食べていたから、時刻はもうニ時に迫っていた。
パスタは魚介の旨味が濃厚で美味しかったし、会長から一切れ貰ったピザもバジルが新鮮で美味しかった。さすが、会長の見立ては間違いない。
映画を観るという目的は達したので、今日のデートはこれで終わりだろうか。名残惜しい気持ちとともに、横目で彼を見やる。まだ、会長と一緒にいたい。
わたしのそんな思いを察したのか、彼は再びわたしの手を取り、きゅっと握ってきた。
「俺、まだ未咲さんといたいんだけど、いいかな」
言葉は形がないのに、会長のそれは、わたしの心臓をしっかりと掴んでくる。
火照った顔を悟られないように、爪先を見ながらこくこくと頷き返した。
「はい、あの、わたしも悟さんといたいです……」
「ほんと? 嬉しいな。じゃあ、一緒に服でも見ようか。未咲さんがどんな服好きなのか知りたいし」
「えっ……」
なんという直球。わたしのストライクゾーン、そのど真ん中のストレート。
会長はいたずらっ子みたいな目をして、わたしの顔を覗きこんでいた。
もう、この人は、わたしをどれだけどきどきさせたら気が済むのだろうか。
「駄目かな?」
「ぜ、全然、駄目じゃないです、わたしも悟さんの好きな服知りたいですしっ」
「よし、それじゃ行こうか」
好きな人に手を引かれて歩く。このシチュエーションで舞い上がらない方がおかしい。自分がかわいい女の子になった気分だった。
たくさんテナントが入った複合ビルで、会長に服を見繕ってもらう。彼が"これ、似合うんじゃない?"と示す服は、ふわふわした感じの、いつもわたしが選ばない印象のものだった。わたしって、会長からはこういうイメージで見られているんだろうか。ちょっと意外。
「あれ、九条じゃん」
唐突に、二人きりの楽しいひとときが破られる。
会長は振り向いて、ああ、と応えるが、わたしは声をかけてきた人に見覚えがなかった。
もしかすると会長よりも背が高い、高校生であろう男子。細く剃った眉に、親の仇かというほどにつんつん逆立てた髪。爬虫類を思わせる鋭いまなざしが、無遠慮にわたしを射抜いていた。
その爬虫類男子の腕に、女の人がしなだれかかっている。豊かな巻き毛で、ついでに胸の谷間も豊かだ。スタイルの良さを誇示するような、布面積の小さい服を恥ずかしげもなく着こなしている。化粧が濃いから年上にも見えるけど、わたしと同い年くらいかもしれない。
ジン、と会長が爬虫類男に呼びかける。




