どこかのこと 青春の箱庭と別れの曲(2/6)
それが済んでから、だって、とポーラが甘えるような声を出す。
「あなたの言い方、『俺はルカと仲がいいからボスが嫉妬したんだ』と自慢してるようにしか聞こえなくてよ」
「そう聞こえたなら悪いね。なんたって俺はルカの唯一の友人なわけだし。ま、向こうにはフラれたが」
「嫌なひとね、あなたって。そんな方法、あなたしか使えないって分かっているくせに」
「嫌な人間だって、もちろん自覚してるさ。でも弱点は弱点だろ? ……さて、そろそろ対価を貰いたいんだがね」
「……本当に嫌なひと」
拗ねたように言いながら、ポーラはマシューの両手を引く。どこか東洋を思わせる、ミステリアスで奥深い香水の匂いが漂ってくる。体の密着を強いられ、もはやマシューは彼女の膝の上に乗っているも同然だった。視界のほとんどを迫力のある双丘が占めている。主導権を握られるのは趣味ではないが、この光景は壮観で悪くない。
両腕を伸ばし、背中から細い腰へと掌を滑らせ、ポーラのシルエットを指先で味わう。太ももに至った手の動きを上へ向け、とうとうふたつの丸みを下部から鷲掴みにした。文句は飛んでこなかったから、先に進んでもいいということなのだろう。魅惑的な手応えに、マシューの興奮は否応なしに高まっていく。
――やばいな。久しぶりに、その気になってきたかもしれない。
ポーラの腕が伸びてきて、マシューの首の後ろに回される。吐息を含んだ艶っぽい声が、耳に吹き込まれる。
「あなたもお好きね……」
「は、煽っといてよく言うぜ」
「ふふ、良くってよ。お好きに、存分に堪能なさいませ」
余裕がなくて、駆け引きなどする気も起きなかった。色事からはだいぶ離れていたから、一度火がつくと止められそうにない。昂る欲望そのままに、ポーラをベッドに押し倒す。ふわっと立ち昇る甘やかな香りは、まるで男を狂わす媚薬のようだった。
女は身をよじらせ、誘うような、それでいて見透かすような目をする。本当はこういうときに相手の泣き顔を見るのが趣味だが、ポーラ相手にはきっと無理だろう。
仰向けになっても、ポーラの胸は本当に大きかった。マシューはいつも疑問に思っていたことをふと口にしてみる。
「なあ、姐さん。なんだっていつもこんな格好してるんだ?」
「だって、一番上のボタンが留まらないんですもの」
ややずれた受け答えに笑いそうになる。就寝時の格好を訊かれて香水の種類を答えた、かの有名な女優のよう。袷が閉まらないのなら、中に何か着ることだってできるのに。
ポーラはマシューの耳元で「本当かどうか、お試しになる?」と囁く。
「いいや、俺はあんたに服を着せるより、脱がす方が断然いい」
「……ふふ、お上手ですこと」
言葉尻を待たず、手を服の内側に滑りこませ、さらさらした素肌に直接触れた。相手の胸を触っているだけで自分が気持ちよくなるなんて、ティーンエイジャーのようで気恥ずかしいが、しかし仕方ない。これだけ大きいのは初めてなのだから。掌にも余る魅惑的な感触を好きに味わいながら、マシューの息は熱くなっていく。
「……なあ、姐さん」
「なあに」
「これ……舐めてもいいか」
こちらを見上げるポーラのなめらかな頬も上気していた。裸でなく、上着を肩に引っかけたままなのがよりいっそう艶かしい。女は目元を笑ませながら、細い指先をマシューの下半身に伸ばし、つう、と撫で上げる。
「……ッ、おい」
「私にしてほしいことが別にあるのではなくって? ふふ、もうこんなに逞しくして……慎みがありませんこと」
「っは、慎みがないのはあんたの体の方だろうが……」
ポーラの長い脚が下から絡んできてひやりとする。まるで蜘蛛の足のようだ。さしずめ毒蜘蛛の足といったところか。
死の気配が近づいてくることを感じながら、ゆるゆると指で玩ばれる快感で脳内はショート寸前になっていた。喉を緩めたらみっともない声が漏れそうだ。
忌々しく思いながら、しどけなく寝そべる女を睨みつけると、してやったりと言わんばかりに喜色が顔全体に広がる。
「きちんと言葉にして下さいませ、マシューさま。そうすればちゃんと可愛がってあげますわ」
「……下、触ってくれ。ひとつ言っておくがな、可愛がるのはあんたじゃない、俺の方だ」
「口の減らないひとね。よろしいでしょう、嫌いじゃありませんわ」
二人のあいだに不敵な笑みが交わされる。
互いに呼気を熱くしながら主導権争いをするなんて、あまりに不毛で、不純だ。だが何も生まない無意味で爛れた関係はどこか心地好くもある。口の端に薄笑いを浮かべ、ただひたすらに快楽を求めるくらいの退廃的な夜が、自分たちにはお似合いだ。
マシューの茹だった脳での思考は、視界がすべてぱっと白く染まり、快楽の中に散り溶けるまで、続いた。
数日後。
マシューがいつものようにラボに向かうと、ドアの前が人だかりになっていた。そこには明らかにマイナスの感情が渦巻いており、肌がぴりっと緊張する。不安げなざわめきに負けじと「おい、どうした」と声を張り上げると、集団が弾かれたように一斉にこちらを向く。一様に憔悴した顔が揃っており、あまりの光景に肝を冷やした。
「ああ、マシューさん……」
「大変です」
「俺たち抗議に行こうかって今話してて」
切実な声を掻き分けてドアの前まで到達し、マシューはははあ、と納得する。内部で光が行き交うドアの表面に、一枚の紙が無造作に貼りつけてあった。そっけないフォントで「マシュー氏に反逆の疑いあり。よって異端審問の場に召喚する。期日通り来られたし」との旨が印刷されている。誰がやったのか知らないが、連絡したければ電子メールで十分なのに、これ見よがしにアナログでアナクロな手法をとった相手に思わず笑いが込みあげる。最新技術の実験室のドアに、申し渡し書を貼る誰かの姿は、想像すると滑稽であり間抜けでもある。
異端審問への召喚それすなわち死刑と同義なので、まあ事態としては笑い事ではないのだが、マシューにとってはいつ連絡が来てもおかしくない内容ではあった。"反逆の疑い"なんて、ディヴィーネがこの地に来た当初から持たれていたことだし、実際その意志を持ち続けてもいる。本人よりむしろ、マシューが実験の指導や助言をしてきた同僚たちの方が動揺していた。
事によっては異端審問官のひとりであるポーラも、近々マシューの忌日が決まると知っていて、あの日部屋を訪れたのかもしれない。
「まったく、食えない女だな。姐さんは――」
若干の苦々しさとともに恨み言が飛び出る。だがここは、最後にいい思いをさせてもらったから良しとするか。最後の晩餐としては悪い味ではなかった。
そんなことをつらつら考えていると、
「マシューさん……」
意を決したように名前を呼ばれ、振り返る。同じ班として研究を進めてきたメンバーが揃って自分の傍に集っていた。皆、告別式に臨むような深刻で悲痛な表情を浮かべている。
マシューは沈痛な空気を払いのけようと、努めて茶化すような明るい声音を作る。