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青とエスケペイド  作者: 冬野瞠
第一部
100/137

僕らとどこかのこと 炎(かぎろ)うふたつの牙Ⅲ(5/5)

 * * * * *

―ルカの話


 ルカと茅ヶ崎龍介が相見あいまみえたその日の翌日。

 日本の山中の地下に作られた"罪"の通信基地にて、ルカは主がいる本部――トゥオネラとの交信を行っていた。こんな極東の国にも"罪"の根がしっかりと下ろされているとは、大方の人間は露ほども考えていないだろう。

 セキュリティレベルの最も高い部屋は一辺が五メートルほどの箱形で、モニタの前にたくさんのスイッチが並び、そこかしこのライトがちかちかと点滅していた。見慣れた本部の青白い光とは異なり、人を忙しなくさせる赤やオレンジの光が大半で、どこか居心地が悪い。部屋にはルカ以外の人間はいない。機器に所定の操作を加えていくと、モニタにディヴィーネの居室の様子が映し出された。

 それを見るなり、ルカは自分の顔が歪むのを自覚した。広い部屋の中央に座し、常のようにほほえみをたたえた主は、傍らにポーラをはべらせていたのだ。妖艶さを常に振り撒く女は、豊かな胸の谷間を画面越しに見せつけるように椅子へしなだれかかっていて、肩と主の肩は触れ合う寸前だ。ポーラは挑発と誘惑が綯交ないまぜになった笑顔でルカをじっと見つめている。

 彼女がディヴィーネのそばにいること自体が、ルカの神経を逆撫でした。おそらく、彼女は分かっていてあえてやっている。視界からポーラを追い出し、無視を決め込むことで、なんとか憤りそうになるのを堪えた。


「やあ、ルカ。調子はどうかな」

「問題ありません」


 ややざらざらした音声に、こうべを垂れて答える。

 面を上げたルカは、素早く主の様子をうかがった。自分がそばを離れているあいだに、声の張りは変調していないか、顔色は悪くなっていないか、やつれてはいないか、また痩せていないかどうか、つい頭の中のそんな項目にチェックを入れていってしまう。自分が心配していると言ったら、あれで気の強いディヴィーネはきっと突っぱねるだろう。密かに観察を終了して、ルカはひとまず胸を撫で下ろした。

 その後、茅ヶ崎龍介と彼の所属する高校で接触したことを報告する。今回のところは(・・・・・・・)ほぼ事前の予定通りと言っていいだろう。ルカの淡々とした報告内容を、主は時折頷きながら満足げに聞いていた。


「茅ヶ崎龍介は、どんな子だった?」

「どんな、と仰いますと……外見の特徴ですか。それとも、言動などの内容でしょうか」

「君はどんな印象を持った? 君自身の個人的な所感を聞きたいな」


 個人的。それは、ルカにとっては非常に難しい注文だ。外界から受け取る情報のほとんどすべてを――組織のこと以外は――俯瞰的な客観視とも言える脳内のシークエンスで処理しているのだから。

 ルカは己の人生の主体ではない。客体なのだ。

 それでも、ディヴィーネの問いを無下にすることはしない。舌の上で言葉を吟味しながら、ぽつぽつと答える。


「いたって普通の……アジア圏ではよく見かけるような少年でした。非力で、危機対応能力も持たない、やや無謀なだけのただの少年です。私が会ったときは、なぜか女子学生の格好をしていましたが」


 そこまで言うと、モニタの向こうのディヴィーネが、数秒の時間差をもって吹き出した。


「何か……」

「彼がそんな格好をしていたのに、普通の少年だと思ったの? 君って面白いね」


 くすくす笑い転げる主に、ルカはちょっとまごついた。服とはただ体を覆い、いくつかの機能を担うだけのもので、それ以上でも以下でもないという認識を持っていたから。ゆえに、ファッションの個性というものがルカには理解できない。同じ黒いシャツとネクタイ、スラックスばかり持っていることをマシューに笑われても、彼がなぜそんなに可笑おかしそうにしているのかが心底不可解だった。主に対してもどう反応すべきか判断できず、結局、ディヴィーネの笑いが引っ込むまでただ沈黙を保つことでやり過ごす。

 ルカからの報告がひととおり終わると、それまで笑みを深めながら様子を見ていたポーラが、蠱惑的に首を傾けながら初めて口を開いた。


「ルカ様。以前にお願いしたこと、よろしく頼みますわね」


 彼女はのたまう。平然と、ルカが従うのが当然であるかのように。

 トゥオネラを出立する前、ポーラが打診してきた依頼を思い出す。勿論忘れてはいなかった。それは主も了承した事柄であるから、ルカの心に否やはない。ただ、ポーラの指図を諾々と受け入れるのが気に入らないだけで。

 ポーラの依頼。それは、八年前に死んだはずの人間の最期を今さら調査するという、不可解なものだった。

 八年前と言えば、"罪"と影の全面闘争・パシフィスの火がおこった年である。その炎に呑み込まれ、焼け焦げて歴史の黒い染みとなっていった人々。ルカ自身はそれらの小さな死を実感として捉えられていない。ディヴィーネに連れられ"罪"に来たばかりだったし、あの頃はまだ幼気いたいけが残る不足だらけの人間だった。

 打診を受けたとき、ルカはポーラの瞳をじっと見つめ、冷たくあしらおうとした。


「私に話とは何でしょう。内容によっては、受け入れかねますが」

「ひとつ頼まれてほしいのですわ。あの子の手がかりが外の世界にないか、調べてきてほしいの」

「あの子とは……」


 ルカには薄々見当がついていたが、確認のために聞き返した。ポーラは途端に眉根を寄せて、忌々しげにその名を口にする。ルカの予想通りの名前ではあった。


「お分かりになって? その子の死に不審な点がないか、それから人間関係について、詳しく調べてきてほしいの」

「……そうは仰いますが、その方は亡くなったはずでしょう。"罪"のデータベースでも状態は死亡となっていました。八年も経った今蒸し返すことに、何らの意味も見出だせないのですが」

「亡くなった、なんてお上品な言葉を使いますのね。ええ、死んだはずよ、表向きはね。でも、死体を直接確認した人は誰もいないのだもの」

「直接とは……DNAも一致しているはずです」

「顔よ。私は死に顔を見ていませんの」


 執念深い表情だ。ルカは得心した。この考えの読めない苛烈な女は、憎しみを抱いた対象の死に顔を真に求めているのだと。冷ややかに辛辣な台詞を吐くポーラの灰色の双眸には、確かに憎しみの業火が音もなく燃え盛って見えた。

 そして同時に、不可解だったことに理解が及んだ。主の居室の前で邂逅したあの夜、ポーラはディヴィーネにその旨を相談していたのだ。主の忠実な犬に、彼女から依頼をしてもいいか、と。

 今モニタ越しにポーラの冷えびえとした目を見て、頬に這う指の冷たい感覚を思い起こし、首のあたりがぞわりと粟立った。

 調査の件を念押しされ、ルカは不承不承頷く。


「時間が許す範囲で、これから探ってはみます。過度な期待はしないで頂きたいですが」

「ルカ。できる限りのことはしてあげてね」


 主がすかさず、柔和な声で諭してくる。ルカは反射的に腰を深く折っていた。


「は。最大限の努力を致します」

「ほんと、いけすかない男ね……」


 ぼそりとポーラが呟いたのが耳朶まで届いたが、ルカはそれを完全に黙殺する。


「君は一度、トゥオネラに戻ってくるんだろう? もっと詳しい話を聞けるかな」

「はい。後の活動はしばらく、日本に同行した方に任せます。その方の様子見のこともありますので」

「そうだね。どれくらいの働きをしてくれるのか、そもそも本当に僕らのために働いてくれるのか……じっくり見てあげないとね」


 主は油断なくほほえむ。それは明らかに虫をも殺さない優しい人の笑みなのに、どこか背筋を冷えさせる、酷薄さを孕んでも見えるのはなぜだろう。


「それじゃあ、ルカ。話を聞けるのを楽しみにしているよ。その時はまたピアノを聴かせてね」

「は、無論です。ありがとうございます」


 ルカは一礼して、通信を切る。まだ主と言葉を交し足りない気がして名残惜しいのと、唇を弧に描いたポーラの顔を早く消し去りたいのとが半々の感情だった。

 ルカは真っ暗になったモニタを背にし、通信室を後にする。

 茅ヶ崎龍介。彼に会ったことで得られた詳細なデータをディヴィーネに渡したら、主はどんな反応を見せるのだろう。あの少年がどんな花に化けるのか、ルカにはまったく予測がつかない。そもそもそんな壮大な可能性を本当に秘めているのか、まだ蕾にすら見えない貧弱な芽生えが、そこまで成長して花開くものなのか、判断をつけることにも躊躇いを覚える。

 ただ、ルカ個人の心情などどうでもよい些事に過ぎない。あの少年を主が希望するならば、彼を手に入れるために全力を傾ける。それだけだ。

 ルカが持つすべての時間はルカのものではない。

 ルチアーノという名を捨てルカとなってから、この身も心もすべて、ディヴィーネのものなのだから。

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