彼らのこと 過去からの来訪者・後編(4/6)
「現況は大体掴めた。それで? お前たちは遥々ドイツから何をしに来たんだ。まさか"罪"の連中が現れるかもしれないから気をつけろ、と伝えに来ただけなんて言わないだろうな」
ヴェルナーがうんにゃ、と首を横に振って、
「茅ヶ崎……えー、リュウノスケ君が」
「……貴様、名前を覚える気ないだろう?」
「いやあ、そんなことないって。えっと、彼が狙われそうだってんで、監視役としてハンスが、護衛役として俺が派遣されたってわけさ。お前の手も借りる羽目になるかもしれないから、状況説明をしとこうと思ってな」
「護衛……」
二人のドイツ人の顔をじっと見つめる。師匠と弟子は示し合わせたように、同じタイミングでにこりと笑みを作った。
自分にだけ聞こえるように、舌打ちする。
──気に入らない。心底、気に入らない。
「解せんな。なぜそう嘘を吐く」
私が低く呟くと、ヴェルナーの笑顔がやや不穏な雰囲気になった。赤い眸に物騒な光が宿る。
「ふーん……? 俺が嘘吐いてるっていうのか?」
ヴェルナーが意地汚くとぼけ、挑むような視線を投げかけてくる。真っ向からその視線を受け止めて、睨み返す。
「そうだ。色々不可解なことはあるが……まずはそうだな、貴様は今茅ヶ崎龍介の"護衛"と言った。しかし影の体質から見て、それはあり得ない」
「ほう?」
憎々しい思いを込めて、ヴェルナーを睨めつける。
頭を回転させ、言葉を組み上げてゆく。
「影と"罪"双方の立場から考えれば分かることだ。"罪"から見れば、茅ヶ崎は後々《のちのち》脅威になり得る存在だ。だから、脅威の芽を摘むという意味で、今茅ヶ崎を殺すことは"罪"にとってはプラスになる。しかし影にとって、今の茅ヶ崎の存在はプラスにもマイナスにもなっていない。現状、彼はただの一般人にすぎないからな。だから茅ヶ崎を失うことが、影にマイナスにはたらくとは考えられない。むしろ、護衛に人員を割けば、そのぶん人手が減って逆にマイナスだ。そうだろう?」
ヴェルナーは笑顔を崩さない。私はそれを、先を促しているととった。
「……影の主な目的はあくまで、"罪"の監視──最終的には根絶だ。一般人の護衛はそもそも議論すべき問題ではない。それどころか、"罪"の連中を根絶やしにできるなら、一般人が何人死のうが構わない、それが影の基本的な考えのはずだ」
「乱暴な言い方だな。"最大多数の幸福のために行動する"って言えよ」
「同じ意味だろう」
言葉をぴしゃりと叩きつけると、ヴェルナーは苦笑いして肩をすくめた。
「狙われている一般人一人ひとりに護衛をつけるほど、影は暇ではないはずだ。影のお偉いさんからの命令は"護衛"ではなく、"監視"がいいところだろう。貴様らは護衛などではなく、"罪"が|茅ヶ崎龍介に何をするか《・・・・・・・・・・・》を監視しにきただけなのではないか? もし"罪"の連中が茅ヶ崎を襲うのなら、それをただ見届けるつもりでいる。違うかね」
「なるほど。それで言いたいことは終わり?」
私の追及にも、飄々とした笑いだけが返ってくる。
いや、と否定して、続けた。
「貴様らの目的が監視だとすると、ヴェルナー……貴様がここに来た意味自体が疑わしくなってくる。ハンス君はいつも偵察役をしていると言ったな。だとすれば、目的が監視だけならハンス君がいれば十分なはずだ。何もドイツから貴様が来る必要性はどこにもない。貴様の本業は"殺し"だからな。貴様がいなくとも監視の目的は果たせるとすると、貴様がここにいる意図は別にある、という結論になる」
「お前の考えてることは分かったよ。で、結局何が言いたいの?」
「……貴様の目的は何だ。なぜここにいる。何を企んでいる?」
胸の内の疑念を全てぶつけて、赤い瞳の奥を注視する。何らかの意志が読み取れるのではと思ったが、そこには底の知れない深淵があるだけだった。
ヴェルナーが目を伏せる。何かを噛みしめるがごとく瞼をぎゅっと閉じ、
「企んでるなんて、人聞きの悪い言い方はよしてくれよ。まあ、そうだな……どうせいずれは伝えることだったし、全部話すよ」
数瞬ののちに瞼が開くと、毒気が抜けたような、さっぱりとした目付きになっていた。その双眸が、真っ直ぐ桐原を捉える。
「俺の目的はお前だよ。錦」
「……?」
「もう一度こっちへ来ないか。それを伝えに来た」
たっぷり十秒ほど、沈黙が続いた。
夜の静けさが部屋の中まで染み込んできているような、耳に痛いほどの静寂だった。
「……まさか、私にもう一度影に戻れと言っているんじゃないだろうな」
「そのまさかだよ」
ヴェルナーの口調はひどく穏やかなものに変わっている。私はぐっと拳を握りしめて、心の内で強く思う。
戻れるわけがない。
あんなにたくさんのものを失った場所へ、今さら戻るなんてできるはずがない。記憶にはまだ、身動ぎひとつしない彼女の姿が、熱を無くしていく体の感触が、生々しく焼き付いたままだというのに。これ以上、また何かを失えというのか?
「断る。無理だ」
私の返答に、はは、とヴェルナーが力なく笑いをこぼす。
「そう言うと思ってたよ。ま、俺がお前の立場でも、戻るなんて言わねーだろうけどな」
「分かっているならなぜ――」
「シューニャに頼まれたんだよ」
シューニャ。
その不思議な響きは、自らの胸に眠る複雑な思いを呼び起こした。
その言葉自体は、サンスクリット語で空を表す形容詞であり、古代インドの数学ではゼロを意味する。ただし影においては、現在の影の指揮官たる人物を指す。
私は八年経った今でも、一切の感情が抜け落ちた、漂白されたようなシューニャの顔を、鮮明に思い出せる。"彼の能力"と、"彼女の死"とは、切っても切れない結びつきを持っている。
「……会ったのか?」
「まさか。シューニャの居場所は機密扱いだぜ。俺みたいな半端者が会える相手じゃない。でも、電話で話したよ。お前の力が必要なんだと言ってたな。あと、お前に謝っておいてくれって何回も言われたよ」
だったら自分で謝れってな、とヴェルナーがこちらに笑いかけた。
ハンス君は話が飲み込めないなりに、私たちの会話に耳を傾けているようだ。
謝る相手が違うのではないか、と思った。自分は別に、彼に腹を立てているわけでも、彼が憎いわけでもない。私が彼に許しを与えることはできないのだ。その思いは当時と変わっていない。
"貴方が謝ったところで、死者が目を覚ますことはありません。"
自分がそう言ったときも、シューニャは能面に似たのっぺりした顔で、じっとこちらを見返していた。彼があの時に何を考えていたのか、私には分からない。
「シューニャに直々《じきじき》に言われたら、下っ端の俺が逆らえるはずねーだろ? 俺はシューニャが仰るとおり、遥々海を越えて、お前を勧誘しに来たってわけさ」
「……なぜ貴様がわざわざ来たのか分かったよ。私を説得するために、シューニャが選んだんだな」
「だろうね。お前と親しかったのは俺ぐらいだからな、今生きている影の人間では」
「親しかった、ね……」
ヴェルナーは遠くを見つめる時の目をしている。昔に思いを馳せているのだろう。対する私の過去は思い出したくない出来事ばかりで、回顧する気にもなれない。
ヴェルと自分はそんなに親しげだっただろうか。少なくとも私の中では、ヴェルナーへの苦手意識が大きかった。できれば関わり合いたくない類いの人間だとすら思ったものだ。
──いや、もうよそう。過ぎた日のことを考えるのは。
「……私は言うなれば引退の身だ。そんな人間に戻ってきてくれと頼むほど、影は人手が足りていないのか?」
「そこを突かれると痛いねえ。お前が辞めたあと……二年後くらいだったかな? 戦略会議で執行部の人員を減らすことが決まったんだよ。新しい諜報部長が──こいつがいけすかねぇ野郎なんだが──これからは情報戦だ、野蛮な直接戦闘ではなく、情報を掌握しコントロールすることで、"罪"の活動の拡大を防ぐべきだ、とか会議で一席打ちやがってな。代わりに諜報部員が大幅に増員されたよ」
その表情は、嫌いな食べ物を誤って口に入れてしまった時のように、渋いものだった。加えて、いけすかないと評した諜報部長への嫌悪感が、剥き出しの尖った犬歯に如実に現れていた。
私はその部長に会ったことはないが、なんとなく人となりが想像できる。きっと、真面目な人物なのだろう。
「その時反対しなかったのかね」
「あん時ばかりは俺も同じ意見だったからねぇ」
「さっきいけすかないと言ったではないか」
「それはあれ、俺が持ってる個人的な印象」
「……そうか」
ヴェルナーの話は、咀嚼すればするほど奇妙に思えた。
まとめると、情報をコントロールするために諜報部員を増やしたにも関わらず、"罪"の活動の拡がりを察知できずに、今度は執行部員が足りなくなり、辞めたエージェントを呼び戻している、という順番になる。納得できる説明ではない。




