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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
38/137

僕らのこと 記者倶楽部のおしごと(1/6)

─茅ヶ崎龍介の話


 何たるバッドニュース。最悪の誕生日プレゼントだ。



 一学期の終業式。

 ジイジイとミーンミーンとが混ざった蝉時雨が降り注いでいる。暑すぎて、もはや熱い。

 冷房の利いた教室から一歩でも出れば、だるほどの熱気に体全体が包まれる。不快だ。夏生まれなのに俺は夏が苦手だった。まだ七月だけれど、早く終わってほしい。

 クラスメイトはめいめい、友達同士で通知票を見せ合い、きゃっきゃっと騒いでいた。

 俺は通知票を貰っていない。授業の欠課が多すぎ、出席日数不足の俺には、夏休み中、補講がたっぷり待っている。成績がつくのはそれが済んでからだ。通常の授業とは違い、ほぼ一対一の授業のはずだから、それほど苦痛には感じない。人でぎゅうぎゅう詰めの教室が不得手な俺には、むしろ向いている気すらする。

 夏休み、なんの予定もねーなあ、と我ながら寂しいことを考えつつ帰る準備をしていると、幼なじみのひかるに肩を叩かれた。


「龍介、良い知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞きたい?」


 いつも通りの、やわらかく人懐こい笑み。中学からと変わらず、こいつは良い成績を保っているのだろう。特に、いつも俺が最低評価の授業態度なんて、きっと高評価に違いない。

 しかし何なんだ、そのアメリカンな感じの問いかけは。俺は数秒押し黙る。


「……良い方かな」

「ハッピーバースデー、龍介。十六才おめでとう」

「え」


 ぽかんとする。そういえば、今日七月二十二日は、自分の十六歳の誕生日だ。すっかり頭から抜けていた。二十二分の七が円周率π(パイ)の近似値になるなので、けっこう気に入っているのに。

 なぜ忘れていたんだろう、と疑問に思うが、もう一人の幼なじみである未咲が、何も言ってくれなかったことに思い至る。毎年、何だかんだと皮肉をこめても、どれだけひねくれた表現でも、必ずおめでとうと言ってくれていたのに。地味に傷つく。呻きそうになるが、心の引っ掻き傷を自分で認めたくなくて、ぐっとこらえた。

 輝は楽しげにハッピバースデートゥーユーと歌い始める。それを、やめろと言って制止する。輝には割とこういう、マイペースな一面がある。

 それよりも気がかりなのは、残りの悪いニュースの方だ。悪い方ってなんだよ、と輝を促すと、彼は人差し指を立てた両拳を軽くぶつけ合わせる。朗らかな笑顔をたたえたまま。


「明日、未咲と九条悟くじょうさとるが初デートしまーす」

「……は?」


 俺の周りから暑さが吹っ飛んだ。

 足元が底無し沼に変じ、ずぶずぶと呑まれていく。九条悟。このあまね高校の生徒会長。完全無欠の、完璧超人。そして、未咲の好きな相手。

 いつからだ。いつの間に、二人の仲はそんなに進展していたのだ。デートということはつまり、もう付き合っているのか? 仲はどこまで深まっているんだ?

 ぐらぐらと天井が回る。目眩だ。誕生日に言及してくれなかった理由。デートが楽しみで忘れていた、とかそんなところだろう。喧嘩ばかりしている幼なじみの誕生日なんかより、知り合って三ヶ月ちょっとの男とのデートというわけだ。

 はは。笑える。


「そんなにショックだった?」

「別に」

「そう? 涙目になってるけど」

「なってねーよ。つうか、なんでそれを俺に話すんだよ」

「ああ、それね」


 輝が愛用のカメラを鞄からひょいと取り出す。小ぶりだが立派なデジタル一眼レフ。


「明日二人のデートを"取材"するから、龍介も一緒にどうかなあと思って」

「取材……?」

「二人をけるってこと」

「はい?」


 気軽に犯罪を持ちかけておきながら、輝は聖人のように微笑んだ。


 * * * *

篠村しのむら未咲みさきの話


 終業式の三日前。

 テストが終わった安堵感と、むしむしとした暑さが相まって、夏休みまでのロスタイムみたいなだらけた雰囲気が、校舎に漂っている。わたしは幼なじみの輝と隣り合って、大会議室のテーブルに就いていた。

 黒板には"文化祭のテーマについて"という大きな文字。

 文化祭実行委員の顔合わせ、兼テーマ決めの場だ。

 わたしのクラスの委員長はわたし、副委員長は輝。演説台に立つ生徒会長が、よく通る明るい発声で、てきぱきと会議を進めている。今日も会長は爽やかでかっこいい。わたしのもう一人の陰気な幼なじみ、茅ヶ崎龍介とは全然違う。会長には、この人に着いていけば何も心配要らない、そう皆に思わせてしまう力がある。

 ぼんやりと会長の挙動を眺めているうち、あれよあれよとテーマが決まり、会議はお開きになった。テーマは聞き逃したけど、輝がちゃんと書きとめてくれてるだろうから、心配はない。

 上の空のまま、一度も使わなかった筆記用具をケースにしまう。他の実行委員たちは足早に会議室を出ていく。そのうちの一人の女子生徒がわたしの横を通りすぎる際、鞄の底面がちょうど会議資料の束のおもてを掠めていった。視界にちらと映るピンクのパスケース。

 あ、と思う間もなく、鞄にこすられた資料が重力に従って落下した。

 ばらばらになった紙が床にぶちまけられる。最悪、と思いながら床にうずくまり、ほとんど見てもいなかった資料を拾い集める。上級生たちは見て見ぬふりをして横を通りすぎていった。何よ、と声に出さずに毒づく。何なの! ちょっとくらい拾ってくれたっていいじゃない。


「篠村さん、大丈夫?」


 誠実そうな声とともに、資料が一枚差し出された。手の先を追って見ると、他でもない生徒会長だ。"夏のせい"では済まないほど、わたしの頬がかあっと熱くなる。


「会長! ありがとうございます、すみません」

「いやいいよ、これで最後かな?」


 他に誰もいなくなった会議室の床を、二人してきょろきょろ見回す。もう無いね、と会長が呟く。

 あれ? もしかしなくてもこの状況、二人っきりじゃない? 気づいてどきり、と心臓が一瞬止まる。まあもちろん会長はわたしなんか相手にしないだろうけど、でもこれはもしかしてもしかしてすると――。


「篠村さん」

「はいっ!」

「部活、頑張ってね。それじゃ」


 非の打ちどころのない爽やかな笑みを浮かべ、会長は部屋を出ていった。わたしの口からもう一度漏れた"はい"は、ロボットのような機械的な応答になった。

 そりゃそうでしょ、と自分を励ます。会長に名前を覚えられ、時々声をかけてもらえるだけで、わたしという存在には充分すぎるのだ。落ち込んでなんかいない。そう、期待してなんかいない。

 彼と初めて話した時のこと、よく覚えてる。

 初回の生徒会の集会だった。

 会長が全校生徒の前で話すのを何度も見ていたから、それまでに彼に対する漠然とした憧れは持っていた。かっこいいな、と思っていた。けれどそれは、女子生徒なら一度は抱くぼんやりとした感情であって、願わくばお近づきになりたいとはこれっぽっちも考えていなかった。テレビの向こうのアイドルと、付き合いたいなんて思わないのと一緒だ。

 生徒会の顔合わせが終わったあと、篠村さん、ちょっといいかな、と名指しで呼び止められ、わたしは驚いた。近くで見る会長は、はっとするほど背が高く、颯爽とした雰囲気と整った顔立ちが相まっており、つまりかなり魅力的だった。


「えっと、なんですか?」

「呼び止めてごめんね、大した用じゃないんだけど」


 ばつが悪そうに笑う。ああそういえば、あの時もこの会議室に二人きりだったっけ。

 

「君のその、服装のことなんだけどね」

「服装?」

「うん。生徒会で集まるときだけでいいから、校則どおりの着方をしてもらえないかな」


 それはとても柔らかい口調だった。

 わたしは自分の格好を眺める。シャツの第一ボタンとブレザーのボタンが開いていて、スカートは膝上十五センチ。おまけに指定外のニーハイソックス。ははあ、とそこで初めて気づいた。打合せ中、上級生がわたしを見てひそひそ耳打ちし合っていた原因はこれだな、と。

 わたしがすいません、気をつけます、と言うと、会長は困った顔をして微笑み、


「まあ俺は実を言うと、服装なんてどうでもいいと思ってる人間なんだけどね。生徒会長の立場上、そんなこと大っぴらには言えないけど。――あ、この話、他の人には内緒にしてね」


 そして、人差し指を立てて唇に当て、しーっという仕種をした。その時、会長の後ろの方から、なんともいえず清涼な風が吹き抜けてきたように感じた。一陣の風は、わたしの心を揺らして吹き去っていった。

 つまり、わたしはそれにやられたのだ。


「それじゃ、これからよろしくね」


 胸の高鳴りに動揺したわたしは、こくりと頷くことしかできなかった。

 それから会長は、特に理由がなくてもわたしに話しかけてくれるようになった。お前の服装を見てるぞ、ちゃんとした格好しろよ、という監視の意味なのかもしれない。それでもわたしは会長と話せてとても嬉しかった。

 夏休みに入ったら会長とはしばらく会えないんだなあ、寂しいなあ、と考えながら、会議室をようやく後にする。ドアの外では、なぜか待ち構えるみたいに、三人の女子生徒がひそひそ話をしていた。胸元のリボンの色は全員青。つまり二年生。つまり会長と同学年。

 内緒話はわたしの出現と同時にぱたりと止む。わたしの噂でもしていたのだろうか。ふうん、陰口ね。感じ悪。

 そのまま通りすぎようとも思ったのだけれど、向かって左に立っている人の鞄に、見覚えのあるものがぶら下がっていて、はたと立ち止まる。

 先刻見たばかりの、ピンク色のパスケース。

 資料を掠めていく、鞄の残像が蘇る。

 なるほど、と得心した。わざとだったんだ。嫌がらせだったんだ。途端にふつふつと怒りが湧いてくる。わたしはそういう、こそこそしたことが大っ嫌いだ。

 わたしは三人の真正面に立って、ぐるりと全員を睨みつけた。上級生が、少々気圧された風に見つめ返してくる。全員、凝った髪型をしていて、うっすら化粧気がある。外見を綺麗に見せるのが得意で、自分の容姿が他人より優れているのを知っている人たちだ。

 外見が良ければ悪口だって許されるとでも思ってるわけ? 冗談じゃない。

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