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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
121/137

僕らと彼らのこと 暗殺計画(8/11)

 予想通り、ヴェルナーはエントランスから堂々と入ってきた。私が待ち伏せして奇襲してくるとはまるで考えていないみたいに。そしてその読みは正しい。自分は玄関を見下ろす吹き抜けの二階部分に立って、睥睨(へいげい)するように赤髪の男を出迎えた。

 ヴェルナーは上着を脱いでおり、普段は隠されているホルスター付きのサスペンダーがあらわになっていた。拳銃を握った手を掲げながら「おうい」と気安く声を放り上げてくる。明らかに頭がおかしい人間のそれだ。


「坊っちゃんはどこだい」

「言うわけがないだろう」


 しばし睨み合う。相手の口元にはほのかな笑みがあるが、目は笑っていないどころか冷たく凍てついており、全身に纏う雰囲気もぴりりとした緊張感を孕んでいる。

 私は低く問うた。


「ヴェルナー。引き返せる最後のチャンスだ。自分の行いがお前の信念に背いていないか、己の胸に訊いてみたか? 貴様はいつから、唯々諾々と従うだけの組織の犬に成り下がった?」

「あはは。お前からそんな言葉を聞く日が来るなんてな」


 こちらを見上げた男は、尖った犬歯を覗かせて獣のように笑う。


「俺たちの組織が決めたことなんだ、それで世界が少しでも良い方向に向かうんだろうさ。そう信じてなきゃ、この組織じゃ狂わずにいられんよ」

「思考停止だな。よく考えろ、罪のない少年の命と引き換えに得たものに、一体何の価値があるんだ?」

「それをお前が問うのかよ。そんなことをほざく権利がお前にあるか? お前だって、ずっと影でそうしてきたんだろ。一を切り捨てて十を得る。それが俺たちのやり方だ」

「確かに以前はそうだったよ。胸糞悪いと思いながらも、私は組織の命令に従っていた。それが正しさだと言い聞かせて。――だが今は違う。人間は考え方を変えられる生き物だ、それが進歩ってものだろう。不変でいることは、停滞と何が違う?」

「よく喋るね。こりゃあ平行線だな」ヴェルナーは聞き分けの悪い子供の相手をしているように、苦く笑んで頭を掻く。「やっぱり、どっちかが倒れるまでやり合うしかなさそうだ。――なあ、来いよ」


 ちょいちょいと人差し指を動かす様は、不良少年がやる軽佻けいちょうな挑発めいていた。

 木製の柵を乗り越えてエントランスの床へ降り立ち、改めて相手と対峙する。ヴェルナーはまだ、こちらに銃口を向けてはいない。けれど、あと少しでも刺激があれば、均衡は崩れるだろう。器を満たす水が、表面張力を超えて縁から一気に溢れるように。

 じりじりと距離を詰める。ヴェルナーが予備動作を始めて弾道がこちらに届くまでの時間と、私がそれを避けるか弾くまでにかかる時間。そこから算出される距離が我々の間合いになる。

 殺気を滲ませながら交わす会話は、とめどなく湧き溢れてくる戦意をいなすための手遊てすさびめいていた。


「坊っちゃんの場所を教えてくれりゃ、お前には手を出さずに済むんだがな。お互い不要な労力は使わん方がいいと思わねえか?」

「たわけたことを。貴様だって茅ヶ崎とは親しく言葉を交わしていただろう。情が移らんのか?」

「情?」はっ、と狼のような男が冷たくせせら笑う。「教えてやるがな、錦くん。俺が何がなんでも守りたいと思う人間はこの世に二人しかいない。分かるか? たった二人だ。その中にはお前も、ましてや坊っちゃんも入っちゃいねえ。だから俺はな、その二人以外なら切り捨てることだって厭わねえんだ」


 ヴェルナーが利き腕をもたげる。低い囁きが開戦の合図になった。


「後悔するなよ、錦」

「こちらの台詞だ」


 床を蹴る足に渾身の力をこめる。迷いと恐れを捨て、相手に肉薄した。接近戦では、銃火器よりもナイフなどの近接武器の方が有利さで上回る。掌サイズに圧縮した槍を逆手に持ち、右腕の根元を狙うも、ひらりと難なくかわされた。あはは!とヴェルナーがこんな時でもけたたましい笑い声をあげる。


「おいおい、この期に及んで無力化を狙ってんのかい? 殺す気で来いよォ、俺もその気でやってんだからさ」


 ――振るわれた銃床部分が唸りを上げて背中を掠める。あれをまともに食らったら、零コンマ何秒かは呼吸が止まっていただろう。

 懐に入ってしまえば撃ってこないはず、との推測は当たった。ヴェルナーときたら、一発しか装填されていない拳銃をたのみにしているようなものなのだ。

 奴は一人につき一発しか銃弾を使わない。それが現在の信条なのだという。

 本人やハンス君から話を聞いて、少々面食らったのは否めない。八年前の、アサルトライフルを手に戦闘へ身を投じる彼の姿を記憶していたからだ。アサルトライフルは特性上、狙い撃ちではなく連射がメインの戦い方になる。弾幕とも言っていいほどの、間髪入れない射撃の物量で場を制圧するのだ。

 ――足払いを狙った脚同士ががっちりかち合う。考えることは一緒だ。それが癪に障る。

 ところが今のヴェルナーときたらどうだ。八年ぶりに再会し、これが相棒だと量産型の拳銃を見せられたとき、私は思わず笑いそうになった。殺傷力もそれほど高くない、ありふれた型の何の変哲もない拳銃。それで、一人一発で済ませるのだから恐れ入る。

 ――溝尾みぞおちに入りそうになった拳を、すんでのところで左腕で受ける。びしり、と走る痛みには気づかないふりが正解だろう。手を捻ってヴェルナーの手首を掴み、相手の勢いを利用して投げ飛ばす。

 この極限の状況だって、闇雲に乱射はしないはず。奴が信念を曲げて、私を粗雑に扱うことはきっとない。それくらいの付き合いの深さの自負はある。ヴェルナーがただ一回引鉄を絞るときが、私の死期になるはずだ。

 それすなわち、必殺の一発。

 ――投げられた男は全身を回転させ、腰を沈めて身軽に受け身を取る。そこから次の動作に移るまで、刹那もないように感じた。真っ正面から、お互いの力がぶつかる。

 セオリー通りなら飛び道具の方が有利だろうが、我々の場合はそうでもない。

 私の手にあるのはナイフであり、投げ矢であり、槍であり、棍棒でもある。しかも自分が黒いものを身につけている限り、どこからでも回収できるから弾切れもない。

 互角か、それ以上。

 もちろん、得物の比較だけでは結果を占うことなどできない。自分自身の努力で、そこまで持っていく。

 ――二人して放った拳は相手の頬に命中した。弾かれるように飛びすさって、再び距離を取る。

 口のなかに血の味が滲んだ。それはヴェルナーも同じだったらしく、ぷっと血を吐き出して手の甲で口元を拭う。


「動けるじゃねえか、お見逸れしたぜ。病み上がりとは思えんな」

「それはどうも」

「戦い方に迷いがねェな。死ねないから生きてるだけの錦くんはどこ行ったよ? どういう心境の変化なんだか。今まさに死にかけてるってのに……」

「私は死なん」


 相手の発言を遮ってはっきり断言すると、ヴェルナーの片眉が意外そうに持ち上がる。


「へえ? ずいぶん強気じゃねぇの」

「もし貴様が勝ったとしても、貴様に私は殺せない」


 殺されても、死なない。死んでも、殺せない。

 大いに矛盾するようだが、それが現在の自分の心境であった。私の心の内は、不思議と静かに凪いでいる。


「茅ヶ崎も、水城先生も、私のことを忘れないでいてくれるだろう。貴様だってそうだ……私の今際いまわの瞬間を、自分が死ぬまで網膜に焼きつけておく。貴様はそういう男だからな。何人もの人が私を記憶してくれる。彼らの中で私は生き続ける」ヴェルナーの双眸を真っ直ぐ見据え、宣言した。「だから、怖くない」


 これは完全なる逆説だ。己が負けたとして、記憶に留めてくれる人がいる。だからこそ、思いきり戦える。死ぬ気がまったくしないほどに。

 以前抱いていたような、自分の命などいつなげうっても構わない、という捨て鉢な気持ちとは正反対のもの。こんな心情を、私は未だかつて持ち合わせたことがなかった。茅ヶ崎や水城先生たちがいてくれたから、彼らとの関わりがあったから、胸の内に生まれた強い思い。

 それが太い芯となって、自分の中心をがっちり貫いて支えている。同時に赤熱する歯車となって、自分を前へ前へと掻き立てる。心臓が熱く滾っていた。

 ヴェルナーが微笑する。いっそ儚いほどの優しさを湛えて、どこか眩しそうに。


「なるほどな、ちょっと前までの甘っちょろい錦くんとは違うってわけかい。……なんでだろうな。こんな時だってのに、お前がそんな風に断言するのが嬉しい気がするぜ」


 赤毛の男のほほえみは、しかし一瞬で獰猛なものへ塗り替えられる。


「でも残念だが、最後まで立ってるのは俺だ」

「そう思うなら、来い」


 この命のやり取りは、きっと数回では終わらない。

 長期戦の予感を頭の後ろ側あたりに感じながら、思考を後方へ置き去りにするように、また相手の間合いへと強く踏み込んでいく。

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