僕らのこと 記者倶楽部のおしごと(3/6)
* * * *
―茅ヶ崎龍介の話
駅前の噴水は、格好の待ち合わせスポットになっている。
乱立する建物のあわいから覗く青い空、湧きたつ真っ白な積雲、それらの鮮やかなコントラスト。水源から高みへ勢いよく噴き上げられた水のしぶきが、きらきらと陽の光を反射する。小粒の宝石をばら蒔いたようにも見えた。
九条悟が、噴水の縁に腰かけている。俺は物陰で輝と隣り合い、九条が腕時計を確認する様子を眺めている。彼の格好は、ボタンが黒い白シャツにジーンズ、それに合皮のボディバッグ。ごくごくシンプルな出で立ちなのに、めちゃくちゃ様になっている。正直言って悔しい。
輝が忍び笑いを漏らす。
「龍介、そう僻まないで」
「僻んでねーよ」
九条悟が文庫本を取り出し、手慣れた風情でぱらぱらとめくり始めた。本にはカバーがかかっており、タイトルは分からない。待つのは慣れてるってことか。くそ。
「インテリぶりやがって……」
「難癖つけないでよ」
「つけてねーよ」
小競り合いに似た言い合いをしながら、俺と輝は彼にじっと視線を注ぐ。
なぜ、こんな事態になったのか。
昨日、最低の誕生日プレゼントを俺に渡してくれた輝は、軽々しく犯罪の提案をして、いたずらっぽく笑った。対する俺は、めちゃくちゃ引いていた。
「尾けるって……尾行ってことかよ。それって犯罪じゃねえの」
非難めいた俺の言葉に、ううん、と輝はあっさり否定する。聞き分けの悪い生徒へ、教師が向けるような目で俺を見た。
「犯罪にはならないよ。龍介、いま生徒手帳持ってる?」
「生徒手帳? まあ、多分……」
藪から棒に尋ねられ、脈絡も考えられないままに、スラックスのポケットから深緑色の生徒手帳を取り出す。別に真面目に持ち歩いているわけではなく、単に配布されてからずっと突っ込んだままだったのだ。
「それに校則が載ってるでしょ。それの三六、読んでごらん」
「三六……三六……、っと」
該当のページを見つけ、言われたとおり文面に目を走らせる。そこには蟻の行列にも似た細かい字で、
"校則三六 本校の生徒並びに教職員は、本校の記者倶楽部による私的利用を伴わない全ての取材行為(写真利用を含む)を、本校への入学(教職員においては着任)を以て、許可したものと見なす。"
と印字してあった。
おいおい、と心の内で突っ込む。何だこりゃ。
「記者倶楽部っていうのはね、この高校で新聞部と写真部を兼部してる生徒のことだよ。つまり僕みたいな生徒のこと」
要領よく、輝が補足説明を加える。
俺は無意識に眉間を押さえた。
つまりこの校則が言っているのは、記者倶楽部の面子に記事を書かれようが写真を撮られようが尾行されようが、文句は言えないということだ。それがたとえ無断であったとしても。
そんなのってありなのか。大体、こんな小さい字の羅列を誰が読むものか。
俺は手帳をぱしっと机に叩きつける。
「卑怯だろ、こんなん。知らないうちに許可したことにされて、悪質じゃねーか。この学校ってそんなとんでもねえとこだったのかよ」
「校則は学校のホームページでも公開されてるよ。誰でも閲覧可能だし、アンフェアなところは何もない。取材行為だって写真だって、何も悪用するのが目的じゃないよ。公共の場でのマナー違反とか、借りた本の無断延滞とか、駐輪場の不適切な利用とか、そういうものの抑止が目的なんだ」
「っつったってなあ……」
輝は明朗な笑みをたたえながら、淀みなく滔々と説明する。その朗らかさが逆に怖い。学校の思わぬ実態に口ごもっていると、瞳をきらりと光らせた幼なじみが、低く悪魔の囁きを吹き込んでくる。
「ってことで、龍介、明日の予定はある?」
「まあ……何もないけどよ……。つうか、俺は新聞部でも写真部でもねーだろ」
「心配しないで。もう倶楽部長に許可は貰ってるから」
「は」
根回し良すぎだろ。怖いわ。
「ま、龍介が来なくても僕は行くんだけどね。未咲が生徒会長とどんなことをしてどんな話をするか、僕だけが知ることになっちゃうなあ」
「う……」
「取材内容は取材した本人と倶楽部長しか知ることができないんだ。だから――」
「分かった分かった、行くよ、行きゃいいんだろ」
未咲と生徒会長のデート。俺にとって、それを一切気にかけるなと言う方が無理だ。俺が早々と白旗を揚げると、輝は満足げに頷いた。
こうして上手く乗せられた俺は、ポケットにしまえるオペラグラスを持って、ここで未咲の登場を今や遅しと待ち構えている。
時刻はもうじき九時半。朝の清々しい空気が太陽の熱によって塗り替えられ、じりじりした熱が肌を焼きつつある。
輝によると、二人の待ち合わせの時間はそろそろとのこと。どうしてそこまで詳しい情報を持ってるんだ、と恐る恐る訊くと、何のことはない、生徒会長と一緒に映画に行くんだ、と未咲本人から報告を受けたらしい。
心がどんよりと淀む。
――俺には、何も言わなかったくせに。
と、軽やかなステップを踏み、その未咲が現れた。思わず、その姿を凝視する。
半袖の白いブラウスに、裾がスカラップになったデニムのショートパンツ。小ぶりなピンクベージュの鞄と、足元は涼しげなコルクソールのサンダルだ。いつもの勇ましい雰囲気とはまるで違い、可愛らしくどこか慎ましいとも言える空気感を纏っている。髪の先もアイロンかなにかで巻いていて、控えめに化粧もしているようだ。
潔くあらわになった太ももが、夏日に眩しいほど映えていた。
未咲を認めた九条悟が、好青年らしい笑みを浮かべて立ち上がる。
「なんだよあのショートパンツ……ショートすぎだろ」
ぼやくと、輝がぷっと噴き出す。
「――んだよ。なんも面白くねーよ」
「龍介、相変わらず未咲の脚見すぎだから」
「み……っ、見てねえよ。相変わらずってなんだよ」
未咲が九条悟の元へ駆け寄っていく。目元を緩ませた九条悟が、未咲に可愛いねと言っているのが、輝のような読唇術を使えない俺でも分かった。むくむくと積乱雲のように湧いてくる、"羨ましい"という気持ちに無理やり蓋をかぶせる。恥じらいを含んだ未咲の笑顔が、やけに遠くにあるように見え、ぐっと唇を噛む。
俺は今さらになって後悔していた。生徒会長へのプレゼントを一緒に選んだあの帰り道、うまくいくといいな、なんて未咲に声をかけたことを。
* * * *
―篠村未咲の話
連絡くれないかな、と会長に言われた日、わたしは夢見心地のまま家に帰った。
自室でもこもこのルームウェアに着替えてから、ふわふわした足取りでベッドにダイブする。ぬぼーっとした表情のウサギの抱き枕を抱えながら、携帯の画面と天井を見上げた。
心臓がどきどきするのと同時に、胃のあたりがしくしくする。嬉しいのに、なぜか泣きたい。わたしは、どうしてしまったのだろうか。わたしはこれから、どうなるのだろうか。
彼の、真剣な視線が目に焼き付いていた。
ひどい自惚れでなければ、会長の言ったことはたぶん、本心だと思う。信じられないかった。信じてしまうのが怖かった。他の人を差し置いて、わたしが彼と二人きりなんて。わたしなんかで、いいのだろうか。
ぎゅっと目を閉じる。瞼の裏に会長の顔を思い浮かべて、返事をどうすべきか、自分の心に聞いてみる。
彼について、知りたいことがたくさんあった。
どんな食べ物が好きなんだろう、とか。飲み物は何が好きなんだろう、制服以外にどんな服を着て、休みの日はどんなことをしていて、どんな風に街を眺めるんだろう。
そんなとりとめもないことが、胸からあふれそうなほど、いっぱい。
それが、今のわたしの、純粋な気持ちだ。
ウサギを端に追いやった。腹這いになり、携帯の液晶とにらめっこする。
『映画の話、よかったらよろしくお願いします。
わたし、会長のこと、もっと知りたいです』
画面にそう打ち込んで、送信しようか、やっぱりやめようか、この期に及んで迷いに迷う。
指先の右往左往を二十回くらい繰り返したところで、タッチパネルに指が触れてしまったらしく、意図せぬ拍子にメッセージが送信されてしまった。
うわ、と反射的に声に出して携帯を放り投げる。しばらく呆然とベッドに座りこんでいたけど、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきた。
どうしよう。取り消そうか。今なら間に合う。会長もまだ見てないかもしれないし――。
布団から携帯を拾い上げた瞬間、画面に新しいメッセージが表示された。
『良かった、嬉しい。
俺も篠村さんのこと、もっと知りたい』
読んだ刹那、心臓が跳ねる。一瞬だけ、時間が止まったみたいに思えた。




