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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
19/137

彼らのこと 過去からの来訪者・後編(4/6)

「現況は大体掴めた。それで? お前たちは遥々ドイツから何をしに来たんだ。まさか"罪"の連中が現れるかもしれないから気をつけろ、と伝えに来ただけなんて言わないだろうな」


 ヴェルナーがうんにゃ、と首を横に振って、


「茅ヶ崎……えー、リュウノスケ君が」

「……貴様、名前を覚える気ないだろう?」

「いやあ、そんなことないって。えっと、彼が狙われそうだってんで、監視役としてハンスが、護衛役として俺が派遣されたってわけさ。お前の手も借りる羽目になるかもしれないから、状況説明をしとこうと思ってな」

「護衛……」


 二人のドイツ人の顔をじっと見つめる。師匠と弟子は示し合わせたように、同じタイミングでにこりと笑みを作った。

 自分にだけ聞こえるように、舌打ちする。

 ──気に入らない。心底、気に入らない。


せんな。なぜそう嘘を吐く」


 私が低く呟くと、ヴェルナーの笑顔がやや不穏な雰囲気になった。赤い眸に物騒な光が宿る。


「ふーん……? 俺が嘘()いてるっていうのか?」


 ヴェルナーが意地汚くとぼけ、挑むような視線を投げかけてくる。真っ向からその視線を受け止めて、睨み返す。


「そうだ。色々不可解なことはあるが……まずはそうだな、貴様は今茅ヶ崎龍介の"護衛"と言った。しかし影の体質から見て、それはあり得ない」

「ほう?」


 憎々しい思いを込めて、ヴェルナーをめつける。

 頭を回転させ、言葉を組み上げてゆく。


「影と"罪"双方の立場から考えれば分かることだ。"罪"から見れば、茅ヶ崎は後々《のちのち》脅威になり得る存在だ。だから、脅威の芽を摘むという意味で、今茅ヶ崎を殺すことは"罪"にとってはプラスになる。しかし影にとって、今の茅ヶ崎の存在はプラスにもマイナスにもなっていない。現状、彼はただの一般人にすぎないからな。だから茅ヶ崎を失うことが、影にマイナスにはたらくとは考えられない。むしろ、護衛に人員を割けば、そのぶん人手が減って逆にマイナスだ。そうだろう?」


 ヴェルナーは笑顔を崩さない。私はそれを、先を促しているととった。


「……影の主な目的はあくまで、"罪"の監視──最終的には根絶だ。一般人の護衛はそもそも議論すべき問題ではない。それどころか、"罪"の連中を根絶やしにできるなら、一般人が何人死のうが構わない、それが影の基本的な考えのはずだ」

「乱暴な言い方だな。"最大多数の幸福のために行動する"って言えよ」

「同じ意味だろう」


 言葉をぴしゃりと叩きつけると、ヴェルナーは苦笑いして肩をすくめた。


「狙われている一般人一人ひとりに護衛をつけるほど、影は暇ではないはずだ。影のお偉いさんからの命令は"護衛"ではなく、"監視"がいいところだろう。貴様らは護衛などではなく、"罪"が|茅ヶ崎龍介に何をするか《・・・・・・・・・・・》を監視しにきただけなのではないか? もし"罪"の連中が茅ヶ崎を襲うのなら、それをただ見届けるつもりでいる。違うかね」

「なるほど。それで言いたいことは終わり?」


 私の追及にも、飄々とした笑いだけが返ってくる。

 いや、と否定して、続けた。


「貴様らの目的が監視だとすると、ヴェルナー……貴様がここに来た意味自体が疑わしくなってくる。ハンス君はいつも偵察役をしていると言ったな。だとすれば、目的が監視だけならハンス君がいれば十分なはずだ。何もドイツから貴様が来る必要性はどこにもない。貴様の本業は"殺し"だからな。貴様がいなくとも監視の目的は果たせるとすると、貴様がここにいる意図は別にある、という結論になる」

「お前の考えてることは分かったよ。で、結局何が言いたいの?」

「……貴様の目的は何だ。なぜここにいる。何を企んでいる?」


 胸の内の疑念を全てぶつけて、赤い瞳の奥を注視する。何らかの意志が読み取れるのではと思ったが、そこには底の知れない深淵があるだけだった。

 ヴェルナーが目を伏せる。何かを噛みしめるがごとく瞼をぎゅっと閉じ、


「企んでるなんて、人聞きの悪い言い方はよしてくれよ。まあ、そうだな……どうせいずれは伝えることだったし、全部話すよ」


 数瞬ののちに瞼が開くと、毒気が抜けたような、さっぱりとした目付きになっていた。その双眸が、真っ直ぐ桐原を捉える。


「俺の目的はお前だよ。錦」

「……?」

「もう一度こっちへ来ないか。それを伝えに来た」



 たっぷり十秒ほど、沈黙が続いた。

 夜の静けさが部屋の中まで染み込んできているような、耳に痛いほどの静寂だった。


「……まさか、私にもう一度影に戻れと言っているんじゃないだろうな」

「そのまさかだよ」


 ヴェルナーの口調はひどく穏やかなものに変わっている。私はぐっと拳を握りしめて、心の内で強く思う。

 戻れるわけがない。

 あんなにたくさんのものを失った場所へ、今さら戻るなんてできるはずがない。記憶にはまだ、身動じろぎひとつしない彼女の姿が、熱を無くしていく体の感触が、生々しく焼き付いたままだというのに。これ以上、また何かを失えというのか?


「断る。無理だ」


 私の返答に、はは、とヴェルナーが力なく笑いをこぼす。


「そう言うと思ってたよ。ま、俺がお前の立場でも、戻るなんて言わねーだろうけどな」

「分かっているならなぜ――」

「シューニャに頼まれたんだよ」


 シューニャ。

 その不思議な響きは、自らの胸に眠る複雑な思いを呼び起こした。

 その言葉自体は、サンスクリット語でくうを表す形容詞であり、古代インドの数学ではゼロを意味する。ただし影においては、現在の影の指揮官たる人物を指す。

 私は八年経った今でも、一切の感情が抜け落ちた、漂白されたようなシューニャの顔を、鮮明に思い出せる。"彼の能力"と、"彼女の死"とは、切っても切れない結びつきを持っている。


「……会ったのか?」

「まさか。シューニャの居場所は機密扱いだぜ。俺みたいな半端者はんぱものが会える相手じゃない。でも、電話で話したよ。お前の力が必要なんだと言ってたな。あと、お前に謝っておいてくれって何回も言われたよ」


 だったら自分で謝れってな、とヴェルナーがこちらに笑いかけた。

 ハンス君は話が飲み込めないなりに、私たちの会話に耳を傾けているようだ。

 謝る相手が違うのではないか、と思った。自分は別に、彼に腹を立てているわけでも、彼が憎いわけでもない。私が彼に許しを与えることはできないのだ。その思いは当時と変わっていない。


 "貴方が謝ったところで、死者が目を覚ますことはありません。"


 自分がそう言ったときも、シューニャは能面に似たのっぺりした顔で、じっとこちらを見返していた。彼があの時に何を考えていたのか、私には分からない。


「シューニャに直々《じきじき》に言われたら、下っ端の俺が逆らえるはずねーだろ? 俺はシューニャが仰るとおり、遥々海を越えて、お前を勧誘しに来たってわけさ」

「……なぜ貴様がわざわざ来たのか分かったよ。私を説得するために、シューニャが選んだんだな」

「だろうね。お前と親しかったのは俺ぐらいだからな、今生きている影の人間では」

「親しかった、ね……」


 ヴェルナーは遠くを見つめる時の目をしている。昔に思いを馳せているのだろう。対する私の過去は思い出したくない出来事ばかりで、回顧する気にもなれない。

 ヴェルと自分はそんなに親しげだっただろうか。少なくとも私の中では、ヴェルナーへの苦手意識が大きかった。できれば関わり合いたくない類いの人間だとすら思ったものだ。

 ──いや、もうよそう。過ぎた日のことを考えるのは。


「……私は言うなれば引退の身だ。そんな人間に戻ってきてくれと頼むほど、影は人手が足りていないのか?」

「そこを突かれると痛いねえ。お前が辞めたあと……二年後くらいだったかな? 戦略会議で執行部の人員を減らすことが決まったんだよ。新しい諜報部長が──こいつがいけすかねぇ野郎なんだが──これからは情報戦だ、野蛮な直接戦闘ではなく、情報を掌握しコントロールすることで、"罪"の活動の拡大を防ぐべきだ、とか会議で一席()ちやがってな。代わりに諜報部員が大幅に増員されたよ」


 その表情は、嫌いな食べ物を誤って口に入れてしまった時のように、渋いものだった。加えて、いけすかないと評した諜報部長への嫌悪感が、剥き出しの尖った犬歯に如実に現れていた。

 私はその部長に会ったことはないが、なんとなく人となりが想像できる。きっと、真面目な人物なのだろう。


「その時反対しなかったのかね」

「あん時ばかりは俺も同じ意見だったからねぇ」

「さっきいけすかないと言ったではないか」

「それはあれ、俺が持ってる個人的な印象」

「……そうか」


 ヴェルナーの話は、咀嚼すればするほど奇妙に思えた。

 まとめると、情報をコントロールするために諜報部員を増やしたにも関わらず、"罪"の活動の拡がりを察知できずに、今度は執行部員が足りなくなり、辞めたエージェントを呼び戻している、という順番になる。納得できる説明ではない。

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