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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
136/137

僕らと彼らのこと 円卓の識者たちⅠ(2/3)

 * * * *

―桐原錦の話


 首都圏の専門店で、ヴェルナー共々新しいスーツを選んでいる。なぜか。


「そんなぼろぼろの格好でミーティングに参加してもらうわけにはいかないな。どこかでスーツでも新しく揃えてくるといい、立て替えてもらった分は経費か俺のポケットマネーから出すから」


 死闘を繰り広げた廃墟の前で、そうセルジュに言われたからである。ちなみに本当に代金が戻ってくるのか、正直私はそこそこ疑っている。

 事情の説明を差し置いて、彼が我々に言ってきた理由。大方、ミーティングとやらが始まるまでに仲直り――とまではいかないまでも、互いに言葉を交わして余計な蟠りを取り除いてこい、と言いたいのだろう。店まで指定されてしまってはヴェルナーと顔を合わせないわけにいかない。

 スーツ専門店の前で鉢合わせした私とヴェルナーは、互いに応急措置だけした手負いの姿でまともに向き合った。

 妙にぴりりとした、居心地の悪い数秒が流れ――。


「悪かった」「すまない」


 そう、謝意の言葉が同じタイミングで被る。私は眉をひそめた。ヴェルナーも同じように顔をしかめている。


「お前は悪くないだろ」「なぜ貴様が謝る?」


 再び言葉が被り、先ほどまでの緊張感はどこかに散ってしまった。私が呻きながら側頭部のあたりを掻けば、相手は嘆息とともに天を仰ぐ。


「そうは言ってもさあ」と次に口火を切ったのはヴェルナーだった。「命のやり取りをしてたのは事実なんだしさ。お前、死ぬとこだったんだぜ?」

「それは貴様とて同じだろう」


 自分の口がへの字に曲がるのが分かる。

 私の方は、ヴェルナーに対して思うところは特段ないのだ。あれはあくまで組織に殉ずるか抗うか、互いの信念がぶつかり合っただけのことで、どちらが善でどちらが悪とかそういう話でもない。それにあの、最後に丸腰で対峙した時の抑えきれない高揚感。他人から見れば褒められたものではないし、他者からの謗りも甘んじて受け入れるつもりだが、あれをなかったことにはどうしてもしたくない。それが私の偽らざる本音だ。

 きっとどちらかがいなくなったとて、私たちの関係は変わらないままなのだろう。かなりしゃくだけれど。

 肩を竦めてから言葉を継ぐ。


「私に謝る必要はない。時にはそうならざるを得ない状況になる心構えと覚悟はできているからな。それより貴様は、茅ヶ崎に心から頭を下げる準備をしておくべきだ」

「そりゃあもう……。でも、坊っちゃんは許しちゃくれねえだろうなあ。さんざん酷ェこと言っちまったし。はあ……」


 いつでも不遜な赤髪の狼は視線の先でめそめそしている。かなり珍しい姿だ。

 結局、あくまで影の人間として繰り出された彼の主張の、何割が真意なのか正直分からなかった。私にはどうも、ヴェルナーはヴェルナー・シェーンヴォルフという人間を演じているようにも見える。

 わざと露悪的に振る舞い、壇上で一人スポットライトを浴び、孤独に踊る道化。

 そんな想像を軽く頭を振って払いのける。こいつの本心がどこにあろうと、付き合い方を変えるつもりはなかった。


「謝罪は許されようとしてするものじゃないだろう。自分の気持ちを示すためにやるものだ」

「分かってるよォ……」


 髪をがしがしと掻き回すヴェルナーを横目に捉えながら思う。私とて、茅ヶ崎には謝らねばならない。大切な存在がありながら、また命を投げ出すような真似をしたことで信用を失ったに違いなく、そのうえ彼の才覚を侮ったのだから。謝罪ひとつで失墜した信用を取り返せるとは思わないが、謝らねば溝ができたままなのだ。

 不意にヴェルナーが「なあ」とこちらに体の正面を向けてきた。


「結局素手でやり合う前に指令はナシになったじゃん? ちょっと一発殴ってくれねえかな、本気で。そしたら俺もお前も気が済むかも」


 何かと思えば、どこかで聞いたような台詞を吐くものだ。


「こんなところで殴り合ったら警察を呼ばれるぞ。『走れメロス』みたいなことを言うな」

「え? 『滾れエロス』?」

「……。いや、もういい。さっさと服を選ぶぞ」


 平常運転で聞き返してくるヴェルナーに、どっと肩の力が抜ける。

 なんだか色々なことがどうでもよくなった。先ほどまで殺し合いを演じていた相手と、お互い満身創痍ながらも命に別状なく向かい合っているのが、急にとても奇妙でこそばゆいことに思えてくる。

 店内は専門店だけあって様々な色、様々なタイプのスーツがずらりと並んでいた。時間的に既製品を買うしかあるない。私は店員から勧められるままに、光沢のある深いブルーのスーツを手に試着室へ進む。同じタイミングでヴェルナーも隣の試着室に入った。こんなところまで被らなくていいのだが。

 仕切りの向こうからごそごそという身動ぎと衣擦れの音がする。しばらくそうしていたところに、ヴェルナーの声が降ってきた。


「なあ、錦。聞こえるか?」

「ああ……何の用だ? 謝罪ならもう聞かないぞ」

「そうじゃなくてさ……お前、手加減したろ?」


 ベルトを締めかけていた手が止まる。思わず舌打ちしそうになった。


「……どうだか。その台詞、そのまま返したいがな」

「さァてね。聞こえねえな」


 薄い壁の向こうで食えない男はうそぶく。早くも元の調子を取り戻してきたらしい。私としては、今しばらく悄然と大人しくしていてほしいのだけれど。

 ほぼ同じタイミングで試着室から出る。深い赤紫色のスーツに黒シャツを合わせたヴェルナーと無言のまま見合うと、図らずも色違いの格好をしているようにも見え、無意識のうちに口元が歪んでしまう。


「あーちょっと」なぜかノータイのままのヴェルナーが、微妙に視線を外して言ってくる。「お願いがあんだけどよ。ネクタイ結んでくれや」

「はあ、いい歳してネクタイも結べないのか? まったく……」


 渋々引き受けてしまったものの、自分より少し背の高い、ほぼ同じ体格の男と手の届く距離で向き合うのは気持ちのよいものではなかった。ヴェルナーは目を伏せてされるがままになっている。店員はなぜか我々を遠巻きにして他の客の対応をしていた。


「なあ、錦」

「……なんだ」

「なんでこのタイミングでセルジュが来たんだろうな。しかもドミトリーも一緒に。あんなお偉方が坊っちゃんに何の用事だと思う」

「さあ、分からんな。だが、ろくでもない話には違いない」

「だよなあ。……なあ、お前にゃ悪ィんだが」


 伏せられた目が見開かれ、血の色を透かせた瞳が私をまともに捉える。その双眸はもう、油断なく獲物を探す獣の目に戻っていた。

 ネクタイの形を仕上げに整えながら、軽く嘆息する。目の前の男が言わんとすることが、私にはよく分かった。


「私に必ずしも同調できんと言うんだろう。それは勝手にしろ。私も好きにさせてもらう」

「話が早くて助かるよ。――愛してるぜ、錦くん」


 ヴェルナーは後半の台詞を、目いっぱい顔をしかめたものすごく嫌そうな表情で口にした。対する私も同じ顔になる。

 そんな嫌なら言わなければいいのに――私だって不快な思いをしたくないのだが。


「やめろ、気色悪い……」


 殴れと言われた時よりもよほど、ネクタイを引き絞って首を絞めてやろうかと思った。

 洗練されたスーツに囲まれた、汚臭を嗅いだような表情の三十絡みの男二人、という謎の構図が出来上がる。意味不明すぎて目も当てられない。

 その後は会話も絶えたまま退店し、真新しいスーツ姿でそれぞれの車に乗り込んだ。

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