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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
105/137

僕らのこと トリック・スノウの来臨(2/7)

「飲まされた物の正体は上の見解を待つとして……もうひとつ本題があるんだ。私とヴェルナーから君に、話しておきたいことがある」


 さしものヴェルナーも、名指しされてベッドの上でもそもそと起き上がった。二対の鋭い目に視線を注がれ、思わず背筋が伸びる。


「それって、何ですか」

「影と"罪"についての話だ。私たちに上から連絡があってな。君には、我々と敵方についての知識を、もっと持っていてもらいたい。これは上の意向だ」

「え? それって……」


 どういうことだ、と思う。影も"罪"も、世間からは秘匿されている組織だとは聞いている。だからこそ、それ以上の詳しいことはあまり教えられてこなかったと思っていたのに。

 こちらの表情を読んだのか、赤毛の男が低くふしをつけて言葉を紡いだ。


「"君はいずれ知ることになる"。思うに、とうとうその時が来たってことだろうな」

「あ……」


 ヴェルナーと初めて顔を合わせた日の光景が、ぶわりと甦って脳裏を埋め尽くす。その意味深長な一言が、記憶の鍵穴にぴったり嵌まったかのように。そういえばそんな台詞を彼がそらんじていたっけ。あの夜から半年も経っていないのが不思議なくらいに、自分の身には色々あった。いくつも、たくさん、数えきれないほど、だ。

 知識を持っていてほしいという言葉。それは、ただ守られていれば良かった存在から、もっと仲間に近しいところへ引き入れてくれる、そういった意味を持つのだろうか。漫画なんかでよく見る、特別な能力を開花させた少年のところに、秘密組織の人間がスカウトしに来るような、そんなドラマチックな展開。連想した情景に心のどこかが浮き立つが、桐原先生の両目に見つめられ、浅はかな気持ちを諌められた気になる。その目は、油断を許さない鷹のように厳しかったからだ。

 彼はその決定を歓迎していない。そう、はっきり分かった。

 ヴェルナーは肩をすくめ、桐原先生はじっと俺の様子を見る。


「事態はより深刻になってきたってこった。何が起こるか予想がつかねえ。こっちの予見が形無しじゃあ、打つ手も限られるってね」

「これからは君自身が、自分で考えて行動せざるを得なくなる可能性がある、ということだ。その意味が分かるかね」


 腿の上で握った掌が、じっとりと濡れてきていた。俺自身が行動する。それは影側にとって、より不測の事態が起こりうるということだろう。ルカの襲来のように、また日常が翻弄されるかもしれない。俺や、周囲の人たちの命が、危険に晒されるかもしれない。それに少しでも備え、心構えをして、振る舞いを決めねばならない。

 そう、俺自身が。当事者として。

 桐原先生の問いに、頷いて真っ向から答える。


「……分かります」

「そうか。聞いたら後戻りはできなくなる。本当にいいか?」

「……俺に、拒否権はないんでしょう?」


 先生は優しいから、そう聞いてくれるけれど。

 冗談めかして尋ね返すと、相手もふっと息をついて、口の端を持ち上げた。


「そうだな。忌々しいことに」



「でも、こんなところでそんな重要な話をして、大丈夫なんですか?」


 先生が椅子に座り直したところで、ふと浮かんできた疑問をぶつける。ここは開業医の決して大きくはない病院だ。もし誰かが盗み聞きでもしていたら、大問題になるのではないだろうか。

 素人の俺の質問にも、相手の二人に動揺はなかった。


「その点は心配しなくていい。ここは見た目に反して、セキュリティは割合しっかりしているんだ。意外だろう?」

「へえ……」


 もしかしてここも何かしら影に関係した施設なのだろうか。ついぐるりと病室を見渡す。何の変哲もない、普通の個室だ。でもこれ以上突っ込んでも、詳しくは教えてもらえないだろう。黙って先生が話し始めるのを待つ。

 ヴェルナーはベッドの上で、長い脚を投げ出すように組んでいる。どうやら説明は桐原先生に全面的に任せているらしかった。


「まずは君に、影の情報には階級があることを話さねばならない」

「階級……ですか」

「そうだ。我々は機密レベルと呼んでいるが、情報は五つの階級に分けられる。先の連絡で、君はレベル三までの機密情報を知っても構わないことになった」

「それは、どれくらいの……?」

「階級は一が一般的な情報に近く、数字が大きくなるほど扱いが厳しくなる。今までに君に話した事実はすべて機密レベル一のもので、レベル五になると影のメンバーさえ知らない情報も多い。私もヴェルナーも許可されているのはレベル四までだ。ちなみに、機密レベル自体の話もレベル三に含まれているな」

「なるほど……」


 彼の話は整理されていて分かりやすかった。俺は目線で先を促す。


「以前、"罪"が国際的なテロリスト集団ということは伝えたが、彼らの目的は話していなかったな。奴らの目的。それは」


 地球上から人類を殲滅させることだ。

 一段低く囁かれた言葉を理解するのに、たっぷり五秒を要した。人類を。殲滅させる。現実感が薄く、途方もない響きだ。今までそんな目的のテロリズムなど聞いたことがあっただろうか?


「……ヒトを全滅させようとしてる、ってことですか? 自分たちも人間なのに」

「そうだ。ホモ・サピエンスを絶滅させること。それが彼らの最大の命題であり、目的だ。だから"罪"では、ヒトに特異的に作用するバイオテロ兵器が主に開発されている。他の動植物を巻き込んで広範囲を攻撃するような、戦略的兵器の開発・製造は確認されていない。今までのケースでは、離島に住む人間だけが消え、犬や猫などの動物は被害を受けていなかった、という例もある」

「そこは律儀というかなんというか……厳格なんですね」


 無意識に詰めていた息をふっと吐く。彼らが人類の殲滅を目的に掲げるまでに、どういった経緯があったのだろう。そんな荒唐無稽とも思える目標に大真面目に(というのもおかしいが)取り組んで世界の脅威となるのだから、尋常ではない動機があるのでは。先生の話は俺にそう思わせた。

 そして、"罪"の目的を聞いて、つい考えてしまうことは。


「そんな組織に――どうして歓迎するって言われたんだろう、俺は……」


 ぽつりと漏らすと、先生の表情が少しだけ曇り、こわばる。ヴェルナーも脇で目をす、と尖らせた。


「ヴェルからも聞いたが、その話は――確かなんだね?」

「……はい」

「つまり君が……必ずしもすぐというわけではないが、"罪"の目的を達成するための実益にかなう存在だ、ともくされている。……そういう連想ができてしまうのだな」


 空気がにわかにずんと重くなる。それって、俺が人殺しに加担しかねない、という将来を示唆しているのだろうか。自分の中の、自分でも知らない自分。空恐ろしくはあるけれど、同時に光を当ててよく観察してみたいとも思った。未知のものは怖い。でも知れば対処法も見えてくる、かもしれないから。

 病室には重い沈黙が訪れる。重苦しい空気を払ったのはやはり、ヴェルナーだった。


「そうかもしれんけどよ、ここでうだうだ話してても仕方ねえし、展望もないだろ? その件は一旦保留にしとこうぜ。坊っちゃんは引き続き自分の身を守ることを最優先に考えてくれ。議論しても埒が明かねえことで悩むもんじゃない、な?」


 そうだな、と桐原先生が肯定する。俺もこくりと首を縦に振る。この場で現状を一番俯瞰的に見ているのはヴェルナーなのかもしれなかった。

 桐原先生が話を切り替える。


「では……話の続きをしよう。君に接触してきた男、ルカと言ったな。彼はボスの右腕に当たる立ち位置にいて、組織内ではかなりの重要人物だ。ヴェル」

「はいよ」


 声掛けを待ち受けていたように、ヴェルナーがなめらかな動作で重ねた紙片を渡してくる。それは二枚の写真用紙で、一枚目の写真に写った人物には見覚えがあった。かなりピンボケしているが、別の生き物みたいなぎらつく双眸は見間違えようがない。印刷物なのに、あの日に見下ろしてきた目を思い出してしまい、背筋がぞっと粟立つ。


「な、間違いなくそいつだろ?」

「そんなにヤバい人だったんだ……」

「そうよ。顔見た瞬間に腰が抜けるかと思ったぜ、俺ァ」


 微塵もそんな様子を見せていなかったくせに、ヴェルナーは平然と己をけなすような発言をする。それも、今無事でいるからこそできる芸当だろう。

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