10話:ストレス病で、1ケ月休暇療養
その後、毎日19時には家に帰り、律子さんと夕飯を食べるようになった。
1985年の冬休みも12月25日から1月7日まで休んで、全般は家で
ゆっくりして後半は箱根の温泉に4泊して身体を休めた。
そして1986年を迎えた。
今年から販売店や営業所巡りをやめて極力電話で状況報告を聞き、今後の対策
を指示するようにした。ある日の晩、夫婦で夕食をとっていると奥さんの律子
さんが、笑いながら私の仕事とあなたの仕事を足しで2で割ると、水分、
楽になれるのにねと笑った。逆に律子さんが新人の教育かかりばかり長期間
やっていると、会社内の仕事の動きや、世の中の動きがわからなくなると
ぼやいていた。
1986年は、夏にレンタカーを7日間借りて、東北の太平洋側を北上して
青森から日本海側に向かい、秋田、庄内、新潟をゆっくりと回る計画をたてた。
まず、上野でレンタカーを借りて国道を水戸に向かって走り、水戸からは
海岸線をいわきに向かって窓を開けて、走り、最初の晩は常磐ハワイアンセンター
に宿泊した。2日目はいわきから海岸線を北上して仙台港の近くの温泉に入り
昼食をとり、ひたすら北上して夕方に盛岡に到着し宿泊した。
3日目は盛岡を出て青森に到着し昼食を食べて青森港から北海道を眺めて
から南下して大館の天然温泉の宿に宿泊した。4日目は秋田方面を目指し南下
して秋田を抜けて酒田、村上抜けて長距離ドライブで新潟の奥座敷、月岡温泉
の豪華温泉旅館に宿泊して豪華な庭をながめ、温泉にゆっくりつかり、美味しい
料理と酒を楽しんでぐっすりと寝た。
5日目は新潟から関越道路抜けて長岡、沼田、高崎を抜けて東京・上野の
レンタカー屋に車を返して、自宅に帰った。そして6日目はゆっくりして、翌日
、仕事に出かけた。しかし1986年10月15日秋葉原のビットインの事務所
にいて話をしていると急にめまいがして、机に突っ伏して立てなくなった。
仕方なく、近くの病院に会社の人の車で連れて行ってもらい、入院することに
なり、その知らせを置きいて律子さんが病室に来た。
医者の診断ではメニエール病が再発したので4日間入院して、最低1週間、
出来れば4週間、仕事を休み、途中でもう一度来院して欲しいと言われた。
入院しているときに安田はなんとも言えないむなしさを感じて、入院当日、
寝ながら不覚にも枕を濡らしてしまった。そして変な夢を見たのだ。それは、
めざしている場所に行きたいと急いで走っているのだが、いっこうにつかない、
1時間以上走っても目的地に、少しも近づいてない。
そして、そのむなしさに、自然と涙が出て来た。そんな話を次回の外来の時に
先生に話すと、極度のストレスと、疲労で自律神経が大きなダメージを受けている
様だと言った。そして、回復には膨大な時間がかかるか、もしかしたら回復しない
かもしれないと告げた。
最近、こう言う猛烈社員のストレス病、メニエール、重症自律神経失調症が
増えてきて、精神的に弱い人は自らの命を絶ったりする人もいると安田に教えた。
そして先生の言われたように1ケ月休んだ。それでも、まだ有給休暇が
33日残っていた。




