彼らのこと・回想 The Bird doesn't sing a Aubade. (1/4)
─ヴェルナー・シェーンヴォルフの話
退屈な会議にも、実りというのはある。
影と"罪"の全面闘争──パシフィスの火──が鎮まって2年が経つ。
相手方の首領は死んで、世間は表面上平穏を取り戻したけれども、罪は根絶やしになったわけではなかった。闘争は俺たち影側にも深い傷跡を残し、"罪"の奴らを完膚なきまでに叩きのめす力を奪った。罪の生き残りは追撃を逃れ、現在でも細々と、しかし確実に活動を続けている。そいつらにどう対応していくか、影の方針会議が開かれることとなった。
会議に召集された俺は、堅苦しい場所にこれから何時間も拘束されることに苛立ちながら、無駄に広い会場をぶらついていた。テレビ会議の機器も普及したこのご時世、顔を突き合わせて侃々諤々議論をすることに何の意義があるというのか。会議の現場で考えても仕方ないことをぶつくさ呟いているとき、一人の女性の後ろ姿が目に飛びこんできた。
強い既視感を覚える歩き方だった。
人は普段意識しないけれど、歩き方というものには非常に強い個性が現れる。ほとんど隠しようがないくらいに。個人差が大きく、後ろ姿でも遠目でも判別できる歩行による個人識別法は、影のなかで有用なツールとして使われている。
俺の思考の中から、一瞬で不平が霧消した。
「ロッティちゃん!」
声をかけながら走り寄る。
最後に会った時からだいぶ髪が長くなっているが、間違いない。俺が間違えるはずがない。二年前、パシフィスの火が激しかったとき、支援部にいたシャーロット・エディントンだ。俺が想いを寄せていた女の子だ。
あの頃の騒々しい思い出が、胸に甦る。
「ロッティちゃん、久しぶりだね! 君も呼ばれてたんだねえ、俺のこと覚えてる? 髪伸ばしたんだー似合うね、相変わらず君は世界一可愛いよ」
目前に迫る彼女が、ふっと振り返った。スリーピースのパンツスーツに身を包み、首元にはマニッシュなクロスタイ。その男っぽさを補って余りある、輝かしく豊かな金髪とこぼれ落ちそうに大きな青い瞳。二年前に十八歳だったはずだから、今は二十歳か。ああ、何も変わらない。シャーロットは変わらずとても美人だった。
桃色の可憐な唇が、つと開く。
「あなたも相変わらず、女と見たら口説かずにはいられないようね。ヴェルナー」
きれいなアーモンド形をした双眸に、きっと睨まれる。
はて。俺の思考は一瞬止まる。
シャーロット。外見は確かにシャーロットだ。間違いない。でも、纏っている雰囲気がなんだか違う気がする。二年前は、もっとこう、大人しくて控えめな感じだった。俺が近づいていったら、即座に女性の上官の影に隠れてしまうような。
それに、名前を呼び捨てにされたことなんて一度もなかったはずだ。気づいてなぜかちょっとどきどきした。
思考が迷走のトップスピードへ駆け上がらんとする間に、
「何か用かしら? 何も用がないなら話しかけないでちょうだい」
シャーロットがふいと立ち去ろうとする。
彼女の高飛車な物言いに、背中がぞくぞくとした。それはある種の快感だった。思い返せばこれが、自分のマゾヒストとしての目覚めだったのかもしれない。元々俺の中に火種はあったのだとは思う。少年時に年上の女性とばかり夜遊びをして、異性に主導権を握られる状況には慣れていたから。
すたすたと大股で離れていくシャーロットを、慌てて追いかける。
「あーちょっと、ちょっと待って! 用ならあるんだ、この会議が終わったらさ、一緒に食事でもどうかな?」
「食事……」
こちらを見上げるシャーロットの、永久凍土の氷のように冷たい視線。俺の価値を推し量っている視線。
値踏みされている。そう思ったら興奮してしまった。
「そうね……いいわ。ちょうどあなたに聞きたい話があるから」
頷いたシャーロットは、ずいと体を寄せてきた。近い。腕を差し出せば、抱きしめてしまえる距離だ。
彼女の華奢で優美で、けれどか弱さを感じさせない手が、俺の首元に伸ばされる。どきりと心臓が跳ねる。このまま首でも絞められるのか? それも悪くないな。
「ちゃんとしたお店に行くなら、ネクタイくらい締めてきなさいね」
シャーロットはそう言って、不敵にふふっと笑った。
体の奥から、形容しがたい色々な情動が湧き上がってくる。到底口には出せない、興奮やら悦楽やらも混じっている。
俺は阿呆みたいに彼女の遠くなる背中を見つめた。会議の開始を知らせるエージェントの怒声に我に返るまで、俺は廊下のど真ん中でぼんやりと突っ立っていた。
大慌てで予約した割には、いい店だった。
淡いグレーで統一された店内は落ち着いた雰囲気で、壁にかかった抽象画と、テーブルに飾られた花の色彩が映え、目を楽しませる。室内の居心地のよさを軽やかに演出する、プーランクの器楽曲の調べ。席同士の間隔は大きく取られており、隣の席の会話はほとんど聞こえない。俺たちの会話もそうだろう。
静かな談笑と、食器がたてるカチャカチャという無機質かつどこかあたたかい音。それらが、品のよい調度品で揃えられたフロアに満ちている。
シャーロットの格好は昼間と異なり、膝丈の濃紺のカクテルドレスだった。
会議の出席者に用意されたホテルのロビー、そこでの待ち合わせに、シャーロットは華やかに変身して現れた。パンツスーツで上書きされていた彼女の魅力があらわになっていて、目が釘付けになる。日中には半分以上隠れていた、優美な形状の黒いピンヒール。それに踏まれてみたいなあとふと思った。
「ロッティちゃん、すごく綺麗だね」
「お世辞はいいわ。それより、ネクタイはあったのね。あなたがネクタイを締めてると、手綱みたいだわ」
シャーロットが俺のネクタイを軽く引っ張る。
手綱。その単語が異様に大きく聞こえた。操られるためのもの。俺の手綱はぜひとも、シャーロットに持ってほしい。
「なんだ、調教してくれるのかい」
「そうね、悪い犬には躾が必要ね。もっとも、それは私の役目ではないけど。さあ、早く行きましょう」
シャーロットはさっさと歩き出した。彼女の一言、一単語が俺の心臓を正確に射抜く。俺の脈拍は走った直後くらい速く、頭は熱病に侵されたみたいにぼーっと熱かった。
「元気そうで良かったわ」
洗練された所作で、オードブルを口へ運んでいたシャーロットの言葉に、はっとする。いけない。追想に浸ってぼんやりしてしまっていた。
「ああ、元気も元気だよ、特に」
下半身が、と言いかけてやめる。つい素が出そうになる。悲しいかな、ネクタイを締めていても、こんな上品な店にいても、俺の内面が上品になるわけではないのだ。むしろ、この場にいることへのある種の反動で、下世話な文句を使いたくなってくる。これはもう病気みたいなもので、しかもおそらく一生治らないと断言できる。
「君も元気そうで何よりだ」
「ありがとう。ところで、知ってるかしら。私ね、今あなたと同じところの所属なの」
「え」
思いがけない告白に、目をしばたかせてしまう。シャーロットは俺の反応をうかがうように、こちらをじっと見続けている。




